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    すもも/またきてしかく

    @sumomonga_nyan8

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    POIPOI 15

    体育教師帝統×古文教師幻太郎の先生パロです。
    突発的に書きましたが、何でも許せる人向け。これから始まっていく帝幻の話です。元々犬猿の仲の設定のため少し互いへの態度と口が悪い描写あり。

    ただいまのひみつ────ここは都内でも有名な私立高校。

    文武両道を掲げており、有名大学へ多数の生徒が進学実績があることに加え、将来有望なスポーツ選手を多数輩出していることでも名が知られている。学年の中でも体育科と進学科で別れており、授業のカリキュラムも全く異なっているため、両者が関わることはほとんどない。そういった経緯から両学科、とりわけ体育科のA組と進学科のE組は大変仲が悪かった。生徒はもちろんのこと、教師までもが。

    「「げ」」
    「何で有栖川先生が居るんですか。今日の風紀指導の当番は田中先生でしょう」
    「田中先生は子供の保育園の送迎があるからって頼まれたんすよ。俺だって相手が夢野先生なら断ってたわ」
    ふんっとお互いにそっぽ向いて、校門前で風紀指導を行なっていく。朝なので油断していたのか服装の乱れや校則違反者が多く、口頭で注意していく。
    「え〜今日アリスちゃんが担当なんだ」
    「だーかーら先生って呼べつってんだろ!それとお前ピアス見えてんぞ!」
    「え、やば!」
    隣に居るこのチャラついた若者は、今年度から赴任してきた新米教師の有栖川先生だ。スポーツ科の代表であるA組の副担任であり、体育教師をしている。人懐っこいキャラと底抜けに明るい性格でA組の生徒の心をあっという間に掴み、その人気はとどまることを知らない。まぁ生徒達と歳も近いし仲良くなるのは良いのだが、どうにもいけ好かないのだ。
    自分が生徒と教師には一定の線を引きたいタイプなのと、仕事については決まりはきっちり
    守りたいタイプなのがあるからかどうも反りが合わないのだ。
    「あのね、もう少し真面目に指導してくださいよ。有栖川先生に指導された生徒達、校則守る気さらさら無いじゃないですか」
    「んなこと言ったってしょうがないじゃないすか。つか夢野先生が指導した奴らだってどうせ俺らが見えなくなったらどうせ元に戻すんすよ。朝っぱらからんな真面目にやってたら疲れません?」
    「俺は職務を全うしているだけです。……まぁそもそも有栖川先生が風紀指導をしている時点でおかしいんですけどね、会議中に寝るわ生徒と遊んでるわで一番風紀を乱してる方が指導なんてへそで茶を沸かせそうです」
    「はぁ?何意味わかんねぇこと言ってんだ。へそで茶なんか沸かせるわけないでしょ」
    「慣用句ですよ。あなたも日本語の勉強くらいしてください」
    「俺は体育教師だからいーんすよ。それに夢野先生みたいに頭でっかちになるんなら勉強ばっかするの嫌だし」
    「は?あのですね……っと」
    言い争いをしているうちに登校時間のチャイムが鳴る。チャイムが鳴り終わると校門を閉めるのも風紀指導の担当の役割だ。チャイムが鳴り終わるまでに駆け込もうと数人の生徒が走ってくる。
    「はぁ……余裕持って家を出れば良いものを。ほら、チャイムも鳴り終わりましたし閉めますよ」
    「ちょっと待ってくださいよ。遠くに走ってる生徒見えるんで、あの子まで通しちゃいましょ」
    「そうはいってももうチャイムは鳴り終わったでしょう。贔屓していたらキリがありませんよ」
    「つっても一人なんでいいじゃないすか。夢野先生融通が効かないって言われません?」
    「ええ言われますよ、あなたのように無神経な人間からね」
    有栖川先生は走ってくる生徒に「頑張れ」「あと少し」だのマラソン大会のように声をかけ、見事その生徒は開いたままの校門を通り抜けた。ありがとうございますと言われたものの、憮然とした顔の自分ではなくほとんど有栖川先生に向けられたものではあるが。
    待っててもらったからと有栖川先生が一人で重い門を閉めてくれて、少し離れた距離で職員室に向かう。
    悪い人間ではないことは分かっている。ただなんというか、眩しすぎるのだ。住む世界が違うというか、今まで積極的に関わるどころか遠目に見ていた人種だったので距離の掴み方が分からない。社会人らしく上辺だけの会話が出来ればありがたいのだが、それが出来ないので困るのだ。捻くれた性格な自覚もあるし年上の自分が軟化すれば良いのだが、A組とE組の対立という構図もある手前、意地を張っているところもある。

    「……はぁ」
    「ため息ついたら幸せ逃げるらしいっすよ……って!やべ、朝礼の時間!」
    時計を見ると、あと数分で朝礼兼職員会議の時間だ。いつもの風紀始動の時間ならば余裕で間に合うが、今日は最後の生徒を待っていたためかなりギリギリになってしまった。
    一目散に駆け出す有栖川先生を追いかけるべく自分も走るが、普段運動なんてしないせいかどんどん背中が遠くなる。振り向いた有栖川先生がギョっとした顔でこちらを見ると、焦った顔で言い放った。
    「ちょっ……先生本気で走ってくださいよ!本当に遅れますよ?」
    「ぜえっ、はぁ、これでも、本気、はぁっ、なんですけど……!?」
    「まじっすか!歩いた方が早くね!?つーか俺が担いでいきましょうか!」
    「はあっ、け、結構です……!」
    というか誰のせいでこうなったと思ってるんだ誰のせいで!!!
    結局二人ともギリギリに滑り込み、面倒臭い教師からじろりと睨まれた。後で間違いなく嫌味を言われるだろう。疲労困憊、さらに憂鬱そうな顔をした俺をよそに有栖川先生はけろりとした顔で立っている。

    ……やっぱりこの男、気に食わない!!

