【くわぶぜ】風の朝【リクエストSS】はっはっはっはっ。
自分の軽快な呼吸音が、耳の奥へと響いてくる。
聞こえるのは自分の規則正しい呼吸と、穏やかなさざ波、それからわずかな海鳴りだけだ。
春の兆しの見え始めた日本海は穏やかで、早朝のうっすらとあけかけた朝日を受けてゆらゆらと揺らめいていた。
そんな海岸を俺は軽快に砂を蹴って走っていく。スピードは速くなく(桑名に言わせればバカ速いらしい)、春に向かって進みゆく周囲の景色を楽しみながらの早朝ランニングだ。
2kmほど続く長い海岸を2往復すれば約8km、休日の朝のモーニングルーティンにはうってつけと言えるだろう。
とはいえ、桑名には朝からこのコースはきついらしい。今日も一緒に走り出したものの「もう君にはついて行かれない!!」とか、別れ間際の女子のような捨て台詞を吐いて、1kmほど一緒に走っただけでスタート地点にしている海水浴場へと戻っていってしまった。
どうやら、ヤツは最初からランニングはアップ程度で、筋トレやストレッチ主体のトレーニングを行うつもりだったらしいから、まあ、それもいいだろう。アイツは仕事柄、筋力もかなり使うから、そちらを鍛えたくなるのもよくわかる。
アイツのパワーの信頼性は絶対だ。
俺は走りながらふっと海を見た。沖に小さな岩が突き出しており、そこに波が当たって砕けている。
4ヵ月くらい前、俺はあんな岩の上で死にかけた。岩に叩きつけられ、波に洗われ、その最後の命の炎が消える直前。強く引っ張り上げられ、抱きしめられたあの力強さを、俺は忘れない。
きっと、日々出動していく先で、そんな思いをする人間はたくさんいるんだろう。アイツのあの筋力のおかげですくわれている命が無数にあることが、嬉しい。
「まあ、それに絶倫だしなぁ……」
鍛えられた肉体のおかげだろうか……。夜の体力も半端ない。2人そろっての休日前夜ということもあって盛り上がった昨晩のことをちらりと思いだす。
昔のように羽目を外すことはもうあまりないが、それでも今朝は起きれないかも、と心配になった。20代前半から比べれば、節制も聞くようになったとも思うが、桑名から「ねぇ、もう一回、
いけるよね?」と言われれば、負けず嫌いの俺がイヤだとは言えるはずもなく、次のラウンドに突入してしまう。戦闘機乗りの俺が、そういう勝負を挑まれて(勝負だったか?)断れるはずもないのだ。結局3ラウンドほどやって、春先だというのにお互い汗だくになって終了。後始末やらシャワーやらを浴びて寝たのはてっぺんを回っていたから、まあこの時間に起きて早朝トレーニングできているのは、なかなか奇跡的だ。
せっかく休みだし、午前中は掃除やら洗濯やらを片付けたら、午後はゆっくり昼寝でもしようと提案しようか……。
俺がそんなことを考えていると、前方にうっすらと人影が見えてきた。朝の日差しを受けて眩しそうにダンベルを持ったまま手を振っている。
俺も手を振り返し、少しだけスピードを上げた。
「お帰りぃ、やっぱり速いねぇ」
いつも通りのんびりおっとりした口調で、桑名が両手を広げる。
「おう、ただいま」
俺はぽすっと、その胸の中に飛び込んでゴールした。
「何キロくらい走ったの?こんなに汗だくになって……」
桑名が俺の額にはりついた前髪をさらっとなでる。
「ん?8kmくらい?速いペースじゃねーし、大丈夫だよ?」
「速いよ。もう、陸自のレンジャー前期試験の走力テストだったら、君きっとダントツだよね……」
「そう?だったら嬉しいな……」
桑名がメディックになるために、受けにいった陸自の空挺レンジャー課程がどれほど大変だったかは、折に触れて聞かされる。なかなかにトラウマになるほどに大変だったのが、この走力テストだったらしい。まあ、桑名は走るの苦手だからな。
そんなことを考えていると、桑名の顔がぐいっと近付き、べろりとその首筋を舐められた。
「うわっ!!!何すんだ!誰か見てたらどーすんだよ!!」
「こんな朝早く、誰も見てないよ、大丈夫」
たしかに、まだ太陽は完全には顔を出しておらず、うっすらと桜色に染まったような世界の中には、俺たち二人以外には誰もいないようだった……けど……。
「んーーー。昨日のエッチした時の汗と、走ったあとにかく汗って同じ成分なのかなぁと思ってさ……」
「……で、どうだった……?」
「おんなじ気がするけど……どうだろう、もう一回試してみないとわかんないなぁ……」
桑名は俺をぐいっと抱き寄せると、汗でしっとり濡れたランニングパンツの上から尻をするっとなでた。
「……朝ごはん食べて、掃除と洗濯してからだぞ!!」
「えー、そんなのお昼になっちゃうやん……まあ、豊前が疲れてるって言うなら、仕方ないけどさ……」
「別に疲れてねーよ!!」
こいつ……俺の扱いに慣れてるな……。
ちらりと、そんなことを思いながらも、答えを誘導されてしまう。
俺は、この後の計画を少し練り直しながら、ニコニコと尻を撫でる桑名と共に家路についたのだった。