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    yukiha0410

    @yukiha0410

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    yukiha0410

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    世界崩壊モノです。身体が花になっていく病気が蔓延する話。
    【注意がきたち】
    ※終末世界観です。開始時点で泉をはじめアイドルがほとんど死んでいます。血は出ません。
    ※巽、ニキがESアイドルの誰かと〝交わった〟事実の描写があります。相手や左右には言及してません。
    ※レオ→巽をはじめ、何人か呼び方を捏造しています。
    ※ひとがひとではなくなっていく病気の話です。

    ぼくらが花になった日01

     久しぶりに歩くセゾンアヴェニューはずいぶんと様変わりしていて、まるでパラレルワールドにでも降り立ったようだった。じりじりと照り付けるような太陽も、天を衝くようなESビルも、おれたちが出てきたばかりの星奏館だってなにも変わっちゃいないのに、ただ、当たり前に、そこを歩く人間だけがいない。季節外れの桜の花びらが風に舞うけれど、それがほんとうに桜なのかどうかは定かでなかった。
    「っと、」
     花びらの絨毯に足を取られて転びかけたところで、隣を歩く男に腕を掴まれた。「気を付けてください、レオさん」と窘めるその口調は、どこかスオ~を思い起こさせる。スオ~だったらこういうとき、もっと声を荒げたと思うけど。
    「ごめん、タツミ」
     バランスを取り戻したところで、ふと、割れたガラスの向こうから、マネキンがこちらを見ているのに気が付いた。久々におれたち以外の〝ひとのかたちをしたもの〟を見た気がして、ほっとするような気味が悪いような、変な気分になる。おれの視線に気が付いたのか、タツミが「ああ」と頷いて、おれたちは、本来の役割を果たさなくなったショーウィンドウに近寄って行った。靴がガラスの破片を踏んで、パキ、ともジャリ、ともつかない音がする。
    「こういうのって、ほんとにあるんだな」
    「さすがに、無傷ではいられなかったのでしょう。パニックに陥った人間は何をするかわかりませんからな。俺たちは、ずいぶん理性的なほうだったと思います」
     割れたガラスを摘まみ上げると、タツミが「危ないですよ」と一応の忠告をしてきた。
    「大丈夫、切れたって、もう痛くないし」
    「そういう問題では」
     構わずに、指に力を入れる。鋭い破片が皮膚を突き破る。だけど、真っ赤な血が流れることはなかった。切れたところから茎のようなものが生えてきて、小さかった傷口は瞬く間に横いっぱいにまで広がる。観察しているうちに、ちいさな蕾が綻んで、桜のような花を咲かせた。
    「レオさん」
     呆れたような声。眉間に皺も寄ってたと思うけど、顔の大部分が薄ピンクの花に覆われていて、正確な表情はわからなかった。
    「これでまた一歩、〝人ならざるもの〟に近付いたな」
     笑ったつもりだったけど、顔が重たくて、ちゃんと笑えていたのかはわからなかった。タツミに咲いているのと同じ花は、おれの指先に咲いた花は、おれの顔だってしっかりと覆っている。腕にも足にも、服に覆われた胴体にだって。だから、服を着るとき、ちょっと苦戦した。こいつらはどれだけ千切っても、あとからあとから生えてくるから。ほんと、嫌になるくらい。
    「最初の報道から、今日で一ヶ月だそうですよ」
     ふたたび歩き出したところで、タツミが不意にそんなことを言った。
    「そうなのか? あれ、でも、電力供給死んでるのになんでわかるんだ?」
    「日付表示機能つきの目覚まし時計が生きていたもので」
    「ああ、なるほど」
     今度は転ばないように、しっかりと足を踏みしめる。この花びらの群れを踏みつけても、おれたちはもう、何も感じない。それがかつて、〝誰かのいちぶ〟だったとしても。
    「たったのひと月で、世界はこんなにも変わってしまった」
    「あの地獄のようなライブだって、ほんの昨日みたいに思えるのに」
    「今だってじゅうぶん、〝地獄のよう〟ですよ。たったのひと月で、この辺りのほとんどの人間が死に絶えた。残っているのはもう、俺たちやニキさんのような〝もの好き〟だけです」
     一ヶ月で、いろんなことがあった。大切なやつらが死んだ。あのときのおれたちがライブできたのは、ほんとうに、〝奇跡みたいなもの〟だったと思う。たくさんの花びらを踏みしめて立ったあのステージは、良くも悪くも、一生忘れない。
    「なあ、おまえはなんで、おれについてきたんだ? 特に仲良かったわけでもないだろ」
     辛気くさい空気になりそうで話題を逸らすと、タツミは悪びれもなく「話したいことがありそうでしたから」と言った。
    「ないよ、そんなの」
    「では、聖職者の端くれとして、あなたをひとりにはしておけなかった、と言い換えましょうか」
    「おれが死ぬと思ったか? そうだとしても、もう〝散る〟のを待つだけの身だし、早いか遅いかの違いしかないぞ」
    「それでも、花びらまみれでひたすら音楽を作り続けるあなたを、俺は放っておけなかった」
     タツミの声に、温度は感じなかった。温かくも冷たくもない。それが、暑さとか寒さとか感じられなくなった身にはありがたかった。
    「まあ、旅は道連れと言いますし」
    「家に帰るだけだけど」
    「荷物持ちだって必要でしょう」
    「いらないって」
     その視線が左側に担いだボストンバッグに注がれた気がして、身じろぎをする。ほとんどが紙だし、重くないって言ったら嘘だけど、これだけは、他人に触らせるのは嫌だった。
    「でも、話し相手と道案内は欲しかったから、助かった」
    「それはよかった」
     タツミの顔に咲いた花が揺れる。たぶん、笑ったのだと思う。
    「星奏館に帰ったら、ニキさんが手料理を振る舞ってくれるそうですよ」
    「ええ、もうほとんど食べらんないのに」
    「それでも、です」
     ほとんどが薄ピンクの花に埋め尽くされていったこの世界で、特に仲が良かったわけでもないこいつと、久しく帰っていなかった実家に帰る。歩いて片道一時間ほどの道のりは、今までのことを振り返るのにはもってこいの距離だ。
     これは、ここにたどり着くまでの物語だ。