    朝から若干ムカつきを覚えつつ、いつも通り授業を進めていく。今日は3年生の数クラスと2年生の数クラスだ。比較的大人しめのクラスの授業なのでそこまで忙しくはなさそうな1日で、空き時間は拠点である国語科準備室で次の授業の準備を進めていく。

    ────────────

    「……それでは参考書の54ページを開いてください」
    紙が捲られる音が聞こえ、教室には静かな空気と自分が音読する声が響いていく。簡単な文法と単語を解説していき、スムーズに授業が進んでいく。時折生徒に質問をして答えてもらい、各々の考え方を深めていくのも個性が見えて面白い。
    「────ではこの文章の訳を、佐々木さんお願いします」
    「……えっ」
    「簡単ですよ、数分前の感情を伝えれば良いですから。ではどうぞ」
    「えっと……すみません」
    「それは今の感情でしょう。……次からは窓の外は見ずに集中してくださいね。よそ見して、授業中にも関わらず、見たかったのでしょう?」
    「……はい」
    少し開けた窓からは、よく通る声が聞こえてくる。どうやらA組がサッカーをしているらしいが、それに混じって有栖川先生も参加しているらしい。快活な声は確かに思わず目を向けてしまう。
    「その感情が、この文章題の答えです。せめて〜したいという文法の引っ掛け問題ですね。『いけないことは分かってはいるが、せめて一目だけでも姿を見たい』許されざる状況と心の揺れ動きを季節の移ろいに掛けた文章です。もう座って結構ですよ、この文法はよく試験に出るので覚えてくださいね」
    「す、すみません」
    「ふふ、よそ見していたとしても、上手い返しが出来れば気にしませんしお咎めなしですよ。頑張ってくださいね」
    くすりと笑ってそう話すと、立っていた生徒は驚いた顔をしつつ何も言わずに椅子に座る。一応冗談を言ったつもりなんだけどな、嫌味に聞こえてしまったらしい。やはり会話というものは難しいな。そんなことを思いながら授業を進めていく。一般的な指導要領よりもずいぶん先を行くカリキュラムなので余裕が出来てありがたい。最後に小テストとその解説ペーパーを配ってその日最後の授業が終わった。

    「……何回見てもユメ先の笑顔の破壊力はすごいわ」
    「普段クールで厳しい分、授業中の態度とあの声で読まれる恋物語のギャップがすごい」
    「うちのE組の古文の偏差値が全国平均から滅茶苦茶高いのって絶対ユメ先の『よくできました』のせいだよね」
    「まぁ本人に言ったら止めちゃうだろうから言わないけどね。ユメ先はE組の高嶺の花だから……」

    そんな話をされていることなんて気が付かずに、今日も今日とて職員室で残業をこなしている。教師という仕事は授業だけではなくむしろその裏方の仕事の方がメインだったりする。授業日誌に名ばかり顧問である手芸部の管理や授業計画、学年会議の資料作成などで授業後は毎日が激務だ。特に自分は若手ということで雑用を押し付けられることも多く、学校行事の類で特にそれが顕著である。
    細かい仕事をこなしていく内にあっという間に夜も深くなり、さすがに帰るかと腰を上げて、半額の惣菜をつまみつつ風呂に入って明日の準備をし、持ち帰ってきた仕事に手をつける。まさか教師がこんなに忙しいとは思わなかった。程々に力を抜けばきっとこんなに苦労しないのだが、昔からそうだったように力の抜き方、抜きどころが分からないのだ。要領の良い人間はうまく出来ているのだろうが、友人がほとんどいない自分にはそういったことを教えてくれる人間が居なかったため何でも一人でやってきた。だからこそ今もこうやって進み続けている。
    「……夜は余計なことを考えてしまって困るな」
    一人暮らしになって自然に増えた独り言が安アパートに響く。気が付いたら机の上に突っ伏してそのまま寝落ちてしまったのだった。

