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    Raimu2312

    支部に置かない系

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    Raimu2312

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    軍パロ~ルベウスを捧ぐ

    ルベウスを捧ぐ「くそっ!!まただ!!」

    黄色くくすんだ壁、昼にほど近い時間でも光の一切差し込まない部屋に、心ばかりの照明がオレンジ色の影を落とす。
    地下特有のひやりとした空気と遮蔽感。これはこの場に集まった者達が質の良くない者達だと知らずとも勝手に想像するだろう。
    けぶる空気を震わせる怒声と机を叩く音。
    机の上、叩き付けられた拳の下で書類の束がくしゃりと悲鳴を上げる。
    先程の男が苛立たしげにその焦げ茶の髪を搔きむしるが、周囲の者は疲れ切ったように項垂れたまま顔を上げない。
    散乱した紙きれ、怒りの犠牲になった書類の上で細かな文字が躍る。
    複雑な暗号の下、ようやく解読したそれは家庭料理のレシピであった。
    これで煮え湯を飲まされるのは何度目だろう。
    敵の目を掻い潜り漸く手に入れたと思った情報は、今度こそ本物だと信じたくなるほどに複雑な暗号に隠されていた。
    しかし、暗号解読に長けた者達が数日を費やして解読してもこれだ。
    そうしている間にも、一人また一人と味方は捕まり姿を消していた。

    ―――まるで手のひらの上で弄ばれているようだ。

    いや、まるでではない。おそらくそうなのだろう。
    これほどやりにくい仕事が今まであったろうか。
    敵国へと潜入し、それぞれに多様な方法で身を潜め情報を集める。今まで繰り返してきた行為にそれなりの自負もあった。
    しかし、ここヴェロニアの王都近くに来てからはすべてが空回りとなった。
    焦燥と緊張、苛立ち、そして濃厚な疲労がこの場にいる全員から陽炎のように立ち上る。

    ジルは扉のほど近くに佇み、その様子を眺めていた。
    「そろそろだろ?」
    つ、と近づいてきたくすんだ金髪の男が主語もなく問いかけてくる。
    しかし、その意味するところを違えず読み取ったジルは端的に「ああ」と頷いた。
    「潮時だ」
    王都にいる、本国からの中継係が罠にはまった。
    これで市内に紛れ込んだ仲間は自分たちを含めても10余名。
    もうこれ以上ここにいても何も得るものは無いだろうし、逆に捕まってこちらの情報を探られても困る。
    「逃亡用のルートの確保はどのくらいで出来る」
    「すぐにでも」
    こくと頷いた男に、任せると視線で告げる。
    「決行はいつにするんだ」
    会話を聞いていただろう別の男が声を上げる。
    「おそらく今日にでも―――」
    「まだだ!!」
    激高した声に会話が中断される。
    「ここまで馬鹿にされて、一つの成果も持たずに国に還れるか!!」
    焦げ茶の髪が怒りに燃え立つように揺らめいた。
    ギラギラと激情に煮え立つ瞳は、ともすれば今にも爆破しそうな危うさを孕んでいた。
    共感に、俄かに空気が色を変える。

    「私情は捨てろ」

    しかしジルはそれらを切って落とした。
    不満に腰を上げかけた男を視線で黙らせ踵を返す。

    「俺はもう行く」
    「またあのお子ちゃまのご機嫌伺いか?」
    オモテになる事で、燻る不満を隠さず皮肉った声音。この後の自分の予定は全員把握している。あの一刀が子守かと続く声が上がれば揶揄を含んだ笑い声が零れた。
    「決行は今日だ」
    無視して告げて扉を潜れば、一瞬にして静寂が訪れる。
    閉まる扉の向こう、ジルの背を追うように盛大な舌打ちが聞こえた。


