吾の慈悲に晒せ喉笛ページをめくるごとに、古い紙の匂いが広がる。
随分長いこと開かれなかったその本の背には「武器の歴史」の題。
己の魂である日本刀・狩魔を親友に預けた今、亜双義は手元にある
洋刀をより使いこなすためにバンジークス邸の書庫を探索し、
奥でうっすらとほこりを被っていたこの本を見つけた。
すでにバンジークスが背を預けるに不足はない腕前の自負はある。
しかし何事も中途半端を嫌う男だ。
まだ向上する余地があるならば学び鍛錬せずにはいられない。
知識から得られるものもあるだろう、と貴重な休日に書を読みふける。
「騎士は短剣をmercy(慈悲)と呼んでいたそうだ。
苦痛を長引かせぬようとどめを指す”慈悲”とは、有難いものだな」
亜双義は感心して呟き、そばにいる男の顔を見る。
現在、この本の持ち主であるバンジークスである(もっとも、彼は存在すら知らなかったが)
並んで座っているソファは二人掛け用。しかし成人男性二人ではあまりゆとりがない。
本来男女や親子など体格差のある二人、もしくは一人で悠々とくつろぐためのものである。
バンジークスがここに座っていると、ときおり亜双義は押し入るように隣に座る。
肩やひざがあたるのも気にしないらしい。
咎めるほどのことではないので好きにさせているが、師としては何か言うべきなのかもしれないとは思っている。
並んでいるとはいえ、バンジークスは同じ書を眺めていたわけではなく、
今宵あける聖なるボトルについて思いを巡らせていた。
そんな折に突然話しかけられ、驚いている間に次の言葉が続く。
「もし、万が一俺が貴公を討たねばならぬ時には慈悲をくれてやろう」
「……格別に慈悲が必要だと?」
クリムトと玄真の決闘に”慈悲”は用いられなかったが、玄真の腕前ならば
いたずらに苦痛を長引かせるようなことはなかっただろう。
彼が慈悲を用いるというのなら、それは一撃で致命傷を与えられない程度の
腕前だと白状していることになるぞ、と言外に含ませバンジークスは聞き返す。
すると亜双義は右手を本から離し、バンジークスの喉元に人差し指の腹で触れた。
そのままやや力がこめられる。苦痛の手前の圧迫感。
何をするつもりかと緊迫した空気が流れる。
「喉笛を突き刺し、かき切って、落とした首を抱いて誰も知らぬ場所へと逝くのだ」
「絵画や彫刻ではあるまいし、本物の生首など持て余すぞ」
亜双義の突飛で物騒な言動にはバンジークスもそろそろ慣れてきた。
真面目に取り合ってほしいのではなく、会話の許されるラインを
探り遊んでいるのだと理解している。
万が一が起きたとて逃亡などするつもりもないだろう。
分かった上での返事ではあるが、さすがこれまで多くの陰惨な遺体を見てきた
元死神の言葉には重みがあった。
そのうちのいくつかは亜双義も一緒に見ているのだ。知らぬはずがない。
「分かっている。ふと浮かんだ絵空事だ。それに―」
指を喉から離し、今度はバンジークスの頬に掌を添えるとそのまま下に滑るように
首筋を撫で、肩を掴んだ。
「首から下とて誰の自由にもさせん」
笑顔のまま告げる亜双義の言葉であらわになる、鉛のような重さの執着心。
首だけ持ってどこぞへ行くという方がまだ現実味のないだけ笑い飛ばせる。
今まで彼が投げかけてきた物騒な話のどれほどが本気なのか、バンジークスは改めて
見当し直す必要を感じ、頭が少し痛くなった。
慈悲とはまこと言い得て妙である。
-完-