カサンドラとフォー・オクロック 栄えあるロドスエンジニア部の長クロージャは、今日もエンジニア部非公式秘書であるパッセンジャーを残業に付き合わせていた。そう言うといつも仕事が遅れているように聞こえるが、誤解である。本気で手伝って貰わなければ命の危険を感じる事態に陥るのは、せいぜい月に一度の事だ。それ以外の残業は、ほとんどの場合、酒の誘いだった。
二人の飲み会は残業後、クロージャの執務室で、というのが暗黙の了解である。二人が友人であることは一応秘密なのだ。周囲の認識は、パッセンジャーはいつも皮肉たっぷりにクロージャの書類仕事を手伝わされている、程度だろう。
実際、このリーベリは二人きりだと怖ろしく口が悪くなったし、喧嘩しかけたこともある。だが、クロージャは彼を弟のように思っており、彼はクロージャを気安い姉のようなものだと感じているだろう──多分。
ともかく、今日パッセンジャーに残業を命じたのは口実のようなものでしかなかった。多少片付けて欲しい書類はあったが、この手の作業を異様に得意としているリーベリに掛かれば三十分もかからない。
パッセンジャーの口がスラング混じりの皮肉で「この程度の仕事に私の手を必要とするのですか?」と言い出す前に、クロージャは個人用冷蔵庫からいそいそとビールを取り出し、にっこり笑って差し出した。相手が冷えた缶を受け取り、タブを開ければ、ささやかな飲み会の始まりである。並んでソファに腰かけ、スナック菓子を肴に乾杯する。
今日のお題は決めていたが、焦って口にして良いものではない。クロージャはわくわくする気持ちを抑えながら、酔いが回るまで適当な話題で時間を潰す。
四本の缶が空になり、互いに新しいビールをひと口飲んだところで、頃合いよしと見たクロージャは今夜のメイントピックを口にした。
「ところでさぁ……シェーシャ君とはどんな感じなの? 付き合ってるんでしょ?」
「…………ぐっ……ごふっ! げふっ」
動揺したパッセンジャーは、口に含んでいた酒を噴き出しそうになるのを堪え、そのせいで盛大にむせた。クロージャはペーパータオルを数枚取って渡す。彼はしばらく咳き込んだ後、口元を拭って素知らぬ顔をしようとした。
「………なんのことです?」
「誤魔化さなくていいよ。最近、よく首が隠れる服着てるじゃん。えっちしてるんでしょ?しかも結構頻繁に」
あれっと思ったのはしばらく前の事だ。パッセンジャーがシャツのボタンを留めていたのである。別の日はハイネックの服を着ていたかと思うと、スカーフを巻いていることもあった。そういった日のパッセンジャーは、大抵声が枯れている。怪しいにもほどがある。
「よろしい。認めましょう。私が誰かと性行為に耽っているとして……何故、相手はシェーシャくんだと?」
「だって、見ちゃったんだもん」
クロージャは「ししし」と笑った。
「シェーシャ君の尻尾がキミの脚に絡みついてるところ……キミ、他人に触られるの、内心すっごく嫌がってるのに、尻尾で脚撫でられてるのに平然としてるんだもん。ああ、安心して。その場にいたの、あたしだけだから」
パッセンジャーは急に頭痛を覚えたかのようにこめかみを抑えた。耳羽をせわしなく羽ばたかせ、サルゴンスラングで赤毛のヴィーヴルを罵る。
同じエンジニア部所属と言っても、職分の異なる二人が顔を合わせる機会は少ない。お互いへの態度に変わったところはなかったので、本当に無意識のボディタッチだったのだろう。
「まあ、それでピンときたってわけ。この二人、えっちしてるんだなぁ……って」
「年頃の女性が連呼していい言葉ではありませんよ」
「なんて表現しようと言ってることは同じじゃん! ただのセフレとかじゃなくて、付き合ってるんでしょ? あたしは純粋にキミの恋バナが聞きたいの! 生で!」
クロージャの目がキラキラしているのを見て、パッセンジャーが溜息をついた。
「誰にも言わないでくださいね」
「言わない。キミのプライベートは守るって約束したでしょ?」
「覚えていてくださって幸いです。それで、何を聞きたいのですか?」
「何回くらいえっちしたの?」
赤裸々な質問にパッセンジャーの眉がぴくりと動いたが、ともかく答えてはくれた。