     02 風早巽の回想

     身体に桜のような花が咲いたという報道を受け、世の中には、やれ突然変異だ、未知のウィルスだと、さまざまな憶測が飛び交っておりました。〝ブロッサム症〟と名付けられたそれは、痛みや温度を感じなくなり、その上、人から人へと〝感染〟する性質を持っていました。それ以外に目立った害がなかったのは、よかったのか悪かったのか。研究が進む前に研究者たちが力尽き、今に至るので、結局〝これ〟が何なのかはわからずじまいです。とにかく、街から忽然と人が消え、ESは政府から活動自粛が言い渡されました。行方不明者も出たといいます。連動するようにして、俺たちにも不必要な外出をしないようにとの指示が出ました。けれど、ある意味で世間から隔絶されていた俺たちにとって〝それ〟はどこか他人事でした。
     ですから、俺たちにとっての〝始まり〟は、ニューディメンションの副所長、青葉つむぎさんのもとに、彼の所属する〝Switch〟のリーダー、逆先夏目さんが怒鳴りこんだ、あの日ということになるのでしょう。
     きっかけは、彼と同室の茨さんが、さまざまな書類仕事──その多くはライブや公演の中止に関わるものだったそうです──を抱え、自室に戻った折に、空調が壊れていることをつむぎさんに言及したことでした。
    「やあやあ、蒸し風呂のようなこんな暑いところで書類仕事とは、精が出ますな!」
    「えっ、そんなに暑いですか? すみません、俺、ちょっと鈍いみたいです。エアコン入れますね」
     繰り返しますが、〝ブロッサム症〟は身体に花が咲き、痛みや温度を感じなくなる〝病気〟です。それはこの時点においても、各メディアにて大きく取り上げられておりました。ですから、嫌な予感がしたんでしょうな。茨さんは、彼と縁の深い夏目さんを呼んだそうです。
     駆けつけた夏目さんは、何か言うよりも先に、つむぎさんのお腹を力任せに蹴りました。
    「いたた、何するんですか夏目くん、いつもより当たりがきついですよ!」
    「ほんとに痛イ? 痛がってるだけじゃなくテ?」
     そう訊ねた夏目さんは、どこか祈るようであったと聞きます。けれど、彼の口から出たのは、残酷な事実でした。
    「あれ、言われてみれば、痛くないです。手加減してくれたんですか?」
     直後、パン、という高い音が響きました。それは、夏目さんがつむぎさんを引っ叩いた音でした。
    「あれ、俺ぶたれてます? 夏目くん? ねえ、俺、何かしました?」
     断続的なその音は、茨さんが「もう、そのぐらいで」と止めるまで続きました。叩くのをやめた夏目さんの目からは、大粒の涙が流れていたといいます。
    「ねェ、センパイ」
     そうして夏目さんは、つむぎさんの机の上に、〝あるもの〟を見つけました。
    「それ、何?」
    「え? ああ、綺麗でしょう? 季節外れですけど、桜でしょうか。窓から入ってきたんですかね」
    「〝ブロッサム症〟」
     その単語を口にしたのは、はたしてどちらだったのでしょう。ブロッサム症は身体に花が咲く数日前に、花を吐くという症例が報告されていました。おそらくそれは、つむぎさんが咳でもした弾みに、彼の中から出てきたものでしょう。ぼろぼろと泣く夏目さんを前にして、つむぎさんは特に青くなるでも慌てるでもなく、納得したように「ああ」と頷きました。
    「俺、〝そう〟なんですね」
     茨さんは迷わず〝ホールハンズ〟を取り出し、〝サミット〟のメンバーに報告したそうです。彼らは迅速でした。もともとの外出禁止も功を奏したのか、帰国していたあなたがたと宗さんを含むすべてのアイドルに、不必要な接触の禁止が言い渡されました。つむぎさんと、それから、花を吐いたと名乗り出た千秋さんが旧館に隔離されました。俺たちはまだ、これが〝目を瞑っていればそのうち終わる〟と信じて疑わなかったのです。〝ブロッサム症〟から回復した事例は報告されておりませんでしたが、それでもいつか、〝いつもどおり〟に戻ると信じていました。
     街を騒がせていた行方不明者がいずれも重度の〝ブロッサム症〟で、姿を消した後には必ず大量の花びらが残っていたことが発表されたのは、それからすぐのことでした。〝散った〟と表現された彼らが花になったのか、それとも花に攫われたのかはわかりませんが、今に至るまで、ブロッサム症を発症して回復した人間はいません。それが何を意味するのかなんて、気が付かない人間はいませんでした。名前は言えませんが、少なくないアイドルが帰省を申し出ました。ですが、英智さんが言い放ったのは、彼らを絶望に追いやる一言でした。
    「やめておいたほうがいい。外は、もっとひどい」
     はたして隔離に意味があったのかどうか、俺はよくわかりません。ですが、花を吐いたふたりに面会を求めた夏目さんと奏汰さんは早い段階で〝発症〟し、本格的に旧館の隔離部屋に送られましたし、そうでない人間にも、その魔の手は忍び寄ってきていました。そうこうしているうちに最初の二名が〝散り〟ました。そうして英智さんは、緊急の〝サミット〟を開きました。そうして、一週間で準備をしたあの〝悪夢のライブ〟の企画が発布されたのです。ライブなんてできるはずがないと誰もが思いました。それでも英智さんは、「要請はすぐに解除される」と言い切りました。それが〝悪い意味〟であることは、多くの者がわかっていました。
    「もちろん、やれる者だけで構わない。一週間後、この中の何人が残っているかわからない。それでも、僕たちはアイドルだ。一夜の奇跡を、信じちゃいけないかな」
     英智さんは、一週間後の土曜日の夜、出演者に辞退が出た二時間の生放送の枠を買い取ったことを発表しました。〝隔離部屋〟に送られたアイドルにも、その通達は為されました。そうして、その夜のうちには、すべてのユニットの参加が確認されました。それから俺たちの予定は、〝ホールハンズ〟での打ち合わせと、各々の部屋でできるレッスンで埋まりました。俺たちがふたたび集合するのは、ライブの前日、ESの所有するホールでということになりました。
     さすがに観客は入りませんでしたが、テレビとネットで全国に生中継されるというそのライブは、死んだように生きることを余儀なくされた俺たちにとって、確かな希望でした。
     それが〝最後のライブ〟になるであろうことは誰しもわかっていました。ですが、それを口にする人間はいませんでした。そうして、あの〝悪夢のライブ〟が決行されたのです。

