イザマイ原稿都心から少し外れた場所にある巨大な屋敷の前に、万次郎はいた。
インターフォンを鳴らしてしばらくすると、屋敷の主らしい着流しの男が出てくる。白髪交じりの髪を綺麗に撫でつけ、口元に豊かなひげを蓄えていた。
男は『S.S MOTORS』のロゴの入ったキャップの上から、万次郎の頭をがしがしと撫でた。
「おー、真一郎のとこの坊主だな」
万次郎はやんわりとその手を振り払う。
「……もー、やめろって。それより納品のサイン頂戴」
万次郎はツナギのポケットからボールペンを取り出して男に渡した。
男はふむと頷く。それを見計らったように、屋敷の勝手口からわらわらと黒スーツの男達が出てきた。
彼らはきびきびと動き、軽トラの上に積まれた二台の単車を手際よく地面に下ろした。
屋敷の奥の駐車場へと見る間に運び込んでいく。
「……サインってここでいいのか?」
聞きながらも、万次郎の返事を待たず太い指がすらすらと名前を書いた。
手首にはブランド物の腕時計、そして指にはダイヤのはまった金の指輪がいくつもあった。
「なぁ、バイクは確認しなくていいの?」
万次郎は書類とボールペンを男の手から受け取って尋ねた。
「……真一郎の仕事は信用してるよ。お前さんの兄貴だろ」
「うん」
「うちの息子にも、バカな乗り方はせんように伝えておく」
黒スーツの男たちが運んでいくバイクを男は顎で指した。
そういわれると万次郎も悪い気はしない。この男と真一郎の関係はよく知らないが、万次郎は『S.S MOTORS』で修理したバイクを届けることが仕事だ。それ意外に興味はない。
男は懐に手を入れて、厚みのある茶封筒を万次郎に渡した。
「これは代金。ちゃんと兄貴に渡せよ」
男は恰幅のいい体を揺らして笑う。
万次郎はちらりと封筒の中を見る。書類に記載されている金額より、紙幣の枚数はずいぶん多い。
「……なんか多すぎねぇ?」
「駄賃だ。取っておけ」
男はそう言うと、万次郎の返事も聞かず門の向こうへ消えていった。
勝手なオッサン、と万次郎はキャップを取って頭を掻いた。
小遣いにしては多すぎるし、いまだに金を使う遊びは不得意だ。
後で真一郎に相談するか、と万次郎は軽トラの荷台を片づけた。
「よし」
荷台からひらりと飛び降りてゲージをロックする。空はもう茜色をしていた。
日が暮れれば風も少しひやりとする。閉店時間までに戻らないと真一郎が心配する。
もう免許も持っているし、来年は二十歳になる。だが真一郎の中ではいつまでも子供に見えているのに違いない。
それは『もう一人の兄貴』についても同じだろうけど、と万次郎は苦笑する。
「……おい」
男の低い声が側で聞こえた。
軽トラの運転席に乗り込もうとしていた万次郎は振り返る。
「…………」
気づけば四、五人の男に取り込まれている。
派手なシャツに下品なアクセサリー、どこからどう見てもチンピラだった。
その刺青の入った腕が、ドン、と運転席のドアを押さえた。
もう一人の男が横からキャップを取り上げた。万次郎の顔があらわになる。
「へぇ、カワイイ顔してんじゃん」
にやにや笑うその顔を万次郎は見上げた。万次郎の身長が低いこともあって、この手の連中は侮ってかかる。
下らなすぎて、怒る気にもならない。
「……何だ、テメェら」
万次郎の言葉に男たちは、男かよと舌打ちする。
しかし、彼らの目的は別にあるようで、万次郎を取り囲む輪をさらに小さくした。
「さっき、ここの旦那さんから、封筒受け取ったよねぇ?」
「オレらにちょっと貸してくれねぇかなぁ、後で返すからさ」