    ────────

    いつの間にか床で寝てしまっていたようだ。
    寝るべきところで寝ていなかったせいかいつもより早い時間に目が覚めた。変な場所で寝ていたせいか身体中からパキパキと音が鳴る。二度寝するには足らないほどの時間だったため、テレビを見つつ普段は食べない朝ごはんでも作ってみるかと思い立った。
    味噌汁に納豆と卵焼きと白ごはん。最近は忙しくてチョコバーや食パンだけといった様相だったためたったこれだけの食事で丁寧な暮らしをしている気になる。自分なりに優雅な朝食を摂りつつ、普段は天気予報くらいしか見ない朝の番組を眺めていると、大注目ニュースとして月食の話題が取り上げられていた。何でも今日の夜に4年ぶりの皆既月食が日本で見られるらしい。時間も恐らく家に帰ってきている時間帯だし、ここは一つ見てみようではないか。授業の話題としてもいいな、月にまつわる話なんて古文にはいくらでもあるし。
    そんなことを考えていると気が付けば家を出る時間が近付いていて、結局いつも通りの時間に駅へと向かったのであった。
    授業では予定通りに少し先のカリキュラムである月にまつわる古典を扱い、意外と生徒がついてきていることに驚きつつ頭の中で授業計画を練り直していく。俺は生徒達と個人的な話をすることが多くないため、接点はもっぱら授業中のみだ。その中で垣間見える個々の成長や考え方、古語との向き合い方を眺めるのは嫌いじゃない。何ならこの仕事の好きな部分の一つだ。たった1時間されど1時間。自分じゃ気付きもしない視点や考え方は、俺が何度も繰り返す物語を七色に彩っていく。特に今日は月食という世間で賑わう話題を振ったからか楽しい時間を過ごすことが多かった。まぁ普段自分が味気のない授業をしている自覚もあるし、珍しかっただけなんだろうけど。
    とまぁそんなことはあったがこれといって特に大きな問題もなく一日を終え、晴れて週末を迎えることが出来た。忙しく過ぎていく日々に曜日感覚が無くなっていたので今日が金曜日だと気がついたのは昼頃だった。意識してしまったらもう駄目で、せっかくの週末を憂いなく過ごすために授業の空き時間を使って溜まった仕事を片付け、久々に持ち帰り仕事や休日出勤のない開放的な週末を過ごせるようになった。
    軽くなった心と身体で帰る準備をしていると、生活指導の教員から呼び出された。疲れている顔に嫌な予感しかしない。あぁ、今日はゆっくり買い物をして、凝った夕食でも作ろうと思ったのに。
    この教師はネチネチと小言を言ってくるタイプで、何かと若い教師を説教したがるのだ。やれ「ネクタイの色が明るい」だの「進路指導がなっていない」だの言いたい放題である。クラスの成績が伸び悩んでいる点については各教科担当、もしくはクラス担任にでも言えば良い話なのに副担である自分に言うのだからただの憂さ晴らしだろう。何たって今日もヅラがズレているし。
    気が付いたら夜はとっぷり更けていて、色々と台無しな気分のまま帰路に着く。帰りに寄ったスーパーで目につくままに買い物かごの中に放り込んでいき、やけっぱちのまま何かお洒落で聞いたこともない野菜まで半額だからと放り込んだ。
    家に帰り着いて、着替えもせずにむしゃくしゃした気持ちのまま玉ねぎをみじん切りにして挽き肉の中に入れて、ぐちゃぐちゃに捏ねて丸めたらほんの少しだけ心がすっきりした。少し寝かせている時間にベランダの窓を開けて入り口に座り込む。良かった、どうやら間に合ったようだ。月はまだ真ん丸だが、月食の開始時間まではもうすぐだ。くたびれたシャツのまま丸い月を見上げていると、あの教師の丸い頭を思い出して、一旦収まった怒りがふつふつと沸いてくる。
    「……っ、クソ上司のばかやろー!話長いしハゲてるし、八つ当たりすんじゃないんですよこの満月頭!!」
    「……ぷっ」
    衝動に任せて声は抑えつつ叫ぶと、隣から吹き出したような声が聞こえる。まぁまぁ夜だし誰も居ないだろうと油断していたがそういえば今日は数年に一度の日だ、隣人がベランダに居ても何もおかしくない。少しの申し訳なさと行き場のないもやもやと怒り、笑われたことへの苛立ちがない混ぜになる。
    「はぁ〜〜〜」
    「ふは、でっけぇため息」
    揶揄うように笑う声は何だか聞いたことのある、気持ちを波立たせる例の同僚にそっくりで苛立ちが増した。確か隣はつい最近引っ越してきたばかりの男である。関わりはないため顔は知らないが、この際だから見てやろう。
    立ち上がって、手すりから少し身を乗り出して隣を見る。そこに居たのは、

