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    calabash_ic

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    calabash_ic

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    #キラ門
    Kirawus/Kadokura

    犬を飼う/キラ門「犬を引き取ってもいいか」という声に門倉は本から顔を上げた。換気扇の下でキラウㇱが食後の一本を燻らせている。
    「犬?」
     頭の中を姿のぼやけた犬が駆け回る。
    「山の仲間が引き取り手を探してるんだ。知り合いが亡くなって飼えなくなったって」
    「犬なぁ……」
    「今は近所の人が分担して世話してるらしいけど、それも限界あるだろ」
     だから門倉さえ良ければ引き取りたい、とキラウㇱは続けた。
    「うーん……どんな犬?」
    「雑種の中型犬、十歳のオス」
    「犬の寿命ってどんくらいだっけ」
    「十五歳くらいだ」
    「あと少しだな……」
    「そうだ。だから引き取る人がいない」
     まぁそうだろうな、と思う。
     この家に犬がいるのを想像する。十歳ならそれなりに落ち着いて、遊びたい盛りでもないのだろうか。毎日餌をやり、散歩に連れて行く。慣れてしまえばなんでもない事のように思われた。十歳の犬。どんなに長生きしたとしてもあと十年もないだろう。
    「これが子犬ならやめとけって言うけどな」
     けれど五年や十年なら。とうに半ばを過ぎた人生で、責任の取れる範囲については常に考えている。
    「犬なんて飼った事ねぇな……」
    「俺は実家に犬がいたからなんとなくならわかる。可愛いぞ」
    「そりゃあね」
     煙草を吸い終わったキラウㇱがメモを持って隣に座る。豪快な字で皿、首輪、リード、と続いているそれは買い物リストだった。
    「餌とペットシーツは余ってるやつを貰えるらしいから同じの買おう。届出は俺が休みの日に行く」
    「キラウㇱお前さ、俺に断らせる気なかっただろ」
    「ん? うん」
     目が細められ、口元がにまにまと笑っている。
    「門倉なら説得できる」
     
     
     
     二時間ほど車に揺られた先の玄関でその犬は待っていた。「この家も売りに出すらしいですよ」とキラウㇱの友人だという男は慣れた様子で鍵を開け、立ち上がった犬の前足を受け止める。
    「親父さんが凄く可愛がってたんですけど仕事中に倒れてそのまま……遠方の家族も引き取れないし、犬だけなんとかしてほしいと頼まれて」
     家主のいなくなった家の中は薄暗く、どこか埃っぽい匂いがした。犬が落ち着かない様子で足元をぐるぐる回り、その度に尾が力強く脛を打つ。キラウㇱが「先に荷物を積んでくる」と行ってしまったので、門倉は緊張を隠して絨毯の上に座り込んだ。上着に鼻を寄せる犬を眺めてみる。
     利発そうな顔立ちをしていた。一目見て真っ黒かと思っていたものの、よく見てみると黒の中に茶や白の毛が混じっている。二つの瞳は磨かれた石のようにつやつやしていて、信頼できる人間か見定めるかのように門倉を見ている。十歳。人間に換算すればおおよそ門倉と同い年くらいのはずだったが、それについてはよくわからなかった。
    「あー……お前さん、車乗ったことあんの?」
     左の掌を鼻先に突き出してみる。噛まれるのも覚悟していたが、犬は匂いを嗅いだだけだった。そっと頬に触れ、手を滑らせて喉の下の柔らかい皮膚を摩る。首輪は着いていない。
    「うちまで遠いけど我慢してくれよ」
     床を軋ませながら近づいてきた足音が門倉の隣にしゃがんだ。キラウㇱの大きな両手が犬の顔を挟み「いいこだな」と撫で回す。嬉しそうに開けた口の奥に、黒い色がちらりと見えた。
    「ん?」
     口の中を覗く。インクを垂らしたように舌の一部が染まっていた。
    「どうした」
    「んー……舌が黒いなと思って」
    「ああ」
     キラウㇱも一緒になって覗き込む。
    「アイヌ犬の血が混ざってるのか」
     両の手でわしゃわしゃと毛を掻き混ぜながら、キラウㇱはあっさりと新しい首輪を着けてしまった。散歩だと思ったのか犬が思いっきり尻尾を振る。
     立ち上がって家の中を見回した。倒れた日からほとんど手付かずなのだろう室内は、そこかしこに犬の玩具が転がっていた。壁には子犬の頃の写真がある。もうこの家には帰ってこない事を、この犬は知りようもない。時の止まりかけた部屋の中で餌皿に汲まれた水だけが真新しく光っている。
     
     結果として我慢を強いられたのは門倉の方だった。車の助手席に敷かれた毛布を見て「あれ、俺はどこに座んの」と訊くと「後ろに決まってるだろ。歩いて帰るか?」と後部座席を顎で指された。運転席をずらし、頭をぶつけながら後部座席に体を押し込む。
    「キラウㇱ、お前この車の後ろ座った事ある?」
    「ない」
    「背凭れが直角だしシートも硬いし座り心地最悪だよ」
    「そうか」
    「運転変わってくんない?」
    「俺の車をお前に預けたくない」
     つれない返事に「俺の車で来ればよかったぜ」と文句を垂れる。助手席へ飛び乗った犬をわざとらしく「ジジイより賢いな」と褒めるので少しむっとなったが、窓の外を眺めている犬の背を見ているうちにどうでもよくなってしまった。赤信号で止まるたび、運転席から腕が伸びて犬に触れていた。
     
     
     
     真夜中、遠くに聞こえる犬の鳴き声で目が覚めた。寂しげな声に身を起こし、声の主を探す。居間にはいない。隣室を覗いてみてもキラウㇱが眠っているだけだった。台所や洗面所、風呂場を探し、玄関の暗闇に溶け込んでいる姿をやっと見つけた。すんと背を伸ばして座り、一心に扉の向こうにある外を見ている。飼い主を待っているのだ、とすぐにわかった。それとも元の家に帰りたいのか。
    「親父さんに会いたいよなぁ」
     壁を背にずるずるとしゃがみ、その身体を撫でる。毛の一本一本が力強い。
     足先が冷えてきたので立ち上がると、犬も後ろを付いてきた。一足毎にかちゃかちゃとフローリングが鳴るのは爪が伸びているからだろう。人間用の爪切りで切れるものなのか、動物病院に連れて行かなければいけないのか、キラウㇱに確かめなきゃなとぼんやり思う。
    「粗相だけはするなよ」
     布団の上で丸くなった犬に声を掛ける。重くて寝返りは打てそうにもない。これからしばらくこうなのかと考えると、溜息は出ても悪い気はしなかった。
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