正しいからこそ ぐしゃり、と音がした。
それは生まれた頃から知っているような、何度も何度も行っているから気にしなくなったような、だからこそ““それ””が何であるかなんて考えもしくなった、耳馴染みの、そんな音。
ぐしゃり、と踏みしめた。
ぐしゃり、と崩れた。
ぐしゃり、と割れた。
ぐしゃ、ぐちゃ、べちゃくちゃ、びちゃびちゃぺちゃぺちゃ、ぱちゃぱちゃ、ぽちゃぽちゃ、ぐちゃっ、ああ、まだまだ踏みしめる事が出来る。
昔から風邪一つ引いたことこないこの頑丈な身体が、雨の日だからと外遊びを我慢出来る筈もなく、風神ヴァーユの子たる自分なら、あまりの大嵐にあってしまっても、視界を遮られる事はなかった。
雨が少し止んできて、雨で泥濘んだ地面を踏む時の音が、今自分の足の裏から聞こえる。
楽しいはずの、幼い思い出がーー。
花を踏み潰すだけの趣味の悪いものへと変わっていった。
『ビーマ』
ふと、気に食わない従兄弟の声が聞こえた気がした。一体、どこから?
『ビーマ』
甘く優しい声色は、毒入りの料理を食べさせられた時ぐらいしか自分に向けられた事はない。
『ビーマ』
だからこれは夢なのだろう。
既に妻も娶り子を成した自分が見るには些か幼すぎる過去の夢。まだ、森から宮殿に移っていない本当に幼い頃の夢の記録。
『ビーマ』
とろけそうな程に甘い声。
大量のギーで満たされた壺から生まれた従兄弟は、同じ肉から分かたれた弟と妹にしかそんな顔も声も向けないものだと思っていたのにーー。
『ビーマ』
だから、我慢できたのに。
『ビーマ』
あの日、御前試合でアルジュナの弓の腕を大勢の人々が称えていた日。乱入してきた後に兄だと分かる年上の男。
お前、初対面の御者の子にもそんな顔が出来たのか。そんな声を向けられるのか。
知らなかった。じゃあなんで、俺は駄目なんだ?
『ビーマ』
ああ、うるさい。
ぐちゃぐちゃ、ばしゃばしゃ、ガンガン、ガンガンゴンゴン、バキン。ああ、ようやく割れた…?
『ビーマ』
やめろ…。
『ビーマ』
やめろ…。
『ビーマ』
そんな目で俺を見るなーー。
『ビ』
周りの声も聞こえない程夢中になって踏み荒らした地面には、美しい花が泥と血に濡れて無残に踏み荒らされていた。
『失望したぞ、ビーマセーナ』
何の温度も宿っていない、見るに値しない物が自分の視界に入っている時、コイツはこういう目をするらしい。
誰より優先されて然るべき。愛されている事が当たり前だと、世界は自分のものになると信じて疑わない馬鹿なアイツは飽きっぽいくせに、なんでもかんでも欲しがるから、いらなくなった物を他者に譲る姿なんて幾度でも見てきたのに、知りもしなかった。
眼の前のものからコイツにとっての価値が失われていく様子を見続けて、真っ白な布に落ちて、どれ程手を、手間を加えても消えない染みを見る目。
少しの瑕疵ですら自分の為に献上された物を貶し手放す理由にならないと、不格好な花束を渡されて微笑むアイツを知っていたからこそ、そんな目をするなんてーー、知らなかったのだ。
自分から目を逸らす労力よりも、眼の前にあるものが退かされる方が早かろう。そんな顔で俺を見るドゥリーヨダナ。俺の宿敵。
神々から祝福の花を送られるアイツは確かに美しかった。踏み潰して汚してしまえば誰のものにもならずに俺のものになると思ったのに、結果俺のものにもならなかった。
そんな目で俺を見るな。