あなたに毛布、ゆたんぽ、そして 中央の城下街に出掛けて帰ってきた晶が自室に戻る道すがら談話室を覗くと、ミスラが中でソファに横になっていた。長い足がアームレストから大きく飛び出して、二三人はかけることができるソファなのに窮屈そうに見える。
以前は眠れる場所を探して徘徊していたミスラも、このところは場所ではなく晶を探すようになり、その辺に落ちているといったことは殆どなくなった。しかし晶を探すのも億劫なときはまだ手近なところで転がったり伸びたりしているらしい。双子からは、入浴中に気がついたら沈んでいたこともあると聞いた。眠ることはできないが気絶はするようなので、気を付けてと日頃から言ってはいるが晶とて眠気が抗いがたいものなのは知っている。疲労感と合わされば座ったまま立ち上がれないことだってあるのを身をもって知っているからこそ言って聞かせるのだが、それでも落ちるときは落ちるものだから仕方ない。
あそこで横になっているミスラはどうなのだろう。気絶してしまったか、眠れないのを分かっていてただ休んでいるだけなのか、晶は少し迷って談話室に入っていった。
丁度いいといっていいかは分からないが、膝掛けが安く売られていたので買ってきたのだ。自分で使うつもりだったがまた買いにいけばいいし、ミスラも要らなければ返してくるだろうと考えながら紙袋から膝掛けを取り出したが、ミスラは身じろぎひとつしない。
意外だった。気絶しているにしても眠ることはできないはずだから、物音を立てれば億劫そうに瞼をもたげた彼がこちらを見て何事か言うのではないかと思い身構えていたのだが、隈を作った目元は静かなままだ。
しかし、そういう気分なのかもしれない。分かっていて反応を示さないだけだろうとあまり気にせず、晶は膝掛けを広げてミスラにそっとかけた。
薄手の毛布のような素材で作られた膝掛けは、ミスラほどの体格の男がかぶると随分と小さく見えて、それだけで可愛らしく見えた。小さいものは『可愛い』と結び付きやすいが、それがミスラと組合わさることにより、いま晶の中で不思議な化学反応が起こっている。
どんなことを考えているかなんて晶自身にもよく分からないし、たとえミスラに詰め寄られても答えることはできない。語彙力さえ滅んだし、視線など合おうものなら見つめていることと呼吸することしかできないだろう。
晶は、溢れてきそうな感情のなれの果てを押し留めるように口を塞いでその場を後にした。それゆえ、ややあってミスラが目を開けたことは知る由もなかった。
◆◇◆
本当は気づいていた。気づかないわけがなかったし、何なら一番近くにきたタイミングで脅かしてやろうかななどと考えていた。しかし、晶はそれを封じるかのようにこの毛布のようなものをかけていったのである。
あんな風にしてもらったのは初めてだ―とミスラは雑に振り返って薄手の毛布のようなものに鼻先をうずめる。記憶にいまひとつ曖昧な点がいくつも存在しているので確かなことではないだろうが、少なくとも自分が記憶する限りでは初めてだ。家族というものはいなかったし、チレッタだってたぶんあんなことはしてくれなかった。
それだからだろうか、何とも言葉になってくれない感情が飛び回っているようで煩わしいのだが、同時に奇妙な安らかさもあった。どういうわけかはまったく分からないが、自分の体の上にこの毛布がふわっとかかった瞬間、寝入り端のような、春がきたような、そんな心地になったのだ。
そういうわけで脅かしそびれた。自分が何を感じたのか探っている間に晶はいってしまったので、さっぱりしないままひとまず目を開けてみた。いつもどおり眠くて、でもこんな小さな毛布程度でなにか違う気がしているのは、気のせいか否か。分からないけれども、これは悪くない。
夜になり、自室で転がっていると陽気そうなノックがしてドアの向こうからルチルの声がした。
「ミスラさん、こんばんは!」
「こんばんは」