「夜を共にした回数はまだ片手で足ります」
「どんなえっちだったの?」
「言いたくありません」
「口にしたくないほど酷かった?」
「違います」
「じゃあ気持ちよかったんだ!」
「……失礼します。おやすみなさい、クロージャさん」
機嫌を損ねて席を立とうとするリーベリをクロージャは引き留めた。
「いいじゃん! どうせ、あたし以外に話す相手もいないでしよ? ノロケなよ! ここぞとばかりにノロケなよ! 好きなだけ! あたしはそれを肴に酒を飲むから!」
「*サルゴンスラング*……貴方という人はまったく、*サルゴンスラング*な*サルゴンスラング*ですね」
彼は口を極めて度し難い上司を罵ったが、結局、惚気話をしたいという誘惑に負けて腰を下ろした。クロージャはニコニコしながらこの日のために秘蔵していた高級リターニアワインの栓を開ける。ワイングラスがないのでビーカーに注いだが、それに文句を言う人間はこの場にいない。
「で、で? シェーシャ君のどんなところが好きなの?」
「そうですね……一言で表すのは難しいのですが……」
パッセンジャーは赤いワインの水面を見つめ、「例えば、ですが」と言った。
「ドクターは暗闇に灯を掲げ、人々を導く方です。多くの者たちがその光を信じ、苦難の道を行くでしょう。私も、彼の灯を目にした者の一人です。ですが、私が立つ場所はあまりに暗い。ドクターの光は標になってくださいますが、私を照らしはしません。シェーシャくんは……彼もまた、導きを必要とする者ではありますが……闇の中で私を見つけ、手を取ってくれた……という感じでしょうか」
「ほほう」
思ったよりロマンティックな惚気方だったが、欲を言えばもっと率直な話が聞きたい。
「具体的には?」
「彼の傍だと、よく眠れます。明日が来ることを、怖れなくなりました。あとは、そうですね……朝、髪を梳かしてくれます。先日は、梳かした後に編んでくれたのですが……とても嬉しくて、解いてしまうのが辛かったほどです」
クロージャは感心した。思ったより充実している。
「どうりで最近毛艶がいいと思ったよ。シェーシャ君って、えっち上手なの?」
「クロージャさん?」
リーベリは顔を赤らめたが、ワインを注いでやるとあっさり口を割った。
「ええ、上手ですよ。覚えがいいですし、思いやりがあって、反応もかわいいです。何度かした後は、獣のように貪ってきますが、その頃は私の方も……どうにでもしてくれという感じなので……ええ、一言で云うと、素晴らしいですね」
「ほへー……意外。シェーシャ君、奥手っぽいのに」
「私もそう思いました」
今度もっと詳細に聞き出そうと思いつつ、クロージャは質問を変えた。一番肝心なことを聞き忘れていたのだ。
「それで、どっちから告白したの? どんなシチュエーションだった?」
そう問いかけると、パッセンジャーは不意を突かれたような顔をした。
「どうしたの?」
「……言っていません」
「え?」
「告白とは『好き』とか『愛してる』とかですよね……言っていませんし、言われてません」
「へっ? キミ、彼のこと好きなんだよね?」
パッセンジャーがヴィーヴルの青年について語っている時、あからさまにスキスキオーラが出ていてすごく面白かったのだが、リーベリは苦い顔をしている。
「はい。好意を持っています。ですが……互いにそういう事は口にしていません」
「キミは……アレ? あれなの? 好きなのに、つい気がないフリとかしちゃうタイプ?」
クロージャに指摘されると、身に覚えでもあるのか、リーベリは青い目を泳がせた。
「最中は、つい甘えてしまうのですが、朝になると我に返るので……そうですね。焦らしてしまっている自覚はあります」
「キミさあ……」
クロージャは呆れた。彼がサルゴンの裏社会でのし上がるため、男娼めいたこともしてきたという話は聞いている。誘惑はお手の物だろう。だが、本命に対してこの体たらくはどういうことなのか。
「意外と奥手なの?」
パッセンジャーは咳払いした。
「そろそろ言わなければとは思っていますし、練習もしたのです。ですが、どうにも胡散臭くて……」
「胡散臭い?」
「白々しいというか、嘘に聞こえるというか……」