    「……え?」
    「は?」
    そう。そこに居たのは、よーく知っている、何なら今日も見た顔。

    「な、何で有栖川先生が」
    左手には煙草を持ち、右手にはビール。Tシャツというラフな格好をした有栖川先生がそこには居た。他人の空似とも思ったが、俺を見て驚いている辺り本物だろう。どうしてここに?緊急連絡先に書かれている住所は全く別の町だったはずだ。俺よりも先に状況を理解した有栖川先生は、煙草を一度口に入れて煙を吐くと落ち着いたのか、口を開いた。
    「夢野先生こそ……って引っ越してきたのは俺か。元々別のアパート住んでたんすけど、建物が古くて水漏れが酷くなっちまって。大家さんからこの物件紹介されたんすよ」
    まさかそんな、そんなことがあるのかと思ったが、自分も快適さではなくて家賃で選んだため、同じ勤務先の上に同じ基準で物件を選んだらまぁ希望が被っても当然といえば当然だ。頭では何となく理解してもやっぱりまだ受け入れられてはいない。
    「そんな偶然……まぁ、あったんだからこうなってるんですもんね。まぁお隣といってもほとんど関わらないと気付かないもんですね。……あ!」
    「うおっ、どうしました?」
    「しまった、もう始まっていました。月食ですよ!有栖川先生もこれを見にベランダに来たんでしょう?」
    「げっしょく?……何すかそれ」
    「何すかって……ほら、月を見てください。端が欠けてきているでしょう。月が地球の影に隠れるとか何とか……それで欠けて見える現象ですよ」
    「ん?あーまぁ確かに端っこの方がちょっと消えてる気しますけど、月ってそんなもんじゃないっすかね?つーかそんなの見るためにわざわざ外に来たんすか?」
    「今はこれだけですけど、もう少ししたら影が月を全部隠しちゃうんですよ?なんと次に見れるのは15年後らしいですよ。すごいと思いません?」
    「まぁ、そう……すねぇ。俺としては夢野先生の方がすごいっすわ。わざわざ月見るために暑い中外に出ようとか思わないし。風流っすよね、古文の先生ってそんな感じなんすか?」
    「あ……さぁ、どうなんでしょう。俺も普段は月とか見ませんし。今日のは特別だからとかってテレビで言ってたので……」
    そう言われると何だか恥ずかしくなって、声が小さくなっていく。はしゃいで興奮していた自分がひどく滑稽に思える。確かに自分も今日の朝テレビを見るまでは気にもとめていなかったし、興味もなかった。何となくのレア感に踊らされていそいそと一日浮かれていた自分が恥ずかしく思えて、視線が手すりに向かう。
    「あー、いや、変な意味とか嫌味で言ったわけじゃないんすよ!すんません、俺言い方とか誤解されやすくて。純粋にすごいなーって思ったんです。俺煙草吸うために毎日外出てますけど、月が綺麗なんて思ったことないんすもん。あぁ、あるなーって。でも夢野先生は月見て、欠けていくのは珍しいだとか、満月って綺麗だとか思うんでしょ?見えてる世界が綺麗なんだろうなって……なんかその、伝わってますかね?俺の言いたいこと」
    「……まぁ、大体は。そうですね、月を見ると月にまつわる和歌だったり、古文の話が自然と思い浮かぶというのは職業病と思っていましたが、悪くはないなと思えました。でもそんなに綺麗なことないですよ。……綺麗に見えてたら叫んでなんかないし」
    「ふはっ、確かに。さっきのアレ、山センのことでしょ?気にしなくていいっすよ、あの人若い人みんなにあれなんで」
    「……有栖川先生もですか?」
    「もっちろん。それこそ俺なんて言いやすいし突っ込むところも多いし標的っすよ。でもまぁ適当に受け流すしすぐ切り上げて逃げるから、真面目な夢野先生に行くんでしょうね」
    普段の素行から言えば有栖川先生の方がよっぽど目につくのに、あまり怒られている記憶がないのは、上手く躱しているからなのだろう。そうして矛先がこちらに向くのだと思えば何だか少し憎らしいな。
    「ねね、今度話しかけられたら説教が始まる前か始まってすぐに「あ、」とか言っておでこの方見つめてみてください。そうしてると向こうもズレてるか気になりだすみたいで、説教すぐに終わるんで」
    「ほう、なるほど」
    これは良いことを聞いた。ぜひ今度試してみよう。すごいな彼は、たったの数ヶ月であの先生の攻略法を見つけるだなんて。器用というか何というか。
    「あ、夢野先生見てください!欠けてる!」
    「……おぉ」
    満月がちょっと欠けた程度だったそれは半月に近づいており、4割ほど影になっている。意外とペースが早いんだな。そして赤い月は少しばかり不気味である。
    「はえー、すごいっすねぇ。これは綺麗かも」
    「おや、綺麗とは思わないと言っていたのに」
    「ちゃーんと見ると俺も綺麗だって思いますって。それにこんなに早く分かりやすく欠けていくなんて知らなかったっすもん。これ完全に隠れるってことっすよね?しかも次見れるの
    15年後ってすごいですよね」
    「だから言ったじゃないですか。見てみてください。あちらのマンションや街中にも空を見上げている人が沢山いるでしょう。凄いことなんですよ」
