アップルパイにバニラアイスを添えて「アップルパイはリンゴ角切りっショ」
「アップルパイは薄切りだろ! オレは断然薄切り派だ!」
巻島と東堂が高校2年生の頃。ヒルクライムの大会で張り合うだけでは飽き足らず、休日に合同練習をし始めた頃の話である。補給目的で立ち寄ったコンビニで巻島がアップルパイを購入したことから、上記の会話は始まった。
コンビニ自社ブランドのアップルパイ。袋を破いて一口食べると、巻島がちょっとがっかりした声を出したのだ。
「……リンゴの食べ応えがないショ」
「美味しくなったのか?」
「いや、不味くはない。けど、薄切りリンゴのアップルパイは解釈違いショ」
巻島の母が焼いてくれた手作りアップルパイは、角切りのリンゴがしっかりシャリシャリとした食べ応えのあるアップルパイだった。最近お気に入りの『田所パン』のアップルパイも、サックリとした生地の中央に角切りゴロゴロのリンゴが食べ応えのあるジャムがたっぷりと乗っている。
つまりは、巻島は角切りゴロゴロリンゴ派だった。
一方の東堂は、薄切りリンゴ派である。
それもまあ、幼い頃から食べ慣れて来たアップルパイのリンゴが薄切りだったからとしか言えない。
『東堂庵』でもパンを発注している『ベーカリーHAKONE』のアップルパイは、カスタードクリームの上に薄切りのリンゴが綺麗に並んでいる物だったからである。
なのでこの瞬間、角切りゴロゴロリンゴ派VS薄切りリンゴ派の争いが勃発したのだった。
「アップルパイだからリンゴの主張が大きい方が美味いショ!」
「リンゴとカスタードのバランスと調和だろう!」
「リンゴがゴロゴロ入ってねぇと、生地だけ分厚くて詐欺みたいになるだろ!」
「それは同感だ」
この時の言い争いは、「生地が分厚くてリンゴが少ないのは嫌だよね」で意見がまとまり、2人はヒルクライムに戻った。正反対でも、嫌いな物が一致した瞬間である
それから数年。色々あったし、強い運命に引き寄せられたりもした2人は、生涯の好敵手であり生涯を共にするパートナーとなり、旅行で長野県を訪れていた。
「スゲェ……見ろよ尽八、このアップルパイ! 薄い生地に綺麗な網目、中にはたっぷり角切りリンゴっショ!」
「ワハハ! フクのお墨付きのアップルパイだ、美味いに決まっているぞ!」
昨日は山を登り、今日は美味しい物の食べ歩き。名産品のリンゴを使った美味しいアップルパイは、福富の全日本アップルパイランキングの上位にもランクインしている。
ホールを八等分に切られたアップルパイには、巻島が好きな角切りリンゴが隙間なく詰め込まれていた。甘さ控えめに煮込んだリンゴと蠱惑的なシナモンの香りが、サクサクのパイ生地に包まれたアップルパイは絶品である。
当然、紅茶にも良く合う。プレートに添えられていた生クリームを乗せても、見事に美味しさ倍増である。
角切りゴロゴロリンゴ派の巻島のためにと、東堂が事前リサーチしていた有名カフェの美味しいアップルパイだった。
「巻ちゃーん! 先にお土産を買っておこうぜ」
「ん……おまえさ、まだ食べれるか? もう一店、行きたいとこあるショ。アップルパイ」
そう言って巻島が案内したのは、住宅地の中にある一軒のカフェだった。
入り口に幟が立っていなければただの民家だと思ってスルーしてしまいそうな、小さな隠れ家のようなカフェからは、香ばしく甘い香りが漂って来る。
店内は、四つのカウンタ席と一つのテーブル席のみ。テーブル席が埋まっていたので、東堂と巻島は裏のテラス席へと案内された。民家に囲まれた小さな箱庭のようなテラス席にやって来たのは、アップルパイ。パイ生地の上にカスタードクリームが敷かれ、その上には薄切りのリンゴが花びらのように飾り付けられた可憐なアップルパイが、冷たいバニラアイスクリームと共にやって来たのである。
「美しいアップルパイだな。バラのようだ。しかし巻ちゃん、このアップルパイのリンゴは薄切りだぞ」
「おまえ、薄切り派だろ。リンゴとカスタードのバランスが重要とか言ってたショ」
「覚えていてくれたのか、巻ちゃん!」
「ショ」
つまり、巻島が東堂のためにこのアップルパイを探してくれたということだ。
感動した。滅茶苦茶に絶好調になるぐらい、東堂は感動した。
勿論、アップルパイは美味しかった。可憐な見た目に違わず、薄切りのリンゴと滑らかな舌触りのカスタードクリームが淑やかに調和する繊細なアップルパイであったが、添えられたバニラアイスと共に食べればガツンと甘さが増して食べ応えが出て来るのだ。
生クリームもいいが、バニラアイスも捨てがたい。胸焼けしそうなほどの甘い物同士の組み合わせは背徳の味であり、感動の味だった。
「ん……巻ちゃん」
「ショ」
東堂がアップルパイから顔を上げると、巻島の口にパイ生地の欠片が付いてしまっていた。
唇の左端。ちょうど、ホクロの付近。
パイが付いているぞ。と、教えるために、東堂は自身の唇の左端を人差し指でトントンと叩いて巻島に教えようとした。
パイ生地の欠片に気づいて紙ナプキンで拭うかと思いきや……巻島が少し身を乗り出して東堂に近づき、トントと叩いた箇所に、唇の左端にちゅっと音を立ててキスをしたのだ。
「……ま、巻ちゃん。今のは、巻ちゃんの口にパイの欠片が付いていると、教えたんだが」
「ショォ!? く、口で言えショ! オレはてっきり……ショ!」
てっきり、「キスしてくれ」というジェスチャーだと勘違いしたのだ。
両手で顔を覆って俯く巻島だったが、タマムシ色の髪から覗く耳が熟れたリンゴのように真っ赤になっている。
照れた巻ちゃん、可愛いな……!
叫びたい衝動を抱えた東堂だったが、住宅地の中心で愛を叫ぶのをぐっと堪えて、バニラアイスで衝動を飲み込んだ。
「尽八」
ゆっくりと顔を上げた巻島が東堂を呼んだ。すると、パイ生地の欠片がついたままのホクロ付近をトントンと叩いた。
ここは、自分たち一席のみのテラス席。住宅に囲まれた、誰の視線もない小さな庭の中。店員さんも、今は店内にいる……ちょっとだけ、許してもらおう。もう既に、勘違い事故とは言えやってしまったのだし。
今度は、東堂が身を乗り出す番だった。
巻島の口の左端。愛しいホクロに触れるだけのキスを落として、パイ生地の欠片をペロリと舌で取り払った。そして、誰も見ていないこの隙に、しっかりと唇を重ねてキスをした。
パイ生地と、薄切りリンゴと、カスタードクリームと、シナモンと……最後に、濃いバニラアイスの味がする。
「やっぱり、アップルパイにはバニラアイス派ショ」
「同感だな!」
好みが正反対でも、そこは譲れないのである。