クロージャは首を傾げた。
「え? ちょっとここで言ってみな」
「何故ですか?」
「いや練習。ほらあたしをシェーシャ君と思って、『好きです』って言ってみ」
「好きです、シェーシャくん」
「棒読みすぎじゃない!?」
パッセンジャーは白い目で無茶振りをする上司を睨んだ。
「貴方はシェーシャくんではありませんから」
「わがままだねぇ……──じゃあ目を閉じて、シェーシャ君の顔を思い浮かべてみてよ。キミが一番好きな表情のシェーシャ君ね」
「わかりました」
リーベリは大人しく目を閉じた。彼の気持ちを高めるためにクロージャは心の中で十数えた。
「はい、告白!」
「好きです、シェーシャくん……」
「……」
「……」
「……」
長々とした沈黙が落ち、リーベリは白い額に青筋を立てて微笑む。
「クロージャさん。せっかく言われた通りにして差し上げたのですから、何か仰ったらどうですか?」
「えっとね……キミをよく知らない人間なら百パーセント騙される」
「やはりそう思われますか」
頭痛を覚えたクロージャは、ツインテールの根元を両手で引っ張った。
「確かになぁ……これ、キミを知ってる人間ほど『本心に聞こえるけど、パッセンジャーのことだから、もしかして演技かもしれない』って、すっごく悩むわ」
「そうでしょう? 私自身、そう思うのですよ……真実だということは、私が一番よく知っているのに、私の耳にも嘘に聞こえるのです。自業自得ですが」
自嘲したリーベリの耳羽がへにょへにょに萎れているのを見て、クロージャは危機感を覚えた。今後も定期的に新鮮な恋バナを摂取できると期待していたのに、このままではそれどころではなくなってしまう。
「ま、まあまあ! 所詮は練習。本人を目の前にした言葉とは違うんじゃない? いっそのこと、勇気を出して直接言ってみなよ。あとはシェーシャくん次第でしょ? シェーシャくんも、絶対キミのことが好きだって!」
「そうでしょうか……?」
パッセンジャーは懐疑的だった。
「そこから疑ってるんかい……」
「彼と私は非常に境遇が似ています。だから互いに興味を覚えましたし、彼は共感を示してくれました。そして、彼は私に性欲を抱いています──ですが、『だから彼は私の事が好きだ』とは言えないのではありませんか? 共感も性欲も、恋愛対象に抱きがちな感情ではありますが、その二つがあるからといって、愛情もあるとは限らない……」
先ほどまでの惚気ぶりは何処へやら、パッセンジャーはすっかり自信を失っていた。いや、これはむしろ『愛し合っている自信が無い人間ほど惚気話をしたがる』というアレだったのだろうか。
「私とのセックスが気に入っているだけかもしれません」
「身体だけが目当てにしては、キミに優しくしすぎなんじゃない?」
「シェーシャくんは紳士ですし、ヴィーヴルである自覚を持っていて、肉体的に劣る種族を気にかけるのは当然だと考えています。多分、誰に対しても同じことをするでしょう。私が特別なわけではありません」
「うわぁ……」
これはアレだ。好かれている自信がなくて、好かれていなかったらと思うと怖くて、いっそ彼は自分のことが好きなはずがないと自分に言い聞かせて負の安心を得ようとするアレだ。
(ドラマでめっちゃ見たことある……!)
「かといって、あまりお預けさせると彼の関心を失ってしまいそうですし……彼とのセックスは、本っっ当に気持ちよくて……どろどろに甘やかされていい気分になりますし……恥じらうシェーシャくんも大きな犬みたいに甘えて求めてくるシェーシャくんも堪らなく可愛くて、つい誘ってしまって……」
(お、面白ぇ~~~~っ!)
恋愛ドラマでは使い古されたありきたりな展開だが、普段は物憂げで頭脳明晰な超絶美形が目の前でぐずぐずにキャラ崩壊しているのを見ると、顔がにやけるのを止められない。「人間って恋をすると本当にアホになるんだ!」という感動すら覚える。ドラマと違ってリアルな分、面白さが段違いだった。
(まあ、じれったさも耐え難いけど……ここはクロージャお姉様がひと肌脱いでやりますか!)
なんと言っても、パッセンジャーは友達なのだ。余計な事をするなと怒られない程度に、彼の恋を手助けしてやろうではないか。