     03

     数えきれないくらい出入りした玄関のドアを開けると、むわっとした空気に迎え入れられた。道中、話しながら人の姿を探したけど、結局、誰ともすれ違うことはなかった。その代わり、街のところどころに、薄ピンクの花びらがちいさな山を作っていた。
    「お邪魔します」
    「どうぞ」
     タツミがおれの後について靴を脱ぐ。重い荷物を抱えたおれの肩は、痛くないといっても限界で、おれは中身がぎっしり詰まったボストンバッグを玄関脇に置いた。そうしておれたちは、家の中を見て回った。キッチンで異臭を放っていた冷蔵庫を開けて、中のものをゴミ箱に捨てたけど、この行為にどんな意味があるのかはよくわからなかった。薄暗いリビングの遮光カーテンを引いて窓を開くと、吹き込んできた風に流されて、ソファの上の花びらがひらりと床に落ちた。花びらの山の中には、大人の男女一組ぶんの衣服が埋もれていた。お父さんとお母さんは、きっと最期まで寄り添っていたのだ。どっちが先に散ったのかは、判然としなかったけど。ルカたんのものだったと思われる花びらは、彼女の部屋のベッドで見つかった。部屋に入るのはちょっと躊躇ったけど、意を決して踏み込んで、同じように窓を開ける。
    「それで、どうされますかな」
     花びらの山を前に十字を切ったタツミが、探るようにおれを見た。家に帰ってどうするつもりもなかったけど、いざ、大量の花びらを前にすると、どうにかしてやりたいって思いに駆られた。
    「庭に埋めてやりたい」
     気が付くと、そう口にしていた。
    「ほんとはお葬式とかお墓とか、ちゃんとしてあげたいけど、そういうのはもう、無理だから」
    「手伝いましょう」
     タツミの声は優しくて、まるで、最初からこうなることがわかってたみたいだった。

     照り付ける真夏の太陽の下で、ひたすら庭に穴を掘る。そんなのどんな地獄だって思うけど、汗腺が死んでて暑さも感じないこのからだでのこの作業は、そこまで苦行ではなかった。物置でスコップを探し出してきたタツミが穴を掘る係を申し出てくれて、おれはキッチンにあった新聞紙とポリ袋で、ひたすら〝家族だったもの〟を搔き集めた。三人分の花びらでポリ袋はたちまちいっぱいになって、混ざってしまった花びらはもう、どれが誰のものかわからなかった。不思議と涙は出なかった。あんなにも愛していたと思うのに。思えば、おれの目の前でセナが散ったときも、おれの頬を涙が伝うことはなかった。だって、そんな余裕なんてなかったから。
     午前中に星奏館を出たはずだったのに、すべての作業が終わったときには、太陽は中天を過ぎていた。おれたちはといえば、すっかり息が上がってしまっていた。
    「不思議に思ってたんだけど」
     盛り土の前で手を合わせながら、隣のタツミに声を掛けた。
    「はて、なんでしょう」
    「来る途中で聞いた話。おまえ、オバちゃんの現場にはいなかったっぽいのに、なんでそんなに詳しく知ってるんだ? おれが知ってるのはせいぜい、大事なやつらが死んだことと、ライブをしたことくらいなのに」
    「ああ、簡単です。リハーサルの前の日に、英智さんが俺のところに告解に来たんですよ」
     当たり前みたいに言われたそれに、首を傾げる。テンシは間違っても神さまなんて信じてるたちじゃないと思うのに。
    「まあ、俺がそう思っているだけで、英智さんはただ、おしゃべりをしに来ただけかもしれませんが。俺が〝生き残った〟のは予測できたことではありませんでしたが、あの時点で顔に花が咲いていなかったのは俺くらいでしたから、相手にちょうどよかったんでしょう。ことの経緯も、〝サミット〟で共有されていたようですし」
     不意に雲が太陽の光を遮って、おれたちに影を落とした。
    「英智さんは、俺たちから〝選択肢〟を奪った自分のことを、血も涙もない魔物に喩えていました。最期の瞬間を家族と過ごすことだってできたはずなのに、俺たちに最期の瞬間まで〝アイドル〟として生きることを求めた。それは、自分の罪なのだと」
    「なんだそれ。バカじゃないのか。おれたちは強制されたわけじゃない。自分であのステージに上がることを選んだんだ」
    「そうですね。きっと、あなたのご家族も、そんなあなたを誇りに思っていますよ」
     お父さんやお母さん、ルカたんが、ほんとにあのステージを見ていたのかどうかはわからない。裏側はぐちゃぐちゃだったけど、ほんのいちぶのアクシデントを除いて、あのステージはいつもどおり煌びやかなものだったはずだ。だから、見ててくれたらいいなって思う。ちなみに、あれからほどなくして、回線という回線はだめになったそうだ。
    「もしかして、おまえがおれに家に帰ることを提案したのも、テンシの思惑だったりする?」
    「そういうわけではありませんが。言うなれば、慈善事業のようなものです」
    「まあ、そういうことにしといてやるよ」
     おれは笑ったつもりだったけど、花に覆われた顔では、ちゃんと笑えていたのかどうかわからなかった。雲が通り過ぎて、また太陽が顔を出す。
    「帰りますか?」
     タツミが穏やかにそう言って、おれはちいさく「うん」と頷いた。
    「ただ、その前に寄りたいところがあるんだけど、いい? 持っていきたいものもあるから、部屋で回収もしたい」
    「もちろんです。もしや、寮から持ってきた荷物も、そちらに関係するものですかな?」
    「そうだよ」
    「それで、どこへ?」
     タツミの顔の花が小さく揺れて、おれは迷いなく、「夢ノ咲学院」と言った。