    「本当だ。いいっすねぇ、みんなで月見で一杯ってとこっすか。あ、そうだ」
    「ん?」
    「ちょっと待っててください!』
    そう言って有栖川先生は部屋の中へ戻っていった。ふむ、話してみるとやはり悪い子ではないんだよなぁ。人の懐に入り込めるとはつまり距離の詰め方が上手いわけで。仕事中は気を張っているけれど、プライベートの今ならその距離の詰め方は全く気にならない。陽キャってすごいな。
    「戻りました。ってことで、はい」
    「はい?」
    ふわりと煙草の煙が香ってきて、冷えた缶が手渡される。急に渡されたそれに目を白黒させていると、何でもないように言い放つ。
    「粗品っつーんすかね?引越しの挨拶に渡すあれ。蕎麦とか持ってねぇし、これからお隣さんなんだしさ、お月見がてら仲良くしましょってコトで」
    「……はぁ、まぁそれなら」
    ありがたく受け取って、プルタブを開けると小気味良い音と共に白い泡が出てくると、それを一気に飲み干した。熱帯夜の中、ぬるく湿った風を浴びながら煽るビールは言うまでもなく最高だ。
    「お〜いい飲みっぷり」
    「自分ではあまり酒は買わないので。久しぶりに飲みましたが夏のビールは格別ですね」
    「分かるわ〜、適当に飯食ってシャワー浴びてキンキンに冷えたビール飲むのは止めらんねぇわ」
    「あなた新卒でしょ?若いのにおっさんみたいなこと言いますね。ねぇ、ついでにそっちも貰えます?」
    「それって?」
    「それ。左手に持ってるやつ」
    今でもお酒を飲んだり、残業が長引いた時は吸うことがあるのだ。俺が吸うことが意外だったのか、有栖川先生は一拍置いてポケットから煙草を取り出して、俺の口に咥えたそれに火をつけてくれた。
    「……ふう」
    久々に吸ったからかくらりと眩暈がする。それだけじゃない、これ相当きつい種類だな。若いくせにやっぱりおっさんくさいなと思いつつ、吸ってみたくなったのはあんまりにも彼が美味しそうに吸うから気になってしまったというのは秘密だ。ごくりとビールを煽って、また月を見上げる。少し酔いが回ってきたのか身体が熱くなってきた。
    「夢野先生、無理して飲まなくていいんで。水もありますよ」
    「む、俺も一本くらいなら飲めます。赤くなりやすいんですよね。……有栖川先生はお酒、強そうですね。それにこの煙草、こんなに強いの吸ってるのにどうしてあんなに動き回れるんです?」
    「あー、まぁ慣れっすね。はい、灰皿あるんで煙草もらっちゃいますね」
    「煙草も一本吸えますし。馬鹿にしないでください」
    「してませんって。あ、ほら見てくださいよ!半分隠れてる!」
    「わ、本当ですね。ふふ、月食ってね、今俺達には理屈が分かってるからすごいと思うだけだけれど、昔の人にとっては『不吉』だったり『災いの象徴』だったんですって。まぁ知らないとそう思うのかもしれませんね」
    電気も機械もなく、呪いやまじないが生活の中に溶け込んでいた昔では、大自然のちょっとしたタイミングの一致や気まぐれが生死を分けるもののように思えたのだろう。確かに月食が起きる夜は「何か」が作用しているのかもしれない。だって俺は現に今、それを味わっている。
    「そうっすねぇ、突然月が欠けていくのは確かに俺も怖いかも。運やツキってばかに出来ないっすからね!……まぁでも、今日の月食は俺にとっちゃ『大吉』って感じっすけど」
    「ほう、大吉とは」
    「だって、こうして夢野先生と話せたじゃないですか。まぁクラスでのいがみ合いはあるけど俺個人としては悪い人だとも思えなかったんで。次は15年後でしたっけ?多分今日のこと思い出すと思います。……つっても、そもそも月食に気付かないかもしれないけど」
    「有栖川先生……」
    「へへ、なんか恥ずかしいっすね。あー、夢野先生の愚痴も聞いたんで俺も言っちゃいますね。俺鈴木先生によく飲みに連れて行かれるんですけど、あの人良くない方のザ体育会系で、毎回潰すまで飲ませてくるんで正直ちょっと迷惑してます」
    「うわぁ……」
    そこからは仕事の愚痴や職場の話、情報交換など色んなことを話した。俺が知っていることなんて全て有栖川先生は知っていると思っていたがどうやらそうでもないらしく、持っている情報の違いが面白い。いつの間にか心の距離はすっかり縮まっていて、話すのが楽しかった。やはり仕事の内情を知っている相手だと話が通じやすいし共感しやすい。
    そうこうしてる内に月はすっかり隠れてしまって、気がつけば端っこから月の光が見えてきた。後は満月になっていくのだろう。
    「さすがにもう戻ろうかな、着替えてもいないし」
    「そうっすね。まだ飯も食ってないんすか?」
    「そうです。途中までは作ったんですが、月食が始まりそうだったので。遅い夕ごはん……いやもう夜食ですね。それにしては重いメニューですが」
    「へぇ〜自炊するんすね、俺大体インスタントで済ますんで尊敬します。それじゃ、」

