良薬、口に 〈 朔唯 〉ふと目が覚めて、重たい瞼を押し上げる。
結構な時間を眠っていたらしく、いつの間にか窓の外は暗くなっていた。
熱は下がったようで、いくらか楽にはなったけど、依然として体は気怠い。
意を決して、ゆっくりと重たい上体を起こす。
少し、節々が痛い。
溜め息を一つ零した時、静かにドアを叩く音。
返事をすれば、ゆっくりとドアが開かれた。
「朝日奈…もう起きて平気なのか?」
心地良い低音の主は確かめるまでもなく。
「朔夜」
朔夜は持っていたお盆を傍らに置き、じっとこちらを見つめる。
その瞳に心配の色が見えて、少しだけ気恥ずかしさを感じる。
「まだ怠いけど…熱は下がったみたい。今夜一晩寝てれば、大丈夫だと思う」
安心させるように微笑めば、朔夜はほっと目元を緩ませた。
「朔夜は、お見舞に来てくれたの?」
「ああ。お粥を持ってきたんだが…食欲はあるか?」
お盆の上の、小さな土鍋に目を向ける。
朔夜が開けてくれた土鍋の中身は、美味しそうな匂いを漂わせる卵粥。
匂いを嗅いだ瞬間、急激な空腹を感じ、胃がそれを求めているのだと分かる。
大きく頷けば、朔夜は小さく微笑んだ。
「薬も持ってきてあるから、食後に飲んでくれ」
土鍋に手を伸ばしていた私は、思わず動きを止める。
薬…?
その時初めて、私は土鍋の横の存在に気付いた。
きっと私は、それはそれは渋い顔をしていたに違いない。
それに気付いた朔夜が、不思議そうに首を傾げる。
「朝日奈?」
「…いらない」
「は?」
「…薬、いらない」
子供のような駄々をこね始めた私に、朔夜は呆れたような溜め息をつく。
「朝日奈、我が侭を言うな。お粥を食べて、薬を飲め」
「…後で食べるもん。薬もその時飲むし…朔夜こそ、こんな所で暇を潰してていいの?」
「一ノ瀬先生に、朝日奈に確実に薬を飲ませてこいって言われてるからな…言っておくが、朝日奈がちゃんと薬を飲むまでここにいるぞ」
…どうやらこの展開を見越した一ノ瀬先生は最強の刺客を寄越してきたらしい。
これが成宮や竜崎なら、あの手この手で飲まずに済む方法があったかもしれない。
けれど、相手はあの朔夜。
何とかして飲まなくていい方法を…。
薬を飲みたくない一心の私は、お粥を食べなければ薬を飲まなくて済む、という何とも短絡的な考えに思い至る。
…と、同時に名案も浮かんだ。
「…朝日奈、」
「…食べさせてくれたら食べる」
「……は?」
「朔夜が、お粥を食べさせてくれるなら、食べる」
私ははっきり分かりやすいように、丁寧に言葉を紡ぐ。
本当に子供の我が侭みたいだけど、今は背に腹は代えられない。
さすがに朔夜も困るだろうと、私は勝利を確信し…
「分かった…ほら、」
…私は、自分がいかに甘かったかを思い知らされた。
朔夜は躊躇するでもなく、そっとお粥を一口分掬い上げ、私に差し出してきた。
「…………え?」
「どうした?」
まさか本当にしてくれるなんて思ってもいなかった私には、予想外の展開。
朔夜は変わらずこちらを見つめたまま、お粥を差し出している。
「…朝日奈?」
「……っ、」
私は恐る恐る口を開く。
お粥がそっと、私の口に運び込まれた。
「…どうだ?」
「…」
緊張と恥ずかしさで味など分かるはずもなかった私は、とにかく何度も大きく頷くことしか出来なかった。
しかし、朔夜は珍しく満足したような笑みを浮かべ、また一口分のお粥を掬う。
再び差し出されるお粥に、私は慌てて首を振る。
「あ、あの…やっぱり、自分で食べようかなー…なんて…」
自分で言い出しておいて…と思われてもいい。
けれど、あまりの恥ずかしさに、これ以上耐えられそうにない。
朔夜の手からレンゲと土鍋を奪い取るように引き寄せる。
結局、朔夜が見つめる中、私はものの数分でお粥を平らげた。
「……ご馳走様でした」
…手強い相手に、私は為す術がない。
朔夜はと言えば、薬の準備を始めている。
「…ねぇ、どうしても飲まなきゃダメかな?」
「何言ってるんだ…早く風邪を治したいだろ?」
「……もうほとんど治ってるもん」
「……朝日奈」
呆れた視線と共に、まるで子供を窘めるように名を呼ばれた。
私は頬を膨らませ、そっぽを向き抗議の意を示す。
「…だって、不味いし」
「『良薬、口に苦し』って言うだろう」
「…効能も信じられないし」
「『病は気から』…効かないと思っていたら、効くモノも効かない」
「…ねぇ、本当にお願いどうしても飲みたくないの」
「子供じゃあるまいし…いい加減観念して…」
「…じゃあ、朔夜のお願い、何でも聞くから」
私は拝むように、朔夜に手を合わせた。
そんな私を一瞥し、朔夜は小さく溜め息をつく。
「…だったら、なおさら薬を飲んでくれ」
私は不満いっぱいの視線を朔夜に向けた。
呆れていると思っていた朔夜は、意外にも困ったような、けれど優しい瞳をしていた。
「…?」
「…俺の願いは、朝日奈の風邪が早く治ることだから」
そっと私の頭に、朔夜の手が伸びる。
優しく撫でられる感触は、とても心地良い。
「皆、君を心配している…早く元気な姿を見せて、安心させてくれ」
「俺も…君がいないと調子が狂う」
『良薬、口に苦し』なんて、言うけれど
私の『良薬』は
とても優しくて
甘かった
だけど、やっぱり…
「………(不味っ)」
「おい、大丈夫か…」