ルーラで辿りつけぬ処へバーン大戦の直後からポップ達は行方不明になったダイを探し求めていた。
メンバーを変えつつ捜査範囲を拡げ、瓦礫と化した街から街へ、山から谷へ、各大陸を粗方探し終えたら海へ、島へと。
そうしてポップは今日も地図に印をつけた。ここにはダイはいなかった、と。
羊皮紙に描かれた地図は書き込まれた覚書と印で真っ黒になっている。
朝に夕にと繙かれるためグローブ越しでさえ分かるほど、羊皮紙はくたりと滑らかに手に馴染む。その感触が厭わしい。
最初はマアムとメルルの3人での捜索だったがある程度の目星をつけた所でマアムはネイル村をいつまでも放って置けないと去り、メルルは古代占術を身につける為にテランの祖母の元へ帰っている。
来月には占いの結果を聞く約束をしているが彼女の神通力にも限度があるだろう。
ふと気づくと希望を見失いそうになった時に立ち寄るダイの剣の側に立っていた。
無意識にルーラを使ったようだ。
はじめてのルーラは川底からの脱出だったなと懐かしく思い出す。
それにしてもその日の内に国を跨いで師匠の住む洞窟まで自力で帰ってこい、はねぇよなと「ルーラ取得者」がどれだけ希少か知った今は思う。
だがあの夜の内にルーラで辿り着けなければレオナ姫は死に、ダイも竜の騎士として覚醒せず俺も大魔道士を名乗ることも無く、今頃地上はバーンによって塵と化していただろう。
奇跡のような、小さなピースが欠けても損なわれる世界。
そこに俺も確かに嵌め合わされているのだ。
ダイ、と呟いて剣の宝玉を撫でる。
大丈夫。ダイの命の印は輝いている。
ダイの生存を確約する輝きはポップに安堵と不安を同時に齎すのだ。
ここを立ち去った途端に瞬いて消えるのではないかと。
大きな溜息と共に剣の柄を握り片膝をつく。お前はどこにいるんだと声にださずに問いかけた。
懐の真っ黒な地図が音を立てる。
地図、地図。
書き込まれた落胆と無為になった努力。
一人旅になってから増えた脈絡ない連想がはじけた。
俺は同じように地図に虚しく印をつけただろう人を知っている。
人よりも魔族よりも竜よりも強く優しかった正当な竜の騎士。
大魔王バーンは自慢げに話していたそうだ。バランを軍門に引き入れるのは手間だった、と。
自分を倒し得る、憎むべき神の使者を足元に膝まづかせるのはどんな美酒にも勝る美味だったろう。
またいつもの夢が緩く閉じた瞼の裏で明滅する。
神か悪魔か、枯れ木のような老人の手にダイのくせっ毛が一房のせられている。そして耳元で囁くのだ。
さあ、デルムリン島のモンスター共を平らげよ。さすればダイの行方を教えてやろうほどに。
甘い誘惑は日に日に強く、巧妙に心の襞を擽る。
何を馬鹿なことをと即座に否定するべきなのに一瞬、そう一瞬だけ考えるのだ。
ルーラでデルムリン島へ飛び、ブラス老にダイの行方について知らせたいことがあるから、モンスター達に浜辺に集まってほしいといえば皆喜んでくるだろう。
そしてまだ残ってる奴を探しに行くよ、とでも言ってトベルーラで背後の上空に陣取りメドローアを一閃すれば呆気なく片がつくのだ。
あの島で空中戦ができるのはヒム位なのだから。
俺にはその力がある。
バーン大戦を経て必要とあらば躊躇わず凶行ができるようになってしまった事に恐怖する。
暴戻な魔法力を持て余す俺に、誘惑を退ける強さをいつまで持ち続けられるだろうか?
たった3年の捜索で心を弱らせた俺が求めているのは竜の騎士として覚醒した少年だが、バランが探していたのは乳飲み子なのだ。
その消息も辿れぬまま11年をどんな思いで過ごしたのか俺には想像もつかない。
その上やっと見つけた我が子に差し伸べた手を拒まれた苦しみたるを況や。
遠い国の昔話に、一人の男児を母を名乗る二人の女が我が子であると賢き王の前で争った話があったのを思いだす。
王の裁きは、男児の両手をそれぞれ引き自らの元へ引き寄せた方を勝ちとする、というものだった。
喜んだ女たちが力の限り子の手を引いた為に子は痛みに泣き叫び、その声に怯み一方の女が手を離す。
そのすきに子を抱き込んだ女に対して王は、子に苦しみを与える位なら我が元から手放す愛を持つ者が本当の母だと諭したのだ。
テランでの俺たちは、その偽の母の役回りだったんじゃないか?