    ぐおおおおおおお

    「!?な、何ですか今の音……って、有栖川先生?」
    怪獣の唸り声のような音が聞こえてきたかと思えば、聞こえた方向にいる有栖川先生が気まずそうな顔でポリポリと頭を掻く。
    「あ、えっと今の……俺の腹の音です」
    「え?『ぐおおおおおおおお』……本当だ」
    確かに彼のお腹から鳴っている気がする。そう思ったら自然と言葉が口をついて出てきた。もう少しだけ話したいな、なんて心の奥の奥に芽生えた心には嘘はつけない。
    「……うちに食べに来ます?そんな大層な味じゃないと思いますけど」
    「え?」
    「あ、いや。何でもないです!作り過ぎたのでどうかなって声かけただけなんで。気遣わなくても全然良いですし、」
    同僚の、ましてや仲が良いとは言い難い人間の手作り料理なんて普通に考えて嫌だろう。鳴り響く腹の音と猫のような人懐っこさ、そして久しぶりに感じた楽しい時間の名残惜しさにうっかり声をかけてしまったのだが、気持ち悪いと思われてはいないだろうか。
    「あの、」
    「まーじっすか!!え、すっげー嬉しい!!もう何日もカップ麺生活で辛かったんすよ!」
    「……そ、それは身体に良くないのでは?」
    こちらが邪推してる気持ちなんてどこかへ飛び去るくらいのキラキラと眩しい笑顔に圧倒されて、あれよという間に鍵を開けて彼を迎え入れる。片付ける時間くらい貰おうと思ったがかまわず有栖川先生はうちの敷居を跨いできた。
    「お邪魔しま〜す!……っとすげぇ本の量!このアパートボロいし床抜けるんじゃねぇの?」
    「一応これでも厳選したんですけどね」
    こたつにもなる一人暮らし用の机の一角にクッションを置いて促すと窮屈そうに有栖川先生が座る。自分が座るとゆとりがあるのだが、やっぱり体格が良いんだなと再確認した。
    「もう少しで出来るので適当に寛いでてください。あ、すみませんがお酒はないので」
    代わりにと冷えた麦茶を置いて仕上げに取り掛かる。人にお出しする料理なんぞ作れないし、食器なんて某パン祭りで手に入れたシンプルなものしかない。自分もなかなか人のことを言えないが彼の話を聞くに残念な食生活垣間見えたので、野菜を加えるかと思い袋の中に眠る例のものを思い出す。そう、怒りに任せて買った何かお洒落そうな見た目の半額野菜だ。
    野菜の名前も書いていないそれは食べ方なんて当然知らない。表面に透明な粒々が付いているそれは茹でるべきなのか炒めるべきなのか。よく分からないから洗ってからそれっぽく適当にトマトと盛って皿に入れておく。まずは有栖川先生に食べてもらって反応を見てみるか。
    当の有栖川先生は何をしているのかと思い振り返ると、忙しなく家の中をきょろきょろと見回している。間取りは同じだろうし、正直本が沢山ある以外面白味もない部屋だと思うが彼は退屈していないようだ。
    「お待たせしました、煮込みハンバーグです。……適当に作ったので苦情は受け付けません」
    「作ってもらったもんにんなこと言いませんって。うわー!すげぇ美味そう!!」
    「そんなに褒めてもこれ以上何も出ませんからね」
    腹ペコそうな有栖川先生用には大きめサイズのハンバーグを皿に盛って、あとはごはんをよそうだけだ。炊飯器は……と、床にあるんだった。一人暮らし用の小さなキッチンには炊飯器は入りきらなくて、テレビの近くに置いてあるそれはちょうど有栖川先生の横に鎮座している。しゃもじを持って視線を向けると、その意味に気がついたのか有栖川先生が手を伸ばしてきた。
    「ごはんすよね?俺のが近いんでよそいますよ」
    「ありがとうございます」
    少なめにしてくれとお願いしたのだが自分がよそうよりも多く盛られた茶碗を受け取り、代わりに丼茶碗を差し出した。生憎と来客がないもので茶碗など2つも用意していない。突っ込まれるかと思ったが有栖川くんは手にした丼にもりもりと白ごはんを入れていく。
    「それじゃあいただきましょうか」
    「はい!いただきま、「……あ、」
    さぁ食べようかと手を合わせたところ、「あれ」を思い出した。別に無くてもかまわないんだけど、どうせならと思っていたのだが。
    「ん?どうしました夢野先生」
    「あ……いえ、何でもないです。冷めちゃうので大丈夫ですよ」
    「ん?何か忘れてたんすか?いいっすよ、ハンバーグ熱々だしすぐ食っても火傷しちまいそうだし気にしないでくださいよ!」
    「う……す、すみません。すぐ作るので!」
    急いで冷蔵庫を開けて、卵をふたつ取り出す。焦って割らないようにフライパンに落としつつ、火が通って半熟というか生寄りのそれを皿の上に乗せていく。
    「お、おおお〜!すげぇ!何すかこれ!お祭り?」
    目玉焼きの乗ったハンバーグを目の前に、子供のように目をキラキラと輝かせる姿を見て思わずこちらの顔も綻ぶ。待たせてしまったけれどここまで喜んでくれるのなら良かった。
    「ふふ、今日は月食だったから。ハンバーグに目玉焼きにしてお月見風にしたいって思ってたんですよね。待たせてしまってすみません、食べましょうか」
    ぱちんと手を合わせて再びいただきますと今度は最後まで言い切ると、ハンバーグに箸を通す。柔らかく解れた肉は適当に作ったものながらなかなかに美味しい。中はやっぱりまだ熱くて、はふはふと冷ましつつ白ごはんを食べると、とっても幸せな気分になった。
    目の前の有栖川先生は、ガツガツを通り越してぐわっつぐわっつとでも聞こえてきそうなほど豪快に丼飯をかきこんでいる。そんなに食べると喉につまるぞと子供相手のようなことを思っていると、にゅっと手が麦茶に伸びてグラスの中の液体が喉仏の動きと共に消えていく。
    「夢野先生!」
    「は、はい」
    「すっっっっっげぇ美味いっす!先生料理上手なんすね!」
    「いえ、そんなことないですよ?普段は惣菜ばっかりだし、コンビニ弁当のことも多いから。でもそんなに喜ばれると作った甲斐があったな」
    「いやまじで、店で食うのより全然美味いっす!先生昼飯いっつも弁当っすよね?美味そうだなって思って見てました」
    「おや、見られていたんですか恥ずかしい。この通り本を買うせいで金欠なんで作る方が安上がりなんです。……といっても自分で作っているものなんてほとんど無いんで節約か微妙なところですが。冷食と惣菜の詰め合わせですし、手作りなのはお米を詰めるくらいなんですよ」
    惣菜や前日の残り物を適当に詰めて、朝にごはんを詰めたりおにぎりを握れば出来上がりの時短弁当だ。何せ薄給の貧乏教師なもので食費は出来る限り削っていきたい。
    「でもすごいっすよ。俺いっつもカップラか食堂なんで」
    「食堂ってあの食堂ですか?生徒しか使わないものだとばっかり」
    「あー確かに教師は俺くらいしか見かけないかも。でも結構安くて美味いんすよ?食堂のおばちゃんと仲良くなれば大盛りにしてもらえるし、4限が空きコマのときは生徒が居ない時間だから静かに食えて良いし」
    「なるほど、それはアリですね」
    生徒と一緒に食事なんて静かに食べられる気がしないとなるべく職員室か国語科準備室で食事をしていたが、時間をずらして食べられるのならば良いのかもしれない。特にバタバタして弁当が作れなかったときにコンビニで買うのは何だか少し悔しい気がしていたのだ。
    「へへ、良い情報でしょ!……あの、それでですね。その代わりといっちゃなんなんですけど、お願いがあって、」
    「……なんでしょう」
    急に真面目な声色で、でも少し申し訳なさそうな声で有栖川先生がこちらに居直るので、思わず身構えた。要は情報料といいうわけか。無理もない、確かに食事は振る舞ったが一応校内では犬猿の仲で通っているし、一緒に食事しているこの状況こそが異常なのだ。いけ好かない陽キャの若者だけじゃないと見直しそうになったのだが、意外と小狡い一面もあるのかもしれない。
    「えっと、その、」
    「はっきりと申してください。無理なことなら正直に無理と言いますので」
    「……それじゃあ、」
    一体何が飛び出してくるのか。膝の上に置いた両手をバレないようにぎゅっと握り締める。

