花明りに色めいて「勇さん、ちょっと付き合ってもらってもいいですか?」
冬の寒さも和らぎはじめた頃から、忙しい日々の合間をぬって小瀧が南海を誘う事が増えた。その内容は様々で、単純に買い物に付いてきてもらったり、一人じゃ続かないからと体力作りに付き合ってもらったり、新作のスイーツがあるから食べにいってみたり……、と日常の延長やちょっとした息抜きの時間がほとんどである。
そうした小瀧の誘いに付き合っていた南海は、前よりも息を抜く時間が増えたような気がしている。
買い物も、トレーニングも、スイーツを食べるのも、一人で出来る。それでも、小瀧に誘われるまま二人でしていると、昔を思い出すのだ。
一緒にお使いにいって、サッカーを教えて、おやつを食べる――毎日が充実していたあの頃みたいに、満たされるようなそんな気持ちになる。
小瀧がそれを意図してるのか、単純に南海といる時間を求めているのかは定かではないが。
そうして、暖かさと共に春を告げる花が咲き始めた頃――
「亮輔、今からちょっと付き合ってくれないか?」
夕方、仕事を終えて帰宅した小瀧の元に南海が訪れる。いつものシャツ姿ではなくレザージャケットを身に着けた姿に珍しさを覚えつつも中に通そうとした小瀧を制して、玄関前で南海の方からいつも小瀧が言うような誘い文句を口にした。
「? いいですよ。勇さんからなんて、なんだか珍しいですね」
急だなと思いはしたが、とくに用も無い小瀧は二つ返事で頷くと出掛ける準備をはじめようとするが――
「ちょっと待ってくれ」
南海が急にそういうものだから手を止めて、不思議そうにそちらへ視線を向けると南海の手には大きなボールのようなものがある。何かと思って目を凝らすと、バイザーのようなものが見えてようやく合点がいった。
「……ヘルメット?」
「バイク持ってきたんだ。お前とはまだ乗ってなかったから」
「えっ、勇さんバイク乗れるの!?」
「……まだ話してなかったか?」
「聞いてないですよ!」
南海から差し出されたヘルメットを流れで受け取りつつも小瀧は驚いた様子でそれと南海を見比べる。車を購入するまでの南海は大体徒歩で出掛けており、バイクに乗ってるのを見た覚えは一度もない。
「ここにバイク置いてないですよね?」
「許可もらって薬局の方に置いてたからな」
南海の言葉に見た覚えがないのもしょうがないと納得がいく。思い出せば今日みたいなレザージャケットを着ている日が無かった訳では無い。あれは、徒歩でオオハギ薬局までいってそこからバイクを乗っていたということだろう。
「へえ……ええと、厚手の長袖がいいんです?こういう時」
「ああ」
ヘルメットを一旦南海に押し返して、小瀧は上着を改めて探す。仕舞いそこねてた冬物のジャンパーを引っ張り出して着ることにした。
「手袋使うか?」
「ありがとうございます……ううん、ちょっと緊張するな」
小瀧自身は車の免許はあれどバイクに乗るなんて今まで経験がないので、うまく出来るのだろうかと不安を感じながら、南海から借りた少し大きめのバイク用手袋を履いて、ヘルメットをかぶる。
南海も同じようにヘルメットをかぶると、停めてあるバイクに跨り、タンデムシートを軽く叩いて小瀧を呼ぶ。
「失礼しま〜す……」
南海の肩に手をおいてバイクに跨ると手や足を何処におけばいいのかと所在なげにしてしまう。
『足はステップがあるからそこに置いて、膝はバイクとか俺を挟むようにするんだ』
「えっ、あ……インカムついてるんですかこれ。今時だなあ……」
『それは後でいいから、手は……俺の腰掴んでろ』
「はい……ええと、こう?」
