同じ気持ちを分け合えたなら 圧巻のパフォーマンスだった。三度目ともなれば観客たちも見飽きてきた頃だろうなどと本人は嘯いていたが、回を重ねるごとに確実に進化していく演出に飽きるという感想を抱くことはない。それくらいサンダルフォンのライブステージは素晴らしかった。
この世界の時節柄無観客ではあったが、出番を待つ演者やスタッフが万雷の拍手を送る。グランもまた控え室で手を打ち合わせていた。けれどその表情は――暗い。
「はぁ……」
幾度目かのため息が漏れる。知らない人が見れば初めてのライブ本番に緊張しているように映るだろう。しかしその内実は違った。
トップバッターを勤めたサンダルフォンの歌唱は脳裏に強く焼き付いていた。伸びやかな歌声もさることながら、ヒールが打ち鳴らすステップ、細い指先の所作、力強い視線の動きのひとつひとつ。そして舞台に美しい花を添えた、元天司長の姿まで。
毎年表現方法こそ変われども、ルシフェルが関係してくることは変わらない。二人の間に結ばれた絆は長きに渡る隔絶を経てより強固に結び直された。それを再現するかのような演出は美しく、心を惹きつけられてやまない。
だからこそ――どうしても、感じてしまう。
二人の間に入る隙間など、本当はただの少しも残されていないのではないかと。
実のところグランはサンダルフォンとお付き合いをしていた。グランの強い押しがあって成就したものだが、サンダルフォンもまたグランのことを好いてくれている、そのことに疑いを持っているわけではない。多くを語りたがらない彼が、グランのことを好きだと口に出してくれたこともある。その度にどうしようもなく走り回りたい気持ちになったものだ。
にもかかわらず。ルシフェルの存在を突きつけられる度に、どうしようもなく落ち込んでしまう。
切っても切り離せない存在であることは理解しているつもりだ。忘れろと言いたいわけではない。それでもただ、寂しい。
「もうすぐ出番でーす」
「おうよ!」
スタッフの呼び声にビィが応え、ジータとルリアが席を立つ。グランものろのろと立ち上がった。
「そろそろか」
聞き慣れた声にガバリと振り返る。自分の舞台が終わっても楽屋に戻ってくることのなかったサンダルフォンが、いつの間にかドアの近くで腕を組んで立っていた。グランは慌てて笑顔を取り繕う。
「あ、サンダルフォン」
手を上げて挨拶するが、対するサンダルフォンはすぐに眉をひそめた。
「どうした? 元気がないようだが」
「いや、そんなことは……」
思わず視線が泳いでしまう。すると隣に金髪が立った。
「グランったらさっきから湿っぽくて。一発キスでもして元気入れてきてくれない?」
「ジ、ジータ……!」
肩を掴んで制止しても既に言葉は飛び出した後だ。ビィは目を丸くしているしルリアは赤い頬に両手を添えている。グランも顔に熱が集まるのを感じていた。一方ジータはペロリと舌を出すだけだ。絶対に楽しんでいる。
問題のサンダルフォンはというと、ただ小さく、ため息をついた。
「何を言っているのか理解に苦しむが……確かに少し話す必要があるようだな。少し借りるぞ」
「オッケー! じゃあ私たちは先に行きましょ」
「わかりました!」
「あんま遅くなるんじゃねぇぞ」
三者三様の返事をしながら、ジータたちは楽屋を出て行き、バタンと扉が閉まって。
だだっ広い部屋に二人きり、残される。
グランが会話の糸口を思いつく前に、サンダルフォンは単刀直入に切り出した。
「何か思っていることがあるなら言うといい」
「…………」
「俺の舞台を見たんだろう」
そこまで追い込まれれば、もはや降参するしかなかった。まごつきながら、できるだけやわらかい言葉を探しながら、グランは恐る恐る口を開く。
「やっぱりサンダルフォンとルシフェルさんは、強い絆で結ばれてるんだなって」
「…………」
経験が浅いグランにも分かる。こんなことは本人に言うべきではないのだ。申し訳なさと恥ずかしさでまともに顔も見れないまま、出来るだけ不快にさせまいとフォローを重ねる。
「別に、どうしてほしいっていうのはなくて。ただ僕が、子供なだけなんだと思う。あはは、ごめんね。ナンセンス、だよね。すぐ切り替えていくから」
早口で捲し立てていると、それまで口を挟まなかったサンダルフォンが不意に呟いた。
「別に、子供か大人かということは関係ないだろう」
「でも」
「……仕方ない。ひとつ教えてやろう」
そこで、言葉が途切れた。おずおずとグランが顔を上げるのと、サンダルフォンの瞼が閉ざされるのは同時だった。
一瞬の間の後。
「俺が君等に対して、本当に何も思うところがないと思っているのか」
「――え」
はたり、瞬きをする。目の前の青年は目を閉じたままだった。
