酔った勢い「ディープキスってどうやってするんですか?」
首まで真っ赤に染めた旧友が枝豆の殻をいじりながらとんでもない質問をした。
「は?」
「きせくん、おじょうずなんでしょう?」
下から覗き込むように言われて、唇が引きつった。
正直勘弁してほしい。
「なんでそう思うの?」
質問を返してみれば、ジョッキに付いた結露を白い指先でなぞりながら「う~ん」なんてうなっている。
「きせくんがキス好きそうだから?」
「そんなん初めて言われたんスけど」
『キスが上手そう』と言われたことはあるが、好きそうと言われたのは初めてだった。
実際、黄瀬はキスが上手い自信はあるが、好きではない。
本当に好きな人以外の唾液を舐めるのは軽い苦痛だった。
でも、本当に好きな人は手に入らないのだから、代理で欲を晴らしていた。
そのために多少の我慢は経験している。
「じゃあキス、下手なんですか?」
ぬるくなったビールを舐めながらチラリと横を見れば、すっかり酒が回った黒子がシアン色の睫毛を瞬かせながらこちらを見ている。
その唇がアルコールのせいで赤く充血していて、むしゃぶりついてしまい衝動にかられた。
そう、黄瀬の本命は中学の頃からこの黒子ただ一人であった。
叶わないと諦めているから、虚しい欲を他で埋めているのに、本人がこんな揺さぶりを掛けるのはずるい。
「黒子っちディープキスしたことあるの?」
25歳の男に聞く内容ではない気がしたが、大学ですら恋人がいる気配がなかった黒子だ。
もしかしたらファーストキスもまだかもしれないと、淡い期待を込めて聞く。
すると少し視線をさまよわせた黒子が、結露だらけのジョッキを煽って答えた。
「以前、少しだけお付き合いした女性がいたんですが、うまく……できなくて……」
消え入りそうに細い声で落とされたその言葉は、黄瀬の頭を強く殴った。
お付き合い、していた女性……?
ピクピクと瞼が痙攣するのを誤魔化すように、ビールを一気に飲み干して追加を頼む。
そうして一呼吸置いてから黒子の方へ体を向けた。
「初耳なんスけど」
「あ、はい……去年の話なので」
そう言ったあと黒子もまたジョッキの酎ハイを飲み干して追加を頼む。
黄瀬はちょうど運ばれてきた追加のビールを半分ほど飲み下してハアと強く息を吐いた。
「まだ続いてンの?」
「だからすぐ振られたんですってば」
「……そっか」
黒子も運ばれてきた酎ハイを勢いよく飲み下した。噛み合わない会話をしながら酒量だけが増えていく。
黄瀬も黒子も強くないのに、なんだか飲まずにはいられない空気だった。
「ディープキスはね……」
黒子の過去の女性遍歴に多少傷付きながら、着地点も見据えず黄瀬は口を開いた。
沈黙を埋めるようにまたビールを飲めば、頭が少しフワフワしてくる。
「舌を入れるんスよ」
「さすがにそれは知ってます」
ムッとした黒子がまた酎ハイを煽った。
「入れた後、どうしたらいいんですか?」
「舐める」
「な、なめる……」
少し具体的な事を言っただけで、黒子の頬が更に染まった。
真っ白な肌が桜色に染まっていて黄瀬はゴクリと唾を飲む。
いつも我慢してやっていた行為だが、黒子にするのだと思えば欲望は止まらない。
「ゆっくり舌同士を擦り合わせて、上顎を優しく舐めて、ツルツルした歯と歯茎をなぞって、ベロの下、わざとおっきい音立ててかき混ぜて、溜めた唾液を流し込む」
ジョッキに当てられた唇の奥の温度を想像しながら言えば、その生々しさに黒子は息を飲んだ。
そうしてザザッと音がしそうな勢いで全身を赤く染める。
「な、生々しい……」
「絶対気持ちいい」
(黒子っちとなら)
決して口には出せない言葉をビールで流し込んでふふっと笑う。
するとなぜか少しムッとした黒子が肩をドンとぶつけてした。
その肩の感触がとても華奢でゾクリとする。
「慣れてるんですね」
まるで不貞をなじるように言われて、胸がキュッと掴まれた。
慣れていない。
普段はもっと事務的でそんなにしつこくしない。
だって黒子以外の体温なんて本当は虚しいだけだから。
お絞りをギュッと握って何杯目かわからないビールを飲み干した。
腹の中には水分がたっぷりあるのに、喉の乾きが全く癒されない。
まるで今の自分みたいでハハッと乾いた笑みがこぼれた。
「試してみるっスか?」
「へ?」
「オレが、慣れてるかどうか」
わざと挑発的な視線を流して黒子の様子を伺えば、元々丸い瞳をまんまるに見開いた後、唇を尖らせた。
「無理です」
拒絶の言葉に黄瀬の心臓が凍る。
それと同時に酔いも引いて慌てて謝ろうとしたら、黒子にシャツの胸元をグッと掴まれた。
「ボクがキミを好きになっちゃったらどうするんですか?」
「え?」
「キミのキスで、キミにメロメロになっちゃったら、どうするんですか」
眉根を寄せて拗ねたように言う黒子にドキドキドキと鼓動が走る。
そんなの願ったり叶ったりだ。
黒子が自分を好きになってくれるなら、悪魔に魂を売ったっていい。
「責任とるっス」
まっすぐに見つめながら返した言葉に、今度は黒子が「え?」と返す番だった。
「責任とって一生気持ちいいキスするし、幸せにする」
驚いて半開きになった黒子の唇をうっとりと見つめながら黄瀬の頬も熱くなってくる。
本当にそんなことができたらどんなに幸せだろうか。
自身の膝に置かれた黒子の手をそっと包んでニッコリと微笑んだ。
「だから、ね? 試してみよう?」
ゆっくりと顔を近付けるが黒子は逃げなかった。
額をつけ、鼻先を合わせ、少し顎を上げれば唇が触れてしまう距離で黄瀬が囁く。
「オレを好きになってよ」
欲望と懇願を混ぜた声に、黒子がそっと瞼を閉じる。
閉ざされた薄い瞼の奥の濡れた瞳を想いながら、黄瀬は生まれて初めて気持ちいいキスをした。