付き合ってない同期に慰めてもらう話呪術師として任務に就いて、爽快な気分で帰れることは滅多にない。呪霊が発生したという情報が高専に入るまでに、必ずと言っていいほど一般人の身に何かが起きているからだ。私が任務先に行く頃には既に誰かが行方不明になったり、……色々、起きている。そんなことは承知の上でそれでも私に救える何かがあると信じて呪術師を続けてきた。それでも今日の任務はあんまりだった。
呪詛師によって無関係の■■■を目の前で■■■■にされた。耳を劈く悲鳴が頭から離れない。呪詛師は全員生け捕りにして尋問を得意とする術師に引き渡したけれど、きっと彼等が心から償うことはない。償ったところで■■■が負った傷が癒えることはない。
私は、こんな気分に一人で耐えきれるほど術師として割り切れていない。家に帰ってみたものの、脳内で何度も何度も繰り返し反響する悲鳴が煩くて何も手につかない。最低限、返り血の付いた服を着替えて宛もなく外出しようと自宅の鍵を手に取る。ああ間違えた、これは七海の自宅に入るための鍵だ。
『長期出張の間、観葉植物の水やりをお願いします』
『面倒くさいのでお断りします』
『私のオリヅルランが枯れても良いのですか』
『いや知らんし。他をあたって』
『合鍵を渡せそうな相手が貴女しかいない』
『えっ七海家の合鍵渡されるの!?やだやだ重い。七海の未来の彼女に八つ裂きにされる』
『多少なら家のワインを呑んでも構いませんよ』
『同期のよしみだ、引き受けてやるよ』
そんな話をして受け取ったこの鍵は結局数えきれない程使った。私はただの同期であって彼女でもなんでもないのに、本人不在の部屋に何度も侵入しては観葉植物にシュッと霧吹きをして帰った。どうして出張が多い身なのに頻繁に水やりが必要な種類を買ったのか、と浮かぶ文句は七海が不在のせいで湧き上がるものから口に出来たことはない。
七海のこと考えたらちょっと元気でたかもしれない。胸糞悪い任務のことなんか忘れ、……ああ駄目だ思い出してしまった。左手に収まったままの鍵。ずっと握ったままだからもう冷たくはない。思い付くことは一つだった。
▽△▽△
「…………今日は水やりを依頼していないはずですが」
「帰ったら可愛い女の子がいたんだからもっと喜んだらどう?」
「既にワインを空けている女の子じゃなかったら喜んでいたかもしれません」
「おかえり七海」
「……ただいま」
今までなんだかんだ言って七海の家のワインに手を付けたことはなかった。七海のグルメ舌に適ったワインにはとても興味があったけれど、いざ本人不在の家で飲もうとするとどうにも気が引けて出来なかったのだ。こびりついた悲鳴を洗い流すように赤ワインを流し込んで、冷蔵庫にあったチーズを少し拝借。コップ一杯にも満たない量だけ残されたワインがあったから、それを綺麗なグラスに少しずつ注いで飲んでいた。夜遅くに帰ってきた七海は部屋に入ってきたとき左手にネクタイを巻いていたので、たぶん泥棒か何かと勘違いされていたのだと思う。ちょっとびっくりさせようと思って履いてきた靴を靴箱に仕舞ってみたのだけど、いたずら心で危うく死ぬところだったらしい。……死、……ああだめだ何を考えてもやっぱり任務に思考回路が繋がる。
「私が今晩飲もうと残していたワインのお味は如何でしたか」
「砂の味がした」
「嘘でも美味しかったと言え」
「新しいの開ける勇気がなかった、飲んじゃってごめんね」
「……お腹は空いていますか」
「えっ作ってくれるの?」
「今日だけですよ」
「やった!やっぱ持つべきものはハイスペ同期」
「……」
ため息を吐いた七海。なんだかいつもと違うのは私がいるからなんだろうか。
▽△▽△
「まさかお湯まで張ってくれると思わなかった」
今の私は七海の大きいスウェットを借りて、少し裾を折って着ている。七海の家の綺麗なお風呂にお湯を張ってまさかの一番風呂を譲ってくれた七海。こちらは泊まるつもりで来ているけど、まさか泊まるかどうかの意志すら聞かずにお湯を張ってくれると思わなかった。七海の優しさがじわりと心に染み渡る。今なお脳裏に響く悲鳴とぶつかりあって、気を抜けば泣いてしまいそうだ。
同じようにお風呂から出た七海に誘導されて新品の歯ブラシで歯を磨いて、そのまま二人で大きなベッドに入った。私だけソファで寝るのかなとも考えていたけれど、やっぱり二人でベッドか。涼しい顔してるくせにやっぱり七海も男なんじゃん。……私はどうしたらいいんだろう。隣に入った七海はなんとそのまま仰向けに寝転んだ。ベッドにぺたんと座り込む私に『何やってんだ』と言わんばかりの目を向ける。
「眠らないんですか」
「えっ、……うん、寝る……」
同じように隣に寝転ぶと、起き上がった七海が丁寧に布団をかけてくれた。え?しないの?……いや、したくて来たわけじゃないんだけど。期待してるわけでもないんだけど。
「……少し、触れますよ」
「ん、うん」
なんだびっくりした、やっぱり触るのねと思う私を七海は逞しい腕で抱き寄せる。七海の右腕は私の腕枕となっていて、左腕は優しく頭を撫でている。あ、マズい。今こういうのされると困る。鼻の奥がツンと痛んで視界が歪む。目尻から生暖かい液体が流れて、七海のスウェットに落ちて染みを作った。撫でるのを止めた七海はその左腕で私の後頭部を大きな胸筋に押し付ける。小さく嗚咽する私にため息を吐いて、また頭を撫でる。私の頭にぴたりとくっついた大胸筋から微かに鼓動が聴こえる。それが恋しくて堪らなくて耳を左胸にぎゅうと押し当てた。心音だけが脳裏を埋める。悲鳴はもう聞こえない。
▽△▽△
朝起きたら七海はもう隣にいなくて、一瞬自分はホテルにでも泊まっていたのかと錯覚した。静かにドアを開けて寝室に戻ってきた七海は既に見慣れた仕事着だ。リビングでは洋風の朝食が用意されていた。『二日酔いになっていませんか』と聞かれたけれど気にするところは他にもっとあるんじゃないですか。私はあるよ。
「なんで出張が多いのに頻繁に水やりが必要な種類を買ったの」
「……。キッカケ作り」
なんのキッカケか聞こうとしたけれど、なんだか答えがわかるような気がして口を閉ざした。私の予想があたっているなら、きっとむず痒い思いをすることになるから。
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オリヅルランの花言葉︰集う幸福