    薄暗い通路を抜け階段を上り、更に込み入った通路を抜け表へと出ても、煩雑とした建物達は日を遮り鬱々とした空気を身に纏っている。
    表通りへと向かう道を迷いなく進み、ようやっとその身を日の下へと差し入れれば昼の日差しが目を焼いた。
    少し遅れている――
    深くなった眉間の皺、ジルは舌打ちと共に歩き出す。
    向かうのは現在の仮の身分の上司にあたる人物の屋敷。
    大佐である彼の身分は公爵。現在タウンハウスにその子息と共に身を置き、王城のほど近くにある貴族街に居を構えている。
    ここから向かうならば市中に出て貸し馬車だろう。どうせ費用は公爵家持ちだ。
    こうして公爵家に通うのは何度目だろうか。
    事の発端は上司の子供の誘拐現場に居合わせた事。

    その日非番だったジルは街での日用品の買い物や本国への連絡などを済ませ、空腹を満たすために食堂を目指していた。
    ふと向けた視線の先、見覚えのある子どもを認め歩調を緩める。
    (確か大佐の…)
    思い出すのは自分の上司。食えない笑みの男は、今自分たちを手のひらで弄んでいるであろうその人で――
    その男が何度か自分の息子だと言って幼子を連れて歩いていた。
    白金の髪の不思議と人を引き付ける笑顔を持った子供だったと記憶している。
    見るからに育ちの良いその子供は、護衛らしき男を連れてしげしげと露店を眺めていた。
    子供が何事か言い護衛の男の視線がそちらへと逸れたその一瞬の隙に、後方から走ってきた男に幼子が拾い上げられる。
    すぐさま反応した護衛と男がにらみ合いになった。
    首筋に刃物をあてられた子供は、普段から言い付けられているのか動じず大人しいが、瞳は水を湛えて揺れている。
    通り過ぎるかやや迷った。
    この時からすでにあの男の手であろう妨害に、幾度も煮え湯を飲まされている。
    だからと言って幼い子供が痛い目を見れば良いという思いはないが、といって進んで関わって目立つ気もないし、あの男と関わるのは危険だ。
    (…関係もない)
    だが、その揺れた瞳と目が合った。瞬間、剣を抜き、首筋の刃物を払い、子供を抱え込んでいたのだった。
    子供を護衛に渡し、名も告げずにその場で別れたが、事の顛末を護衛の報告で聞いた父親によりあっさりと自分だと突き止められた。
    その後、その子供に妙に懐かれたジルは月に2度ほど公爵邸から「昼食を共に」との誘いを受けている。



    ガタガタと揺れる馬車がほどなく豪奢な屋敷の前へと滑り込む。

    「ジル」

    嬉しげな声が名を呼び、駆け寄った身体が脚へと飛び込んでくるのはジルはしっかりと受け止めた。
    キラキラとした瞳がこちらを見上げ、んっと両手を差し上げてくる。
    それの求める意図を理解しながらも、ジルはこの子供の要求に応えた事はない。
    待てども抱き上げてくれる手が無いことを知って、へにょりと眉とともに腕が落ちる。
    しかし、こちらも慣れたものですぐに気を取り直して懐を探り出す。
    「ジル、これを」
    差し出されたのは赤い花。
    その身と等しく小さな手に小ぶりな花が一輪慎ましやかに揺れている。
    毎回来るたびに差し出されるコレは、種類こそ違えどいつも赤い花ばかり。
    門前に佇む父親に目線をやってもいつもの裏の読めない優しげな笑顔を返されるのみ。
    「悪いが」
    受け取れないーー告げる言葉と共にその花ごと手を押し返す。
    これもまた繰り返される情景。
    断られて落ちた肩がなんとも言えない哀愁を誘う。
    いっそこのくらい受け取っても、という気にもなるが、これ以上この少年に懐かれても困る。自分はもう明日にもこの国を出る身だ。
    今にも花と共に枯れ落ちそうな風情には流石のジルも困惑するが、といってその身体が少年のために動くことは無かった。

