5月半ば、続き。郊外型の巨大な家具量販店まで買い物に行きたい。と言う釘崎に無理やり付き合わされた俺の隣を、なぜか狗巻先輩が、ジャムを塗りたくったトーストをかじりながら上機嫌で歩いている。
朝。待ち合わせ時間ギリッギリに現れた釘崎に、小言を言う気力もなく、まあ、ギリ間に合ったんだから許すか。と、諦めて歩き出そうとしたその時。
「ちょっと待って。狗巻先輩も呼んでるから」
「おい、なんで先輩なんだよ、どうせ荷物持ちさせるつもりだろう。失礼だろ」
都心からは車がなければ無理だろうと思われる人気のその店が、頑張れば呪専から歩いて行ける距離にあると釘崎が知ってからというもの、暇があれば荷物持ちとして虎杖が駆り出されていた。なにしろせっかちな釘崎のこと、配送で後日受け取るなどということは、はなから選択肢にはない。
虎杖と違って、狗巻先輩に大量になるであろう荷物を持たせて歩くとか、絵面的にもダメだろ。とはいえ、キャッキャとはしゃぐ二人の後ろを大量の荷物を抱えてついて回る自分の姿を想像すると、うんざりした気持ちになる。面倒くせえな。
「しょうがないでしょ、こういう時いちばん適任の虎杖が明日まで七海さんと任務なのよ」
「狗巻先輩だって明日朝から出張だぞ」
「でも今日は居るでしょ」
そんな会話をしていると、待ち合わせ時間を少しすぎた頃に、ベタな漫画のようにトーストをくわえた狗巻先輩が駆け寄ってきた。不思議とついさっき釘崎が現れた時に感じたようなイラつきはない。
「こんぶー」
「狗巻先輩。こんな誘いにホイホイのってたらダメですよ」
「大丈夫よ。先輩こう見えて力持ちですもんね」
「しゃけしゃけ」
「いや、そういう意味じゃねえよ」
意気揚々と先頭を歩く釘崎の三歩後ろを狗巻先輩と並んで歩く。
絶対に、絶対に、最近新調したらしいクリーム色のふかふかのフェイクファーの大きなジャケットと、そのふわもこのジャケットから伸びる、濃いグレーのスキニーに包まれた細長い脚のバランスが絶妙で、とても似合っていて、可愛い。ということには触れまいと固く心を閉ざして歩く俺のことなどお構いなしに、先輩はかまって欲しそうに、トーストをかじりながらチラチラと俺のことを見上げている。
最後のひと口を放り込み、何かに気を取られた様子の先輩が声を上げた。
「ツナ!ツナ!」
「あっ!ちょっと!汚れた指、服で拭いたらダメです」
「?」
「ほら、ハンカチ使ってください。ほっぺにもジャムついてますよ」
咄嗟に自分のハンカチを渡し、汚れた手を拭かせながら、ほとんど無意識に、狗巻先輩の頬についたジャムを指で拭っていた。
とうの狗巻先輩はといえば、言われた通りにハンカチで手を拭きながらも、通り沿いに以前にはなかった新しいクレープ店を見つけたらしく、釘崎に向かって必死にアピールしている。
「え!?なにこのお店可愛い!!さすが先輩!わかってる!」
「しゃけしゃけ!」
かくして狗巻先輩は、『おろしたての白い服を目の前で汚されたら気分が悪い』などといったことを気にしている俺がバカに思えるほど、これでもかとチョコレートソースのかかったチョコバナナのクレープを、豪快に頬張りながら歩いている。釘崎はいちごとカスタードにしたようだ。
先が思いやられる。
「ツナ」
コーヒー片手に前だけを睨みながら歩く俺の目の前に「ひと口やる」と言わんばかりに、食べかけのクレープが差し出された。渋々受け取りつつ、先輩に目を落とす。
「いや、ちょっと、アンタ、それはダメです」
「??」
まあ、そうだ。そうなるな。今日は比較的日差しがあって、むしろちょっと暑いもんな。
そこには、ジャケットの肩を落とし、黒いタンクトップ一枚の白く滑らかな肩を露わにしている狗巻先輩がいた。
何がダメなのか分からないといった顔をしている先輩の二の腕に引っかかっているジャケットを肩に戻し、前のボタンをてっぺんまで全部締めた。
