【ロナドラ】いつかまた、君と【※死ネタ】いつかまた、君と
これはとある国にある田舎街の話。
多くの人が生活の拠点とする街から少し離れた閑静な土地に大きな屋敷があった。
そこには青年が一人で暮らしているという。
しかし滅多に外に出る事のないその姿を目にするものは少なく、根も葉もない噂をする者たちが居た。
その屋敷に住む青年は、吸血鬼であると。
吸血鬼の屋敷と噂されるその家の前に立つ年端も行かぬ少年は、その重厚な扉に勇み手を掛けた。
「覚悟しろ吸血鬼!この吸血鬼退治人ロナルド様がお前を退治してやるぜ!」
扉を開け放ち威勢良く口上を述べた少年を出迎えたのは彼が期待した悪しき吸血鬼ではなかった。
「おや。これはこれはいらっしゃい、小さな退治人君。けれど残念ながら私は君が退治する相手としては不相応だ」
扉の向こうに居たのは、穏やかに笑う華奢な身体つきの青年だった。
「しかしちょうど良いところに来たな。クッキーが焼けたところなのだけれど、興が乗って作りすぎてしまって私には少し多くてね。良かったら食べて行ってくれないかね?」
鼻腔を擽る甘い香りの元を想像して少年は無意識に唾を飲み込んだ。
その言葉のない返事に、青年は上品にくすりと笑うとロナルドと名乗った少年を家に招き入れたのだった。
屋敷に住む青年の名はドラルクといった。
実家が太く食うに困らぬ生活をしているが、生まれつき身体が弱くあまり身体を使う仕事はできなかった。
そういう事情もありあまり外には出られず、彼の祖父から受け継いだ屋敷で趣味を兼ねた繕い物や編み物をして暮らしているという。
大きな屋敷に一人で住む主の姿を目にしたことのなかった子供たちの間では、この屋敷の主は吸血鬼であるとまことしやかに囁かれていた。
勿論それは子供たちの間でだけの事で、人前に現れる事は少ないながらも人当たりの良いドラルクの事を周囲の人間は快く思っているらしかった。
彼の手芸の腕は良く、刺繍やレースの装飾を施されたハンカチーフやレース糸や毛糸で作られた編み物はとても評判が良かったのだ。
ドラルクの作ったものを自身の店に置きたいと声を掛けてくる者も多く、実家の支えがなくても生活できる程度の収入もあるようだった。
菓子作りもその趣味のうちの一つで、様々な菓子に挑戦しているという。
「作るのは好きなのだけどあまり量が食べられなくてね。良かったらまた食べに来てくれたまえ」
幼い少年にはそれは魅力的な誘いであった。
ロナルドはそれからたびたびドラルクの屋敷に訪れた。
屋敷に訪れない事の方が珍しくなるほど当たり前になった日々の中で、一回りは歳が離れているであろうドラルクとロナルドが打ち解けるのにそう時間はかからなかった。
そんなある日、いつものようにロナルドはドラルクの屋敷を訪れた。
ドアをノックして声をかけるが、返事はない。
「ドラルク?」
扉を開けてみてもその姿は見えない。
しかし部屋の中からは焼きたての菓子の甘い香りが漂っている。
「ドラルク?居ないのか?」
屋敷の中に足を踏み入れ、ロナルドはその姿を探す。
すると普段はしっかりと閉まっている扉が一つ開いていることに気付いた。
覗き込めばそこは部屋ではなく、地下へ続く階段だった。
広い屋敷の中でまだ見たことのない部屋も多いが、更に地下室があるとは知らなかった。
ロナルドはその細い石段を恐る恐る降りていく。
階段の細さそのままの細い廊下を進むと、小さな扉が一つあった。
僅かに開いた隙間から明かりが見え、薄暗い廊下を歩くロナルドにはそれがとても暖かい色に見えた。
「ドラルク……?」
「おや、ロナルド君来ていたのかい?気付かなくてすまなかったね」
部屋の中には机と椅子と、壁一面の本棚を埋める程の大量の本があった。
書斎は他にもっと広い部屋があった筈だ。
まるで隠すように地下の部屋の奥の本棚に並べられたその本は全て同じタイトルの本のようだった。
「ロナルドウォー戦記?」
「ああ、これは私のお祖父様から譲り受けた屋敷なんだが、その時にたくさんの本も一緒に貰ったのだよ」
そう言ってドラルクは壁にある本の中から一冊を取り出してロナルドの前に差し出した。
