習慣的で平穏な毎日に添えて【オル相】「なんで、呼んだんですか」
普段は呼ばないくせに。
そんな恨み節にも聞こえる呟きがシーツの上に溢れる。緩やかに愛し合って互いに高みに上り詰め、後始末も済ませてあとは本当に慈しみあって眠るだけの深夜。
布団を腰まで引き上げて立てた膝の上に頭を乗せて気怠く眠そうに消太は隣に横たわろうとしている私を見ている。天井の明かりは既に落ちて、ベッドサイドの年代物のランプだけが仄かに灯るだけの寝室で私は消太より先に枕に頭を沈めて、こちらを追い続ける視線に微笑みだけを返した。
「嫌だった?」
「……嫌じゃ、ないですけど」
「たまには呼ばせておくれよ」
「じゃあなんで人には名前で呼ばせるくせに、あんたは未だに人のこと名字で呼んでるんです」
「慣れ、かなあ」
それは勿論ただの方便だ。
嘘つくな、と言いたげな視線が刺さる。私の消太は年々鋭くなって困るし、頼もしい。
「私に名前を呼ばれて可愛くなる君を他の誰にも見せたくないからさ」
「……再三眼科予約しろって言ってますが?」
私が言う「可愛い」を我が物として信じないくせに、その言葉自体は受け入れている矛盾がますます可愛い。今だって、肘をつく振りで、波打つ口元を肘を覆った手のひらで隠して視線を逸らす、嬉しさを誤魔化すその仕草が抱き締めたいほど愛おしい。
「呼び慣れてないのは本当だからちゃんと練習してるよ」
「いつです?」
聞いたことがない、と書いてある顔を体ごと抱き込んでベッドに押し倒した。舞い上がった髪が可愛い顔を覆い隠してしまって、私は急いで指で黒いベールを外す。不可解な行動をする私に不機嫌に拗ねて突き出された唇にたまらず感情を押し付けて、互いしか見えない距離で歯磨き粉の匂いをさせて私は言う。
「君を一人で思う夜、とか」
何を意味しているのか瞬時に悟った消太はただ目を大きく見開いて、やっぱり口元をむにゅりと動かした。
「……できれば普段、もうちょっと聞きたい、です」
何で可愛らしいおねだりだろう。
「ならいい方法があるよ」
「なんですか」
「私達、同じ名字になればいいのさ」
消太はにやける私に頭突きして向こうを向いてしまった。
「痛」
「突然何言い出すんです」
「振られた」
「まだ振ってません」
「まだって言った。いずれ振られるんだ」
ただの言葉遊びの中で私は後ろから消太に腕を回す。体は強張っていても抵抗はしないので、三文芝居は続く。
「いずれ振ってやりますから、それまではあんたは俺の恋人です」
「承知した」
「……振るまで、ですよ」
「知ってるよ。いずれが一生来ないってことくらい」
「自惚れんな」
声もなく笑う私の脛を消太の足が蹴る。
「ねえ消太。私の家族になってよ」
普段呼ばない君の名前を普段使いにさせてくれ。
祈りを込めた私の声に返る声はなく、代わりに腹に回した手に重ね絡められた指の握り込む強さに嬉しくなってもう一度名を呼んだ。