むじょうけんにこうふく(信乃敦) いつかそんな日が来るとはわかっていた。成長は喜ばしいことだ。でも突然にそれがきてしまうと心の準備が。いや別にそれを咎めているわけではないし悪いなんて一つも言ったことがない。成長痛、はいはい、成長痛ね、生憎だが俺はそれを経験したことがなくてな。だから何回も言っているが悪いなんて一言も言ってはいない。
要約すると信乃に身長を抜かされて悔しい、という話をコウから延々と聞かされている日付の変わる十分前。テーブルの上には数本空になったアルコールと、冷蔵庫にある食材で適当に作ったつまみ。こんなもの酔っぱらいの戯言だと思われるかもしれないが、この男はいたって素面である。酒を飲んでいないわけではない、ただこの男は酷くアルコールに強いだけなのだ。こんなティーンみたいな可愛らしい顔をしておきながら。
今日は信乃が友達の家に泊まりに行っているから久々に二人で飲まないか、と誘いを受けてほいほい家に上がり込んでしまったのが運の尽きだった。かれこれ三時間くらいは同じような話を聞かされている。
「……いつかは抜かれるだろうと思っていたが実際にその日がくるとな」
一年生の時に大きめを買った制服がいつの間にやら少し小さくなっているなと気が付いて、いってきます、と鞄を担いだその目線が自分のものよりも数センチ高かった。それが今朝の話だという。
男として、信乃の兄貴分として、身長が抜かれてしまったことにショックを受ける気持ちはわからなくもない。さすがに自分は抜かれないだろうと思ってはいるけれど。
「信乃はあのように愛らしいだろう。そのうえ身長も高くなって大人っぽさも身に着けてしまったらどうなる?世界が信乃に夢中になってしまう」
前言撤回。素面ではない。顔に出ていないだけで珍しく男は随分酔っているものと見える。言動が怪しくなってきた男にもうそろそろやめとけという忠告をしたのだが一切を無視される。机の上のアルコールを見せつけるようにまた自分のグラスへと注いで、それからこちらのグラスにも注いだ。琥珀色の液体がしゅわしゅわと半分気の抜けたような音を立てている。
「気をつけろよ敦豪」
「何をだ?」
「お前、信乃に告白されているんだろう。それも返事は高校卒業の日まで先延ばしにしていると聞いたが」
「誰から聞いたんだよ」
「信乃本人に決まっているだろう」
「あー、まぁ、そうだな」
喉がひりつくような気がしてグラスのアルコールを口に含む。それは一時的に喉の渇きを潤すけれど流れ落ちた先で胃を重くしていく。
「それで、リミットはあと数か月ほどなんだが『敦の兄貴』は覚悟はできたのかな?」
見た目よりも男っぽいコウの指先がグラスの淵をなぞっていく。青と緑のオッドアイが信者には見せないようなクソガキの瞳でこちらを見上げた。それに何も答えられずに黙り込めばくつくつと抑え込むような声で笑われる。
「最近の信乃は凄いぞ。元々大人びた子だと思っていたがやはり今までは子供だったんだなと思い知らされる。ふとした瞬間の仕草がやはり昔とは違ってたまにドキッとさせられる。それに身長も伸びたしな」
「結局そこに戻るのか」
「うるさい」
好きです、と全身全霊で好意を示してくれたあの日のことを思い出す。返事は高校卒業後に、だなんて濁したときには随分先の話になると、その頃にはお互いに忘れているのだろうと思っていたのに気が付けばもうリミットは目の前にあった。
忘れられるはずがない、忘れているはずがない。兄貴分への、同じチームメンバーへの、そんな好意に混じって時折向けられる恋慕の視線に気づかないほど鈍くはない。
それは年々質量を増して、男としての色さえも感じさせることがある。それが不快ではないから困るのだ。
もう一度好きだと囁かれるのだろうか。あの頃よりも縮んだ距離から、身に着けてしまった色香を纏って。
「そろそろケツの穴でも洗って準備しておいたほうがいいんじゃないのか?」
「あんまり下品な言い方はやめろ、黒崎が泣くぞ」
「敦豪の前だけだ」
再びグラスの中身を豪快に飲み干していく男が、もしかして俺の成長期はまだ来ていないのかもしれない、とわけのわからないことを真剣な顔で言い出したので、そろそろ本当にこの宴会をお開きにしなければと敦豪は決意した。