2022.06.30
燦々と降り注ぐ灼熱の日差し。日々更新されゆく最高気温。茨が気を回したのか巴家所有のプライベートビーチ近くでの撮影。とはいえ最終日の夜の散歩ができれば万々歳の予定だったが、今回の仕事はトントン拍子に済んだ、と、くれば。
「海水浴日和だね!!」
方や荷物はサングラスと麦わら帽子、方やホテルに頼んだ軽食とドリンク入りのクーラーボックスに、しゃれたビーチパラソル、ラッシュガードに上着にタオル、ビーチマットを詰めたトートバッグ。格差はいつものことだ。じりじりしつこい太陽に汗が噴出しまくっていることを除けば。
「おひいさん、日焼け止めは?」
「ぼくの荷物にはないね。ジュンくんが塗ってくれるでしょう?」
でしょうね。部屋で塗ってこいっつったのに。張り切って用意したらしいパステルカラーに紺のワンポイントを入れた水着の焼け跡がついちまう前にさっさとパラソルを立てて、ばかでかいビーチマットに寝転んだやつの体にディオールの乳液を塗りたくる。裏が終わったらひっくり返して表もまんべんなく。繊細な肌だからアフターバームも塗ってケアしろとか言われるんだろう。そしたらオレも褒美をもらおう。明日の出立はそこそこ早めだが、まあ、気合で起きられるはずだ。
「お礼にジュンくんのお肌はぼくが守ってあげようか」
貸して、と差し出された手のひらに、チューブの代わりにオレの手を乗せて立ち上がらせる。ついでに、落っこちていた麦わら帽子もかぶせ直して。
「着替える時に塗ってるんで、遠慮しときます」
「そう? 去年もそう言って、Edenで一人焦げちゃって大騒ぎしてたけれど、本当に大丈夫?」
その点については問題ない。仮に黒くなったって、今年は茨に交渉済みだし、焼けたってグラビア仕事が増えるだけだから。オレが脱ぐとこの人はなんでか拗ねるけど、夏場限定とか言っときゃあ許されるだろう。たぶん。
「平気っすよ。ほら、歩きましょ。たまには、ぶらぶら歩くだけってのもいいもんですよ」
「誘い文句としては悪くないね。まだまだ及第点止まりといったところだけど」
「はいはい」
スマホはどっちのも部屋の中で、ルームキーはフロントに預けて出たし、スタッフさんにも行き先を告げてあるから、この時間は擬似的な逃避行感を味わいつつの、ちょっとしたデートでもある。炎天下でひっつくのも悪くはないが、少々の距離を保ちつつ、周りに気を配らないでの散歩はそう機会のあるものじゃない。手を繋いだまんま、連れ立ってキュッキュと鳴る砂浜を歩く。
「あはっ、短い鳴き声だね! まるで文句を我慢することにしたジュンくんみたい!」
「ながーく擦ってみりゃあ伸びるんじゃないですか。ほら」
付けた足を引きずりながら歩けば、不格好にぎゅううと鳴いた。これはおやつをねだる時のメアリっぽい。
「今のはジュンくんのお鼻をつまんだ時の唸りに似てるね」
「はあ? そんなガキみたいないたずら、いつやったんですか」
「昨夜ね。ぼくを放って寝ちゃうんだもの。つまんなくって」
「オレがやったらめちゃくちゃ怒るくせにさあ……」
「意識のない時にされても楽しくないんだもの〜」
メアリ、ナギ先輩とこでおとなしくしてっかな。炎天下に連れ出すわけにはいかないが、この、静かな場所なら彼女も喜んだだろう。手入れが行き届いているぶん、時々落ちてる貝殻は浮かんで見える。ちびっちゃく削れた石や、おひいさんの爪みたいな桜色の貝殻。もうちょっと海辺を堪能したら、思い出を拾わないかと提案してみよう。
昼時の浜辺といえば人がごった返してるイメージがあるが、ここはずいぶんと静かできれいだ。白い砂浜、透明で爽やかな海、いくつかの小島の向こうの水平線は海と空に溶けている。ここに立つおひいさんはきっと先程までの仕事以上にカメラ映えもしただろうが、ほっぺたのゆるみきったおひいさんを人目に晒すのは好ましくない。なるべく記憶に焼き付けたくて、景色を楽しむのはそこそこに、大口を開けて空を見上げるおひいさんの横顔を眺める。
どこでだってじっくり見られる横顔でも、場所が違えば輝きとやらも違って見えるのだ。これを茨に言ってみると眼科を紹介されそうになるが、オレは真面目に言ってる。大体、好きなひとと出かける醍醐味ってそこにあるんじゃねえのか? 茨だって、よく場にそぐう衣服がうんたらとか言ってナギ先輩を着飾らせてはご満悦のくせに。