小瀧は言われたとおりに足をタンデムステップに置き、膝に力をこめて南海の腰を掴む。今からそれだけでバイクから振り落とされないようにするのかと思うと不安もあるが、それ以上に距離感が近くてなんとなく緊張もしてしまう。
『よし、じゃあ行くか……何かあったら声かけてくれ』
「わかりました。お願いしますね」
一呼吸おいて、ドゥン!と大きな音が鳴り、バイク全体が震える。小瀧は思わず身を竦ませるが、すぐに南海の腰をぐっと掴んだ。なんどかエンジンが大きく音を鳴らすと、ゆるやかにバイクが動き始めた。
「……わ、」
ぐん、と身体が引っ張られるのを感じつつ景色が流れはじめるのを見れば小瀧は小さく感嘆の息がもれる。
町中を走ってるうちはそれほどでもなかったが、町を出て郊外に向かうにつれてバイクは快調に走りはじめた。
『亮輔、つらくないか?』
「あ、大丈夫、です!」
『まだしばらくかかるから、何かあったらすぐ言えよ』
「はあい」
最初こそ緊張していたが、南海が気を遣っているのもあって小瀧が思っているよりもすぐにバイクに慣れることができた。直接感じる風や景色も新鮮で、そしてなにより眼の前にある大きな背中になんとも言えない安心感がある。
快調に走るバイクは、日が落ちる頃には山間の道を走り始めていた。続くカーブにやや目の回る感覚がして南海に声をかけると、ほどなくしてパーキングエリアにバイクが停まる。
「……大丈夫か?」
バイクを降り、地面に腰をおろして一息ついた小瀧の元に、南海が自販機で買ってきたお茶を差し出す。それを受け取って勢いよく飲むと、思わずぷはあ、と声が出た。
「……はは、ちょっとおじさん過ぎますね」
「いや、無理させてたみたいだな。すまない」
照れくさそうに笑う小瀧を見れば南海は申し訳無さそうに眉を下げた。長距離を走るならもう少しバイクに乗ることに慣れさせてから行うべきなのだが、小瀧が今回はじめて乗るにも関わらずここに来るまで1時間程バイクを走らせている。
やはりもう少し配慮してやるべきだったか、と南海が渋い顔で反省していると小瀧が飲んでいたお茶を南海に差し出した。
それに気が付いた南海がお茶を受け取ろうと手を伸ばせば、小瀧は目を合わせてにっこりと笑ってみせた。
「なんだか心配してますけど、僕はすごく楽しいですよ」
「……楽しめてるか?」
「うん。勇さんが誘ってくれたんだから、楽しくない訳ないでしょう?」
「そういう事じゃなくてだな……」
冗談めかす小瀧に「本当に心配しているんだ」と南海が言えば小瀧は苦笑しつつ立ち上がり、大きく伸びをする。
急にどうしたかと怪訝な顔をする南海をよそに、そのまま近くのガードレールによりかかった。
夜空には大きな月が輝き、道路越しの山肌には月明かりと街頭に照らされた木々に混ざって桜が咲いているのがみえる。小瀧はそれをじっと見上げたまま話し始めた。
「車とは全然違って、大変ですよ。でも、楽しいのは本当です。こう、身体が風を切る感覚とか、服とかヘルメット越しでもこんなにわかるんだなあって」
「……そうか」
「この桜もすごくいいですよね。ライトアップされたのもいいけど、自然の中を生きてるって感じで」
「……ああ」
「ねえ、勇さん」
どことなく上の空な返事をする南海に小瀧は桜から改めて視線を南海へと向ける。
「どうして急に連れてきてくれたんですか?」
「……桜が見たいって話していただろう? それで、ここの桜を思い出して……ここに来るならバイクがいいからな」
「桜が〜……って、職員室で他の先生と話してたヤツですか?」
小瀧の問いに南海は頷く。直接話した訳ではなく、職員室で別の教師と話題にしていたのをたまたま聞いて、そこから思いついたのだ。
せっかくだからバイクに乗ろうとしたのは、些か気が早かったようだが。
