2022.03.03
『うそつき』
電波越しの非難が耳をつんざく。滅多に聞かない強い語気に少々ひるんだが、対面じゃないのだからきちんと言葉にしなくては。群青のカバーを握り直して、聞こえないよう胸に溜まった落胆を吐き出す。
「ごめん。約束やぶったりして」
『今日、まる一日一緒って言ったのに。うそつき」
操を家まで迎えに行って、思いつくままにデートして、それから俺の家でのんびり過ごす。そういう手はずだったのだけど、呼び出しを食らってしまった。大した内容じゃないし次の機会でも構わないんだけど、二人で過ごしている時にまた連絡が来たら面倒だと、一言謝って約束の日取りを変えてもらったのが今のこと。巻きで終わらせたとしても、移動時間で潰れてデートも半日ほどになってしまう。最初の予定と変わってしまうから、それなら別日にしようと申し出たのは失敗した。見栄を張らずに会いに来てと、最初に正直に頼めれば。
今頃ベッドでみのむしになっているだろう。きっとお気に入りのタオルケットで頭を包んで、プレゼントした薄黄色のテディベアを抱き締めながら、俺に文句を言っている。
……まずい。想像したらますます会いたくなってきた。今から出掛けるのに。次の約束だってしてあるのに。
『甲洋くんがやさしいからって、付け入りすぎなんだよ。甲洋くんにわがまま言っていいの、僕だけなのに』
「ごめんな。俺の立ち回りも悪かったから」
『あやまんないで。……しょうがないなんて言いたくない』
ああ、寂しがらせている。ベアだか枕だか、顔をうずめたらしく、折角の声がこもっている。
やっぱり、今すぐに会いたい。もともと泊まりの予定だったのだし、乗り換えも覚えさせたし。ちょっと心配だけど、一人で来てもらって問題ないはず……。
「ねえ、操」
『なに』
彼の背が届かない上棚に隠してあった、ミントカラーの小袋を掴む。ちょっと埃をかぶってる。中身は小ぶりの鈴と白猫のキーホルダーを添えた、ずうっと渡しそびれていたもの。あの子は純白のリボンをどんな顔でほどくだろう。
「……俺んちの、ポストにさ。プレゼント入れとくから、取りに来て」
耳の後ろで情けない俺がばくばくとうるさい。直接渡せないし想定よりも相当ダサいが、機嫌をそこねっぱなしにはしたくない。
『今度もらうんじゃだめなの? もう、おかあさんに出かけないって言っちゃったよ』
「そう、悪いけど、急ぎ。今日中に来て欲しいんだ。道と暗証番号覚えてるよな」
『ん、うん。じゃあ、お手伝い終わったら行こうかな……』
なにより、操に出迎えられたい。いつか、今の家じゃなくっても、いってきますとただいまを伝え合えたらと、胸のうちを明かすのはまだ早いだろうか。
いいや。贅沢は言うまい。まずは「プレゼント」を受け取ってもらってからだ。その次は……無事に出迎えてもらえてから考えよう。
『晩ごはん、一緒に食べようよ。今から許してくれるなら泊まっていいんでしょ』
「いいよ。メニュー決まったらメッセージ送っといて。材料買って帰るからさ」
『……唐揚げ?』
「……夏なのに?」
『じゃあ竜田揚げ。さくさくのにして』
「はいはい」
『返事は一回でしょ』
「はーい」
タオルケットをめくって、毛の短いカーペットに足を下ろす音。気分で選んだ服を、そそくさと着込む音。泊まりの日にだって楽しめるけれど、やっぱり朝から夜まで聞いていたい。自覚すると願望は加速するんだな。
「十四時頃には帰れるから。鍵、開けて待ってて」
名残惜しいが、そろそろ出なくては。支度を始めたらしい音に紛れるようこっそり囁く。さっさと終わらせて、もしも明かりが付いていたらただいまを言おう。いなかった場合は考えない。現実になったら悲しいから。
『えっ』
「じゃ、行ってきます。またあとで」
すぐさまのコールに応えるのは帰り着いてから。受け取ってもらえますように。