ルシサンワンライお題「お揃い」より「はい、召し上がれ」
言葉と同時に、ルシフェルがテーブルに置いたトレーからサンダルフォンの前に金縁の、チューリップの花を模したような曲線的で優雅なカップが置かれた。
「有難うございます。……いただきます」
ふわりと空気に溶ける湯気を立ち上らせたその中身を口にすると、芳醇に広がるその豊かな風味に、サンダルフォンは感嘆の息を漏らす。
「美味しい……。やっぱりルシフェル様の淹れて下さる珈琲は格別ですね。遠征の間、俺も何度も自分で淹れてみたんですが…やっぱり全然違う」
「サンダルフォンが珈琲を?」
「はい、以前教えていただいたのを思い出して、ここにある道具で言われた通りにやってみたつもりだったのですが……なんというか、もっとバランスが悪くて……何度か淹れなおしてみましたが、それでも駄目で、それで──」
「それで?」
一瞬途切れた言葉を補うようにルシフェルが促すと、中庭に注ぐ陽の光にキラキラと輝くカップに視線を落とすように、サンダルフォンは少しだけ俯いた。
「あの……ルシフェル様が早くお戻りになられないかな、と思いました……」
「それは嬉しく思うよ。私もこうして君に珈琲を淹れてあげられて嬉しい」
「いや、あの、言ってから……俺は今とても恥ずかしいです」
「それは何故だい?」
「だって、教えて貰った事も満足に出来ず、その結論が貴方に頼るしかないなんて……」
出来損ないの珈琲を口にして、一人求めたのは目の前にいる美しい天司の淹れた珈琲だけではない。その陽に乱反射する白銀の髪も、丁寧に珈琲を淹れる真っ直ぐに優雅な佇まいも、こうして自分に語りかけてくれる声も……全部が恋しくなったなんて、そんな子供みたいな事を思ってしまったなんて言えなくて、上澄みだけの理由を口にしながらサンダルフォンは言葉を詰まらせ黙ってしまった。
「誰かに頼るのは悪い事ではないよ、サンダルフォン。私だって一人ではなにもできない。四大天司を始めとした沢山の天司達がいて、そして私がいて、こうして空を守る事ができている。君が珈琲を上手く淹れられないなら、私がいくらでも教えよう。君はなかなか私を頼ってくれないから、それが出来るのなら私も満たされる」
「そんな、俺は貴方を頼ってます! いつもここに来て下さる事で、少しだけ自分の存在意義を感じる事ができるんです。──役割のない俺に、こうして目をかけていただいて、それだけで俺は……」
「目をかける、か。君には私がここに来ることがそう映っているのか。贔屓にする、面倒を見る、可愛がる……幾つかの意味を含む言葉だが、面倒を見ているという気持ちは私にはないよ」
「そんなことは──」
反論しようとしてカップをテーブルに置いたサンダルフォンを見つめ、ルシフェルがその言葉を遮る。
「私こそ、疲れた羽を癒すために君を頼っている。遠征中以外は毎日のようにここへ来て、飽きているのではないかとも思う」
「そんな事ある筈がありません!」
サンダルフォンが僅かに身を乗り出してルシフェルの言葉を否定したその勢いに少しだけ驚いたような顔をしたルシフェルだったが、その2秒後にはふわりと微笑み、自分に向かって乗り出した天司の、そよ風に揺らぐ巻毛を柔らかく撫でた。
「そうか、ならば良かった。……でも、君が少しでも私に引け目を感じてしまうなら、一つ私からお願いをしても良いだろうか?」
「是非お願いします!」
中庭にそっと吹く風と同じ軽やかさで指先はそのくりくりと曲線を描く茶の毛先を撫でていたルシフェルの指先が、サンダルフォンの返答あまりの勢いにピタリと止まって、そしてその指が毛先からサンダルフォンの頭の上に移動して、額の右上から耳元までをするりと撫でた。
「君の──淹れた珈琲を私に飲ませてくれ」
「えっ」
「それは嫌かな?」
「いえ、勿論、それがルシフェル様が望まれるのでしたら……でも、先程言った通り、まだまだ完成には程遠くて……誰かに、いや、ルシフェル様に飲ませるなんて無理な味で……」
「うん、ならば何度も教えるし、君専用に道具も一式揃えよう。此処じゃなくて自室でもできるように」
「えっ……そんな、いいんですか?」
「君の飲ませたくないものを無理矢理飲ませろと言うのはよくないからね。それが、私にとっては美味しいと感じるものでも、サンダルフォン、君本人が納得できていないならいくらでも練習するといい。私も、君に初めて振る舞った時までかなり試行錯誤したんだ。そうしてやっと君にも飲ませたいと思う味ができたから、あの日振る舞えた」
「そうだったんですね……」
「この道具自体はここにしかない特別なものだから、同じ物を新たに作っておこう。それで、いつでもいくらでも練習するといい」
「──有難う御座います……!」
長めの前髪の下、サンダルフォンのガーネットの瞳が細まって、その笑顔は中庭のテーブルにパチンと弾ける。
「でも、これだけは約束して欲しい。完璧は求めなくていいし、君が行き詰まった時や、意見が欲しい時は遠慮なく成長過程の珈琲でも飲ませて欲しい。少し、君は完璧主義過ぎるところがあるから、そうしないといつまでも私に飲ませてくれない気がするからね」
「ハハ……そうですね。確かに、俺もルシフェル様に最高の珈琲を飲ませたい等と考えたら未来永劫かかっても納得できないかもしれないです」
「うん」
「でも、わかりました。せめて意見を求められる味が出せるようになったら……ルシフェル様に飲んでいただこうと思います」
「楽しみにしているよ」
「はい、頑張ります」
「(……夢か……いや、昔の記憶か)」
ふっとサンダルフォンが目を覚ますと、グランサイファーの窓から白い朝の光が差し込んでいる。
「(昨日やっとあの珈琲豆を手に入れ、あの味にたどり着いけたから……無意識にあの頃の事を)」
ベッドに座って何となく自らの髪を触る。寝起きで少々絡まっていて、そしてあの頃よりも少しだけ短い髪。
自分の淹れた珈琲を飲ませてくれと小さな役割を与えてくれながら、どこまでも優しくこの髪を撫でてくれた美しい笑顔を思い出して、胸が少し苦しくなる。
あの後間もなく与えられた自分用の珈琲道具。ルシフェル様と自分だけが持っているという密かな嬉しさを、そしてそれをどれだけ大切に扱ったかを……あの日々はもうあまりに昔なのに、珈琲豆の匂いもなにもかも全てが色褪せない。
「(いつか貴方に最高の一杯を飲んでいただく為に、旅と共に追求し続けます)」
サンダルフォンはその手を握って、そっと胸に押し当てる。
さあ、朝の一杯を淹れに台所へ向かおうか。
いつもより少し早い朝の空の下で、サンダルフォンはゆっくりと立ち上がったのだった。
2021.0522 ワンライ「お揃い」より