ずい、と万次郎の鼻先に手を差し出す。その手にはガラクタみたいな時計に、金メッキの指輪があった。
自分より弱い者しか相手にしたことのない、くだらない連中だ。
万次郎は小さくため息をついた。こんな連中を蹴散らすのは訳ないが、真一郎から喧嘩するなと止められている。
それに、いわゆるお得意さんの家の前でもめ事は起こしたくない。これも真一郎の怒られそうだ。
万次郎が逡巡している少しの間に、一番後ろにいた男が小声で囁いた。
「おい、こいつ、東卍のマイキーじゃねぇ?」
「えっ、あの、『不死身の』って言われてた……」
『無敵の』だバカ、と万次郎は心の中で言い返す。
「そんなもん、昔の話だろ?」
「いいから皆で畳んじまおうぜ」
やっぱそうなんのか、万次郎は身構える。
気は進まないが、戦わずして店の売り上げを奪われるわけにもいかない。
「……おい、テメェら。『不死身の』ってのはオレのことだろ」
良く通る声が万次郎の耳に届く。それと同時に、聞きなれたバブのエンジン音が聞こえた。。
その場にいた全員が、一斉に振り向いた。
「イザナ!」
そこには万次郎と同じく『S.S MOTORS』のツナギを着たイザナの姿があった。
彼はひらりとバブから下りる。
切り揃えた銀髪に、褐色の肌、特徴的な耳飾りは、その辺のチンピラでも見間違うはずがない。
エキゾチックな美しい面立ちを、イザナは怒りにゆがめた。
「どこのどなた様だァ?オレの可愛い弟に手ェ出したやつは」
筋が外れたことをしなかった東京卍會と違い、イザナの天竺は極悪チームとしていまだ知れ渡っている。
「お、おい、イザナだぜ……」
「やべぇぞ!?」
男たちは青い顔をして顔を合わせた。
彼らが逃げようとするより、イザナの方が早かった。一人に標準を定めると、ひらりと飛び上がり見事な飛び蹴りをお見舞いする。
男は吹っ飛び、屋敷の壁にどかんと大きな音を立てて叩きつけられた。
イザナの耳飾りが、カラン、と音を立てた。
「……おっ、オレたちは、まだ何もしてな」
弁解に出てきた男の顔面にイザナはストレートで拳を叩き込む。
男は噴水のように鼻血を吹き上げて、後ろに倒れこんだ。
動揺して逃げ出す者にも容赦なかった。こうなったらイザナは止められない。
「……イザナのやつ……」
万次郎はその様子を横目に軽トラックの運転席に乗り込んだ。
キーをひねってエンジンをかける。
五分もしないうちに、男たちの声は聞こえなくなった。サイドミラーを見ると、道路に折り重なるように倒れていた。
あとは、一連の騒ぎを監視カメラで見ていた黒スーツたちが何とかするだろう。
イザナは軽トラの荷台に乗ってきたバブを勝手に積み込むと、助手席に乗ってきた。
「何だよ、イザナ。オレが穏便にすまそうとしてたのに」
万次郎は呟く。
「穏便?どこがだよ。オレとやることは一緒だろ」
イザナは笑いながらシートベルトをかけた。イザナとこの『弟』と考えることはよく似ている。
まぁ、それはそうだけど、と万次郎は呟いた。
イザナは男たちから取り返したキャップを万次郎の頭にかぶせた。
「だから、一緒に真一郎に怒られてやるって言ってんだよ、万次郎」
「何だそれ、イザナが暴れたかっただけだろ?」
するとイザナは万次郎の額を小突いた。
「生意気だぞオマエ。優しい兄貴に感謝しろよ」
「……知らねぇよ、もう」
万次郎はため息をつくと、真一郎の待つ『S.S MOTORS』へ軽トラを走らせた。
イザナの言う通り、一人で怒られるのを覚悟するより気は楽だ。
イザナもそんな弟を見るのは、まんざらでもない気分だった。
(続く)