酷い男と、優しい男大きな手が、力強く肩を掴む。
押し倒され、組み敷かれた身体が、ひんやりとした畳の冷たさを吸う。
ざわざわと伸びながら組み敷いた身体を逃してなるものかと蠢く銀糸は、獲物の四肢を掴んだ後、ほんの僅かに撓んだ。
「なあ、ゲゲ郎」
己を拘束する男の名を呼ぶ。その声色も、瞳の藍錆も、風のない日の水面のように凪いでいる。
ゲゲ郎。
もう一度、ゆっくりと含ませるように名を呼ぶ。呼ばれた男は返事をせず、覆い被さったまま動かない。スゥ、と大きく息を吸い、膨らんだ獲物の胸元を、銀糸の隙間から紅い瞳が見つめている。
「……わしは、今から、お主に“酷い事”をするぞ」
低い声で、そう呟く。
「“酷い事”をするぞ。この手も足も、離してなどやるものか。お主が解ってくれるまで、自由になどさせてやるものか」
四肢に巻き付く銀糸が増える。脅すようにキリキリと巻き付き、微かに縄のような跡を残す。
長い髪で出来た影から、大きな目が爛々として見つめている。
服の上から、大きな白い手が傷跡をなぞる。やろうと思えばいつでも裂ける筈のそれに、優しく触れれば澄ました顔の獲物が慄くのだと、男はとうに知っている。
組み敷かれたままの獲物は、身動ぐ事も男に手を伸ばす事も出来ない。その代わりにもう一度、凪いだ声が男の名を呼ぶ。
腕に巻き付いた銀糸の一部が更に伸び、獲物の指先に擦り寄った。
「お前に、“酷い事”など出来るものか」
「出来るさ」
「いいや。……いいや、ゲゲ郎。お前に、“酷い事”など、出来るものか」
藍錆が、キュウと細くなる。それがまるで、いつかどこかで見た刃先のようで、男は少しだけ視線を彷徨わせた。
捕らわれているはずの獲物が、凪いだ瞳で嗤う。
「俺の四肢が欲しいなら、くれてやる。このままお前に裂かれようと、俺は一向に構わない」
投げられた言葉に、男が戦慄く。
そんな事ではない。
そんな事はしない。
“酷い事”とは、そんな―
獲物を捕らえていたはずの銀糸も腕も、いつの間にか外れている。
大きな目に浮かび始めた膜を、縄のような跡が残る指先が拭う。
自由になった身を畳の上に転がしたまま、獲物だった男は大きな身体を子供のように縮こませ、啜り泣きを零し始めた友の背中に腕を回し、あやすように軽く叩いた。
「そうとも、“酷い”とは、俺のような奴のことをいうんだ」