輪郭がとろりと溶けて夜の色に溶けていく。それは私の指先も同じで、日ごろ努力をして美しさを保っていた肌さえ一瞬で闇の中だ。溶けた指先は酷く冷たかった。
ルームウェアが肌に貼りつく嫌な感覚で目が覚めた。遮光カーテンを引いた部屋は真っ暗で、私の浅い呼吸の音と時計の針が進む音だけが響いている。
またあの夢だ。真っ暗なくせに何もかも鮮明な悪夢はいつも私をなかなか離さない。そのせいで寝苦しい夜が続いていて、体調のコンディションもあまりよくない日が増えた。今はまだ誰かに指摘をされたことはないけれど、いつかバレるんじゃないかと思うとたまに背筋がひやりと冷える。悪夢のせいで寝付けなくて体調を崩すなんてあまりにも愚かで情けない。だから絶対にバレてはいけないのだ。私のプライドが許さない。
サイドテーブルに置いていた水を少しずつ口に運んでゆっくり飲み干す。大きく吐き出した息はそれでも微かに震えていた。
「ヴィル、きちんと眠れているかい?」
朝食を終えたあと、そっと囁かれた言葉にスープで温まった胃が冷えた気がした。勢いよく振り向けばルークがわざとらしいほどに心配そうな顔で私を見ている。
「・・・どうして?」
「顔色が悪い」
「このファンデーション、もうダメね・・・」
ルークの言葉に返事をせずに私は背を向ける。やっぱり、いつかこの男にはバレると思っていた。いつも全てを見透かしたように笑顔を見せるルークは誰よりも───きっと私よりも私のことを見ている。
「ヴィル!」
振り向かないことも分かっているんだろう。それでもルークは私を追いかけてきて隣に並ぶ。顔を覗き込もうとする。
「見ないで」
「今夜君の部屋へ行くよ」
「はぁ?」
「待っていて。あとその顔色はファンデーションを変えるよりチークを変えたほうがいいと私は思うな」
そう言うとにっこり笑ってルークは隣を通り過ぎていった。速足だったのに私の足はゆっくり止まっていく。本当に呆れた、と思いながらも体の中がほんの少しだけ温かくなった。
夜になるとルークはルームウェアを持って本当に私の部屋にやってきた。
「やあ、ヴィル。やはり君はメイクを落としても尚美しいね」
「本当に来るとは思わなかったわ」
「君の美を守るためなら私はどこへでも行くさ」
追い返そうとするだけ無駄だと察した私はしょうがなくルークを部屋へ入れた。隣を通り過ぎるとき私のものとは違うシャンプーの香りが微かに鼻先をくすぐる。普段なら自分の部屋に自分以外のものがあるとストレスを感じるのに、今はその香りが心地よかった。
足を下ろしていた寮の床が液状化していることになぜ私は気づかなかったのだろう。上を見上げれば天井はもう暗く、逃げ惑う寮生が次々と姿を消していく。ドロドロにその身を溶かして床と一体になっていく。逃げなさい、そう言っているはずなのに喉には何かがギチギチに詰まっていて苦しいだけだ。体は倒れることなくただひたすらゆっくりと溶けていく。
液状化した床を踏みつけて水しぶきを上げながら走ってきたのは必死な顔をしたルークだ。そこで私は気づいてしまった。溶かしているのは私。闇を連れてきているのも私。何もかもを飲み込んでしまおうとしている、醜い私、だ。
伸ばされたルークの手を払っただけなのに、しなやかな指先は一瞬で輪郭を失った。私が溶かしてしまった。それなのにこの男は、こんなときさえ笑っている。
勢いよく目が開いた。今までとは違う悪夢が全身に纏わりついている。時計の音と自分の心音以外何も聞こえない。恐怖で塗りつぶされた世界に耐えられなくて寝返りを打てばそこにはルークがいた。しっかりと口と目を閉じて静かに横たわっている。血の気が引いて慌てて近づいた。こんなに近づいているのに呼吸の音はあまりにも静かで、思わず胸に耳を当てる。鼓動は、控えめに鳴っていた。
安堵のため息と同時に酷い冷や汗に気づいた。いつも以上に気持ち悪い。これなら一人で寝たほうがよかったかもしれない。
「ヴィル?」
唐突に名前を呼ばれて飛びあがると、さっきまで閉じていたルークの目が開いて小さく瞬きをしていた。アンタのせいで、悪い夢を・・・
「どうしたんだい?」
「・・・怖い、夢を見たの」
文句を言うつもりだったのに、口から出たのは違う言葉だった。こんなことルークに言うつもりなんてないのに。
これ以上口を開いていたらそのまま弱音を吐きそうで、一生懸命口を閉じる。
「・・・どんな夢か聞いても?」
遠慮がちなのに、それでもストレートに聞いてくるのはやっぱりルークだ。寝起きだろうがなんだろうが変わらないルークに私もいつもの調子を取り戻す。
「知らない。もう忘れたわ」
嘘だと悟られないように背を向けてベッドから抜け出そうとした瞬間、突然部屋が眩い光で満たされた。勢いよく振り向いてあまりの眩しさに目を細める。どうやら朝は来ていたようだ。
「ごらんヴィル」
いつの間にかベッドから降りてカーテンを引いたルークが背伸びをしたあと私の方を向く。朝日に照らされた薄いそばかすが散った笑顔は当たり前のように私を包む。真っ暗だった全てを飲み込むように暖かく、私に纏わりついていた悪夢が一つずつ消えていく。
「爽やかないい朝だ。きっと美しい一日が待っているよ」
そうね、呟けば満足げに笑ったルークが窓を開けた。