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    はるち

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    はるち

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    天城先生と世良くんがブラックジャックをするお話

    マルドゥック・スクランブルのオマージュを含みます

    ブラックジャック。
    それはこの国で一番有名な医者の名前であり、カードゲームの名前でもある。
    「ショーダウンだ、ジュノ」
    天城が天鵞絨を貼ったテーブルの上に伏せられていたカードを捲る。ハートの10とクラブのジャック、計20。
    対する世良のカードはハートの9とダイヤの4。バストは防いだものの、20には遠く及ばない。世良が献上するように賭けていたチップを天城の前へと滑らせると、天城はグラスを傾けながら上機嫌な笑い声を上げる。シャンパンの気泡が弾けるような声だった。
    ブラックジャックはディーラーとプレイヤーで――今回は天城がディーラー役を務めている――カードの合計点を競うゲームだ。21に近い方が勝ちとなり、超過すれば負けとなる。2から9までのカードは書かれている数字通り、10以上のカードは一律で10と数える。エースだけは扱いが特殊で、1と11のどちらとしてカウントするかをプレイヤーが選択できる。
    プレイヤーの取れる戦術は5つ。ヒット――もう一枚カードを引くという選択、ステイ――カードを引かないという選択、ダブルダウン――掛け金を倍とする代わりに、次のカードて最後とする選択。そして賭け金の半分を支払ってゲームから降りるサレンダー。そして自分のカードの合計が21だった時にのみ、配当を等倍にまで下げる代わりにプレイヤーの勝利を確定させる戦術、イーブンマネー。
    この5つの戦術と312枚のカード――新品の箱を六個開けた天城が、砂で城を作るように中身をテーブルの上へとぶち撒けたのは世良の目にも壮観だった――、を組み合わせて戦うのがブラックジャックである。今のところ、世良は全敗を喫しており、ただカジノの神様にチップを献上する存在に成り下がっているが。
    「変わらないな」
    くすくすと笑いながら、天城は目線だけで問いかける。世良の答えは決まっている。ワン・モア・ゲーム。当然天城もそれを知っており、グラスを置いてカードのシャッフルを開始した。
    二人の前に、二枚のカードがサーブされる。天城がその内の一枚を捲る。ダイヤの9。世良も自らの前に置かれた手札を確認した。クラブの10とダイヤの4。幸先は悪くない。
    「ダブルダウン」
    世良の宣言に、天城は片眉を釣り上げた。――良いのか、と問うように。生唾を飲みながら、それでも世良はポーカーフェイスを装って頷き、自分たちの前へとチップを置いた。
    天城がカードを一枚、世良の前へと滑らせる。半ば祈るような思いでカードを開けた世良は、そのまま天を仰いだ。ハートのクイーン、計24――、バストである。
    「クイーン高階は?」
    自身に勝利を、世良に自滅をもたらしたカードを見て、思い出したように天城が尋ねた。明日の天気を聞くような口調だった。そこには悲嘆も、憎悪も――、怨嗟すら滲んでいない。
    「佐伯教授の元を離れましたよ」
    「そうか。なら、ビショップがキングの後継になったのか」
    あっさりと頷き、天城は世良が賭けたチップを回収する。チップの色は赤だった。天城の前には赤いチップの塔が立っている。それを流れた血だとするならば、その血を流したのは、一体誰なのだろう。
    「はい。黒崎先生が、今の第一外科の教授です」
    「第一?心臓外科と腹部外科は分裂したのか」
    これは夢だ、と世良は思う。自分にとって都合の良い夢。だってこんな風に穏やかに、彼が去った後の話をすることなどはなかったのだから。
    佐伯教授は退官し、黒崎助教授がその後任となった。垣谷講師はこの下で働いている。高階先生は、あの病院で天国への階段を着実に、そして貪欲に昇っていることだろう。