     04 レオの回想

     セナから「たすけて」という短いメッセージが送られてきたのは、事務所から外出禁止が言い渡され、アイドルの仕事が次々にキャンセルになっていった頃、花を吐いたと震えていたナズが旧館に隔離されて、おれが部屋にひとりぼっちになった次の日のことだった。〝不必要な接触〟とやらは禁止されてたけど、おれに助けを求めるセナの手を振り払うなんてバカな真似はできるはずなかった。だけど、駆けつけた星奏館の裏口に蹲ったセナは、おれの姿を見るなり「来ないで!」と叫んだ。
    「やっぱり、なんでもない。だから、こないで」
    「そんなわけないだろ」
     何があったの、とは聞かなかった。膝を抱えたセナの姿に、前日のナズが重なったからだ。セナが止めるのも聞かずに、その身体を抱きしめる。抵抗はされなかった。おれの腕の中で、セナは震える声で「バカじゃないの」と呟いた。
    「なんで呼んじゃったのか、わかってるでしょ」
    「わかっちゃったけど、こうするほうが大事」
    「あんただって、死んじゃうよ」
     部屋から遠く離れた裏口にいると言われた時点で、そうじゃないかとは思っていた。だけど実際に目の当たりにすると、結構、キツい。花を吐いたセナ本人は、きっともっと。だから、「大丈夫だよ」とすら言ってやれない、なすすべのないおれは、誰もいない裏口で、いつまでもそうしてセナを抱きしめていた。
     隔離に使われていた旧館はもう部屋が足りなくて、セナをはじめ、その日に発症した何人かには、本館の空き部屋が宛がわれた。だけど、次の日に花を吐いた人間が爆発的に増えて、気付いたら全体の半分以上が感染してた。隔離は急に意味を為さなくなって、セナは隣の部屋に戻ってきた。おれも〝ホールハンズ〟でナツメとナズに戻ってくるのかと訊ねたけど、おれはいちおうまだ〝無事〟だったから、ふたりともかたくなに首を横に振った。〝ホールハンズ〟を通してのやりとりだったから、もちろん比喩だけど。
     爆発的に増えた〝感染者〟の中にはナルにリッツ、それからスオ~もいた。Knightsで〝無事〟なのはもう、おれだけになっていた。ナルとリッツは淡々と報告してきただけだったけど──裏で泣いてたのかもしれないけど──、スオ~はおれの部屋にやってきて、顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。八つ当たりもされたけど、想定内だったからそれはいい。そうしてスオ~は、テンシがライブの計画をしているらしいことを教えてくれた。
    「おまえはどうしたいの」
    「正直、liveなどしている事態ではないと思います。ですがそれでも、私たちは〝idol〟です。こういうとき、笑顔を届けるのは、私たちの役目です」
    「じゃあ、決まりだな」
     それからの一週間は怒涛だった。レッスンはいつものようにESビルで行われたけど、事情が事情だから、さすがに強制されなかった。レッスン初日の朝、咳こんだおれの手のひらに薄ピンクで切り込みの入ってる、桜みたいな花びらが乗っていて、ああ、これが〝花を吐く〟ってことなんだって思った。おれはそのままレッスンに向かったけど、リッツは来なかった。何か知ってるように見えたセナは、だけど何も言わなかった。その日のうちに、セナからちいさな花びらが落ちた。ふざけたふりをしてシャツをめくると、セナのおなかにはぽつぽつと桜色の花が咲いていた。次の日、なんにもなかったみたいにやってきたリッツの顔は、半分ほどが花に覆われていた。ナルとスオ~にも花が咲き始めた。おれは、真夏の晴れた日に外に出ても、暑いって思わなくなった。もとからそんなに食べるほうじゃなかったけど、レッスンが終わってもおなかがすかなくなった。自分がどんどん〝人間〟じゃなくなっていくのを感じた。誰も何も言わなかったけど、こんなの、〝戻れる〟って思えるわけがなかった。おれの〝発症〟を知ると、ナズは部屋に戻ってきた。オバちゃんについて旧館に行ったナツメとは、どうしても連絡がつかなかった。
     そうしてライブの準備が後半に差し掛かったある日、どんどんみんなの身体が花に覆われていく中、おれのところにミカがやってきた。
    「あんなあ、悪いんやけど、しばらく凛月くん、レッスン出られへんみたいやわあ」
     ミカの目は腫れあがっていた。それが何を意味するのかなんて、わからないわけがなかった。たぶん、リッツはもういない。〝散った〟のだと言ったのは、スオ~だっただろうか、ナルだっただろうか。ナツメと連絡がつかなくなってから、いつかこうなるのだろうという予感はあった。こうしてどんどん〝いなくなる〟のはたやすく想像がついたし、誰もが次は自分の番だとおそれながら、おれたちは何かから逃げるように、歌割りやフォーメーションを変更した歌やダンスのレッスンに打ち込んだ。
     リッツがいなくなった次の日の朝、目覚めると、ナズはベッドにいなかった。そのかわり、薄ピンクの花びらが山になっていた。その山はちょうど横たわった人間のかたちをしていて、おれは、ああ、これが〝散る〟ってことなんだって思った。

     それから、おれの部屋にセナが来た。

     感情のない声で「鬼龍が俺の目の前で花になった」と言ったセナは、そのほとんどが花に覆われた顔で、「次は俺の番だ」と続けた。

     このときばかりは、おれになんの力もないことを悔やんだ。そうしておれは、迷った末にセナを部屋に入れた。セナは片付けられていなかったナズのベッドを見ると、きゅっとくちびるを引き結んだ。気がした。
    「れおくん」
     セナがおれの名前を呼んだ。今にも泣き出しそうな声だった。泣いてたのかもしれない。
    「おねがい」
     ベッドに座ったおれと向かい合うように、セナはおれの膝の上に乗った。
    「ぜんぶ、忘れさせてよ」
     そうしておれたちは、一週間ぶりのキスをした。

     ライブのリハーサルを翌日に控えた日の夜のことだった。

     05

    「なるほど、そこであなたがたは〝結ばれた〟のですな」
     八月の終わりの炎天下で、蝉の大合唱を聞きながら、タツミはなんの感慨もなさそうに言った。建付けの悪い扉を開くと、おれの家の比ではないくらい、籠った空気が流れ出てくる。
    「勘繰りすぎだよ。キスしたって言っただけだろ」
     やましいところのあるおれは内心ぎくりとしたけれど、声には出てなかったはずだ。ああ、でも、「忘れさせてよ」はまずかったかもしれない。おれの焦りをよそに、タツミは暗い倉庫の中を見回しながら、平然と言い放つ。
    「わかりますよ。言ったでしょう。残っているのはもう、〝そういう人間〟ばかりです」
    「〝そういう人間〟って?」
     思わずタツミを見たけど、花びらに埋もれた横顔からはなんの感情も読み取れなかった。不意にその顔がこっちを向いて、口の辺りの花がゆっくりと動く。