「亮輔が俺を色んな所に連れて行ってくれるだろう? だから、俺もお前を誘ってもいいんだな、と」
今までは用事がなければ家でトレーニングをして、なんとなくテレビを見て……と過ごしてしまう事も少なくはなかったが、最近はそこに小瀧が声をかけてくるようになり、出掛ける事が増えた。
思えば、南海が出掛ける時は大体誰かから声をかけてもらう事が多かった。自分から誰かを誘って……というのはあまりない。バイクだって、乗りたくなったら一人でツーリングをして帰って来るばかりで誰かと一緒にというのは、思い出す限り数えるほど。
けれども、今日小瀧が桜をみたいと聞いた時、なぜかここに連れてこようと南海は思ったのだ。いつも何度と無く誘ってくれた小瀧なら、きっと誘いに頷いてくれるだろうと。
「……うん、そうですよ。僕は勇さんの好きなもの、もっと一緒に見たいし知りたい」
「俺の好きなもの……?」
「そうでしょう? バイクに乗るのも、このあたりの桜がきれいなのも勇さんが好きだから僕に見せてくれたんじゃないですか?」
小瀧の言葉に南海は「そうだったのか」と小さく呟いた。たしかに、バイクで走るのは気持ちいいし、公園に並ぶ桜と違う斜面に力強く咲く桜は独自の美しさがあるとは思っていた。ただ、それが好きという感情だった事に今まで気が付いていなかった――いや、きっと、忘れていたのだろう。
南海は静かに口元で笑みをつくりながら、小瀧の隣に並び、ガードレールによりかかると桜を見上げた。
「……そうだな。そう、綺麗なんだ――それを、見て欲しかった……いや、お前と見たかったのかな」
「僕はいつもそうですよ。一人が寂しいのもあるけど……勇さんと楽しみたい。一緒にいるって、そういう事の積み重ねなんでしょう?」
「ああ」
春の風が吹き抜けて、肌をくすぐる。南海は大きく深呼吸をした。小瀧も、それにならうように深呼吸をして、お互い顔を合わせてはにかんだ。
「もっとやりたい事探しましょう。勇さんにも、あるでしょ……そういうの」
「そうだな……色々、あるんだろうな」
南海の中に復讐という暗く重い枷が繋がれていた日々の中で、色褪せていったものが確かにあった。今はそれが何でどんな色をしていたかすぐには思い出せないけれど、これからこうして少しずつ取り戻していけばいいのかもしれない。色も、感情も。
「僕はありますよ。夏になったら、またお祭りも行きたいですし」
「……、お前は昔から好きだったよな。祭りに行くの」
「それはお互い様でしょ。勇さんだってずっと型抜きしてた事ありましたよ」
「そういやあったな、そんなこと」
子供の頃にやたらムキになって型抜きをやってた事を思い出す。あの時は、結局簡単なポットみたいな形をおまけで成功した事にしてもらったのだ。
懐かしさを覚えつつも、思い出話がはじまればしっと時間があっという間に過ぎてしまう。南海はガードレールによりかかるのをやめると、バイクに近付きヘルメットを手に取った。
「そろそろ行けるか? あまり遅くなって、明日に響いたなんてなったら困るからな」
「行けますけど……一言多いんですよ」
「ふふ、悪かったな」
む、とむくれた顔をしながら小瀧もバイクに近付いて自分のヘルメットを手に取る。それを被ってタンデムシートに座ると、南海もバイクへと跨った。
「帰る前にラーメン食べていきましょう」
「……それなら、いいところがある」
「よし、決まり! じゃあ、よろしくお願いしますね」
小瀧は合図の代わりに南海の腰をぐ、と掴んだ。ほどなくしてエンジンがかかり、バイクは速度を上げて走り出す。
テールランプが大きく弧を描き、山間の道を下る。
春の風に、はらはらと桜の花びらが宙を舞っていた――