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    こにし

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    こにし

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    2021.6.27発行 オーカイ本『ささやかなぼくの天国』より 小説『The fallen spoon』のweb再録です
    再録にあたり多少加筆修正しております

    #オーカイ
    #web再録
    webRe-recording

    The fallen spoon 降り積もった雪に胸を弾ませることがなくなったのはいつからだろうとカインは考えた。幼い頃はちらちらと粉雪が降っているだけでも大はしゃぎで薄着のまま家を飛び出し、そのたびに母が追いかけてきて上着やマフラーや手袋を着せられたものだった。その頃は積雪による被害や吹雪の恐ろしさを知らなかったのだ。雪を見てそんなことを考えるようになった今、大人になったというよりかは、歳をとったな、という後ろ向きな感情があった。
     一面の雪。真っ白な地表は太陽の光を反射して眩しく、黒目の内側でちいさな光がちかちかと明滅している。防寒具を身に着けてはいるものの、唯一外気に晒された顔面は刺すような寒さに痛みを感じるほどだった。雪と枯れ木だけの山道はまだずっと続いてゆくようで、果ては見えない。
     十メートルほど前を歩く男は、保護色のような白い服を身に纏っているせいで、気を抜くとすぐに見失ってしまいそうだった。そうするといよいよ遭難することになる。カインは男の―――オーエンのつけた足跡を辿るように歩き続けた。
     雪の表面に象られた彼の足跡をずっと見ているうちに、彼の歩幅や、足の大きさがなんとなく意識された。足のサイズはさほど変わらないが、大股で歩いているのか、一歩一歩の間隔が少々広い。魔法舎の中をせかせかと歩いて誰も寄せ付けない彼の姿が思い出され、カインはくふふと堪えられないように笑った。
    「なに笑ってるの」
     音もなく眼前に現れたオーエンに、カインはうわっと声をあげて驚く。眉間に皺を寄せてうすい唇をへの字に曲げ、不機嫌であることを隠そうともしないようすだった。
    「悪い。待っててくれたのか」
    「待ってない。おまえがへらへら笑ってるから、むかついて邪魔しに来てやっただけ」
     オーエンはそう言うと、コートを翻して再び前へと進んでいった。心なしか、先ほどよりも速度が緩やかになっているような気がして、カインは今度こそ彼には悟られないように笑った。
     山道に入ってから二時間ほど経過した頃、ようやく道沿いに生えていた枯れ木が途切れ、開けた場所へと出た。人工的に刈り取られたようになにもない雪の地表が直径三十メートルほどの円形に広がっており、影が無い分一層白く感じられる。大きく息を吸い込んでみると、瑞々しく澄んだ空気が肺を満たした。随分と高いところまで登ってきたらしい。比較的勾配の緩やかな道を歩いてきたものの、長時間ともなれば足に疲労が溜まっている感じがあった。カインが深呼吸をしたり軽く屈伸している間、隣にいるオーエンは立ち止まったまま一点をじっと見つめているばかりだった。
    「ここは?」
