カゴの鳥(唄を忘れたカナリヤ) もし何にも知ろうとしないで生きていたら、きっと狡噛には出会わなかった。もし公安局を目指していなかったら、きっと狡噛には出会わなかった。もし父を憎んでいなかったら、きっと狡噛には出会わなかった。そんなもしもやきっとを繰り返して出会った狡噛は、今も俺の隣にいる。
公安局に入っていなかったら、と考えることがある。だとすればいくつか資格は取っていたから、そっちに行ったのだろうか? 動物に携わる仕事や、植物に関係する仕事。そうしたらきっと事件に巻き込まれない限り、俺は公安局の狡噛慎也とは出会わないだろう。いや、狡噛自体、俺と出会わなかったら、公安局なんて目指さず、きっと学問の道を進んで教員にでもなってたのじゃないか。
でもそれは全てもしもの話だ。今さらそこに戻れるわけでもなし、そんな未来に身を置けるわけでもない。俺たちは結局様々な選択を経て外務省行動課の特別捜査官になって、今もともにいるのだから、別に悪いことばかりじゃなかった。けれど考えてしまうのだ。事件とは遠い場所で狡噛と出会えていたらと。そうしたらこんなに苦しんで愛することもなかったのにと。
出島のマーケットには様々なものが売られている。珍しいペットの犬や猫、鳥なんかも。俺は首輪をつけて暇そうにしている犬に心動かされそうになって、世話なんてできないさと諦めてそこを離れようとした。すると歌が聞こえた。カゴの中の鳥が、歌を歌っているのだ。唄を忘れたカナリヤは、象牙の船に、銀の櫂、月夜の海に浮かべれば、忘れた唄を思い出す。ふとそんな動揺の一節を思い出して、黄色い鳥を眺めた。値札を見れば買えない値段ではない。けれど、いつ何が怒るか分からない状況で動物は飼えなかった。
「気に入ったのか?」
狡噛が言う。俺は首を振って、珍しかっただけだと言う。店番をする老人は俺たちに興味はないのかセールストークすらしない。カゴの中の鳥は、丁寧に手入れしてもらえる。シビュラシステムに殉じれば、暮らしを保障してもらえる。けれど俺はもう、そんなカゴなんて飛び出してしまった。そうさせたのは狡噛だった。彼が手を差し伸べたから、俺はそれが出来たのだ。
「さぁ、早く夕飯を取ろう。ビールでも買って帰って飲み続けるか?」
俺は笑ってそんなことを言う。狡噛は煙草をふかしたまま、肩をすくめて賛成、と言った。