100冊程もある本の中から持ってきたのは長い物語の第2巻に当たるものであった。
「ほら、見てごらん。この退治人の名前は君と同じなんだよ」
「本当だ!」
「そしてこの吸血鬼の名は私と同じだ。まるで私たちみたいだと思わないかね?」
「……お前吸血鬼じゃないだろ」
「そうだけど、でも嬉しいじゃないか。好きな物語の登場人物と同じ名前だなんて」
友人が自身を忌むべき対象と重ねる事に、ロナルドは眉をひそめる。
「これはお祖父様も何処で手に入れたか忘れてしまったものらしいのだけど、物心ついた時から私はこの本が大好きでね」
「どんな話なんだ?」
「人間と吸血鬼がバディを組んで共に暮らしながら多くの悪しき吸血鬼を退治していく物語なんだよ」
「吸血鬼と!?」
「ああ、この吸血鬼は誰よりも弱いけれど、誰よりも高い再生能力を持っていてね、何度死んでも蘇るんだ」
ほら、と指し示しながら物語の中の吸血鬼が蘇る場面をなぞる。
「君が初めてこの屋敷に来た時、まるで幼い頃から憧れていたこの物語の始まりのようだと思ったんだ。素敵なことが始まるような予感がしたんだよ」
今のご時世で吸血鬼と人間の共存を肯定するような本の存在を知られれば、悪魔崇拝と見做され本は焼き捨てられそれを所持していたと知れれば裁かれる事にもなるだろう。
世の中に出回っている書物でも、悪しき吸血鬼や悪魔を祓魔師である人間が退治する話は数多くある。
ロナルド自身そんな物語に憧れてこの屋敷に足を運んだのだ。
しかし、吸血鬼が人間の味方になり、ましてや生活を共にする話など聞いたことが無かった。
吸血鬼は退治するもの、忌むべきものだというのが定説であったのだ。
想像だにしなかったその物語にロナルドの心は躍った。
「読んでもいいか?」
「勿論。ただ、外には持ち出せないからここで読んでいってくれるかい?」
「ああ!毎日読みに来る!」
そうして、ロナルドがドラルクの屋敷に訪れるようになって幾月が経った。
季節が移り変わる頃には全100巻にも及ぶロナルドウォー戦記を全て読み終えていた。
しかしそれを読み終えた後も、ロナルドはドラルクの屋敷に通い詰めていた。
一度だけではなく何度も何度も読み返し、その物語について語り合うのが二人の楽しみだった。
そんな折、ドラルクが近頃熱心に刺繍に勤しんでいる事にロナルドは興味を示した。
手慣れた彼にしてはずいぶんと真剣に布と向き合い針を動かしている。
「何を縫ってるんだ?」
「ああ、実は……」
ドラルクが差し出したそれはハンカチーフだった。
その角の一つに小さな刺繍が施されている。
しかしそれは今まで見たことのない生き物の姿をしていた。
「……これは?」
「ええっと、その、アルマジロをね……」
「アルマジロ!?あの?ロナルドウォー戦記に出て来る使い魔の?」
「そう、あのアルマジロのジョン。私あの子がとても好きで……刺繍をしてみたんだけれど、私に絵の心得はないみたいだ」
そう言ってドラルクは苦笑した。
彼の手芸の腕は確かだが、絵心となると別問題のようだ。
アルマジロと称されたそれは顔のパーツのバランスが独特な表情を浮かべている。
勿論ロナルドウォー戦記の表紙や挿絵に描かれたアルマジロとは似ても似つかぬ姿をしていた。
彼の作るものがシンプルな図柄のもののみなわけが、好みの問題なだけではない事がわかった気がした。
しかし、ロナルドの目にそれはとても魅力的に映った。
ドラルクが外に出しているのはとても美しい縫い目やシンプルな模様で飾られたものだけだ。
きっとこんな絵を描くなんて街の人間は誰も知らないだろう。
自分だけが知っている、ドラルクの秘密をまた一つ知れたような気分だった。
「これ、貰っていいか?」
「え?ああ、もともと君に贈ろうと思って作ったものだけれど、良いのかね?もっと上手くできたら」
「これがいいんだ」
「ふふっ、そうか、ありがとう。では完成したら貰ってくれるかな?」
「ああ!絶対大事にする!」
ドラルクからロナルドに贈られる初めての贈り物。
それが完成するまで、ロナルドはドラルクの手元を眺め続けた。
* * *
それから10年の月日が流れた。