    辺りを見渡す。今となっては、涙が滲む程懐かしい、モンテカルロのカジノ。贅沢を楽しむのではなく、その中で呼吸することが当然となった人々の社交場。
    雑談の片手間に、天城は次のカードを世良の前へと置く。スペードの7とハートの5。天城の手元にあるのはスペードの5だった。
    「それで、ジュノは?」
    その中心で、自分はこの人を見つけたのだ。
    そしてもう二度と、見つけることはなかった。
    「……ヒット」
    新しいカードが一枚、自分の手元へとやってくる。それを捲る。――ダイヤのジャック。バストだった。ジャックの手にしている短剣が、世良の心臓を抉るようだった。
    世良はまた一枚、赤いチップを献上する。しかし天城の表情は浮かない。何故、と思っていると、天城が伏せられていたカードを開けた。クラブの6。もし、世良がカードを引かなければ、ダイヤのジャックは天城の手元に行き、そして最強の役になっただろう。天城はそれを予感していたのか。世良の自滅ではなく、自身の勝利を。
    だとすれば。世良が自分の意志でカードを引いたのは、意味のある行為だった。意味のある敗北だった。
    「ジュノは」
    天城は手慰みのようにカードをシャッフルし、機械的にカードをサーブした。負けてもゲームは終わらない。続くのだ、人生のように。賭けるべきチップがある限り――ならば。
    「私がいない場所で、何をするんだ?」
    自分は、何を賭けるべきだったのだろう。
    手元に残されたチップの山を見る。これを全て賭ければ、失った全てと――天城と、勝利を全て、得ることができるだろうか。
    配られたカードを見る。世良の手元にあるのはハートの7と、ダイヤの7。天城の元にあるのはハートのエースだった。赤いスートは流れる血に似ている。世良がもう一枚を催促すると、天城は滑らかにカードを置いた。手術の時と変わらない、淀みのない手つき。この手は――確かに、人の命を、日本の医療を、変えるためにあったのだ。
    カードを捲る。
    目眩がした。
    「どうした?ジュノ」
    「……いえ――」
    ハートの7。
    栄光の7と呼ばれる三枚のカードが、世良の手元にあった。
    選択を、しなければならない。
    だってこの人は、――賭け方を、生き様を見たいと言ったのだから。
    自分が何のために、何を賭けるのかを。
    ならば。
    「ジュノの手番は終わりかな?なら――」
    「イーブンマネー」
    伏せられたカードのもう一枚をめくろうとしていた天城の手が止まった。世界が静止したようだった。
    「……正気か?」
    天城が首を傾けると、伸びた髪がさらりと流れた。イーブンマネーは全ての倍率を放棄して、最低限の価値だけを拾う戦術だ。それを逃げだと、この人は言うだろうか。
    けれど。
    「これでいいんです」
    世良は頷いた。
    「俺は、全てが欲しいんじゃありませんよ」
    失ったもの、勝利、そして――天城。
    その全てを得たかったのではない。
    ただ、自分が欲しかったのは――
    「……なるほど、ね」
    天城は緩やかに微笑み、カードを捲る。
    天城の手札は二枚。ハートのエースと――スペードの、ワン・アイド・ジャック。
    彼を象徴する最強の手札であり、世良の選択がなければ、それは世良の勝利を奪う手札となっていただろう。
    だから。
    天城は笑って、夢の終わりを告げる。
    「私の負けだよ、ジュノ」

    ***

    ゲームは終わり、全ては現実へと帰る。
    夢から醒めてもなお、世良の意識は曖昧だった。ここは自宅の湿っぽい布団の中なのか、それとも瀟洒なカジノにまだいるのか。指先に残る感覚が、天鵞絨とカードの手触りなのかわからない。頭の中で反芻されるのは、自分が賭けたものと――あの人の言葉。
    そう。
    全てが欲しかったわけじゃない。
    けれど、それを願うことは――この世で最も、強欲なことなのだろうか。
    「……天城、先生」
    冬と春の間に横たわる静寂に身を浸すには、あまりにも温かな微睡だった。溶け出した雪が、頬を伝い落ちる程に。
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