2023.1.9「プロ忍」長らく降った大雨がやみ、久しぶりに晴れた日だった。
雲ひとつない空で煌々と輝く月が全てを照らす、忍には明るすぎる月夜の晩。
潮江は窓から降り注ぐ月光と灯火を頼りに忍隊の報告書をまとめていた。
部下達からの報告書全てに目を通し、必要な情報をすらすらと書き連ねている時だった。
「……ただいま」
えらくボロボロになった食満が執務室の障子を開いた。
「───おかえり、遅かったな。それにしても随分と男前になってご帰宅で」
「うるせえ」
筆を止めて笑いながら出迎えてやると、不貞腐れた仏頂面で食満が室内に足を踏み入れた。
頭の先から足の先まで、ざっと見てたが命に関わるような大怪我はないが、細かい切り傷、擦り傷、打撲傷などは負っている様だった。
服を汚す血はほとんどが返り血のだったが、長く続いた大雨のせいで泥が跳ねたのか泥汚れも酷かった。
机越しに座った食満に手拭いを差し出してやると、すまんという一言ともに受け取られた。
十日前、とある国同士の戦場へ偵察忍務に向かっていた食満の率いる忍隊が大雨による山崩れで足止め食らったと報告が届いた。
雨がやむまでは大人しくしておくという報告書を読みながら潮江は雨がやめば、すぐに帰ってくるだろうと思っていたのだが、長雨がやみ、他の部下達が帰ってきても食満だけが帰ってこなかった。
「それで? なんで帰って来なかったんだよ」
筆を置いて肘をつきながら訊ねると、食満が大きく息を吐いた。
「山崩れを迂回して戦場から離れるところまでは良かったんだが」
「ああ。報告も来てた」
「なんとか野営する場所とか見つけて雨が止むまで留まるかって思ってたら……」
それで?と視線で話の続きを促すと食満は疲れた表情で口を開いた。
「合戦場に来てた小平太と遭遇した」
「…………うわぁ」
潮江が思わず気の毒そうな声を上げると、食満が疲れた顔のまま話を進める。
「戦をしてるのが小平太のとこの国だからな。同盟国だから敵意が無いのはお互い分かってるが、一応こっちは合戦場に忍び込んでる側って事もあって。お互いに部下がいた手前、仲良く話すって訳にもいかないし鍛錬がてら遊ぶ口実を得たと言わんばかりの小平太との追いかけっこが始まって……本当、真っ直ぐずーーーーっと俺だけ追いかけてくるし、別に良いけど本気出してくるし、国境に向かおうとすると逃がさない様にわざと追い込んでくるしで……三日三晩走り回るなんて学園の時でも滅多にしてねぇよ」
そう言いながら食満が潮江の隣に近付いてきた。
胡座をかいた潮江の膝に頭を乗せて食満がゴロンと床に寝そべり疲れたと言いながら手で目を覆った。
完全に脱力した様子を見て、潮江も心の中で、ご愁傷様と手をあわせた手を合わせた。
七松もプロの忍者な訳で。
実力なんて昔からよく知っている身としては、無尽蔵の体力を持つ彼との本気の追いかけっこは避けたいところである。
頭巾と髷を解いてやって頭、労わるようにを撫でてやると食満が体の力を抜いたのが伝わってくる。
「あー……組頭殿、報告書なんだが明日でいいか」
「それは構わん……だが風呂には入れ。まだ火は落として無いはずだから汚れも垢も落としてこい」
「助かる、マジで疲れた」
そう言いながらも起き上がる気配のない食満に潮江は呆れながら足を揺らすと仕方なさげに食満が体を起こした。
「……少しくらい寝かせてくれても良いだろうが」
「アホか、足が痺れる。布団敷いて待っててやるからさっさと入ってこい」
「わーったよ」
筆を手に取って報告書をまとめる作業を始めると食満が渋々といった様子で立ち上がり執務室を出ようと障子を開いた。
出て行こうとする食満に潮江が声をかけた。
「───ああ、そういや留三郎」
「うん?」
呼び止められた食満が振り返ると潮江が悪戯っぽく笑っていた。
「布団は一組でいいか?」
「え」
「添い寝くらいならしてやるよ」
「……手ェ出しても良いなら」
「その気にさせてくれるなら、な」
潮江はそう言うと視線を食満から机の上の報告書に移した。
「その気じゃねえと、こんな時間まで起きて報告書まとめたりしてねぇだろ」
そんな声と共に影が落とされる。顔を上げると食満が立っていた。
「すぐ戻ってくるから待ってろ、バカタレ」
少し屈んで、食満の顔が近づいてくる。
「……うるせえ、バカタレ」
目を閉じると、食満の唇が重ねられた。
end.