さっと脳裏をよぎるのは、先ほど楽屋を出て行った二人と一匹の姿。思えば当然のように隣にいた。何の疑いもなく。ビィは古くからの相棒であり、ジータは騎空団を取りまとめるのに欠かせないパートナーだ。そしてルリアとは命のリンクで繋がっており、物理的に距離を取ることは死を意味する。近くにいることは息をするより当たり前のことだ。
けれど、言われてみれば。傍から見れば、それは。
「行く先々で君等が恋人同士に間違われたことが、果たして何回あったかな」
「う……」
何の悪気もなくそんな言葉を掛けられることが何度もあった。仲がいいね。お似合いだね。付き合ってるの? 最初こそ恥ずかしがっていたが、最近では耐性もついて受け流すことができるようになった。それらの台詞にいちいち何かを思うことさえしなくなった。
とはいえサンダルフォンと恋仲になった直後は、そう言う場面に遭遇する度悪いなという気持ちもあった。
けれど、サンダルフォンが何の反応も示さなかったから。その現場に出くわしながらも眉ひとつ動かさず、ただ傍観しているだけだったから。数千年を生きる天司にはこの程度のこと些事なのかと、気にしているのはこちらだけなのかとそう解釈して、それ以降気に留めることもなくなった。
けれどもし、そうではなかったならば。
「……ナンセンスだ」
サンダルフォンは自嘲気味に口の端を歪める。
「こんなことを伝えたところで何の解決にもならない。だが」
うすら、サンダルフォンが瞼を持ち上げる。戦闘の時や歌唱の時、真剣な時は冴え冴えとした光を湛える深緋色の瞳が、今は柔らかく細められている。
「同じ気持ちを抱えている者が居ると知ると、少し心が和らぐだろう」
「サンダルフォンも、和らいだ?」
そう、問えば。サンダルフォンは面食らったような顔をした後、やおら肩を震わせた。
「君は少し、分かりやすすぎだ」
呆れたように小首を傾げながら、サンダルフォンがこちらに伸ばす。
「帽子が曲がっている」
気づけばすぐ目の前に整った顔があった。どきり、グランの心臓が跳ねる。
きゅっと帽子の歪みを正して離れていこうとする指を、思わず捕らえた。
「サンダルフォン……」
踵を浮かせて、背の高い恋人との距離を縮める。サンダルフォンもまた目を伏せて、僅かばかり屈んでくれた。この瞬間がグランは好きであり、好きではなかった。けれど今はともかく、唇を近づけて――
「グランさん、お早めにお願いしまーす!」
「うわっ!」
ドアの外から響くスタッフの呼びかけに、全身がびくりと震えた。
「あっ、えっと、はーい! すみません!」
「ぷっ、くくく……」
堪えきれなくなったように、サンダルフォンが噴き出す。今の自分は、きっと顔が真っ赤だろう。動転して、思わず拳を作る。
「ちょっと、もう!」
「はは、悪かった」
彼が指先をふわりと動かすと、水色の光がグランの顔や首周りに集まる。真冬に船室から甲板に出た時のようなひやりとした冷気が肌を撫でた。
「そんな顔では舞台に立てないだろう。すぐに消えるから、そのまま行くといい」
「うう、ありがと、サンダルフォン。僕もう行くね」
スタッフに呼ばれてはさすがに急がざるを得ない。足早にドアの前まで進んで、そこでふと、振り返る。
「ねえ、今日のイベントが終わって、警備の仕事とかもひと段落したらさ、その」
こういう時のスマートな言い回しが未だに思いつかない。焦っているから余計に頭の中は真っ白なままで、グランは途方に暮れる。
先を続けてくれたのは、やはり大人の彼だった。
「カフェで、待っている」
「……うん! 絶対行くから!」
大きく頷いて、そのまま楽屋を飛び出した。恥ずかしさで再び顔に血が集まるが、涼しい風が端から冷ましていく。それでも舞台袖に着く頃には彼の言った通り、優しい水の元素は跡形もなく消えていた。
振り付けを確認していたジータがグランの到着に気づいて笑顔を向ける。
「キスしてもらえた?」
「それは、夜に」
精一杯、なんでもないことのように答えれば、ジータは目をぱちくりさせた後その笑みを濃くした。
「へぇ。じゃあ明日は根掘り葉掘り聞かないとね?」
「絶対やめてくれ!」
この話は終わり! とグランは手を振る。袖から見えるステージではカリオストロが歌を披露している最中だった。この後ビィのMCを挟んで、グランの初ライブが始まる予定だ。サンダルフォンも、きっと見てくれる。
「……よし」
まだ頬の熱は残るものの、先ほどまでの鬱々とした気持ちは消えていた。
まずはこの舞台を成功させることが第一だ。終わったら引き続き会場警備の仕事がある。けれどそれも、終わったら。
香ばしい珈琲のにおいと焦がれてやまない恋人の笑顔が、きっと待っていてくれる。