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    riuriuchan1

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    幽霊みつやとたいじゅくん#2【月曜日】

     昨夜の出来事は頭がイカれた俺の幻覚、もしくは夢であれと願いながら重い瞼を上げたが、あいにく現実であった。目を開けた先にニコニコとだらしねえ顔で笑う三ツ谷の姿。ベッドに頬杖をついて「おはよ」と上機嫌なこいつは、もしやずっと俺の寝顔を見ていたんだろうか。見ていたんだろうな。昔もこうして俺が目覚めるのを飽きもせずじっと待っているような奴だった。
    「相変わらずかわいい顔で寝てんね大寿くん」
    「うるせえド突くぞ」
    「ははっ寝起きの機嫌が悪いのも変わらねえ」
     朝っぱらから鬱陶しく絡んでくる三ツ谷の横を抜け洗面所へ向かう。強く蛇口を捻れば水滴が服に飛んでシミを作った。……俺が変わらねえのなんて当たり前だ。俺はいっそ哀れなほど何一つ変わらなかったというのに、三ツ谷だけが変わっていった。不良にしては周囲から常識人扱いされていた三ツ谷は完全に闇に身を沈め、犯罪に手を染め、そして死んだ。
     黒い額縁の中に収まった三ツ谷の顔を見てから身体の中で渦巻いている苛立ちが、また激しく波を立て始める。熱を治めるため勢いよく冷水を顔にかけた。
    「ねー大寿くん、原宿行こうよ」
     水滴をタオルで拭きながら顔を上げると、洗面所の入り口に立っている三ツ谷と鏡越しに目が合った。掃除を疎かにしているせいで端に水垢がついている鏡には、三ツ谷の顔も胴体もくっきりと映し出されている。
    「……テメェ、幽霊のくせに鏡に映るのかよ」
    「ん? あーそうみたいだね。大寿くん以外も俺のこと見えると思うよ。なんたって普通の幽霊じゃねえから」
    「威張って言うことかよ……」
     エッヘンという効果音でもつきそうなほど誇らしげに胸を張った三ツ谷は、自分の状態について自ら告白し出す。曰く、睡眠は不要。腹は減らないし食わなくても問題ないが、飲食自体は可能。人の目にも見えるし何一つ不自由なくコミュニケーションもできる。
     都合が良すぎるなと半ば呆れながら聞いていた。事情を知らなければ人間にしか見えない。だがコイツは紛れもない幽霊で、その事実からは目を逸らしてはならない。三ツ谷隆はすでに死んでいると常に自分に言い聞かせなければ、目の前の光景に脳みそが錯覚を起こしてしまいそうだった。
    「で、原宿がなんだって?」
    「原宿にクレープ食い行こ」
    「はぁ? クレープ?」
    「俺の未練ってなんだろーって考えてたらさ、ずっと大寿くんとクレープ食いに行きたかったなあって思って。だから行こうぜ」
     放課後どこへ遊びにいくか相談する女子高生のような軽いノリで言い、三ツ谷は歯を見せて笑った。
     その軽快な様子にこちらはすっかり毒気を抜かれてしまう。クレープが食いたいなどと、なんともくだらない未練だ。しかしその未練を叶えてやらないことにはこの幽霊は成仏しない。
    「……わかった。クレープ食ったらテメェは成仏するんだな?」
    「うん、多分ね」
     さっと身支度をし、行くぞと三ツ谷の手を引く。
     とにかく一刻も早く、コイツに消えてもらいたかった。