    「俺たちは、散る直前の人間と交わった類の人間です」

    「は──」
     思い当たることが、ないわけではなかった。より正確に言うと、さっきの回想はあれで終わりではない。おれとキスしたセナは、「セックスしたら寿命延びるんだって」なんていうネットのでたらめを信じて、自分から服を脱いだ。手入れを欠かさなかったその肌は、もうほとんど残っていなかった。ただ心臓だけが、どくどくとその鼓動を続けていた。
    「ニキさんと情報共有をしたんですが、どうやら俺たちに共通するのは〝その点〟のようで。もっと早くに知っていれば命を長らえた人間もいたのでしょうが、何せ、確証を得るのが遅すぎた」
     辺りを物色しながらタツミがそう言って、おれは〝現在〟に戻ってくる。平気な顔してそんなこと言ってるけど、大好きな、そして何度も〝そういうこと〟をしてきたセナを相手にしても罪悪感で狂うかと思ったのに、そうでない人間を相手にして正気を保てたとはとうてい思えない。もしかするとそれはおれの価値観で、こいつはそうじゃないのかもしれないけど。
     じっとその顔を見つめていると、何を思ったのか、タツミは「俺たちは損な性分ですね」と笑った。
    「今回に限っては、それが功を奏したと言えるでしょうな」
    「そうか? こうやって残されてるんだから、〝貧乏くじを引いた〟が正解だと思うけど。あれ? でも生きてるおかげであの曲を書けたんだから、やっぱり〝功を奏した〟でいいのか? わからん!」
     半ば自棄になって叫ぶと、タツミがおれを見ておかしそうに笑った。
    「そういうあなただから、今、正気でいられるのでしょうな」
    「こんな状況で笑えるのは、狂ってる証拠じゃないか?」
    「ええ、でも、良くも悪くも、ひとは慣れるものですから」
     中身を足したボストンバッグがずり落ちそうになって、リュックに詰め直してこなかったことを悔やんだ。お父さんの部屋には、これだけのものを詰め込んでも大丈夫そうなリュックがあったと思うのに。そうしたら、〝背負ってる〟感じがしたのに。おれの愛を詰めたボストンバッグは肩に食い込むしかない。
    「ずいぶん長い間、曲を書いておりましたな」
    「え?」
     そんなことを考えていたから、一瞬、反応が遅れた。
    「ライブの日から裸のあなたを見つけるまで三日、それから時折様子を窺いに行きましたが、いつ見ても、あなたは一心不乱に書き続けていました。今朝になって、呆けたように座り込んでいるあなたを見たときは驚きました。大作ですな」
    「うん。……あれ?」
     頷いてからある可能性に思い至って、口を開いた。
    「おまえはさっき、あのときおれとセナが〝結ばれた〟って言ったけど、おまえがおれを〝見つけた〟とき、おれは生まれたままの姿だったんだから、考えたら〝そっち〟のタイミングのほうが自然なんじゃないか?」
     まあ、もう白状してるんだから、取り繕っても意味ないんだけど。
    「ああ、それでしたら簡単です」
     目当てのものを探し出したタツミが〝それ〟を引き抜いて、夕食のシチューの隠し味を聞いたときのセナみたいに笑った。

    「そうでなければ、あのタイミングで〝発症〟した泉さんがライブに出られるはずがないんですよ」

     その瞬間、時間が止まったような気がした。

    「え?」
    「英智さんの話によれば、〝ブロッサム症〟の症状が現れてから〝散る〟までは、個人差はありますが、おおよそ150時間から160時間だそうです。だいたい、六日から七日です。英智さんをはじめ、おおくのアイドルに症状が現れたのがライブの八日前。そのほとんどがライブの最中、自分の出番を終えた直後に〝散って〟います。出番まで命を長らえたのだって、奇跡、あるいは、執念のようなものでしょう。英智さんのライブは一種の〝賭け〟でした。レオさんの話では、泉さんと凛月さんが同じようなタイミングで〝発症〟していたようですが、俺の記憶が確かなら、あの日、Knightsは、凛月さんを除いた〝四人〟だった」
     誰に聞かれたわけでもないのに、タツミが滔々と説明を続ける。その声に、「セックスしたら寿命延びるんだって」と言ったセナの声が重なった。あの言葉は、正しかった。それをちょっとだけ〝よかった〟なんて思ってしまって、吐き気がした。
     自分のことも、それを得意げに語るこいつのことも気持ち悪くて、視界がぐらりと揺れた。
    「少し、休みますか?」
     よろけたおれの腕を、おれよりちょっとおおきな手が掴む。目の前の〝誰か〟がおれの顔を覗き込む。繰り返すけど、いちめんの花に埋もれて、その表情は見えない。
    「そういうテンシみたいなこと、言うな。ひとは、数字じゃない」
    「……そうですね。すみません」
     ひとつ長く息を吐く。〝壊滅した〟なんて軽く言うけど、そこに至るまで、たくさんの想いがあったはずだ。感情が行き交ったはずだ。その全容を知ることは、もうできないけれど。
    「……行くぞ」
     がちゃん、と音を立てて、倉庫の扉が閉まる。おれにできるのはもう、辿り着くことだけだ。

     06 あの日の回想

     最後のライブは、ESの所有するいちばんおおきなホールで行われました。久しぶりに一堂に会した俺たちは、皆のあまりの変わりように言葉を失っていました。骨格や髪の色、声などで、誰が誰なのかわからないほどではありませんでしたが、花まみれの身体は、個人の纏う雰囲気をすっかり変えてしまっていました。
    「ほんとうに、やるの」
     実際にそれを口にしたのは翠さんだったと思いますが、それは、誰しもが抱えていた不安でした。花に侵食されたこの身体を公共の電波に乗せて、ファンは心配しないだろうか。絶望してしまわないだろうか。欠けたメンバーで、いつ〝散る〟ともしれないこの身体で、最高のパフォーマンスが届けられるだろうか。少なからず、誰しもがそれを感じていました。
    「出たくないのなら、無理に出る必要はないと思う」
    「でも、ぼくたちは〝アイドル〟だね。ぼくたちの仕事は、愛を届けること。違う? ぼくは、ステージに立ちたいね」
     ですが、凪砂さんと日和さんの言葉もまた〝真実〟でした。俺たちはやはりどうしようもなく〝アイドル〟で、それが習性であるかのように、街灯に吸い寄せられる蛾のように、目の前のステージに焦がれていました。
    「そのことなのですが」
     声を上げたのは、司さんでした。背筋をぴんと伸ばして、目の奥は見えませんでしたが、しっかりと前を見据えているように思えました。
    「私は、辞退しようと思います」
    「それは、Knightsは出演しないということかい?」
     英智さんの問い掛けに、司さんは「いいえ」と首を横に振りました。
    「辞退するのは、私ひとりです。今朝からどうにも身体が重くて、嫌な予感がします」
    「スオ~」
     この辺りは、レオさんのほうが詳しいでしょうが。とにかく、司さんの側にいたレオさんが、司さんの肩を叩きました。
    「ほんとに、出たくないのか?」
    「出たくない、わけでは」
    「は? なに甘いこと言ってんの? プロのくせに本番前になって、身体が重いから休む? 俺はそんなやつについてきた覚えないんだけど」
    「出たいなら、出ちゃえばいいじゃない。こんな世界ですもの。どんな結果になったって、怒るひとなんていないわよ。もしそんなひとがいたら、アタシが懲らしめてあげる」
     遠目からでしたが、司さんの肩が震えるのが見えました。司さんが絞り出すように「出たいです」と言って、レオさんが笑ってその背中を叩きました。
     そんな場面を経て、最後のライブの幕が上がりました。感染の早かったSwitchの皆さんの参加は残念ながら叶いませんでしたし、どこのユニットも無傷とはいきませんでしたが、それでも俺たちには、欠けた部分を補いあえる強さがありました。