「にしてもこんな良い場所、よく入らせてくれましたね。ご家族はバカンスに出かけられないんですか?」
「父上も母上も、ここ数年は空調の効いた室内で過ごされているみたい。兄上なら楽しまれるだろうけれど、お忙しい方だからねえ」
「へえ。どこもかしこもきれいにしてもらえてんのに、もったいないっすね」
「この暑さだもの。無理に外出して体を壊してしまうよりはずっと健康的だね。だからここも別に、手放しても構わないのだろうけど……」
家族の話を振ると、おひいさんは顔をそらして遠くを見る。ここにもオレの知らない思い出があるんだろう。家族の思い出は他の関係じゃ塗り替えようもない。
「ま、堪能する人がいなければプライベートビーチだってただの砂の城だね。今回のご許可はたまたま、ぼくが近くを通ると把握してくださっていたからだよ」
湿っぽい空気を引きずらず、それに、と続けてオレを見る。足元でちゃぱちゃぱ海が鳴っている。歩くうちに海面に近づいていたらしい。浅瀬で小さいカニが遊んでいる。そのままざぱざぱと深い方へ向かうので、黙ってついていく。
「たまにはジュンくんにご褒美をあげなくちゃ。海、来たがっていたでしょう?」
ざんざんいう波の音にも、おひいさんの声はかき消されない。返事をする前に、くるりと振り返ったおひいさんにぐいっと青い海へ引っ張り込まれた。体を傾けて、オレごとダイビングしやがったのだ。
ざぱん。派手な音は飛び込んだ瞬間だけで、あとはひたすらぶくぶくと水泡らしき音だけが聞こえる。差し込んだ日差しのベールをかぶるおひいさんは、青い視界でふわふわと髪を揺らして微笑んでいる。ほら。場所を変えればやっぱり違ったふうにきれいに見える。カメラがないので証明できないが、自分の確信が深まったからよしとしよう。
海の中すら生ぬるい。が、全身浸っていられるだけ地上にいるよりずいぶんマシだ。きれいなひとをじっと見つめていると、空いたままの片腕でぐい、と引き寄せられる。キスがしたいらしい。近づくのはおひいさんに任せて、安っぽいと罵ったくせにかぶりたがったオレのお古の麦わら帽子の紐が首を絞めてしまわないよう指を差し入れながら目を閉じる。
海中で、魚たちの住居で人目を避けてなんて、まあロマンチックなシチュエーションだろう。おひいさんの趣味ではないだろうが、これもたまにならいい、んだろう。いつもより熱く感じる口を開けて欲しくって舐めてみても、気分じゃないのか、唇どころか繋いだ手まで離されてしまった。ここへ誘った本人は、じゃあね、と手を振って上がってく。
オレだけ口の中が塩っ辛い。悠々浮かんでくおひいさんの脚が目の前を通り過ぎる。覚えちゃないが、昨夜、いたずらされたんだよな。じゃ、オレも仕返したっていいだろう。上がり切る前にサーフパンツの裾をめくりあげて、
「んひっ?!」
白い太ももに噛み付いてやった。しばらく露出はないし、思いっきり。痕もつけてやりたかったが、あんまり長くはそうしていられなかった。また、無理矢理引きずりあげられたからだ。
「ちょっと、ジュンくん! お行儀の悪いことしないの!」
首まで赤らめておいて説得力のない。照れ隠しを失敗したらしいおひいさんは、額にへばりついた髪も直さず、さっきまで固く閉じていた唇をふにゃふにゃに歪めている。夏らしい刺激をってのは、オレたちEveの十八番だろう。品行方正なおひいさんのパートナーは、ちょっと行儀が悪いくらいでちょうどいい。
「すみませんねえ。おひいさんってば、起きてる間にいたずらされたいらしいんで?」
「行間を穿ち過ぎだねっ、んもう! 悪い日和……!」
「や、でした?」
ほんとに?
必殺上目遣い。常にそうだからって耐性があるわけじゃないらしく、あとちょっとの後押しにこそ特に効く。
「……ちょっとだけ! さっきのがだめなんて言ってないね!」
「ははっ! せっかくの日焼け止めも形無しっすね!」
いよいよ真っ赤のおひいさんに、腕を引きずられるまま浜辺に戻る。もう泳ぎはいいんだろうか。コツは掴んだし、もう一回くらい、海ん中でキスするのも悪くない。
「食事にするね! ジュンくん、早く用意して!」
「はぁいはい。あとでもう一回、おんなじのしましょうね」
「すけべ! けだもの! いやらし大魔王!」
「許してくださいよ。おひいさん専用なんで」
「…………ばか!!」
静かだった砂浜にでかい罵倒と笑い声が響く。オレを先へ連れて行ってくれる手は、本物の太陽よりよっぽど熱い。