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    ひこ太

    お絵描き好き勝手し放題。
    折れた筆と心は戻らない。
    顔しか描けない。
    投稿を消しすぎるの控えましょ。

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    ひこ太

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    かげんぬ小説第四弾、ついに来たぞ長編。ず〜〜っと書きたかったやつ。思い立ってから2ヶ月、書くのに1週間。遅筆だし、あとこの語彙と表現力の欠陥ぶりよ。何度も「書けねえんだけど!?」って壁にぶち当たって、もう根性論で書き上げた。よくやった、頑張ったね私。

    ##WT小説

    2羽のうさぎの、その先に【影犬】#2羽のうさぎと、その先に
     
     ――――本当に好きになる相手が自分にはできるのかって、下手したら一生そんな人は現れないのかもなって思った。まあ、それを今すぐどうしたいなんてことはなかったから、絵馬に書いた内容だってただの気休めに過ぎなかった。――――――
     
     6月も半ば。おれが通う六頴館高校、の3年生は西日本を巡る旅という名目でとても分かりやすく…なんて言ったら企画をした人たちに失礼なんだろうけど、修学旅行の定番、古都京都へ来ていた。日程は今日が最終日、だけれど梅雨の時期真っ盛りだったので、本日も一日を通しての雨模様らしく。全3泊4日の行程はずっと傘を手放せずに過ごしていたと思う。今日に至っては時折強く降ることもあると、旅館の小さなテレビから空模様とは裏腹の笑顔で、お天気アナウンサーが元気そうにそう伝えていた。その後「このあとは星座占いのコーナーです」と言って画面が切り替わったが、再び画面に映ったときの顔はどうやらその結果がとても良かったらしく、さらに空の様子と表情がかけ離れていったのを覚えている。確か「つい先日、誕生日だったもので、運勢も味方してくれてとてもハッピーです! あと今日のラッキカラー…と、この服の色も同じだったので! とても良い日になりそうですー!」みたいなことも言っていたと思う。確かに、淡いスカイブルーのマキシスカートがすごく似合ってるなあなんて思った。おれはそういう運勢だとか占いだとかで喜ぶことはまあないから、なんなら羨ましいとすら感じたのを憶えている。
     
     さてアナウンサーの運勢はどうあれ、肝心の天気予報はもちろん全く外れず。暦の上では夏前なのに気温もかなり低く、少し肌寒かったので念のために持ってきておいた制服のブレザーも羽織った。そんなちょっと悪天続きの、傘を片手に巡る修学旅行の最終行程は、班別行動の自由散策。おれたちの班は「ここのジンクス面白そう」、という観光パンフレットを見た班の誰かのひょんな発言により、京都市外にある風情豊かな神社へ来ていた。どうやらおれも含めて、班員全員が中学の時の修学旅行も京都観光だったらしく。市内はおおよそ回っているから全く行ったことのないエリアが良いということで、じゃあその神社に行こうよと、流れるようにみんな即決だった。
     
     この神社のジンクス、とはうさぎのジンクスというものだ。境内に3羽のうさぎがいて、本殿のまわりを3周する間にそれらを全て見つけると絵馬に書いた願い事が叶うという。それなら、それぞれでうさぎを見つけた方が良いか、なら誰が全部見つけられるか勝負しようよ、という話になり、みんなで個人戦のうさぎチャレンジをすることになった。
     
     絵馬はみんなで最初に書いて、他の絵馬もずらりと並ぶ絵馬掛けの列にそれぞれのものを掛けていく。内容はみんな丸見えだし、おれもみんなのを見ていたからお互い様で、おれのを眺めていた班の面子に「モテるやつの書くことはやっぱ違うなー」「なあ、犬飼彼女いんの?」と軽く投げかけられた。おれは「内緒~」とだけ、緩く返答した。
     実のところ、中学の頃こそ健全なお付き合いは何度かしたことはあるけれど、どれもすんなり消滅しちゃって。特にボーダーに入って以降は告白されども、結局本当に好きにはなれないから断り続けてもいた。今ももちろんフリー。絵馬に書いたぐらいでこの現状がなんとかなるならもうとっくに解決していそうだけど、折角の修学旅行だし、そんな現実的なことは置いておこうと思った。
     