     だけど、開幕後間もなくして、最初の異変が起こった。控え室のモニターには、先鋒のTrickstarのやつらが映ってた。もう〝散って〟たゆうくんはいなかったけど、それ以外の三人がステージを駆けながら歌ってた。二曲歌い終わって捌けていくところまで見てたのに、実際に戻ってきたのは、〝ま~くん〟ひとりだった。肩を落としたその姿は、出番を終えたばかりだとはとても思えなかった。
    「おい、デコ助。他のふたりはどうしたんだよ」
     声を掛けたのは誰だったっけ。とにかく、〝ま~くん〟は顔を上げることもなく「散っちまった」と言った。
    「ステージを降りた直後、文字通り崩れ落ちた。それで、……悪い、ひとりにしてくれ」
     〝ま~くん〟は外に出ていって、当たり前だけど、控え室はざわついた。モニターを見ると、二番手の流星隊の三人──モリサ~とカナタは〝欠番〟だ──が歌ってた。どこかから、「舞台監督、止めなかったの?」「今からでも中止したほうが」って声が聞こえた。だけど、だけどテンシが、言ったんだ。

    「大丈夫、想定内だ」

    「え?」
    「こうなることを予測して、昨日、スバルくんとふたりで舞台監督に頼み込んだんだ。〝アイドルの身に何かあったとしても、最後までライブをさせてくれ〟って」
     控え室はしばらくざわついてた。でも、面と向かってテンシに文句を言ったやつはいなかった。おれも、そんなの最低だって思うけど、〝最後のライブ〟だってわかりきってるこのライブを最後までやり遂げたかったから、何も言わなかった。

     それから、ひとり、またひとりと戻ってこなくなりました。俺たちALKALOIDの出番は中盤でしたが、その頃にはもう、ステージ脇には雑に掃かれた大量の花びらが山を作っていました。その花びらがよく知る〝誰か〟のなれの果てであることは理解していましたが、短い時間ですべてを片付けるのは不可能だったようで、コンクリートの床には点々と花びらが落ちていました。暗かったこともあり、踏まないで歩くのは不可能でした。俺たちは、俺は、追悼よりも出番を優先したのです。俺たちとすれ違ったHiMERUさんがその場に崩れ落ちたのに、手を差し伸べることも、歌いながら彼のことを考えることもありませんでした。藍良さんもマヨイさんもいない、一彩さんとふたりだけのステージで、ただ、俺たちはちからの限りのパフォーマンスをしました。
     その一彩さんも、歌い終わって引っ込んだ瞬間、俺の隣で、俺の目の前で弾けました。手慣れたスタッフの方が俺に一彩さんの服を押しつけて、手早くその場を掃き清めていきました。俺がようやく彼のために祈ることができたのは、控え室に戻り、一息ついた後のことでした。

     それで、ついに〝あの事故〟が起こったんだ。
     スオ~が散った。カメラの回ってる舞台上でだ。奇しくも『Promise Swords』の「大丈夫」って歌詞をメロディに乗せた直後だ。全然〝大丈夫〟なんかじゃない。演奏してくれてたバンドメンバーは、最初は気付いてなかったけど、おれたちが一瞬止まっちゃったのは伝わっちゃったらしい。だけど、演奏が止まるより、セナが立て直すほうが早かった。誰かが〝いなくなった〟ときの歌割りは相談してなかったけど、ぶっつけ本番が多かったおれたちだ。そのくらいはなんとかなる。笑えるよな。あの瞬間、たくさんのひとの命より、大事なやつが消えちゃったことより、おれたちは目の前のライブを優先したんだ。普通のときだったらそんなのできなかったと思うけど、スオ~だった花びらだって平気で踏みにじった。でも、あいつは最期の瞬間〝アイドル〟だったんだって思ったら、それはちょっとだけ、羨ましく思えた。まあこれも、出番を終えた瞬間ナルが散って、セナとふたりで控え室に戻ってからようやく感じられたことなんだけど。スオ~のお父さんやお母さんは見てたかなってぼんやり思ったけど、確かめる手段なんて何もなかった。
     そんなこんなで、大きすぎる傷を抱えて、おれたちの〝最後のライブ〟は幕を下ろした。走り切ったのは奇跡だったと言ってもいい。テンシやレイをはじめ、たくさんのアイドルの残骸がゴミみたいに扱われた。戻ってきたのは、おれやセナをはじめ、両手で数えられるくらいのアイドルしかいなかった。

     07

     みどりの生い茂る校庭の桜並木の中ほどで立ち止まると、倉庫で調達してきたスコップを握り直しながら、タツミが「ここですか?」と訊ねた。おれが何をしたいのか、こいつにはもうお見通しのようだった。
    「おれが初めてセナに出会った場所だよ。はじまりの場所だ」
     そこでようやくおれは、担いだままのボストンバッグを地面に置いた。肩が凝っているような気がして首を回すと、骨の軋む軽い音がした。軽く肩を揉むつもりで手をやったけれど、押し込められてすっかり固まってしまった花の感触がするだけだった。
     軽く息を吐いて、ボストンバッグのファスナーを開ける。タツミが覗き込んできたけれど、別に気にならなかった。
    「楽譜と、花びら?」
     バッグの中には、無数の薄ピンクの花びらにまみれて、一抱えでは収まらないほどの手書きの楽譜が収まっていた。ちゃんとわけたつもりだったけど、歩いている途中で混ざってしまったらしい。
    「セナだったものと、おれからセナへのラブレターだよ。それから、セナに初めて歌詞を書いてもらったときの思い出の曲」
     これこそが、セナが散ってしまったその瞬間から一週間、飲まず食わずで書き続けたその曲だった。
    「おれはこれを、この場所に埋葬しに来たんだ」