     カインが尋ね、オーエンは彼の問いに答えるように口を開いたかと思えば、「《クーレ・メミニ》」と彼の呪文を唱えた。すると先程ちょうどオーエンが見つめていた場所に光の枠が現れ、なにか建物のシルエットを象ってゆく。やがて枠の内側が茶色に彩られ、こぢんまりとしたログハウスが姿を現した。カインは口笛を吹き、黙ったままのオーエンに話を振った。
    「ここがおまえの家?」
    「そうじゃなかったら隠す必要なんてないだろ」
     オーエンはそう言うと、さっさとログハウスの方へと歩いてゆく。カインは彼の後を付いていった。
     積雪の多い場所だからか高床式になっていて、入口までは短い階段がある。玄関の扉はオーエンが触れることなくひとりでに開いた。こういった細かな動作で魔法を使えば良いのかと感心していると、オーエンの視線を感じ、カインは玄関スペースに足を踏み入れる。
    「おじゃまします」
     中へ入ったカインを出迎えたのは重厚感のある木の匂いだった。小さい頃に森や、父親の書斎で嗅いだようなどこか古くてなつかしい匂い。まばたきをしている間に明かりが灯り、部屋の全容がくっきりとあらわれた。
     まずカインの目を引いたのは部屋の奥に備わっている天井まで伸びた煉瓦造りの暖炉だった。照明が点いたのと同時に火がつけられたらしく、煌々と燃える炎が、しんと冷えた部屋をみるみるうちに暖めてゆくのがわかった。しばらくの間、寒い場所で白い景色ばかりを見続けていたからか、それは一層優しくあたたかなものに思えた。暖炉の前には大木の断面を切り落としたようなデザインのローテーブルと、ワイン色のソファが配置されている。
     入口から向かって右側には西日の差し込む出窓があり、その前にはダイニングテーブルと一脚の椅子が置いてある。それはオーエンがここに人を招き入れることがないということを表しているように思えた。けれども、カインは今、彼の暮らしがあった場所に、彼の生活の領域に足を踏み入れることを許されているのだ。
    「早く入って」
     後ろに居るオーエンは、立ち止まったまま惚けているカインの尻を蹴飛ばして中へと追いやった。カインはよろけながらようやく玄関スペースを離れたものの、どこへ行けば良いのかわからずにまた立ち往生した。オーエンは苛立ったようすで、魔法でカインの体を浮かせ、乱雑に奥のソファへと放った。ベルベット調のソファはカインの体をやわらかくキャッチした。
    「随分なもてなしだな」
    「お前がさっさと入らないからだろ」
    「俺が女性だったら、今のでお前の頬に手形をつけてやってたよ」
    「やってみれば。君の体はぐちゃぐちゃになるだろうけど」
     売り言葉に買い言葉の応酬が飛び交う。しばらくくだらない口論が続き、カインは、オーエンを相手に遠慮をするのはやめようと思った。ふて寝をするようにごろんとソファに横になる。暖炉で火花が弾ける音が耳に心地好い。正直なところ、長時間歩き続けた体はくたくただった。芯まで冷え切った体が暖炉の熱で少しずつ溶けてゆく。初めて来訪した人の家で眠るというのはどうなのだろう。いや、けれども、この男相手なら構わないでも良いかもしれない。そう考えている間にも、うとうとと瞼が落ちてくる。意識が徐々に遠のいてゆくのがわかり、カインは、ついに眠気に抗うのをやめることにした。ぼんやりとした視界に、オーエンの白い輪郭が浮かび上がる。彼は鼻先が触れそうなくらい近づくと、おやすみとだけ言って、それから目の前が真っ暗になった。
     