     平日昼間の竹下通りは人が疎らだ。昨晩から雨が降り続いているせいもあってさらに人が少ない。傘を差してまで竹下通りを歩くのは観光客か俺たちくらいだった。
     そういや大寿くん仕事は?と今更訊いてくる三ツ谷に「一週間休暇を取っている」と返す。厳密に言えば“取っている”ではなく“取らされた”なのだが。立て続けに近しい者を失った俺を見かねて秘書が勝手にスケジュールを変え、無理矢理一週間の空白を作った。自分の生活──生活どころか身も心も──が荒れているのは自覚があったから、秘書が『とにかく休んでください。このままじゃ社長も死んでしまそうです』と泣いて頼んできたのも別におかしなことじゃなかった。
    「何食べよっかなあ〜メニュー変わってないよね?」
     やっぱバナナチョコかな〜あ、でもピザチーズも食べたいかも!と今にもスキップし始めそうな三ツ谷の足取りは迷いがない。一本道だから当たり前と言えば当たり前だが、それでも慣れた足取りだった。……昔はほぼ毎週通っていたからだ。この先のクレープ屋に。
     『大寿くん食うの下手!うちの妹の方がもっと上手に食べるよ』とクリームを服にこぼした俺を見て笑う三ツ谷を昨日のことのように思い出せる。三ツ谷隆は水流のようにすっと俺の心のうちに入ってきて、あっという間に満たしてしまった。春も夏も秋も冬もすべての季節に三ツ谷がいて、新宿にも渋谷にも三ツ谷と過ごした思い出がある。特に頻繁に通った原宿は三ツ谷の残り香が強すぎて、ここしばらくは足が遠のいていた。
    「決めた!バナナチョコにするわ。大寿くんは?」
    「ピザチーズにする」
    「え〜もしかして俺が迷ってたから一口くれるとか?」
    「察しがいいな。ピザチーズ食い損ねたから成仏できなかったとか言われたら困るだろ」
    「……そこは素直に半分こしたいって言うところだろ〜」
     唇を尖らせて拗ねる三ツ谷は実年齢よりずっと幼く見えた。この顔を見せる相手は俺だけなのは、わざわざ周りの人間に確認して回る必要もないほどわかりきった事実だ。三ツ谷は俺の前でだけこんなに子供のような顔をし、等身大の姿で甘えていた。その事実が今はあまりにも胸を痛く突く。
     三ツ谷の顔をずっと見ていると口が勝手にいらぬことを喋り始めそうで視線を逸らした。そして逸らした先、店先に立っていた店員と目が合う。
    「あ」
     店員は一瞬硬直した後、目も口も大きく開いた。
    「あー!!お久しぶり、えっ?久しぶりじゃないですかー!?」
    「ん?あれ、バイトのおねーさんじゃん。久しぶりだね。まだバイトしてたんだ?」
    「今はバイトから店長になったんです!それより二人とも!10年ぶりくらいじゃないですか!?てっきり死んじゃったのかと思ってましたよ!」
    「あははちゃんと生きてたよ〜店長とか超昇格してんじゃんすごいね。あ、バナナチョコとピザチーズください」
     はいかしこまりました!とクレープを作り始めてもなお、バイトもとい店長と三ツ谷の会話は止まらない。まるで井戸端会議を繰り広げる老人のようにあれはどうだこれはどうだとコロコロ話題を変え、口を閉じたら死ぬ呪いにかかっているのかと疑うほど絶えず喋り続ける。およそ10年ぶりに見た光景に俺は二人の隣で突っ立っているしかなかった。
     店長に昇格したらしい彼女は俺たちがこのクレープ屋に通い始めた頃から働いている。最初は俺たちの到底カタギには見えない光景にビビっていた彼女も、人の懐に飛び込むのが得意な三ツ谷に絆されて以来、友人のように話しかけてくるようになった。
     毎週のように来ていた客が途端に姿を見せなくなったとなれば、死んだのかと思ったと冗談を吐くのも当然だ。三ツ谷に関しては冗談ではなく事実死んでいるのだが。
     東京卍會幹部、三ツ谷隆が死亡した件はニュースにもなっていたが見ていないか、見ていたとしても結び付かなかったのだろう。半グレ組織の幹部とクレープを頬張る人当たりの良い少年が。三ツ谷は自身の中の仄暗さを巧妙に隠していたから気づかないのも無理はない。
    「そうだ、大寿くんもオーナーなんだよ。自分の店持ってんの。店どこだっけ?」
    「……恵比寿と六本木だ」
    「だって。おねーさんも今度行ってみれば?」
    「え〜私の安月給で行っていいお店ですか……?」
    「払えなくなったら大寿くんがポケットマネーで出してくれるから!ね、大寿くん?」
    「誰が出すか。完済するまで厨房で皿洗いやらせるに決まってんだろ」
    「えー怖い〜!!」
     勝手なことを言っては笑い合う二人を前にあの頃に戻ったような気分に駆られる。俺も三ツ谷も、まだ世界の何も知らなかった頃。しかしお互いだけが世界のすべてであると錯覚していた頃。
    「はい、雨に濡れないように食べてくださいね」
     できあがったクレープを受け取り店の脇へ移動する。初めに一口俺のクレープを食わせてやれば、三ツ谷はだらしなく顔を緩ませた。猫のように目を細めて笑うコイツが人に言えないことを山ほどしてきたなどと、きっと誰も思わない。
    「うめぇ〜!クレープ食うの超久しぶり!ずっと食いたかったんだよねえ」
    「いくらでも食いに来ればよかっただろ」
    「違う違う!俺は大寿くんと一緒に食べたかったの。一人で食っても意味ねえって」
     ──だから今、すげえ嬉しい。成仏しそうなくらい嬉しい。
     雨から逃れた傘の中、三ツ谷はそう言って笑った。
     俺は。
     俺はお前が『クレープ食いに行こ』と連絡一つ寄越してくれば、あるいはうちのインターフォンを一度押してくれば、いくらでもついて行ってやった。だから今の時代に合わない携帯も取っておいたし、あの家から引っ越しもしなかった。俺を選ばなかったのはお前だ──と、今更苛立ちを目の前の男にぶつけたところでどうなるものでもない。時間は不可逆だ。後悔が山ほどあってもやり直す術はないのだ。
     クレープと共に苛立ちを飲み干しながら、俺はただひたすらに、三ツ谷の笑顔を目に焼きつけた。
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