    伏せられた耳を幻視しそうな風情で花を懐に戻した少年が、スッと背筋を伸ばし微笑みと共に右手を差し出す。
    「本日も招待に応えていただきありがとうございます」
    小さな紳士の精一杯のエスコート。
    流石公爵家、この歳ですでにその姿は大人と並んで引けを取らないと言える。
    「招待いただき光栄です」
    儀礼的に返しその手に触れればきゅっと握り返される手。
    ようやくその顔に浮かぶ満面の笑みに、ジルは知らずに詰めていた息を吐いた。
    導くように促して先を歩く白金のつむじを中腰で追う。数メートル先、このやり取りを一部始終を見ていた上司がその腕を拡げて少年を迎え入れる。
    「やあ、また振られてしまったね」
    抱き上げ残念だねと語りかけるその顔は、これっぽっちも残念そうには見えなかった。
    (やめてくれ)
    内心呟いて、苦々しく見つめ返す。
    腕の中の少年が先ほどまで浮かべていた笑みをまた悲しみに陰らせてこちらを見つめている。この反応すら楽しんでいるであろう父親の一見人の良さげな笑みが憎らしい。
    「ふふ、いつまでも客人をこんな所に立たせておくわけにはいかないね。さあ、中に入ろうか」

    一見和やかに進んだ食事。
    会話の主導権はリゼルが握り、相槌を打つだけのジルをそれでも嬉し気に何度も話しかけてきた。
    「ジル、今日はこの後時間はありますか?」
    食事終わりのリゼルの無邪気な質問。食後にお茶をご一緒に、と、ここまでが食事に招かれたものの応えるべき礼儀だ。
    「ああ、まだ時間はある」
    本当は逃走準備に走りたい。だがそんなことおくびにも出さず答えれば、ぱあっと華やぐ顔。
    「では、居間に行こうか」
    見守っていた父親が立ち上がり、居間へと案内される。
    「今日は忙しくなかったかな?」
    道すがら柔らかな問いかけに背筋が冷える。
    「いえ」
    「そうか。ならば良かった。せっかくの休日だ、友人と会ったりもしたんじゃないかい?」
    やはり知られているーー
    ざわつく心を抑え込み、平時と変わらぬ平坦さで答えた。
    「そのようなものはおりませんので」
    ふ、と鼻を抜ける吐息。
    「それはそれで寂しいね」
    何とも思っていない癖に、顔だけは困ったように微笑んで見せる。宮廷の梟とこの男が陰で呼ばれているのを知らなければ、ただの優男にも見えたろう。
    梟は賢く狡猾な夜のハンターだ。そして知識の象徴でもある。
    今、梟がその瞳を向けているのは自分達であろう。
    何匹の鼠がその爪から逃れられるのか…

    「父上!」
    パタパタと軽やかな足音が割って入る。
    「リゼル、走ってはいけない」
    途端父親の顔に戻った男が、少年の無作法を咎めてみせた。
    「申し訳ありません」
    殊勝に詫びを入れたと思えば、でも次の瞬間には抱えた本を持ってジルの元に小走りで寄ってくる。
    「ジル。この本を読んでほしくて」
    「リゼル」
    再度窘める声にバツが悪そうに肩をすくめると、ひょいっとジルの後ろに隠れる小さな体。
    そうして隠れた足元から期待に満ちた瞳がこちらを見上げてくる。
    ジルはこの瞳が苦手だ。
    身を屈め、その腕の中から本を取り上げれば、喜色と共に手を取られる。
    「リゼル、本ならお父様が読んであげるよ」
    父親の声に、繋いだ手の先と己が父親へと交互に視線を走らせたリゼルは、ぎゅっと握る手に力を込めて父親を振り仰いだ。
    「ジルがいいです」
    がーん
    音が聞こえそうだな、ジルはその男の風情にそう思った。
    先程までの緊張感は霧散し、父親らしく自らの息子の言動に振り回されている様は少々笑える。
    少年はジルをソファへと導くと座らせ、当然のようにその膝に乗り上げてテシテシと本の表紙を叩いて催促をした。
    促されるままに表紙を開けば、ページもご指定があるらしくパラパラとめくり始める。
    テーブルの上に手際よく並べられていくコーヒーと紅茶。そしてジルの好みに合わせたであろう甘くない菓子。
    音も立てずに動く使用人たちの中一人のお仕着せが主人に近づき何事か囁くと、公爵はふむと呟いたかと思うと席を立った。
    「私は少々席を外させてもらうよ。リゼルはあまり彼に我儘を言わないようにね」
    「はい」
    いってらっしゃいと手を振る少年の見送りを受けて、主と準備を終えた使用人が扉から消えていく。
    人の気配の減った部屋で、また本の頁を捲り始める白金のつむじを見下ろしていると、ふと疑問が口を突いて出た。
    「お前は俺の何がそんなに気に入ったんだ」
    きょとんと見返す瞳が、何か当たり前のことを聞かれたみたいな風情を醸し出していて居心地の悪さを感じ身じろぐ。
    「ジルはカッコいいです」
    子供らしい端的な答え。
    「一番カッコいいです」
    信じて疑っていないという無垢な瞳に、つい悪戯心が芽生えて笑いが漏れる。
    「お前の父親よりか?」
    甦る先程のショックを受けたあの顔。意地悪げに問い返せば、あ、と口を覆う小さな手。
    「えと、父上もカッコイイです」
    「一番じゃないのか、残念だな」
    「え?!えと…」
    わざと悲しげに言って見せれば、ジルがこんな反応をするとは思わなかったのだろう。僅かに驚いた後思案気に瞳を伏せたかと思えば、すぐさま満面の笑顔でこちらを向く。
    「ジルは私の特別です」
    「特別ね」
    「ジルは一番特別です」
    なんというか…
    「なるほど、たらしだな」
    「たらし?」
    気にするなと、手を振ってどこを読むんだと言えば、目的を思い出したのだろう、ここですと指先が紙面を指す。
    一呼吸のち、ジルの少し掠れた声が室内に響きだした――