ミチルの声もする。比較的早寝の彼らの就寝時間も近いが、何の用事だろうか。ベッドから降りるのは億劫なのでその場から魔法でドアを開けてやると、部屋着姿のふたりが立っていた。夜だというのに陽光のような笑みをたたえたルチルの横で、布に包まれたなにかを抱えたミチルがにこにことしている。
「何です? 寝る時間でしょう」
「はい。でも、その前にお届けものです」
「頼んだ覚えはありませんけど。……まあ、どうぞ」
ふたりになにかを頼んだ覚えはないが、しばしば人の話を聞いていないとか、話が噛み合っていないと言われることがあるので、もしかすると覚えがないだけで頼んだのかもしれない。まったく覚えはないけれども。
しかし、いい加減にあしらおうとするとこの兄弟はすぐに気づくので面倒なことになる。ここで騒がれるとすぐフィガロが出てくるであろうことは眠かろうが分かるので、ミスラは仕方なしに二人を招き入れた。
すると、部屋に入ってくるなり二人はベッドの傍らにやってきて、上掛けの足元をめくるとルチルがミスラの足首をガシッと掴んだ。
「うわっ、冷たい!」
「うるさいな……。本当に何しにきたんですか」
「ミスラさん、これをあげます!」
ルチルの隣でそう言ったミチルは、手に持っていたものをミスラの両足の間に置いた。なにか大事そうに抱えているので、お届けものとはそれのことだろうとは思っていたが、一体何を置いたのだろう。柔軟体操をするときのように足の方へ手を伸ばして触れてみると、あたたかかった。
「寝る前に熱は足におろすといいんですって。首とつく場所は冷やしちゃ駄目って聞きますし、今夜は冷えるってスノウ様とホワイト様が言ってらしたので、湯たんぽを作ってきたんですよ」
「なにかと思えばそんなもの。別にいいのに」
「せっかく持ってきたのに、そういう言い方はひどいです」
「別にいいなら、あってもいいっていうことですよね! 眠れなくても、きっとよく休めますよ」
眠れないなら何でも同じだと口にしかけたのを先制して封じるようにルチルが上掛けを直したので、ミスラは出かかっていた言葉を飲み込んで代わりに「はあ」とため息のようなあくびのような声で答えた。
誰も彼も、大して生きてもいないくせに人の世話ばかりしようとする。自分の世話だってままならないくせに。この兄弟にしても、賢者にしてもである。
「その毛布、いいですね。新しい安眠グッズですか?」
「まあ、そんなかんじです」
「じゃあ今日はきっといい夜になりますね」
ルチルとミチルは何が嬉しいのかにこにこ笑っているが、用件が済んだなら無駄に居座っていないで早く帰ってほしかったので、ミスラは再び横になって晶の毛布に頬を寄せ瞼をおろした。寝られるわけではないので寝ようとするふりですらないのだが、こうすれば察してくれるのだ。
「俺と違って眠れるあなたたちは、とっとと帰って寝てくださいよ。いつまでも騒いでるとフィガロがくるじゃないですか」
「はい! それじゃあまた明日。おやすみなさい」
「おやすみなさい、ミスラさん。風邪引いちゃダメですよ」
あっさり引き下がっていく二人がドアを閉めれば、ミスラだけを残した部屋に静寂が訪れた。まったく騒がしい兄弟だが、彼らの置いていった湯たんぽはなかなか悪くない。両足で触れていると、いい夜の予感を信じてみようかという気にもなれた。
◆◇◆
あの膝掛けは、かえってこない。ミスラ曰く、もう自分のものだと思ったそうですっかり彼の私物となっている。
魔法舎ではもちろん、泊まりがけの依頼や任務のときにも、眠るときに自室と空間を繋げて膝掛けを引っ張り出しているのだと北の魔法使いたちから聞いた。
「珍しく物に執着してるからちょっとからかってやったら首を折られたよ。ひどいよね?」
オーエンから同意を求められたが、情報量が多く受け止め方に困る。まず、そこまで気に入られたことが意外だし、外でも使っているということはもっと意外だし驚いた。そのうえ、からかわれて相手の首を折るとは、物騒なバタフライエフェクトだなあと晶は曖昧に頷いた。
