(水麿家族パロ)よその男「ただいまー」
「おかえり」
帰り着いたドアを開ければ、当たり前に妻が出迎えてくれる。当たり前、になったんだなあ、といつだって面映ゆく思ってしまうのだ。
しかしいつもなら彼より早く駆け寄ってきてくれる娘が、今日は奥から出てこない。
「……まひろは?」
コートを受け取ってくれる清麿に、物足りなさを隠しきれもせず問いかけると、彼は苦笑いをして『テレビを見ているよ』と教えてくれた。
「テレビ?」
それでもいつもこちらに来てくれるのに。そう思っているのが分かったのだろう、一緒にリビングへ歩みながら清麿が口にする。
「水心子、今日はいつもより帰りが早かっただろう。いつもは終わっている番組が、今日はまだ真っ最中なんだよ」
「なるほど……?」
リビングに踏み入った時、一人娘がぱっと振り向いて『おかえりなさい!』と声をかけてくれた。しかしこちらがただいまを返す前に、またテレビにかじりついてしまう。
分かっている。別に悪いことではない。楽しい思いをしているなら邪魔するべきでもない。けれど己がテレビ番組に負けてしまうのが悔しくて、娘たるまひろの横にそっと屈んだ。
「……なんの番組?」
「あっ、パパもみる? おもしろいよお!」
「僕らのころにもあっただろう、お兄さんとお姉さんが歌ったり体操をしたりする番組だよ」
清麿の説明に、ああ、とやっと頷く。確かに画面には二名ずつの男性と女性。なるほど、いつもはこの番組が終わったころに帰宅していたのだ。十年以上も観ていなかった番組はキャラクターも様変わりしているのに、どこか懐かしくもある。
「わたし、うたのおにいさんがすき! ママはたいそうのおにいさんがすきなんだよ!」
弾むようなまひろの言葉に、表情が固まる。へえ、と返しながら、うまく笑えない水心子を、清麿がしまったとでも言い出しそうな顔で見た。
「……よその男がいいのか……」
「よそのおとこ」
「水心子その言い方やめよう」
おうむ返ししたまひろの口を両手で塞いで、清麿が焦った顔をする。
毎日家族のために一生懸命頑張っていても、そのころ妻子は他の男に見惚れていたのだ。そう思うとなんとも虚しく、落ち込みかけるのを必死に堪える。
「い、いや……他者から学ぶことも必要だな、二人はこの男どものどこがいいんだ?」
「このおとこども」
「水心子言い方」
まひろがなにかを学習するように頷くのを、清麿はやはり焦って見下ろす。
ええっとね、と娘は嬉しそうに紡いだ。
「わたしはね、おうたがうまいところがすき! ママは、たいそうのおにいさんはせがたかくてかっこいいって!」
水心子が床に撃沈するのを、娘は不思議そうに見つめていた。
「……勝ち目がないじゃないか……!!」
水心子は音痴であり、清麿より背が低いのである。思えばまひろに歌をせがまれても、ろくに歌ってやれたことがなかった。それで寂しい思いをしたからきっと歌の上手い男に惹かれるのだ。なにもかも努力を怠った己が悪い。……しかし、清麿が背の高い男に惹かれるのは、もう努力なんかではどうにもならないではないか。
どうしろというのだ。今頃になって牛乳でも飲んだらいいのか……。そう床のカーペットを見つめて泣きべそをかいていると、待って待ってと清麿の手で引き起こされた。
「水心子、違うからね、スタイルがよくて憧れるねって話をしただけで! 君がどうとかではないんだから!」
「だって、だって、僕にふまんがあるから」
「そんなわけないだろう! もう、どうしてそうなるんだい」
呆れた顔をした清麿が、よしよしと頭を撫でてくれる。まひろは不思議そうなまま、パパなんでなきそうなの、と首を傾げた。
「まひろ、パパはね、やきもちを妬いてしまったんだよ。まひろと僕がお兄さんたちのことを好きだって言ったから」
清麿の説明に、まひろが目を丸くする。
「パパ、そんなおばかさんなことかんがえたの?」
馬鹿、がぐさりと刺さる。胸を押さえた時、清麿が違う違うと肩に触れてくれた。
「水心子、やきもちなんて妬く必要がないのに、ってことだよ。ね? まひろ」
こくこく頷く娘が、胸に飛びついてくる。反射で抱きとめると、えへへと太陽のような笑顔が向けられた。
「おにいさんたちはすきだけど、パパがいちばんだよぉ! パパとママが、いっちばーんかっこいいの!」
──わたし、ようちえんでいつもじまんしてるんだから!
最愛の、娘の言葉に、笑顔に、心がほどけて温まっていく。潤む目を隠してぎゅうと抱きしめると、腕の中でまひろはけたけた笑った。清麿がほっとしたように微笑んでいる。
そうか、自慢なんてしてくれているのだ。今のところはまだ、娘にとって誇らしい父親でいられるのかもしれない。それならもっと向上心を持っていかなければ。末永く、彼女の自慢の父でいられるように。
「ま、まひろ、僕も歌の練習してみようかな。聞いてくれる?」
しかし彼女はううんと首を振る。
「いまは、おにいさんのおうたきく」
再度視界をカーペットで埋め尽くした水心子に、清麿が頭を抱える。
「結局よその男がいいんだあああ」
「水心子、もう、タイミングを考えようよ……!」
「よそのおとこのおうたはじまったー」
マイペースにテレビに向き直るまひろは、歌うお兄さんを見てうっとりしている。
こうやって親離れをしていくのだ。そう思い知らされてまた泣きべそに戻ってしまった水心子を、清麿が仕方なさそうに抱き寄せてくれる。
「君も、すこしずつ子離れ、覚えようね」
それからまひろ、よその男って言葉幼稚園で使っちゃだめだよ。そう伝える清麿に、まひろは『じゃあ、なんかいせんせいにおしえるね』とテレビを見たまま返すので、それはやめてくれと水心子が縋る羽目になった。