    夕刻。
    そろそろ、と暇を告げれば、親子は連れ立って門前まで見送りに出てきた。
    「ほらリゼル。お願いがあるのだろう」
    どこか恥じらうように俯く少年の背に、そっと父親が触れる。
    促され勇気を得たのかトト、と近寄った少年が決意を滲ませた表情で口を開いた。
    「ジル、明日もまた来ていただけますか?」
    「それは」
    できないーー
    続く言葉を飲み込む。
    この男の手前、ほんの僅かでも異質な行動は取れない。
    うかがう瞳に嘘を吐く罪悪感。

    ほんの少しだけ

    ジルの心の無くしたはずの柔らかい場所が、今だけはと甘やかに疼く。

    明日、自らの不在にまたその紫の瞳を陰らせうつむくだろうこの子供に
    明日以降もうこの存在を感じることが出来ないだろう自分に

    少しだけ、思い出を作っても良いかもしれない

    ジルはその手をリゼルの脇の下へと滑らせると、その身体を高く持ち上げる。
    「わかった。約束する」
    初めてのこの行為に丸く見開かれた目が、みるみる笑み崩れていく。
    「約束ですよ」
    柔らかに折れそうな、しかし内に秘めた生命力ではちきれそな身体を抱きしめれば、幼子特有の甘やかな香りが鼻腔を擽る。


    「絶対ですよ」


    手を振る幼子に別れを告げる。
    もうこれを最後に会う事の無いその存在を目に焼き付け、ジルは馬車へとその身を滑らせた。






    夜の気配が街を覆い尽くす頃、家路を急ぐ者、その日の疲れを癒やすべく酒場へと繰り出す者達で賑わい出した通りへ、ジルはごく自然に身を滑り込ませた。
    昼とは別の集合場所へと辺りを警戒しながら慎重に、しかし傍目にはごく当たり前に酒場を目指す若者のように進む。
    辿り着いたのは娼館立ち並ぶ通りのほど近くに立地する居酒屋だった。
    中へと入ればカウンターに座る店主が面倒くさそうに顔を上げる。
    「今日は貸し切りだよ」
    邪魔者を追い払う仕草を見せた店主に招待客だと証明すれば、奥の部屋だと顎で示された。


    ぎゃはははははは!!