    「………そのっ、ごはん、お、おかわりしてもいいっすか……?」
    「……は?」

    おもちゃを取られた子犬のようにしゅんとした先生の頭には垂れた耳が見える。何だ、おかわりなんてあんなにもったいぶって言うことじゃないじゃないか。そう思っていると有栖川先生は「だって夢野先生金欠だって言ってんのに俺すげぇ食ってるし」だの「いつも生意気なこと言うから好かれてないの知ってるし」だのもごもごと理由を述べていく。その様子にはぁとため息をつくと、一気に肩の力が抜けて笑ってしまう。
    「ふふっ、あははっ、おかわりって、何かと思ったじゃないですか」
    「ぐっ、一応俺も気遣ったんです!」
    「あのね、食べ盛りの少年がそんなことで気遣うんじゃありません」
    「ひど!何すか少年って!俺一応あんたの同僚なんすけど!」
    「そんなこと言っても口の端にソースを付けた状態だったら説得力がありませんよ。一応君よりも年上ですし、金欠と言っても生活が苦しくなるほどではないので気を遣わなくて結構です。まぁ食べる量に驚いているというのは事実ですが」
    「つーか先生が小食すぎるんすよ。すげぇ痩せてるし、体力もつかないでしょ。体育祭の教師対抗リレーふらっふらだったじゃないすか」
    「……いいんですかそんな生意気な口をきいて」
    「ぐっ、」
    「白ごはんは好きなだけどうぞ……それで実は、こうなるかなと思ってもう二つばかりハンバーグが残っているんですけれど」
    「えっ!」
    きらりと紫色の瞳が宝石のように輝く。こちらが何か言えば思った通り100点満点の素直な反応が返ってくるから面白い。
    「どうしましょうかねぇ、人が貧弱だの体力がないだの言われてしまいましたしねぇ、しくしく」
    「す、すんませんっしたぁ!!!!!」
    「ふふふ、嘘ですよ。初めから作り過ぎたと言っていたでしょう。準備しちゃうからちょっと待っててくださいね」
    あぐらのままつむじを見せるような鮮やかな謝罪を受けると笑い声が溢れる。本当に素直な子だな、今日だけでこの男への印象がだいぶ変わった気がする。絆されているなという自覚はあるが、ここまで来るともうどうしようもない。そもそも普段からあまり慕われない分、珍しく慕ってくる生徒に対しては甘くなってしまうのだ。教師としては駄目だと思うが、自分だって人間なのだもの。
    エプロンを付け直してキッチンへ立つと、なぜだか視線を感じて有栖川先生の方へ振り返る。
    「……どうかしました?」
    「いや、何か変な感じだなって」
    「確かに。今日の朝まではまさかこんなことになるなんて思ってもいませんでしたよ」
    「ね、本当ですよ。つーか、先生って家だと雰囲気違うっつーか」
    「そうですか?」
    「いっつもパリッとしたシャツ着て、とっつきにくそうな雰囲気じゃないですか。しかも美人だから余計に」
    「美人って、何言ってるんですか」
    「いやいや。高嶺の花っつーの?F組の生徒も夢野先生ともっと話したいんだと思うけど、ミステリアスで畏れ多いつってるみたいっすよ。だからこそ今が変な感じで」
    「はいはい、どうせ俺は生徒から遠巻きにされてる教師ですよ。大体変ってなんですか。話してみたらもっと面倒なやつだなと思いました?」
    「いやそうじゃなくって。普段の先生から生活感ってあんま見えないから。エプロン付けてキッチンに立ってる姿見てると別人見てるみたい」
    別人も何も自分は自分なのだけれど。まぁ今はプライベートだし、仕事中よりは肩の力が抜けているというのは否めないが。
    「別人……っていうのは分かりませんが、公私はきっちり分けたいタイプなんですよね。有栖川先生は公私共に全く変わらないですから新鮮なんでしょう」
    「そうかも。先生今みたいに崩した態度、もう少し学校でも見せればいいのに。そっちのがやりやすくないすか?クールなのかと思ってたけど結構お喋りじゃん」
    「おや、授業中はおしゃべりですよ?それに苦手なんですよね雑談するの。今流行りのこととか分からないから相手を困らせてしまうだけですよ、気遣われるくらいなら話さない方がマシかな」
    「そうかなぁ、俺は今日話してみてすっげぇ楽しいと思ったけど」
    「っ、……それは相手が有栖川先生だからですよ。学校があぁだから気遣うとかあまり考えてないですし……俺と話していて楽しいなんて変な人」
    誰とでも打ち解ける有栖川先生だから、自分もこうして楽に話せるのは事実である一方、普段から犬猿の仲であるという周囲の目に甘えて気を遣ってなんかいなかったし。
    「えぇ、楽しいっすよ!俺が楽しいって思えてるんなら夢野先生も楽しいでしょ?雰囲気とか会話って一緒に作るもんだし、それがすっげぇ嬉しいなって」
    「……まぁ、楽しくないっていうのは嘘になるかな。確かにこうして話すまでは生意気な同僚だなって思うことはありましたが、ただ本当に心から素直な人なんだなって評価も改めましたし。これからも良き隣人としてやっていけそうだなって思うくらいには楽しい時間を過ごしていると思っています」
    「えぇ、そこは仲が良い同僚にはなりません?」
    「学校での関係性を崩す気はありませんよ。公私は分けていると言ったでしょう?」
    「じゃあ先生のこういう感じは二人のとき限定?」
    「二人のときというか……プライベート限定です。ほら、若い人は限定とか好きでしょう?」
    「んー……それでも『良き隣人』ねぇ。でも限定ってのは何か楽しそうかも。仲良くなっても学校ではピリついたままってことでしょ?何かスリルありますよね」
    「別に今日こうして過ごしたからといって学校での態度が変わることはないですしスリルってなんですか、変わった人ですね。もうほら、暇ならサラダでも食べていてください。野菜も取らないと生徒に示しがつきませんよ」
    何だか会話が少し小っ恥ずかしくなって、黙らせるように試みる。「はーい」とダルそうに返事をして有栖川先生はサラダに入っている謎の野菜に手を伸ばした。
    「あ、食べた」
    「え?駄目でした?」
    「どんな味なんですか」
    「えー……サクサクしてしょっぱい感じ?触感は面白いかも」
    「ふむ……どれどれ」
    手を伸ばして口に入れると、確かにプチプチしていて新食感だ。しかもドレッシングを付けていないのに塩が効いている。変に茹でたりせずに生で食べるのが正解だったらしい。
    「何つーか、お洒落な草っすね。夢野先生いつもこんなの食ってるんすか?」
    「いえ、例の説教の件でむしゃくしゃしてスーパーで衝動買いしたんです。食べたことないので調理方法も分かりませんでしたが勢いで」
    「ふはっ!!むしゃくしゃしたらスーパーで変な野菜買うのかよ!!意味わかんねぇ!ははっ、やっぱ夢野先生おもしれぇ!!」
    一体なにがツボに入ったのか分からないが、けらけらと笑う有栖川くんは本当に楽しそうだ。いいじゃないかむしゃくしゃして野菜買うくらい。不健全なことをするよりおよっぽど健全で、しかも半額だったから財布にも優しいし!
    「つーか調理方法も分かんなかったってことは俺が毒見ってことじゃん、ひでーの」
    「タダ飯食らってんだからそのくらい我慢してください。苦くも不味くもなかったんだから運がよかったですね」
    「確かに。……あーでも俺初めてじゃねぇかも、先輩に連れて行ってもらったお洒落なバーで食った気がする」
    「さすが、陽キャは違いますね。ふむふむ、お洒落なバーとやらではこんな野菜が出てくるんですか……」
    「なんかやたらと苦い野菜とか、固い野菜をありがたがって食ってんの。俺には理解できねぇや、もやしで十分」
    「もやし、ありがたいですよね」
    「行ったことないなら今度バー、行ってみます?つってもこんな野菜が出るようなとこは無理っすけど」
    「行ってみたいと言いたいところですが、ご覧の通り、酒に強く無いので」
    「ノンアルとかも充実してる店多いっすよ?今はぱっと見分かんないの多いし。いーじゃないすか、来週の金曜とかどうっすか?」
    「まぁ予定はありませんが……ほら、出来上がりましたよ。熱いうちにどうぞ」
    流れるように誘うあたりやはり陽キャってすごい。でもバーか。一人で行くのは勇気がいるが大人の社会科見学としての興味は多分にある。けれどまぁこの話も今だけのノリで本気ではないだろう。
    湯気が出ている出来立ての皿を有栖川先生の目の前に置くと、二回目なのに最初と同じキラキラした瞳で満面の笑みになる。
    「うわー!やっぱ美味そう!!!っと、ごはんごはん!」
    いそいそと山盛りのごはんを盛って、いただきますをするとまたもや勢いよく口の中に食べ物が吸い込まれていく。見ていて不快ではなくいっそ気持ちが良いのは、食べる所作がいやに綺麗だからだ。動きは早いけれど。
    「……あんまり食ってるの見られてると恥ずかしいんすけど」
    「いえね、あんまり美味しそうに食べるものだから見ていて気持ちがいいんです」
    「また子供を見る目になってる。大人ですけど!」
    「はいはいそうですね。俺も子供を夜に家に連れ込んで夜食を食べさせるなんて不良なことはしませんよ。どっちかっていうと大型犬かな」
    「子供より悪化してんじゃないすか!」
    「いいじゃないですか大型犬、かわいいし。校庭を駆け回ってる姿も似合っているし、たまに尻尾が見える」
    「……俺、誰にでも尻尾振るようなことしませんからね!夢野先生が甘やかすから!」
    「何言ってるんですか、甘やかしてなんかないですよ。……ふふ、あはは、いいや、甘やかしてるかも。こんなに人と話すのは久々だから、しょうがないですね」
    最後の一口を平らげて、洗い物はシンクに持って行ってくれた。洗い物はしてくれるらしいので素直に甘えることにする。これならまた振る舞っても良いかな、なんて。
    「終わりました!ご馳走様です」
    「お粗末さまでした。洗い物ありがとうございます」
    麦茶を飲んでまったりと向かい合っておしゃべりする。もう用は済んだのだけれどやっぱり名残惜しくて、またもや楽しい時間に花が咲いた。