     班員みんなが絵馬を掛け終えたあと、まずは賽銭箱の前にいる、こちらを振り返ったポーズをしているうさぎにお願い事をする。それがスタートの合図で、そのあと「じゃあそれぞれ3羽のうさぎを探していこうか」となったけど、途中で他の人が見つけたところに遭遇しないよう、班のメンバーを二組に分けて勝負することに。おれは後半組だったので前半の人たちを見送り、自分たちの番まで待つことになった。
     
     前半戦の待ち時間の合間にいかにもこの神社らしい、うさぎの小さな置物が色とりどり並ぶ授与所が目に入った。もっと近寄ってそれらを見てみると、これはカワイイなとちょっと思っしまって、それらを姉ちゃんたちへのお土産用として2つほどお金を払って受け取った。手のひらサイズのそれは全体が丸みを帯びてて、正方形っぽい形が愛らしくて。鼻先がちょんと丸く突き出しているのも愛くるしい。色のバリエーションもいくつかあり、姉たちが気に入りそうな青と黄色のものを選んだ。でも実はお土産としてお願いされていたものこれではなく、家族からは満場一致で「八ツ橋よろしく」と頼まれていたから、うさぎについてはおまけ感覚で受け取ってもらえればそれで良いだろうと思った。
     
     そうこうしている間に前半組が戻ってきた。が、意外にも誰一人としてうさぎを全部見つけられなかったようで。2羽目まではすぐに見つかる、3羽目が本当に見つからないと嘆いていた。これは思っていたよりも難易度が高そうだ。
     
     選手を交代して、後半組が5分の制限時間で境内を探り始める。簡単に出会える2羽のうさぎと、その先にいるであろうなかなか出会えない3羽目のうさぎを求めて。一応それぞれでスタート地点をずらして別方向から探索していったけど…、これは確かに、2羽目までは容易く見つかるが、あと1羽がまるで見つからない。時間はまだまだ余裕があったが、雨という多少のハンデがある中でこのうさぎ探しは無理だろうとつい思ってしまった。その傍ら、こういったこともそこまで信じていなかったので早々にギブアップしてしまおうかと思い、真面目に探してる人がいたら申し訳ないが、おれは早いところ3周終えてしまおうと足を進めた。しかし、折角ここまで来たのでせめてこの神社の風景にはしっかり浸っていこうと思い、歩を進める間にここの景色も眺めていく。
     
     ひとまず頭上の空を伺うと、真上に分厚く暗い雲が覆い始めてたので、今は小雨だけどきっとこのあとに天気が崩れるのだろうと思った。しかし、そんな傘を差さないといけない曇天の空模様に反するように、視界いっぱいに広がる若緑の光景はそういった気がかりを和らげるような安らぎを与えてくれた。ここは本当に自然に満ち満ちていて、生命力に富んだ木々も所々生い茂っている。その木どれかか、もしかしたら花か、野山を想い起こさせるような特有の香りも漂っていた。視線を足元へ移すと、石畳や周りの草木に雨粒の滴りや煌めきが反射して、あちこちで小さな光がキラキラと瞬いていて。ここはまさしく神様がいる場所で、いかにも絵に描いたような神秘的なところだなあ、なんて若輩者ながらそう思った。
     もちろん情調溢れるのはこの風景だけではなく、本殿とかの建物もこの空間で厳かな存在感を放っていた。もう何百年も昔に建てられたものだろうから、未だに現役で神社としての役目を果たしているのを見ると、この場所の歴史の深さと壮観さとを思い知る。
     
     そんな伝統がひしめき合う昔ながらの土地、とは相反した観光目的と思しき現代の男子高校生の姿が目に映った。ここは京都であり、修学旅行の定番スポットで、もちろん自分と同世代の子がいても何らおかしくはない。でもおれの視線の先にいるその青年は、おれと同じく修学旅行中ってだけの縁もゆかりもない赤の他人の高校生……ではなかった。
     