     
     
     はっと目が覚めると、カインは窓際のダイニングテーブルに突っ伏していた。窓から朝日が差し込んでいる。あのまま朝まで眠ってしまったのだろうか。寝る前の記憶がどうにも曖昧で、それを探るように、立ち上がって家主を探した。暖炉の方に目を遣ると、ソファでオーエンが丸くなっているのが見える。ふらふらとした足取りでそちらへ歩いてゆき、彼の体を揺らそうと手を伸ばすと、その手は体をすり抜けて空を切った。
     そうか、夢を見ているのか。ソファでは、確か自分が寝ているはずだった。
     夢であることを知覚するのは久しく、起きるような気配もないのでどうしたものかと頭を悩ませる。勝手に家の中を歩き回るのも悪いような気がするので、カインは、夢の中のオーエンが起きるのを待つことにした。
     床に腰を下ろし、じっと彼の寝顔を見つめる。雪のような白い肌に均整のとれたパーツが配置されている。いつもは吊り上がってばかりの眉はなだらかな弧を描き、敵意のない唇から寝息が漏れていて、とても千年以上生きているとは思えないあどけないかんばせがそこにはあった。
     オーエンが眠っているところを見るのは初めてのことだった。彼にも睡眠は必要なのか、と妙なところに関心する。これまで別の生き物のだと思っていたオーエンは、実は自分となんら変わりのないつくりをしていて、食べることも眠ることも、呼吸をすることも、生きてゆくためには必要なのだ。そういった些細な真実がカインの胸の内を満たしてゆき、ほんの少し彼のことを愛おしいと思う心の余裕が生まれた気がした。
     しばらくそうしている内に、オーエンのまなじりがピクリと動いた。うん、とのどが閉じたままの篭った声が漏れ、長いまつ毛を揺らしながら瞼が開く。どうやら目を覚ましたらしいのだが、まだ意識がぼんやりとするのか、しばらくはまばたきを繰り返し、丸まったり伸びたり、そんな身じろぎをしていた。いつか賢者が、オーエンを猫のようだと評していたことを思い出す。あの時はとてもそうは思えなかったが、寝起きはなるほど確かに、日向でまどろんでいる猫に見えなくもない。
     カインがおはよう、と声をかけてみたものの、オーエンからの反応は返ってこない。先程から間近で見ていても目が合いそうもなく、どうやら、彼はカインの存在を認知できないらしかった。カインにできるのは、ただオーエンを観察することだけであった。
     それからカインは、オーエンの一日を彼の傍らで見守っていた。
     オーエンはのっそり起き上がると、まずキッチンでコップに水を汲み、それを一気に飲み干した。ほどなくして窓の方からコンコンと音が鳴り、そこでは白い小鳥の親子がオーエンを待っているようすで佇んでいた。オーエンは慣れたようにパンくずや木の実を持って行き、お喋りをしながら小鳥の親子に与えた。その顔にはやさしくやわらかな笑みが浮かんでいる。それはカインの見たことがない顔だった。彼の他人に見られたくない部分を、不用意に覗き込んでいるような気分になり、なんとなく直視していられなかった。
     オーエンはその日一日をこの山荘で過ごした。本を読んだり、時折訪れる動物たちと話をしたり、うたた寝をしたり、気まぐれに料理をしてみたり、ぼんやりと暖炉の火を眺めたり……そこにあったのは、あまりにも普通の暮らしだった。ただ彼が一人であるという一点を除いては。
     ごおごおと世界が終わる瞬間のような音が鳴っている。外は真っ暗で何も見えない闇の中、恐ろしい魔王のような猛吹雪の気配だけがあった。今朝は陽光が差していたのに、山の天気というものは移ろいが激しい。普通の山荘ならばとっくに倒壊しているだろう。恐らくここは魔法によって守られているのだ。オーエンはダイニングテーブルで夕食を摂っている。パンにスープに水という質素なとりあわせだった。生活という体裁を保つために仕方なく食べているといった具合のようだ。彼はパンを千切り、スープを啜りながら何も見えない窓の外を、あるいはそこに映った自分の顔をぼんやりと眺めていた。そこにはなんの表情もなかった。
     孤独に慣れ親しんだ顔。寂しいという感情がこそぎ落ちた顔。彼の手からスプーンが滑り落ちた。規則正しい落下運動で床にぶつかった。
     数刻遅れてオーエンは足元を見た。床に落ちて音を立てるまで気が付かなかったらしい。彼は落としてしまったスプーンを拾おうと身を屈めた。けれどもそれは叶わなかった。カインが拾うのが先だった。
    「もう落とすなよ」
     カインはしっかりと彼の顔を見つめた。目を丸くして、驚いたように薄く口を開けている。今度こそちゃんと目が合った。カインは決して逸らすまいとまばたきすら惜しんだ。
     吹雪が窓を打つ音が一層激しくなる。世界にふたりきりになったような気がした。いや、これは夢なのだから、実際本当にふたりきりなのかもしれない。それでもよかった。この場所でオーエンが一人きりでないのなら、それでいい。