     スコップの先を踏み込むと、踏み込んだぶん、固い地面に鉄の塊が入っていく。うるさいほどの蝉の声を聞きながら、桜の根元に穴を掘る。汗腺がやられているから、汗は出ない。太陽がおれたちを焼くけれど、刺激はほとんど感じない。
    「ここに入学したばっかりの頃、セナに書きかけの楽譜を拾ってもらったんだ。ここの桜は満開で、ブレザーを着こんだセナが桜の妖精さんみたいで、すぐ好きになった」
     タツミは何も言わなかった。ただ、搔き出した土を脇に盛るだけの作業を繰り返している。
    「ほんとはわかってるんだ。このまま埋めたら、すぐに腐って読めなくなっちゃう。おれがいなくなっても、何らかの進化を遂げた知的生命体とか、地球にやってきた宇宙人に見つけてもらえたらいいなって思うけど、そんなの待ってるうちにあとかたも消えてなくなっちゃう。でもおれは、これをセナに届けたいんだ」
    「わかりませんよ。高度な文明を持った〝何か〟なら、復元も可能かもしれません。ほんとうに消滅してしまっても、きっと神だけは、それを見てくれています」
    「……そうかな。そうかも」
     こいつにしてみれば単なる慰めだったのかもしれないけど、なんだかおれは、一緒に来てくれたのがこいつでよかったって思った。
    「なあ、おまえはどうして、こんな状況になっても信仰を捨てないの」
    「たぶん、あなたが音楽を捨てないのと似たような理由ですよ」
     はらはらと、おれたちから花びらが舞い落ちる。おれもたぶん、長くない。今ならわかる。あのライブのあと、おれの部屋にやってきたセナもきっと、自分の命が長くないことを知っていた。
     膝の深さくらいまで掘った穴の中に、何回かにわけて、楽譜の束と、それから歌詞の書いてある紙を入れた。そうしてその上で、逆さにしたボストンバッグを振る。指先くらいの大きさの花びらが、あの部屋でおれが必死に搔き集めた花びらたちが、重力にしたがって落ちていく。
    「ひとつ、聞いてもいいですかな」
     押し黙っていたタツミがふとそんなことを言った。顔を上げると、表情のわからない花びらだらけの顔がこっちを見ていた。
    「どうして、この場所だったのですか。桜なんて、もう、いいイメージではないでしょう」
     ほんとうのところ、おれたちの世界を侵食したこの桜そっくりの花がほんとうに桜なのか、それともまったく別の花なのかはわからない。だけど、世間は専門家の発表を待たずに〝これ〟を桜だと決めつけたし、桜の名前を背負うスオ~の家も、なんか悪く言われてたらしい。そんなのこじつけだって思うけど、何かのせいにしないと心を守れないっていうのもわかる。
    「そんなの、決まってる。来年の春、この桜が咲いたら、それはセナかもしれないって思えるだろ」
     その頃にはたぶん、見る人間は世界のどこにもいないけど。だけど、誰かに見てもらわなくても、花はその場所で美しく咲き誇る。あいつは人に見てもらうのが好きだったから、不満かもしれないけど。
    「なあ、歌ってよ、タツミ」
     桜の木の根元、こんもりと山になったそこを眺めながらそう言うと、タツミは不思議そうに首を傾げた。
    「レクイエム。セナがひとのかたちじゃなくなったとしても、音楽は、きっと届くって信じてるから」
     結局、ひとが花になったのか、花がひとを奪っていったのか、定かではない。ほんとうに届いてるって保証もない。だけど、おれたちは死ぬまで〝アイドル〟だから。
    「……一彩さんたちにも、届くといいですな」
     そうして、おれたちは青々と生い茂る桜の木の下で、声が枯れるまで歌った。おれの即興に慣れてないタツミからときどきストップが掛かったけど、それすら心地よかった。
    「セナ」
     空を見上げる。木漏れ日が眩しい。
    「おまえに、ちゃんと聞こえてるかな」