     おれと同学年で、同じボーダーという現代どころか近未来的な組織に所属していて。学校こそ違えど共通の友人知人を持つ、ピョンと跳ねた黒髪が特徴の柄の悪そうな青年。彼も制服でこの古都を巡っていたようで、ボーダーでたまに見かけたことのある学生服を身に纏っていた。スニーカーに黒地のスラックス、ボタンを一つも止めずに着ている学ラン。口元を丸ごと覆ったマスク、雨の湿気にやられていつもより跳ねがちな真っ黒な髪、ギラリとした琥珀色の目。傘は持ってきているようだが、古びた建物の軒先で雨宿りをしている様子。ついでに些か不機嫌そうにも見えた。
     ただ意気揚々と彼のことを並べ立てたが、彼とおれの関係性なんて赤の他人とまではいかずとも、幾らかの接点がある程度。お互いボーダーに関する話なら知り尽くしてもいそうだが、基本的なプロフィールなんて名前と学校と、一応向こうは実家がお好み焼き屋さんだから、こっちが一方的に彼の家を知ってるぐらい。それ以上でもそれ以下でもないし、向こうにとってはそれ以下なんだろう。いつだかに「お前は感情と言葉が一致しねえ、それがうぜえし嫌いだ」って言われた憶えがある。早い話おれは彼に思いっきり嫌われているが、でもまさかこんなところで出会すとは思わず、同胞に出会った感覚でちょっとだけ嬉しくなってしまった。つい駆け寄って声を掛けてしまう。
    「えっ、カゲじゃん」
    「……犬飼」
     マスクを下げつつ、眉もひそめて心底嫌そうな態度はされたが、予想外に無視も拒否もされなかった。これは恐らく何かあったんだろうなと推測する。
    「なんでこんなところにいるのさ。みんなは、鋼くんたちと同じ班だよね?」
    「…逸れた」
    「えぇ…」
     間髪入れずさらっと何を言っているんだと突っ込みたくもなるが、もうみんなへの連絡も済ませていたようで、今はここで待ち合わせの状態ということだった。なら良かった、とひとまずは安心する。
     
     ―――そもそも、この時期に修学旅行を執り行っていたのはおれのところのみならず、三門一高も同じだったそう。本来、紅葉が綺麗な秋のシーズンが定石なのだろうけど、その分、人もその季節に集中するわけで。だからおれのところは人気の多い時期を避けて、この梅雨のタイミングで決行したんだろう。でも、近くの高校とその思惑がもろ被りしてるなら世話ないなって、一高の面子と話したのを覚えている。その時にカゲたちの修学旅行のスケジュールやC組のボーダーチームは同じ班になったというのも聞いて。あと、2校とも京都にいる日があるのもそこで知った。途中で会ったりしちゃうかもねー、なんて呑気なことを言い合ったが、まあ9割方あり得ないだろうとも思っていた。しかしどうやら、この男とその残った1割を引いたようで。
     
    「いやあー。日程が被ってるとはいえ、まさか本当に誰かと会っちゃうとは思わなかったよ。しかもカゲだしさ。」
     おれは軒下には入らず、屋根のない空から降り注ぐ雨音を傘で受け止めながらカゲに話しかけていた。しかしおれの感想が気に食わなかったのか、じろりとその鋭い瞳に睨まれながら返答される。
    「あぁ? てめえこそ一人で何やってんだよ、六頴館も班行動だろーが」
    「…あー、えっとさ、」
     …そもそもこっちの日程をよく知ってたなって思ったけど、同世代のみんなで日程の話をしたときにそういえばこの男もいたと思う。その時に六頴館も今日が班行動というのを彼もちゃんと聞いてたのだろう。というか心配してくれたのかな、果たしてそんなことがあるんだろうかと頭の隅で考えつつ、おれの行動経緯をありのまま伝えた。
    「おれはうさぎを探してるの。この神社の中にいるうさぎを3羽見つけると願い事が叶うんだとさ。それで誰がうさぎを全部見つけられるかって、班の人たちそれぞれで探してるんだよ。」
     伝えた話はもちろん事実であるが、自分で言っておいてもなんともおかしい内容だと、今更ながら思う。どうやら正面の男も同じように感じたのだろう。正気か、という内心がモロに顔に出ている。
    「……六頴館の連中は、んなメルヘンなの信じるやつばっかなのか?」
    「いや流石にそんなわけないだろ、修学旅行のノリだよ。」
     軽さを表すようにヘラっとした口調で返す。実際「面白そう」なんていう鶴の一声でここに来ることが決まったし、まさしくその場のノリで決定したようなものだ。同じ高校生だし、似たような考えも持っていそうだけど
    「…というかおれらのことどう思ってんのさ、ひどくない?」
    「少なくともお前はジンクスつうか占いつうか、そういうの好きそうだからよ」
     一応は納得したようだが、おれにはまだ疑う余地があるようで。カゲの中のおれの認識は一体どうなってるんだ。
    「残念なことに全然興味ないね。せいぜい、たまーに星座占いを見るぐらいだよ。」
     そういえば今日の朝に見たのだって、ものすごい久々だったと思う。普段は天気予報なんて携帯で確認してしまうから、占いのコーナーなんて全く見ないし、今日見たのはそれこそ修学旅行のノリというやつだ。だから、おれでこうならカゲは尚更そういうものとは縁遠いだろうと思った。
    「……カゲは、全く見なさそう」
    「いや見たわ、今朝」
     間をほとんど置かずに返された。いやいや絶対、旅行特有の謎にテレビ見るノリだろと、心の底からツッコんだ。カゲの中のおれのイメージも相当なものだろうが、おれの中のカゲの印象もそれに負けず劣らず。影浦雅人という人間はこういった類のものに一切関心がないという、なかなかに極端なイメージを持っているので、その発言には異議を申し立てる。
    「えー、どうせ誰かがテレビを付けてたやつだろ。そもそも自分の星座すら知らなさそうだし」
    「あぁ?」
     男は先ほどまでの疑う顔から一転、いつものしかめっ面と声色を見せる。おれもそれに合わせて、目尻と声のトーンが上がり、笑い声を含んだように問いをかけた。
    「それは知ってるの?」
     こちらから聞いておいて何だけれど、まあ知っていようがいまいが、この話はここで終わりだろうと思っていた。おれの制限時間もあと少しだろうし、丁度良い、このまま会話を区切ろうかと踏み、すぐに返されるであろう返事を待つ。男が口を開いたのが見えて、先ほどまでよりは少し大きめでその声が耳に入る。雨音が強くなりだしてたからそうしたんだろう。お陰様でその返答は間違いなく、おれの耳に届いた。
     