「ただでさえ、狗巻先輩は、色が白くて目を惹くんですから、少しは自覚してください」
「おかかァ」
「いいや、しゃけです」
「おーかーか」
「しゃけです」
「ちょっとアンタ達!なにヤロウだけでコソコソイチャついてんのよ。もう着くわよ」
「しゃけ!」
フスン。と不満気なため息を一つ残して、狗巻先輩は釘崎のもとへ走り去って行った。
意外にもこの店に来るのが初めてだったらしい狗巻先輩は、目をキラキラさせて、二年生や普段世話になっている人々へのお土産を選び、案の定店の名物『巨大なサメのぬいぐるみ』を気に入って、常に脇に抱えて店内を歩き回った。
釘崎はそんな狗巻先輩と、店のディスプレイにあれこれ文句をつけては次々と買うものを決めてゆき、俺は二人を遠巻きに眺めながら、無言でカートを押す係に徹した。帰り道は影の中で渾に持たせれば良いだろう。
「戻してきてください」
「おかか」
「いっときのノリで買うには大きすぎるでしょう」
「おかか。明太子」
「ちゃんと世話するからっていう話じゃないんですよ」
「おかか」
レジ前。山のような釘崎の商品に紛れて、巨大なサメのぬいぐるみをレジに通そうとしている狗巻先輩に気付いて、つい声を荒らげた。
「ちょっと、伏黒、何なのよ。アンタ今日なんか変よ?先輩が欲しいって言ってるんだから別に良いじゃない」
「しゃけしゃけ!」
自分でも何故かはわからない。ただ、巨大なサメのぬいぐるみを買うことを許したら、よくないことが起こる気がして仕方ないのだ。
もう既に、俺の部屋にはシロとクロの巨大な犬のぬいぐるみがいる。カエルのハンドパペットに、ピンクの象のクッション、大量の小さな白うさぎの置物もいる。これ以上は。
「とにかく、ダメです。ダメなんです」
「じゃあいいわよ。アタシが買うから。それで狗巻先輩に今日のお礼としてプレゼントするわ。それなら文句ないでしょ」
「いや、そういうことじゃなくて」
「明太子」
「分かりましたよ。帰ってから置くところに困っても俺は知りませんからね(俺の部屋に持って来ても、もう置いときませんよ)」
「おーかーか」
最後は釘崎に聞こえないように気を付けながら、釘を刺した。俺の部屋をあんなことにした張本人のくせに、何も知らない釘崎を味方につけて、舌を出す先輩に湧き起こる怒りと、それでも、あのサメを抱き抱えて眠る狗巻先輩は可愛いだろうなと思う葛藤は、残念ながら後者が勝ってしまった。
朝。寮のベッドで、隣に気配を感じながら覚醒した。
結局昨日は、釘崎の山のような荷物を運び終え、すぐに部屋に戻って寝支度をして布団に入ったのだ。
先輩は嬉しそうに釘崎からプレゼントされたサメを抱えて自室に戻って行った。じゃあ、この隣で眠る気配は一体誰だ?息を大きく吸い込むと、明らかに狗巻先輩の使う柔軟剤の香り。彼が気に入って着ているシャツの手触り。ただし先輩にしては、身体がふわふわとしている。そもそもあの人は今朝は任務で早朝にはここを出発しているはずだ。
徐々に頭が覚醒する、嫌な予感に苛まれながら、目を開けた。
俺の隣には、件のサメが横たわっていた。
わざわざ、狗巻先輩が一年の時に使っていたスヌードと、お気に入りのシャツを着せられて。
「・・・何やってんだあの人」
思わずツッコミながら、サメを椅子に座らせ、身支度を済ませる。
思い通りの結末になった事のイラつきに反して、わざわざ出発前に俺の部屋にあの人が寄ったのだという事実に、小さく心が躍った。
任務が終われば、俺の反応を見るために、今夜もこの部屋に現れるに違いない。あの人はそういう人だ。
このまま彼にハマり込んでいって大丈夫なのか?そんな心配も心の隅にはあった。それは、今更だろう。俺は、勝手に俺の部屋に出入りする人への仕返しとばかりに、そのサメがシロとクロの犬のぬいぐるみに踏まれているような配置にしてから、部屋を出た。