     08 レオの回想

     セナが散ったのは、あの悪夢のようなライブが終わったその夜のことだった。おれたちは片付けもそこそこに──もうそんなものに意味がなくなってたっていうのもあるけど、単純に人手が足りなかった──星奏館の自分の部屋に戻って、疲れの溜まった身体を休めていた。おなかはすいていなかった。食べたい気分じゃなかったし、何より、大部分が植物になったこの身体は、食べ物をほとんど受け付けなくなっていた。気が付くと、トイレにだって、もう何日も行っていなかった。そのままになっていたナズのなれの果てを視界の隅に捉えながら、散らかったベッドに仰向けに寝転がって、おれはただ、白い天井を見つめていた。頭の中で音楽が鳴っていたけれど、書き留めるだけのちからはなかった。
     どれくらいそうしていたのかわからなかったけど、不意にコンコンというノックの音が聞こえた。
    「れおくん、俺だけど」
     擦れたようなセナの声が聞こえた。鉛でも入ってるのかってくらい重い身体を引きずって、ドアを開ける。伸びた茎から花びらがはずれて、点々と床に軌道を描いた。
    「せ、」
     セナは、おれの姿を認めるなり、そこらじゅうから花を生やしたおれの腕を掴んだ。そのまま廊下に引きずり出されて、キスをされる。やわらかい花に邪魔されて、くちびるも舌も、本来の感触はちっともわからなかった。これまでだったら廊下でキスするなんて考えられなかったけど、セナは何も言わなかった。
    「抱いてよ」
     ひとしきり舌を絡めたあと、思い詰めたようにセナが言った。
    「もう、時間がないの」
    「え?」
    「もう〝すぐ〟だって、わかっちゃった。最期の瞬間は、あんたといたい」
     なんて声を掛けていいのかわからなかった。セナの顔が見たいと思った。薄ピンクの無数の花びらの下で、セナはきっと、すごく美しい顔をしていたと思うから。
     部屋に引き込んだのはおれだった。ドアを閉めて、もういちどくちびるを重ねる。キスの合間にセナが「かぎ」と呟いたけど、無視をした。実際のところ、もうあんまり、鍵の意味はなかった。鍵を掛ける余裕も、なかった。
     花びらを撒き散らしながらシャツの下に手を入れると、それを止めるように、セナがおれの手首を掴んだ。
    「俺がするから、あんたは寝てて」
    「え?」
    「見られたく、ない」
    「セナ」
     さっきまで寝てたベッドに押し倒されて、セナが乗り上がってくる。見られたくないなんて言われたのは初めてだった。覚えてないくらい身体を重ねて、気持ちよくてぐちゃぐちゃになってる顔だっていっぱい見てきた。だけど、どんなに乱れても、そこには芯の通った自信と気高さがあった。それが、ほろほろと崩れていくようだった。
    「ほんとは、ここに来るのも怖かった。あんたは俺のきれいな姿を覚えててほしかった。あんたに会いたいのと同じくらい、会いたくなかった」
    「セナ」
    「あんたが好きになってくれたきれいな俺は、もう、どこにもいない」
     花びらの隙間から、ぼろぼろになった皮膚の名残が見えた。手入れを欠かしたことのない滑らかな肌が好きだった。いつもつやつやしてるくちびるに吸い付くのが好きだった。おれを見上げてくる、言葉よりも雄弁に愛を語るその瞳が、大好きだった。
     だけど。
    「ふざけんな!」
     声の限りで、叫ぶ。腕を引っ張って、身体を入れ替える。肩を押さえつけると、また、どちらのものかわからない花びらが舞った。
    「おまえはおれの愛を、それっぽっちのものだって思ってるのか! たかが身体に花が咲いたくらいでぜんぶ〝なかったこと〟になるくらい、薄っぺらい愛だと思ってるのか! おまえが好きになったのは、それっぽっちの男だったのか!」
    「れおくん」
    「きれいだよ、セナ。だから、お願いだから、おれに愛させて」
     そうして触れた身体は、いちめんの花のことを抜きにしても、ほろほろとやわらかくて、気が狂いそうだった。もとのかたちなんて見る影もないその身体は、おぞましくて、だけどセナのものだと思えばいとおしくて、いろんなところにキスをした。
    「今ふたりで散ったら、まざりあって〝ひとつ〟になれるのかな」
     おれの背中に腕を回したセナがどんどんほどけていくのがわかったけど、繋がっても、セナになることはできなかった。おれはただ、現実から逃げるように、ぼろぼろの身体を貪った。
    「れおくん、俺、」
     最後の瞬間、セナが何を言おうとしたのかはわからない。たぶん〝そういうこと〟なんだと思うけど、聞こえなかったから、わからないってことにしておく。とにかく、綿みたいに柔らかくなってたその身体は硬度を思い出したみたいにいちど収縮して、それから、セナは弾けた。セナの身体からあふれ出した花びらが、はらはらと落ちてくる。
     音楽が鳴っていた。
    「……書かなくちゃ」
     セナだったものにまみれて、おれの頭にはそれしかなかった。だから、枕もとに転がっていたペンを掴んだ。

     それからのことは、覚えていない。わかるのはただ、おれがあいつを愛してたってことだけだ。

     エピローグ

     黄昏どきの太陽が、世界を真っ赤に染め上げる。空になったボストンバッグは、もうおれの肩を圧迫することはない。
     タツミは、断片的なおれの話にたまに相槌を打ってくれていたけれど、セナが散り始めたあたりから黙り込んでしまった。こいつも何か、おれの知らない物語を思い出したのかもしれなかった。
    「おれもきっと、もう長くないな」
     予感はあった。爛れた皮膚は水死体みたいにぶよぶよになっていたし──イメージだ。水死体を見たことがあるわけじゃない──、身体の動きはずいぶんと鈍くなっていた。それに何より、〝すぐ〟だって確信があった。おれはもう、明日までもたない。思考だけが冴えているのが不思議だったけど、案外、そういうものなのかもしれない。
    「茄子が、たくさん採れたそうですよ」
    「え?」
     一瞬、何を言われたのかわからなかった。表情はわからなかったと思うけど、困惑は伝わったらしい。タツミが「はは」と笑う。
    「戻ったら、ニキさんが腕を振るってくれるそうですよ。揚げびたしだそうです」
    「だけどおれたち、食べ物はもう」
     最後に食べたのは、なんだっただろう。最後の晩餐とか思ってなかったから思い出せないけど、ずいぶん前のはずだ。
     だけど、ほんとうに久しぶりに、おなかがきゅるると鳴いた。
    「え」
    戸惑うおれに、タツミはわかったように、「案外、止まっていた時間が動き出したのかもしれませんな」と言った。

     終末みたいな夕焼けに、そこかしこに散った花びらが照らされる。その光景はおぞましいほどきれいで、目の奥がつんとする。そうして出てくる涙もまた、花びらを僅かに濡らすだけだ。おれだって、遠くない未来に風景のパーツのひとつになる。それがいいことなのか悪いことなのかわからない。わからないけれど、涙だけが、あとからあとからあふれてくる。

    「おなか、すいたなあ」



    おわり
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    😭💖😭😭😭👏👏🙏💘🙏🙏🙏😭😭😭
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    Replies from the creator

    yukiha0410

    PROGRESS11/23に開催されるレオいずプチオンリー『ライオンキャット6』で発行予定の本の先行サンプルです。お祭りなのでチェクメ関係するとこで書けてるとこぜんぶ載せちゃう。
    【11/23ライキャ新刊先行サンプル】もしものきみと恋をする(仮)【注意】
     ※原作を読んでいることを前提として話が進みます。
     ※しかし、お話の都合上、原作改変を多分に含みます(本で最終的に理由がわかります。ある程度察しのいいかたならここだけでわかると思う)
     ※原作で想定される程度の暴力描写を含みます。
     ※原作で描かれていない部分を妄想にて補完しています。解釈を多々含みます。

     あと、書きっぱなしで見直ししてないので、かなり粗が目立ちます。



    ーーー以下本文ーーー


    プロローグ

     慌ただしく行き交う人波を掻き分けるように、申し訳程度のイルミネーションに彩られた繁華街を突っ切っていく。コートとマフラーで武装している俺を嘲笑うかのように、吹きつける北風は容赦なく全身から体温を奪っていった。どこに設置されているのか知らないが、野外スピーカーは聞き慣れた〝Trickstar〟の歌声をそこかしこにばら撒いていて、まったく落ち着きがない。SSがすぐそこまで迫っていることも、無関係ではないのだろう。リリースされてしばらく、ゆうくんの歌声を聞きたくて飽きるほど再生を繰り返したラブソングはすっかり覚えてしまっていたけれど、今は一刻も早くそれから逃れたかった。
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