    「知ってるっての、うさぎ座だ」
     …うさぎ、と言ったんだよな。この不良っぽい男にその可愛らしい星座はあまりにも不釣り合いだなって、ちょっと笑いそうだけど。カゲはうさぎか…、カゲが、うさぎ……?
    「そう……なんだ」
     まだ境内は3周しきってないし、どんなものであれ『うさぎ』であるならルール違反にはならないはず。それならカゲが願いを叶える3羽目のうさぎで、全て見つけたということで。じゃあ願い事は叶うんだろうか。…おれの願い事って、いやでも、それはさあ。
    「…………」
     思わず考え込んでしまい、神社の空気音のみがここを満たして雨音がおれたちの間に響き渡る。例の暗く分厚い雲が上空を完全に覆い切ったのだろう、雨がさらに強く降り出した。線上に見える雨粒がおれらの周りにもやを掛けるように降り注いでいく。何だろうか、目の前の身長も目線もそう変わらない人物に、視線も思考も集中しろと心を誘導されているみたいだ。その一点集中の構図に魅かれるように彼の姿が、賽銭箱の前のうさぎに願った事と、おれが書いた絵馬の内容と、だんだんと重なっていく。もしその願いが叶ってしまうのなら、それなら、カゲは……。…でもこれは修学旅行のノリで、所詮気休め程度のものだろう?
    「……犬飼?」
    「…あ。あぁ、ごめんごめん。うさぎ座なんだ、よく覚えてたね。」
     完全に頭を回すことに夢中になってしまって、彼と会話の最中だったことが頭から抜けていた。そのことも返事の内容も含めてチッ、と小さく不満の舌打ちをされたが、直後に彼の手にあった携帯がブブっとなり、その不平は掻き消された模様。
    「みんなから?」
    「あー…入り口んとこで待ってるって」
     男はチャットの内容を確認して携帯をポケットへしまい、C組のみんなの元へ戻ろうと静かな軒先から雨晒しの石畳へ足を伸ばした。その手に持ったビニール傘はそのままでって、え……?
     
