夏が終わる声(ひぐらしの鳴き声) 雑賀先生が隠居していた森の中には、様々な生物がいた。夏の終わりには夕涼みに誘われて、狡噛と訪ねることもあった。そんな日はいつもひぐらしが鳴いていて、俺は幼い頃に祖母に手を引かれて、見知らぬ人の中を通ったことを思い出す。あれは祭りか何かだったのだろうか? 記憶はあやふやで果たしてそれに行ったことすら曖昧だ。だが、あの鳴き声はいつも思い出すのだ、夏が終わる頃、もう楽しい日々も終わると、俺に教えるように。
出島でもひぐらしは鳴いた。俺はそれに懐かしい思い出を引き出されそうになって、改めてそんなんではいけないと思い直した。優しい思い出で自分を慰めてもしょうがない、今は狡噛がいる、そう思うのだ。しかし今日は何故か狡噛が俺を誘って出島のマーケットに任務帰りに寄った。なんの記念日でもないというのに花城の許可まで取って。
出島のマーケットの一角にたどり着いた時、そこは赤い丸提灯や金魚が揺蕩う夏祭りだった。中華系の移民がやっている、夏のお祭りだ。狡噛はそこで金魚を掬い上げ、りんご飴を買い、ちゃちなボールをいくつも買った。そしてそれを俺に押し付けると、手を握って人混みの中を歩き始めた。ひぐらしは鳴かない。でも、祖母と一度だけ過ごした夏の日が再現されて、俺は泣きそうになる。俺は何も分かっていなかったけれど、突然父がいなくなり母が病に臥せり、まだ若かった祖母は大変だっただろう。そんな焦りは俺にも伝わって、俺は祭りを楽しみながらも口をつぐんでいい子を装った。狡噛はそれに気付いたのだろうか? だからそれに上書きするように、こんな祭りを俺にくれたのだろうか?
「狡噛」
俺は彼の名を呼ぶ。しかし帰ってきたのは、こんな短い言葉だった。
「迷子になるから、手は絶対に離すなよ」
ギノ、そう狡噛は言った。そんなの、話すわけがない。お前からもらったもの全て捨ててもこの手は離さない。それくらいお前でも分かるだろうに、俺の行動原理くらい。
「ギノ……」
狡噛が手を握る。俺たちは人混みの中でそっと唇を重ねる。見る人は誰もいない。丸提灯が照らす赤い光だけがゆく人々を美しく輝かせている。そして俺はその幻想の中で、あのひぐらしの鳴き声を聞くのだった。