ラインハルトはガラスケースの中におさまっている宝石を見て、少し眉をひそめた。
30ctの赤色金剛石。柔らかな布の上で眠る宝石は素人目に見ても美しい。宝石自体の希少性もさることながら、この石についてまわる血なまぐさい噂がラインハルトをここに呼び出した。
この宝石の所有者はみな首を切られて死ぬのだという。ラインハルトが把握している限りでは、歴代の所有者は全員この宝石を首にかけたあと、事故や宝石目当ての強盗など、なんらかの理由で首を刎ねられて生首を地に転がしていた。オカルトめいた話だが、実際に高頻度で死人が出ている。ラインハルトの管轄ではないが、こうも事態が落ち着かないのであればと個人的に動くことにした。
宝石が展示されている部屋は妙に薄暗く感じた。誰もいないことを確かめて、赤色金剛石のガラスケースに近寄った。じっと観察してみるが、特段気になるところはない。普通の宝石だった。所詮噂は噂ということだろうか。
ひとつ溜息をついて、目を閉じる。ガラスケースに背を向けて、この小部屋の出口に向かって一歩踏み出した、その時だった。
「あら、もう帰ってしまうの?」
誰もいないはずの背後から声をかけられて、ラインハルトの足がぴたりと止まる。
振り返ると少女がひとり、ガラスケースの前に立っていた。この真冬に薄いワンピース一枚着ているだけの装い。長い黒髪はそのまま垂れ流され、紅い瞳は傍で飾られている赤色金剛石のようであった。
明確な異常であると自身の感覚が訴えるのを、ラインハルトは黙って受け止めた。
「わあ、このケーキ、とっても美味しいわね」
結局気が付かなかったふりをすることも出来ず、ラインハルトは少女にねだられるまま博物館内にある喫茶店にいる。
紅茶とケーキのセットに、両手をあわせて喜ぶ少女は、そこだけ見ればどこにでもいるこどものようだ。店員も周囲の客も少女を気にするそぶりは見せなかった。彼らにとっては異常がないということなのだろう。
「それで、私に何の用だ」
「用っていうほどでもないのよ」
フォークで掬い取ったケーキの欠片を口に含んで、少女はにこりと微笑んだ。
「ただ、あなたって綺麗でしょう?」
「……」
それに自分でうなずくのはあまりにも自意識過剰ということにならないだろうか。ラインハルトが返答に困って口をつぐんでいるうちに、少女は次の言葉を口にする。もともと返事を求めていたわけでもないのだろう。
「赤い宝石がとても似合うと思ったから、もう帰ってしまうのは残念だと思っただけよ」
「さて、私のような男に似合うとは思わんが」
「うふふ、鈍感なふりをしても無駄よ。せっかくだし、試してみましょう」
機嫌が良さげに笑いながら、少女がフォークを置く。その時に少女の胸元で大ぶりのレッドダイヤモンドのネックレスが揺れていることに気が付いた。果たして今、あの小部屋の飾られていた宝石は、まだガラスケースの中で眠っているのだろうか。
ぴょんと跳ねるように椅子から降りて、少女は首の後ろに手を伸ばしてネックレスを外した。
「きっと、とても似合うわ」
少女はラインハルトの背後に立ち、チェーンを広げて、ラインハルトにネックレスをかけようとする。
不思議と動けなかった。いや、動かなかったのかもしれない。警鐘をならす自分と、これくらいではどうにもならないと妙な自信に満ちた自分がいた。
「ああ、閣下。探しましたよ」
革靴の音もなく、気が付いたら傍に男が立っていた。長い黒髪を黄色いリボンでまとめた、最近見慣れてきた男だ。にこりと笑ってはいるが、あまり機嫌は良くないようだった。
男の出現に気を取られているうちに、ラインハルトの首にはチェーンが巻き付けられ、レッドダイヤモンドが胸元で揺れていた。チェーンのせいか、一瞬首元に違和感が走る。なんとなく首元を撫でた。
「ほら、やっぱり似合うわ。金と赤って相性いいもの! ね、どうかしら。それを受け取ってくださる?」
「閣下、今からお時間ありますか? あるでしょう。私と来てください」
一人ずつ喋ってくれ。
同時に畳みかけられて、ラインハルトは無表情で紅茶を一口飲んだ。無視をしたというより、反応に困っていったん口を湿らせたようなものだ。
「これほどのものを貰う理由がない。気持ちだけ貰おう」
ひとまず宝石を首からぶら下げ続けているのもと思って少女に向かって断った。宝石を返すと、つまらなそうに拗ねた表情を見せる。
「それと、知り合いに急ぎの用があるらしいので、これで失礼する」
そういってラインハルトは席を立ったが、なぜか知り合いもすさまじく拗ねた表情でラインハルトを見ていた。
私よりもそちらに先に返事をするのか。とか、知り合い……。などと言った無言の抗議が聞こえてきそうだった。