    「ふふふ、だからあのとき、ヨレヨレのシャツだったんですね。あはは、あぁおかしい」
    「もー、楽しそうに笑っちゃって。思ったのの倍くらいおしゃべりっすね、夢野先生」
    「そうですね、話すのは嫌いではないです。というか話すのが嫌いな教師なんて職業選んでないしね。……まぁ、今日はちょっと浮かれている自覚はある、かも」
    「浮かれてるんすか?あ、月食?」
    「それもあるけど。お酒も飲んでふわふわしてるし……それに、家に人を呼ぶなんて初めてだったんです。捻くれた性格だから友達もいないし、ずーっと一人だったから。家に人が居て、おしゃべりしながら食べるごはんがこんなに美味しいなんて思わなくって。……浮かれちゃったみたいです。恥ずかしいな、ちょっと酔い過ぎたのかも」
    自分の発言が恥ずかしくなって、視線を外して麦茶を飲む。ちょっとぬるくなった麦茶じゃ顔の火照りは冷めなくて、ぱたぱたと顔を手で仰いだ。
    「……夢野先生って、かわいいですね」
    突然の有栖川先生の台詞に顔を上げると、恥ずかしいことを言ったのは俺の方なのに彼の顔も赤くなっている。今になって酔いが回ったのだろうか。
    「かわいいって、何ですか急に。年上の男に対して言うもんじゃないでしょ」
    「だって、お月見だって言って目玉焼き乗せちゃうのとか、むしゃくしゃしたからって食ったこともない野菜買っちゃうとか、髪下ろしたら幼くなっちゃうのとか笑った顔とか……かわいいなって思って口に出ちゃいました、けど!からかってるとかじゃ全然ないので!どっちかっていうともっと仲良くなりたいなって思ってるというか、『良き隣人』じゃ物足りないというか……」
    「……あのね、有栖川先生も酒と雰囲気に浮かれてしまっているだけですよ。学校での俺だって俺の一面だしなんならあっちの方は素面です。仲良くなりたいだなんて安易なこと言わない方がいいですよ、世の中には貴方みたいに素直でお人好しじゃなくて、俺みたいに面倒くさくて捻くれ者がたくさんいるんです。きっと不快にさせるだろうし、損をしますよ」
    「……まぁ確かに面倒な性格だし、不器用だなって思いますけど。普通にイラっとすることも多いし」
    「っ、ほら」
    「でも、損するとかは無いですよ!大体友達付き合いって得とか損とかじゃないじゃないっすか。俺は色々引っくるめて夢野先生のこともっと知りたいし、仲良くなりたいんです!」
    「……っ、ばか、じゃないんですか」
    「へへ、何言ってんすか。俺A組っすよ?F組の副担任から見たら馬鹿に決まってるしいつも言ってる言葉じゃないっすか」
    へへっと優しく笑う顔は、いつも学校で見る自分に向ける顔とは違う柔らかい顔で、うっかり泣きそうになる。まるで出来損ないの生徒を見るような瞳に見つめられて、あぁ。この男も自分と同じ『教師』なんだなと実感した。

    「俺と友達になりましょ、夢野先生」

    一瞬迷って、口の端にケチャップを付けたまま差し出された手に、おずおずと自分の手を差し伸べたのだった。
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