前夜のダイの記憶を奪った時の戦いもそうだ。
バランにとっては身の程知らずに立ち向かう人間共に己の強さを語り、命が惜しければ今すぐ立ち去れと彼我の差を見せつけて何度も逃げるチャンスを与え、我が子へ自ら戻るよう語りかけていた。
人間を滅ぼす、その手助けをせよと語る思想は今も受け入れることはできないが、彼にも我が子の目前でその友を殺したくないという情はあったのだ。
記憶を消されて別人のように弱々しくなったダイに俺は苛立ちをぶつけることしかできず、その上実の親に子を渡すことを拒み「父さん」の元へ自ら行こうとしたダイの目前でバランにメガンテを仕掛けてまで手放すまいとした。
そして、記憶を取り戻したダイはボロボロに傷ついた仲間たちを守る為、俺を死に追いやった「父さん」に対し怒りに我を忘れて立ち向かったのだ。
そう、仲間を自分の為に傷つけられた痛みや親友の死がもたらした悲しみにダイは涙を流すことなく泣き叫んでいた。
実の親にどうしてこれ以上我が元へと手を引き続けることができただろうか?
「竜魔人形態は目の前の存在を皆殺しにしなければ解かれることはない」と語った男は結局自爆した俺以外殺すことなく、更には憎んでやまない人間に対して黄泉返りの秘法まで施したのだ。
我が子の痛みを止める為に、自らの信念すら捻じ曲げて!
「すまねぇ、バラン」
頬をつたう涙と共に詫びの言葉が漏れた。
ダイを手放さなかった事への詫びじゃない。
あの時にダイを奪われていれば大魔王バーンを倒す道は無くなり地上は滅びていただろう。
バランと俺達の戦力差ではメガンテを使う道しかなかったと今も思う。
後悔するのは殺しあいになった事じゃなくあんたも言っていた、心の傷に無闇に触れた傲慢さと、実の親をその子の前で殺そうとして恥じない俺達の強欲さだ。
俺は、俺達は何も分かっていなかった。
だがあんたも同類だろう
なぜ大魔王バーンの麾下になり竜騎将としてカールをそしてリンガイアを壊滅させた
息子と生き別れて幾年月、口ではどう言おうがあんたは息子を見つけだすことを諦めたんだ。
諦めていなければ「息子を保護しているかもしれない」「息子の方を知っているかもしれない」存在である人間を無思慮に殺せなかったはずだ。
だってダイは、あんたの息子は人間と容姿が変らないのだから、拾い育てるとすれば人間だと分かっていたはずだ。
どんなに憎くとも、行方不明の息子への道標になる可能性がある人間を滅するべきではないとあんたに分からない筈はなかったのに。
配下の竜騎衆もラーハルトを除けば「弱者を踏み躙ることをためらわない」屑どもを集めて何が楽しかったのか。
ラーハルトですら忠誠心がダイに向けられなければ、今のように人間に対して嫌悪に限りなく近い無関心にすらならなかっただろう。
バランよ。カールの王都で、リンガイアの街を竜が踏み躙る時に、その瓦礫の下に息子が押し潰されていないと確信していたのは、あんたが探していたのはあくまでも幼児のディーノだからだ。
あんたは幻を探していたんだ。
記憶を無くして、剣に怯え俺の怒声に泣きじゃくる12歳の少年に俺たちが勇者ダイの幻を押しつけたように。
ふと頬を撫でる風向きがかわったのを感じてゆっくりと顔を上げた。
涙は流れた跡を残して既に乾いていた。
俺はこの3年でありとあらゆる魔導書を調べ知識と魔法と世界の理を読み解き操る術を身につけた。
渋るロン=ベルクを説き伏せて魔界で生き残れる術と装備も手に入れた。
さあ地図の無い、地上ではない所を探しにいこう。
その為に一人旅になったのだから。
真っ黒な地図は、地上を全て探し尽くした証だ。
燃やしてしまおうと思ったが、もう一度懐にしまう。
ダイを見つけたら自慢してやるのだ。
お前が行ってない所に俺はこんなに行ってきたんだ。好きな所にいつでもルーラで連れてってやるぜ、と。
きっとあいつはお日様みたいな笑顔で喜ぶだろう。
ポップは剣の宝玉に口づけをしてルーラで飛び去った。
この場所へ再び来る時はデルムリン島からはじまった冒険のように二人で来ると、ダイの剣に誓いをたてて。