     傘越しに聴こえた雨音はまだずっと強いままで、そのままで歩き出せば間違いなくずぶ濡れだ。
    「傘…差しなよ」
     思わず彼の前に立ちはだかる。濡れてしまうって思ったから、左手で持っていた傘を彼の方に少し傾けて…、右手は、傘を持つカゲの手に軽く触れていた。ひんやりとした体温が直に伝わってくる。
    「……悪ぃ」
    「…ううん、大丈夫……」
     いつもの威勢がまるでない、弱弱とした声が耳に届く。どうしたんだろうと、彼の顔を伺ったら日中にも関わらず仄暗い世界にひっそりと光を灯す、黄金色の瞳と視線が交わった。
     …カゲがおれに素直に詫びるなんて、そもそも傘を差すのを忘れるほど衝撃的な連絡だったのだろうか。そんな感じには見えなかったけれど、それならどうして彼は動揺したんだ?
    「……」
     沈黙を貫いたまま二人揃って目を離さず、手も触れたまま。どうしてカゲは拒否しないんだ…? 感情だって刺さって…そうだ、この男にはサイドエフェクトがあって。じゃあ、動揺した原因はおれの感情だったなんてことがあるんだろうか…。確かに絵馬の内容とカゲのことを重ね合わせたが、あれは気休め程度の気持ちで、本当に些細な気持ちのはずだ。でも刺さった感情は些細なものじゃなかったということ…? まさか、もしかして今も刺してるの…おれがその感情を刺してて、カゲはそれを、受け入れてて……?
    「……あのさ」
     自分の内側の音と、相対した男の細い息遣い以外よく聴こえない。雨は確実にまだ降っていて、雨音が周りに轟々と響いているはずなのに。まるで何も聴こえなくて、時間が止まっているようで。間違いなく、お互いのことにしか意識が向いていない。でも刺している感情の正体は、おれには今の自分が抱いている感情のことがまるで分からない。少なくともカゲが拒否していないなら不愉快な感情ではないのだろう、…じゃあいっそカゲなら分かるのかな。尋ねたらどうなるんだろうか。…でもまず、何よりもこの距離感は今おれたちが抱えてしまったこの感情に呑まれそうで、柔らかい明光を灯したその瞳に吸い込まれてしまいそうな距離で。このまま隙間を詰めてしまえば、この感情の、今この瞬間の関係の意味が………きっと分かってしまう。
    「……」
     意中の彼もそんなことを考えてるんだろうか、目の前の男は黙っておれの言葉の続きを待っていた。
    「カゲ…おれ……」
     雨の音が静かになって、遠くから他の観光客の声が聞こえてきた。止まっていたような時間が動き出して、現実に引き戻される。その言葉の続きは……まだ、言えない。
    「…おれもそろそろ戻るから」
     残りの言葉を全て発したと同時に、直前まで拳一つ分ほどだった隙間を一般的な同胞の距離間にするっと戻す。カゲには悪いけど、この感情の答えを出すのは、それを伝えるのは…きっと、今はまだ違うと思った。 
    「……は」
     ポカンと間の抜けた顔が視界に映る。例の黄金色の目とも視線が合うが、もうその瞳におれの思考は奪われていなかった。吸い込まれるような感覚も今はもうない。
     …でも、離れる直前にカゲの冷えていたはずの手がずっと熱くなっていたこと、強い雨音がシャットアウトされるぐらいおれの鼓動が煩かったことが、どうしようもなく脳裏に焼き付いていた。間違いなくそれらはいつか向き合わなくてはいけない感情だと思ったから、それなら前もって印を付けようと考え付く。いわゆるマーキングだ。それを実行するため、おれは印代わりのものを求めてブレザーに潜むどちらかの1羽をつかまえようと行動に移す。己のポケットへ手を伸ばしつつ、男にも話しかけた。
    「…あとさ」
     おれが言葉を紡いでるその傍ら、男は今度はちゃんと傘を差してから通り道に出てきた。雨は弱まっているようだが、まだ止んではいない。それを見たついでに先ほどからの雨の強弱で、時折強く降ることを見事に的中させた今朝のアナウンサーのことを思い出した。彼女も確かうさぎ座だったよな、それならカゲにもあの色がぴったりなんじゃないか。
    「これ、あげるよ」
    「…あ?」
     押しつけ気味にカゲの手に渡ったのは、神社の名前が刻まれた紙の小袋に入った、淡い青色の小さなうさぎ。元々は姉用に買っていたものだけど、おまけにするつもりだったから特に咎められることもないだろう。
    「うさぎ座なら、誕生日この間だったんだろ。それはおれからのプレゼントってことで」
     男は己の手元に渡ったそれをじっと見つめた。とりあえず即返品される雰囲気は無さそう。ひとまずは良かったと、内心でひっそり安心する。
    「間違って買っちゃったんだよね。それ好きにして良いからさ」
     念のためそれらしい適当な言い訳を伝えた。そのあと男がそれを遠慮がちにポケットへしまっていくのを横目で確認しつつ、おれはみんなが待つ方向へ足を向ける。渡す物も渡したので、おれも班のところへ戻らねばならない。時間も時間だろう。くるっと背を向けたので、件の男が視界から外れた。が、彼はまだ何かあるようで。
    「…おい、犬飼」
     おれの空いていた手を掴まれて軽く引っ張られた。そこまで強くは引かれてないけど、もう背を向けていたから、その分の反動が身体全体に伝わる。思わずうおっ…と声が漏れた。
    「……まだ何かある?」
     5分の制限時間はもう過ぎているだろうし、そろそろ本当に戻りたかったので、振り向きざまの返事は若干不機嫌なものになってしまう。
    「……」
     様子を伺うに、恐らく何も考えずに咄嗟に手を掴んだんだろうな。なかなか言葉を発しない男への視線を彼の目元へ向けると、また先ほどの、例の惹き込まれるような瞳でこちらを見つめていた。今にも吸い寄せられてしまいそうな、切なく輝くこがね色の目。ただもう彼だけに注目が集まるように、周りの風景をぼかす強雨は降っていない。なんなら太陽の光も所々差し込んだお天気雨の状態で、草木もギラギラと強い反射光を発していた。それはそれで絵になるなんて思ってしまうが、絵の中心人物は何かを言い淀んでいる様子で。何かそれらしいことを言おうと、ついにゆっくりとその口を開いた。
    「……うさぎは。その、探してるっつう」
     …絞り出された質問はそこなんだ。というか、悩んだ末に届けられたその問いはあまりにも。なんていうかこの男にしては随分と可愛いらしいものだなと思ってしまった。もとより、おれがそんな腑抜けなことをしていたのがことの発端だけれど。まあ本人に「かわいい」なんて伝えたら、せっかくの表情が間違いなく鬼の面構えに豹変するだろうな。それゆえ仕方なく、その本心は心のうちに留められる。でもそんなことを思うと、ちょっとした不機嫌もつい和んでしまって、ふっ、と小さく笑ってしまった。
    「……もう見つかってたから大丈夫」
     それなら先に言えって今に言われそうになったが、その前におれの手を掴んでいた手を一旦離させ、再び繋ぎ直したら何も言われなかった。寂しい目をされるまでもない、安心してくれと、そういう意味を込めたつもりだが、果たして伝わったんだろうか。少なくとも感情は刺さっているだろうから、察してほしいところだけど。
    「じゃあねカゲ」
     ゆるっとした笑顔で別れを告げた。今度こそ進行方向を変えずに戻ろうと、直ぐに踵を返して矢継ぎ早にその場を去った。
     