幼かったロナルドは今や立派な青年の姿となり、かつて見上げていたドラルクと同じ目線の高さになっていた。
仕事をするようになり毎日とはいかなくなったものの、相変わらずロナルドはドラルクの屋敷を頻繁に訪れていた。
「やあ、ロナルド君いらっしゃい」
「よお、最近来られなくて悪かったな……調子はどうだ?」
「来られなかったって言ってもほんの数日じゃないか。体調はだいぶ良くなったよ」
「そうか、良かった。これ頼まれてたものと、あと市場に良い果物が入ってたから」
「助かるよ。果物も、ありがとう。手間をかけてすまないね」
ドラルクは少し前まで酷く体調を崩していた。
元々身体が弱いこともあって回復にも時間がかかるのだ。
その事はロナルドも重々承知していたが、それでも出会った頃のドラルクはもう少し回復が早かったし体力もあった。
それがここ1年程は体調を崩すことが多くなり身体も痩せ細り少し動くだけでも辛そうだった。
少しずつ、でも確実にドラルクは衰弱していた。
それをドラルクは気付いていたし、ロナルドも気付いていた。
ドラルクの命がもう、そう長くはないことに。
「ご飯食べて行くかい?最近はあまり凝ったものが作れなくて申し訳ないけれど」
「食う。お前が作るものならなんでも美味いよ」
「嬉しいな。料理を作っていると楽しくてね、つい作りすぎてしまうけれど私はもうあまり食べられなくて……」
「ドラルク」
ロナルドは自身の弱さを零すその口を自分の唇で塞いだ。
「んっ」
触れるだけだった口付けは徐々に深くなり、添えるだけだった手は互いの身体に絡ませるように伸ばされた。
「ふっ、んぅ……も、いきなり……」
「ん、わりぃ、久々に会えたからつい」
いつからか、ロナルドとドラルクは友人以上の関係となっていた。
深い口付けはもう数えきれないほどに交わしているし、身体を重ねてもいた。
ロナルドはその関係に名前を付けようと、何度もドラルクにその想いを告げていたがドラルクはそれをいつもはぐらかしていた。
だから二人の関係は表向きは友人から変わってはいない。
互いに心の中では特別な存在であると認めていたが、ドラルクはその関係に名前を付ける事でロナルドの人生を縛る事を恐れていた。
「……ロナルド君、私はもう長くはないよ。もう、君は君の幸せを見つけてほしい」
「俺の幸せはお前の傍にいる事だよ」
「君ももう気付いているだろう?私はもう、次の春を迎える事も叶わないよ」
「なあ、ドラルク……吸血鬼になってくれ……どんな儀式でも、なんだってやってやる。そのためなら俺は悪魔に魂を売っても構わない……っ」
「駄目だよ、ロナルド君。それでは君が君でなくなってしまう。そうなれば君は悪魔崇拝者として裁かれてしまうよ」
ロナルドの哀願をドラルクは優しくも厳しく窘めた。
本物の吸血鬼になる確実な方法など知らなかった。
そもそもこの世に実在するかもわからない不確かな存在だ。
それでもそういった魔術に属するものを信仰すれば異端者として裁かれる事だけは火を見るよりも明らかだった。
「元々、あまり長くは生きられないと言われていた。実家を出てこうして一人で暮らしているのも、短い人生なら動けなくなるまで好きなように生きてみたいと言った私の我儘だったんだ」
それはまるでもうすぐその生活が終わることを知っているかのような言い方だった。
「私は好きなように生きた。こんなにも素敵な友人に出会って、趣味の料理を振舞って手芸を楽しんで、本当に幸せな人生だった」
「やめろよ。まだ終わってねぇ。俺はまだお前に何もしてやれてねぇ……っ」
「充分だよ。もう充分……でも、そうだな」
ロナルドから身体を離すと、ドラルクはくるりと身体を翻しまるでマントをなびかせるようにその腕を振り手を差し出した。
「もし、どこか別の世界でもう一度君と出会えたなら、私は本物の吸血鬼として生まれて来よう」
それはまるで、二人で何度も読み返したロナルドウォー戦記のドラルクとロナルドの出会いの場面の挿絵を思い起こさせる。
「誰の脅威にもならない、誰の敵にもならない最弱の吸血鬼として再び君と出会おう」
「……なら、俺は凄腕の吸血鬼退治人としてお前の前に現れるよ」
「それは楽しみだな」
そう言って、ドラルクは心から嬉しそうに笑った。