     次に目を覚ました時、カインは今度こそソファの上だった。暖炉の熱をすぐ傍に感じる。どれくらいの間眠っていたのかは分からないが、丸一日寝てしまった時のような気だるさがあった。上半身を起こすと、毛布がはらりと脚の上で皺をつくった。周囲を見渡すと、いつの間にかローテーブル越しにロッキングチェアが置いてあり、そこには座って本を読むオーエンが居た。
    「俺、どれくらい寝てた?」
    「さあ、数えてないから分からない。随分といい夢を見ていたようだけど」
     オーエンはロッキングチェアをゆりかごのように揺らし、本から目線を離さないまま言う。窓の方に目を遣ると、もうすっかり真っ暗でなにも見えなくなっていた。音のない、静かな夜であった。
     カインの腹がぐうと鳴り、二人は食事を摂ることにした。オーエンは蓄えがあるのだと言って外へ行き、しばらくすると鹿肉を持って戻ってきた。腐らないように魔法をかけ、そのうえで壺に入れて埋めているらしい。
     オーエンが料理をしている姿を、カインは初めて見た。ネロとは違い、魔法を使うことを惜しまずに調理している。昔入った料亭で見た手さばきを再現しているだけらしく、オーエン本人に料理の知識は無いのだという。料理が完成するまでの間、ボトルワインを開けて乾杯した。百回目に死んだ日に造られたとっておきのワインだという話を聞かされ、どう味わえば良いものか困った。
     できあがったのは鹿肉のホワイトシチューと、ワインのあてになる燻製だった。バスケットにパンを詰め、ダイニングテーブルへと運ぶ。最初は一脚だけだった椅子の対面には一脚置かれていた。
     配膳が済むと、二人は改めて乾杯した。ワイングラスを傾け、燻製を口に運ぶ。それは意外なほど―――と言うと失礼なのは承知で―――美味しいものだった。次にシチューに手を付ける。オーエン好みの甘めの味付けながらも、見事に調和がとれていた。
    「うまい! 店に来てるのかと思った」
    「だから、実際店のものを再現してるんだよ」
    「それにしたって、本当に再現できるんだから凄いじゃないか」
    「ふうん。じゃあお金でも払ってもらおうかな」
    「そこは……勘弁してくれ。今度またケーキを食いに行こう」
    「やった。約束する?」
    「それはしない」
    「あはは。薄情だね」
     いつになく会話が弾む。ワインが回り、互いに気分が少し高揚しているのが分かる。いつの間にかワインが空になり、オーエンが魔法で二本目のボトルを引き寄せた。栓を抜き、どぼどぼと注ぎ入れる。酔いが回るのが早いのはアルコールが強いからでも、ペースが速いからでもなかった。
    「ねえ、どうしてここへ来ようと思ったの」
     オーエンはカインのグラスにワインを注ぎながら訊いた。頬が少々赤らんでいて、いつもより声が高い。期待と熱の篭った目で見つめられている。いつになく上機嫌に、ふつふつとした笑いが口の端から零れていた。カインは努めて真剣なまなざしでオーエンを見つめた。
    「知りたかった。お前がちゃんと、生きているんだってこと」
     あくまでも真面目な声色で告げる。冗談めかしたくはなかった。
     オーエンの目が零れ落ちそうなくらい大きく見開かれた。スプーンを口元へ運ぼうとしていた手がピタリと静止する。それはそのまま彼の手を滑り落ちていった。
     あ、とカインが声をあげた次の瞬間にはもうスプーンは床に落ちてしまっていた。カツンと音が鳴り、シチューが飛び散る。オーエンは時が静止したように固まったままだった。カインは彼の代わりにスプーンを拾った。夢の中でのできごとをなぞらえるように、オーエンにスプーンを差し出す。
    「もう落とすなって言っただろ」
     カインはオーエンの手を取り、スプーンを握らせた。もう落としてしまうことのないように、固く力を込めて。
     オーエンは俯いたまま、顔を隠すようにカインの肩に寄り掛かった。かすかに震えていることがわかる。そのまま少しの間沈黙が続いた。
     オーエンの背中に手を回すと、掌はあたたかな彼の体温を感じ取った。心臓がとくとくと動いている感触があった。胸元に熱い息がかかるのがわかり、カインは彼の声に耳を傾けた。
     
     それを拾ってくれる人、今まで誰も居なかった。
     
     小さく、ほんのかすかな声だった。けれどもカインの耳にはしっかりと届き、返事をする代わりに、オーエンの背中をやさしく撫でた。
     後ろで暖炉の火が消える気配があった。部屋はじきに冷えてしまうだろう。それならずっと抱き合っていればいい。やがて体温が混ざり合って二人を隔てる境界がなくなってしまうくらいに抱き合っていれば、きっと夜も越せるだろう。二人であれば、それができるのだ。
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    1931