     …そういえば、カゲには外面がどうこう言われて嫌われてたんだっけ。そんなことを言われようが、長らくその様相で生きてきたおれにとって、それらが一致する時の感覚すらもうずっとご無沙汰だった。今後もその方が間違いなく多いだろう。でも今の、この時は違うと思うな。多分これであってるだろう、感情と言葉が一致したときの感覚って。……カゲが好きな人間の、あり方って。
     
     別れる寸前の彼の表情はちゃんとは確認しなかったが、まあ顔をしかめた様子はなかったし、一旦はこれで良かったようだ。なんて安心したのも束の間、ブレザーのポケットに入っていた携帯からバイブ音が鳴り出す。これは彼の怒りは免れても、時間的に班のみんなの怒りは買ってしまうかもなって思って、急ぎ足で舞い戻った。
     携帯を取るためポケットに手を伸ばした時に、男に渡したうさぎの片割れのもう1羽がブレザーの中にいたことを思い出す。確か、こっちのうさぎはほんのりとした菜の花色だったはずだ。そういえばあの吸い込むような瞳の色と同じ色だななんて、…お互いの瞳の色のうさぎになってしまってたななんて。すごく呑気なことに気が付いて、ついひっそりと笑みが零れた。そしてその2羽のうさぎに導かれるように、戻る道中、例の絵馬の内容を頭の中で反芻していった。
     