ドラルクが床に臥せったのはそれからすぐの事だった。
これまでにない衰弱の早さに、それがもはや回復の見込みがない事は誰もが理解していた。
息子の体調の急変を知った親族が一度は実家に連れ戻そうとした。
しかしドラルクはそれを拒んだ。
ドラルクは最期の場所に彼と出会ったこの家と、彼の腕の中を選んだのだ。
ロナルドはもう水を飲む事すら叶わない軽くなったドラルクの身体を抱きしめる。
「ねえ、ロナルド君、覚えているかい?いつかした約束を」
「忘れねぇよ……忘れるわけねぇだろ」
いつか別れる時が来て、もしもどこか別の世界で再び巡り合うことができたなら。
―俺は吸血鬼退治人に 私は最弱の吸血鬼に― なろう。
「その時はまた、初めて会った時のように、私を……退治しに来てくれるかい?」
「ああっ、必ず見つけ出してあの日のようにお前の家に押しかけてやるよ……っ!」
「うん……待っているよ……次に出会えたならもっと、君と……一緒に……」
楽しいことをたくさんしよう
毎日笑って、泣いて、怒って、喧嘩したり仲直りしたり、いろんなところに出かけていろんな人と出会って、もっともっと長い時間を共に生きよう。
あの物語の二人のように。
ロナルドの頬に伸ばされた細くて繊細な指がそっとその目元を撫でる。
静かに微笑むと、その指先が一滴の涙を拭ってロナルドの頬から離れていった。
力なく落ちた腕と満足げに笑みを浮かべた口元。
閉じられた瞼はドラルクの瞳を覆い隠し二度と開かれることはなかった。
「……っ、ドラルク……ドラルク、ドラルクっ!ぅ、あぁぁぁっ!」
とめどなく溢れる涙がドラルクの頬を濡らす。
終ぞその関係に名前を付ける事は出来なかったが、かけがえのない存在となったロナルドに看取られてドラルクは30数年の短い生涯を終えた。
ドラルクの死後、ロナルドは地下室の書斎に足を運んだ。
何度も繰り返し読んだロナルドウォー戦記の中でも特に何度も読んでボロボロになった第2巻のページを開く。
読むたびに心が躍ったページを捲るともう覚えてしまった文章が綴られている。
吸血鬼ドラルクの城の前に立ち扉を開け、名乗り上げたドラルクを前に銃を構える主人公ロナルドの台詞。
『吸血鬼退治人ロナルド様がテメエを退治しに来たぜ!』
その先には、何もなかった。
その先に綴られていた文章は両手で足りない程に読み返した。
それなのに 何一つ思い出せない。
全100巻に及ぶロナルドウォー戦記は第2巻のドラルク城の扉が開いたその時から先がインクの跡さえ残さずに全てなくなっていた。
「何だよ……お前、全部持って行っちまったのか……ドラルク」
いや、違う。
「描くんだな、俺達が」
吸血鬼退治人ロナルドと、真祖にして無敵の最弱の吸血鬼ドラルクの物語を。
消えてしまったあの二人の物語は全て夢だったのではないかと思いもした。
しかし確かにそれは存在した。
その証が、ドラルクが贈ってくれたハンカチーフに残っていた。
もう名前も思い出せないけれど、そのチーフに施された刺繍はあの物語の中に出てきた使い魔であることだけは思い出せた。
「また会おうな、ドラルク」
約束と別れの言葉を残し、ロナルドはかつて毎日のように二人で過ごした地下室の書斎の扉を閉ざした。
***
XXXX年、日本 埼玉県某所
子供が行方不明になったと嘆く母親からの依頼で訪れた、郊外に佇む西洋風の巨大な城。
吸血鬼退治人ロナルドは真祖にして無敵の吸血鬼ドラルクの城の扉を開け放つ。
「さあ出てこいドラルク!!今日がテメェの」
その扉と壁の間で城の主たる吸血鬼は潰され塵と化した。
衝撃的な光景にロナルドの叫び声が城内にこだまする。
それが吸血鬼退治人ロナルドと、真祖にして無敵と呼ばれる最弱の吸血鬼ドラルクとの出会い。
塵と化していた吸血鬼は驚異的な再生能力で人の形を取り戻し不敵に笑う。
「問おう、愚かな侵入者よ。この私を真祖にして無敵の吸血鬼ドラルクと知っての狼藉か?」
「チッ、笑えねぇ冗談だな!ああ、そうだ!吸血鬼退治人ロナルド様がテメエを退治しに来たぜ!」
本に描かれていた物語と、本に描かれなかった日常が始まった瞬間だった。
― fin ―