告白の作法 魔法舎の廊下を一人歩くアーサーの手には、マスタードイエローの封筒が一枚。夕食後、自室に戻ると机の上に置いてあったのだ。差出人の名前が書かれていなかったが、魔法舎に住まう誰かが置いたことは間違いないだろうと開けてみれば、中に入っていた便箋には『今夜、バーで待っている』という旨のことがたった一文で書かれていた。所謂招待状である。
誰が書いて、誰が置いたものだろうか。書いた人物と置いた人物が同一人物だとは限らないし、バーで待っているのは一人ではないかもしれない。
場所にバーを指定してくるということは、シャイロックだろうか? それとも、よくバーに出入りしている誰かか。西の魔法使い達や、酒を愛するひと、考えられる線は複数あるが、アーサーは推理をするでもなく、ああかもしれないこうかもしれないと思いを巡らせながら、うきうきとした足取りでバーに向かっていた。
道すがら覗いたキッチンでは明日の食事の仕込みをしていたネロと今日の夕食について一言二言交わし、偶然出くわしたオーエンとは中央の城下町に新しくできた菓子店のことを話し、今帰りだというクックロビンとカナリアには挨拶をして、少し寄り道しながらとなったがバーに辿り着きアーサーはそこでいま一度招待状に目を落とす。
自分を待っているのは誰だろう。心地よい緊張感を覚えながらドアを開けると、カウンターの中にいるシャイロックが「いらっしゃいませ」と夜に似合いのしっとりとした笑みを浮かべた。
「こんばんは、シャイロック。……」
アーサーは答えた後店内を見てみたが、普段であれば夜に一人で訪ねることはまず無い、彼の瀟洒な根城には主の姿しかない。差出人よりも自分の方が早く来てしまったか、或いは、今夜はシャイロックの招待だったのか。招待状を手に逡巡するアーサーに、シャイロックはカウンター席を勧めた。
「こちらへいらしてください」
バーに入るのは初めてではないが、いつでも誰かがいて飲んだり遊んだりしているので、こうして一人でカウンター席につくのは緊張するが、同時に胸が躍る。
アーサーは勧められた席について、カウンターの上にマスタードイエローの封筒をそっと置いた。すると、それをオーダーとするかのように、シャイロックはシャンパングラスを手に取った。彼に招待状のことを尋ねてみようと思っていたのだが、ここで口を開くのは野暮というものだろう。アーサーは、黙ってシャイロックの仕事を見つめていた。きっと自分が訊かずとも答えはすぐに知ることができる気がしているのだ。
「どうぞ、アーサー様」
程なくして、アーサーの前に鮮やかなオレンジ色のカクテルが置かれた。
「あちらのお客様からです」
そう言い、テーブル席の方を向いたシャイロックの目は甘やかすように細められている。アーサーは彼の視線を追って振り向いた。自分が入店してからたった今に至るまで、出入り口のドアも窓もどこも開いていない。ということは、『お客様』つまりこの招待状の送り主は最初から店内にいて、自分の目線からは死角になる場所にいて待っていたのだ。
「こんばんは、アーサー」
「賢者様!」
テーブル席の影からひょこっと顔を出したのは、なんと晶だった。晶は少しもたつきながらカウンター席にやってくると、アーサーの前でぺこりと頭を下げた。
「勝手にお部屋に入ってごめんなさい」
「いえ、お気になさらず。招待状をくださったのは賢者様だったのですね」
筆跡が晶のものではない気がしたのだが、聞けば招待状の作成と設置はルチルとカインに頼んで手伝って貰ったのだという。照れくさそうに笑いながら明かしていく晶の頬は、ほんのりと赤く染まっていた。
「えへ……緊張したけど、来てくれてよかったです。一歩間違えば不審物ですし」
「不審だなんて! 送り主はここに暮らす魔法使いであるとは思っていましたし、誰からの招待か考える時間はとても楽しかったです」
「ありがとうございます! ……それでなんですけど、アーサー」
「はい」
「ええと……」
晶は物言いたげに口を開いたまま言い淀んでいる。何か頼みごとだろうか、それも、頼むのに勇気が必要な類いの。アーサーはふと思い、励ますような目で晶を見つめた。
たとえどんなことでも晶が望むのであれば聞き、可能な限り叶えたい。とはいえ無理に聞き出すのは礼節に欠けるので、晶の方から口にするまで待つつもりでいたが、カウンターの内側からすっと伸びてきたシャイロックの手によってそれはやんわりと断たれた。
「せっかちさん」
穏やかに撫でるような蠱惑の笑みを浮かべ、シャイロックは晶の前にグラスを置いた。アーサーに出したものと同じ、オレンジ色のカクテルがほんのわずかばかりグラスの中で揺れる。
「ひとつ明かせば、続けて明かしていきたくなるものです。でも、まだお待ちになって」
「あっ、あっはい……! いけないですね、自分ばっかり次々話そうとしてしまって」
今夜の晶はどこかそわそわとした様子で、普段と様子が違う。やはり伝えたいことや何かがあるのだろう、アーサーはそう思ったが、訳知り顔なシャイロックの口ぶりからすると今それを言うのは野暮なことらしい。―それならば。
「でしたら、次は私がお話します。楽しみは、まだ続くということでしょう?」
「……はい」
頷き返しそう言った晶に続けて、シャイロックが一礼する。
「失礼いたしました。では、おふたりとも香りの失せないうちにどうぞ。アルコールは一滴たりとも使用しておりませんので、ご安心を」
酒は避けている晶と未成年のアーサーのためのノンアルコールカクテルは、見ているだけでも元気が出てくるようなオレンジ色だ。晶がアーサーへ、感謝し労うため真心をこめ選んだ贈り物である。少し背伸びして隠した想いのメッセージを、アーサーはまだ知る由もない。
「「乾杯」」
ふたりは、そう口にしてグラスを合わせる。涼やかな音が小さく響く中、ぎこちなさと無邪気さの混ざりあったまなざしを結びあえば、自然と笑みがこぼれた。