無題【オル相】 おやすみの一言を切り出せないのは、明日が特別な日だと知っているから。
「どうかしましたか」
部屋に辿り着く少し手前でオールマイトの後ろを歩いていた相澤がぶつかりかけて止まる。改めてほぼ真下から見上げる背の高さと、首を後ろに傾ける角度に慣れたものだと他人事のように思った。
「……いや。その」
オールマイトが口籠るのは珍しいことではない。この後に及んでまだ隠し事があるのかと呆れて息を吐く相澤に、オールマイトはいやそうじゃなくて、と項垂れ、恥ずかしそうに呟いた。
胸の前で指の先端同士だけをくっつけてもじもじとする乙女仕草に、理由がそちらではないことを悟る。
「……一緒に寝るくらいならいいですよ」
了承の返事に無言で顔が輝く。
明日、決戦が始まる。
二人の配置は別の場所、オールマイトは塚内の元で全戦場を俯瞰で見る役割だから危険は少ないはずだ。
(大人しくしてるならな)
寮の中で不埒なことはしないという約束は一応まだ有効であることをオールマイトは気にしていて、それでも躊躇いながら問い掛けずにいられない程には求められている。
胸の奥が甘く締め付けられるような感覚があまりにも久しぶりで、ここ数ヶ月なんでもいいからまともな恋人らしい何かをしたことが何回あったか省みてしまった。
片目と片足を失い、それでも明日相澤は前線に出る。
(……感傷的にもなるか)
部屋の前でそれじゃと別れるはずだったがそのままオールマイトの部屋に向かった。睡眠不足は作戦に支障が出る。二人ともそれをわかっているから、言葉少なに身支度を整え大きなベッドに横になった。
「灯り消すね」
「はい」
とは言え、このままはいおやすみ、と眠れるわけもない。横を向いた相澤を後ろから抱き込むようにしているオールマイトが本当にそのためだけに招いたのか、真意を見定めてからでなければ。
「で、なんですか?言い残したことでも?」
「ん?君が好きだなって」
「……言いたくないなら言わなくてもいいですよ。あんたが裏でなんかコソコソやってるのは知ってるんで」
図星だったのか、抱き込んだ腕が一瞬強張る。
「君は良く見てるなあ」
「止めても無駄なことはしません」
「予防線はあるに越したことはないからさ」
「言い訳も結構です。俺が何を言っても、あんたは聞きやしない」
「耳が痛い」
「あんたはどこまで行ってもヒーローであろうとする。個性がなくても、人を救いたいという心があるならあんたは誰がなんと言おうと立派なヒーローですよ」
「……相澤くん」
視界は暗い。
瞼は開いているのに、見えるのは白い壁ばかり。愛おしげに髪に擦り付けられる頬も、後頭部に押しつけられる唇もあるのに、相澤の視界にはかろうじて布団とシーツの区別がつく闇しかない。
「でも俺は今でもあんた一人に世界を背負わせた罪の一端を担ってると思ってます」
「それは私が望んだことさ。背負わされたわけじゃない」
「俺が嫌なんですよ」
「ううん。まるで最期の夜みたいな会話じゃない?」
「覚悟してるのはあんただろ」
オールマイトの顔が見えなくて良かった。
呼吸は確かに止まって、そして軽く笑った空気が後頭部に触れる。相澤の強張った表情筋は何の仕事もしないのに。
「生きるために出来る限りの努力をしてるよ」
「そうですね。俺も俺に出来ることをしたつもりです。あんたの後悔になるように。あんたの心に棲み着いて、万が一の時に諦めたくなくなるように」
「そうさ。私は君を諦めない」
誓うよとでも言いたげに再び抱き締められる。
「全部終わったら、君との交際発表してもいい?」
「絶対嫌です」
「頑張れると思うのになあ」
「そんなことで頑張られるの嫌なんですが」
「大事なことじゃない?」
「便宜上あんたのことをオールマイトと四六時中呼んでますが俺は八木俊典さんと交際しているのであってヒーローオールマイトの恋人ではありませんし」
「相澤くん……っ!」
どこか芝居がかった感激の声が遠い。
「こんなの念を押すことでもないですが、大事な局面で色ボケした選択をしないでくださいよ」
相澤が何を言いたいのか聡いオールマイトが気付かないはずがない。相澤に隠し事の多いオールマイトがそれをどう受け取るかは知らないけれど。
「君の強さを信じてる。君も私も生きて帰って、そうだ!結婚式しない?」
「ニンジンを大盛りにすり替えんな」
「ええ?大事なことだろ」
不機嫌に漏らした言葉をオールマイトはさらりと受け止める。
「フラグはたくさん立てていこう。そうしたら折れないよ」
「フラグって」
「帰って来たらやりたいことはなんだい?私はねえ、まず君とデートで美味しいジェラートを食べに行きたいのがひとつだろ」
楽しそうに言い合いっこを始めてしまったオールマイトの空気感に、相澤は無意識のうちに強張っていた体を委ねて目を閉じる。
「どこか都会から離れた、星の見えるところでのんびり過ごしたいです」
「いいね!ならみんなも誘っ」
「二人で」
「オーケー、二人で」
「二人でしかできないことをたくさんしたいので、俺は生きて帰りますよ」
あんただってそのつもりなんだろ、と信じたくて絞り出した声は震えてはいなかっただろうか。
「私もだよ」
些細な約束もキスもそれ以上も全部全部未来の褒美にぶら下げて迎える明日のその先に夢以上の現実を手繰り寄せたかった。
「頑張ろうねえ」
優しい口調のくせに、その奥に潜む強さが不思議と背を押す。
「頑張りましょうね」
同じ心強さを与えたくて返した言葉が、いつかの彼の心を奮い立たせてくれればいいと願った。