     ―――告白してくれるのは嬉しいけど、本当の好きにはなれない。本当に好きになる相手っていうのが自分にはできるのかって、一生そんな人は現れないのかもなって。まあ、それを今すぐどうしたいなんてことはなかったから、絵馬に書いた内容だってただの気休めに過ぎなかった。
     でも、どうにもこうにもそうはさせてくれないようで。
     
    『好きな人と出会えますように』
     
     果たしてカゲがおれの本当に好きな人なのかどうか。それは、まだ直ぐには答えられないな。
     
     
    #2羽のうさぎの、その先
     
     6月の明朝、俺は同居人の出立を見送るため、部屋から軒下までの短い距離を当人と共に歩いていた。側を歩く男は青緑の瞳が特徴的で、今日は普段本部で見かける隊服とはまた別のスーツを身に纏っている。やつは上層部からの通達で隊の面子とボーダーのスカウト旅兼、関西出張というスケジュールを熟すことになった。日数にして約1ヶ月ほどこの家を空ける。
     別れ場所まで来たので男は軒下の外へ出ようとしたが、梅雨真っ最中の雨が地面に降り注いでいた。男は持っていた傘をバサっと開き、アスファルトの地面へ足を伸ばしながら口を開く。
    「じゃ、おれ行ってくるね」
     男は傘を肩口に寄せながらこちらへ振り返り、しばしの別れを告げてくる。7年くらいこの部屋で共に生活していたが、ここまで長いこと離れるのは初めてだった。そんなことを思ったら、一筋の感情が口元に刺さったことに気づく。
    「…なあ」
    「ん…?」
     声を掛けるのと同時に男の傘を持っていた手を掴んだ。一気に身を寄せて、そのまま口元へ吸い付く。雨とは違う、粘着性のある水音がちゅぅっと耳に響いた。
    「……んぅ…」
     俺の手が重なった男の指には銀色に輝く小さなリングがはめられている。掴んだ手の温度は、その金属の部分以外とても熱くなっていた。
    「……寂しい?」
     唇が離れると、こっちは全然平気だという、ニヤッとした顔がこちらを伺ってくる。しかし触れた体温も、刺さっている感情も、その得意げな顔つきが示すものとはまるで違う。
    「…てめえもそうだろうが」
     軽く睨みつけたが、意外と素直な返答がされた。
    「…ふ、そりゃあね」
     男は表情は変えず半笑いしつつも、俺の言葉をすんなり認めたようだった。これが十年前だったら適当にはぐらかされるか、煽られるかされただろう。
    「向こうに着いたら連絡するよ」
    「…おぅ」
     浸る余韻もへったくれもなく。予めチラッと聞いた集合時間にはギリギリだろうなと見込んだ。それは起きるのが遅かった、本を正せば寝るのが遅かったこいつが悪い。…まあ、深夜までこの男の情欲に付き合った俺も共犯になるんだろうが。
    「じゃあねカゲ、いってきます」
     本人も時間がまずいのは自覚しているらしく、別れの挨拶を済ませたらあっという間に雨の風景へ溶け込んでいった。最後にいつもの薄ら笑いとは違う、あどけないくらいの淡い笑顔をひっそりと見せて。十年前にも似たようなことがあって、確かその時に初めてその顔を見せられたはすだ。それのせいで俺はどうしようもなく……犬飼に惚れ込んだ。
     
     男のことを見送ったあと玄関へ戻ると、壁掛け棚に飾られた2羽の小さなうさぎが目に入った。
    「……」
     それを見て、男が昨晩「京都も行くから、ついでにお礼参りもしてくるよ」なんてことを言っていたのを思い出す。大袈裟だとも思うが、その時のうさぎがきっかけでこうなったのもまた事実で。まさかうさぎ如きでこんなことになるとは、夢にも思わなかったが。そんな色違いの2羽のうさぎを眺めていたら、ぼそっとかつてのことが口から漏れる。
     
    「…はっ、互いに一目惚れとか…笑えるよなあ」
     振り返ってみても、あまりにも絵空事のような出来事だと、思わず微笑が零れた。
     
     ―――もう十年も前にそれぞれの手に渡って別れたうさぎは、今は揃って一緒にいた。柔らかい黄色と淡い青色の2羽のうさぎの、その先には互いがいて。…それらはお互いの瞳を見つめ合うように、今ではそこにひっそりと並んで暮らしている。
     
     
    「2羽のうさぎの、その先に」【完】
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