「でも、あんなもので済むならずっと握ってればいいんだよ。僕も気軽に殺されなくていいから楽だし」
「そういえば、最近ミスラの情緒が安定しているような気がするのう」
「気のせいかもしれんが」
「あの安っぽい毛布のおかげだってか? 別に魔法もなにもかかってねえぞ」
本当に、ほんの思い付きで買ってきた普通の膝掛けなのだ。たった一枚の膝掛けでそこまで変わるものだろうか。気に入ったのかなあ程度に思っていた晶は、ここ最近のミスラについて少し考えてみた。確かに、言われてみれば情緒が安定しているようにも感じられるが、気のせいかもしれないとも思う程度にはわずかな差である。
とはいえ、悪いことではない。眠れるわけではなくてもミスラの癒しとなり得たのなら僥倖だ。
眠れないのでと言って共寝をせがむ表情が、どことなくやわらかく見えた夜だった。ミスラのベッドには、あの膝掛けが無造作に置いてあった。
さっさとベッドに入ったミスラは膝掛けをくしゃっと雑に丸めるようにして片腕に抱き、もう片方の手を晶に向かって差し出す。ミスラの顔の近くでくしゃくしゃしている膝掛けには使用感が見え始めていた。これは相当気に入ってもらえたのだなと思いながら晶は掌を上に向けたミスラの手をやんわり握った。
「毛布として使うには少し小さいですね、やっぱり」
「大抵のものは小さいですよ」
おかげで不自由極まりない、と言う割にはお気に入りを離さない子どものような様子を見せるミスラに、晶は覚えず口許をほころばせる。
そのときだった。早くもうとうとしていたミスラが、思い出したように目を開けた。
「あ、」
「どうしました?」
「俺、天才かもしれません」
そう言い、ミスラは普段よりも舌足らずな声で呪文を唱えた。すると瞬く間にミスラの姿が見えなくなり、代わりにその場には膝掛けの上に前足を乗せた毛足の長い猫が現れた。
「ミスラ、」
「毛布が小さいなら俺が小さくなればいいんです」
ミスラの声で喋るその猫は、得意げに口許をニャムニャムと動かしながら、青緑色の目で晶を見ている。猫、ではあるし、ミスラでもあるのだが、人間はどうしても姿形に惑わされる生き物なので、晶は瞬間すっかりやられてしまっていた。
「おっ……
おそれいります……」
「そうでしょう」
軽く握ったままの猫の手で、ミスラは晶の手を握りしめた。鋭い爪がにゅっと出てくるが、猫好きの晶にとっては『ご褒美』だった。あたたかくて弾力のある肉球と、足の裏のみっしりとした毛に触れているのはほんのわずかな範囲なのだが、そこに幸福感がじわじわと集まってくるのである。
「お礼です。いいものをくれたので」
「……気にしなくていいのに」
市販のものを思い付いて買ってきただけだし、かけてやったのも思い付きだから、お礼をしてもらうようなものではない。自分のものになるまえだったので返してくれなくてもいいし、ミスラが気に入ったのならそれで構わないと思っていたのに、こんなことをされたらまたあの不思議な化学反応が起こり、語彙力が滅びてしまう。
「ミスラ、あの……」
しかも、あのときとは違って緊急離脱もできない。どうしようかと考えようとして晶はふと思い立って言った。
「猫の言葉で話してください」
おそらく猫がミスラの声で喋るから戸惑うのだ。姿に合った猫の声だったら、少しはこの感情が落ち着くのではないか。そうひらめいたのである。
しかし、それが失敗だった。
「……ぅおん」
「んひっ……かわ、かわいっ……」
語彙力が滅ぶのが早くなっただけだった。少し風変わりなミスラ猫の鳴き声に、晶は申し訳程度に手で口許を多いながら嗚咽を漏らすように口にした。もう抗えない。
「……面白い。あのときもそんな声出してませんでしたか?」
「あのとき……えっ、ミスラ、起きて、」
「……ぅおぁーん」
「あはは……にゃーん!」
晶は、上掛けの下に入れていたもう片方の手も出して、心のままミスラを撫でくり回した。猫だけど、ミスラだけど、いまは猫だけどやっぱりミスラだけども。いまは、どうにでもなーれ! と言わんばかりに。