    扉を開いた途端に漏れ出た下品な笑いに眉を寄せる。
    「なんだ」
    状況が状況なだけに場違いだ。扉近くにいた人間に問い掛ければ、酒を片手にした男は軽く肩を竦め奥の机で揺れる焦げ茶の髪を指差した。
    「奥でアイツが玩具で遊んでるんだ」
    今回一気に引き上げるメンバーは10数名。今まで一度も顔を合わせた事のない者もいる。
    今問いかけた者は昼間に話したあのくすんだ金髪の男だった。
    奥と示された先には数名の人だかり、その場に集っていないものもニヤニヤと下品な笑いと共にそれを見守っているようだ。
    ダン!何かが机を叩く音と共にドっと上がる笑い声。
    酒や煙草、男達の据えた匂いの充満する中、嗅ぎ慣れた真新しい血のにおいが混じる。
    悪趣味な…顔を背け内心毒づく。
    何処からか仕入れて来た何者かを鬱憤ばらしに甚振って遊んでいるようだ。
    男が何事か言えば、それを笑う声が後を追う。
    再び響く打撃音。
    血の匂いの中、僅かに香る香り――感じた既視感に振り返る。
    まさか――…
    血の気の退くような感覚と共に大股に歩きだす。
    近づくほどに強くなる血の香りと、それに混じるあの、柔らかな…
    「よぉ~!一刀殿!!混ざりに来たのかぁ~?」
    振り向いた男の向こう、見えた光景に脚が止まる。
    「見てくれよぉお宝を手に入れたんだぜぇ」
    大仰に腕を拡げ舞台上の道化のように戯けてみせながら、男は自らの成果を自慢気に見せびらかした。
    「じゃじゃーんフクロウのヒナだ」
    視界から男が消え、その身に隠されていた向こう側が詳らかに見える。
    テーブルの上、男たちに押さえつけられた幼い身体。口に咥えさせられた猿轡には血が滲み、柔らかで癖のない白金の髪は男の無骨な手の中で今やその色が白金である事を確認出来ない。
    服からのぞく肌は赤とも青ともつかぬ痣がそこかしこに散っている。
    しかしそれよりも目立ったのは他でもない、右脚の内側、突き立てられた一本のナイフ。
    柔らかな肉に食らいつくそれは、その未成熟な細い肢体には酷く不釣り合いでーー
    気絶してもおかしくない痛みだろうに幼気な瞳は見開かれ零れ落ちそうな水面をその紫の瞳に湛えている。テーブルに押さえつけられた身体は恐怖に震え、喉奥から溢れた嗚咽が猿轡を通して零れ落ちる。
    薬を使われたのか
    痛覚を麻痺させ視覚的に自らの身体に行われる惨劇を見せつける、拷問に使われる薬だ。
    「お気に入りのおに~たんが来てくれまちたよ~」
    ぎゃはは!と耳障りな笑い声を上げながら厭らしく少年を覗き込む男。
    これを持って帰れば奴らも手が出せない。
    コレは切り札だ、手柄だとはしゃぐ声が遠く聞こえる。
    「でもさ、生きてる必要ないだろぉ?」
    言いざま引き抜かれたナイフに堰き止められていた血が噴き出る。
    ゆっくり、スローモーションのように見えたソレ。
    蒼褪めた相貌がこちらを見上げ、その紫を吸い込んだ水がぽとりと机に落ちた瞬間ーー

    獣が吠えた




    「馬はどこだ」
    噎せ返るような血と内臓のにおいが立ち込める中、血だまりに踏みつけられた男の上に感情の無い冷えた声が降りかかる。
    「たすっ…たすけてくれ!!」
    逃げようと藻掻き泣き叫ぶ男
    靴の下でばきりと骨の砕ける音がする。
    「ぎゃああああああ!!!」
    悲鳴と共に抵抗が激しくなり、男の股間からはアンモニアの匂いが立ち上った。
    「質問に答えろ」
    ミシミシと更に体重をかけられ、たまらずに男が叫んだ。
    「2軒隣の娼館だ!その裏に隠してある!!」
    答えればふと緩む足の力に虫のように這いだして扉を目指す。
    3歩。進んだ先、延ばされた腕はその希望に届くことなく地に落ちる。
    一閃のもとに飛ばされた首が、驚愕に見開いた眼をぱちりと瞬かせてごとりと床に転がった。

    ジルはその様を無感動に見届けると、すぐさま踵を返し先程の机へと向かう。
    血と狂気の中、そこだけがぽっかりと汚されず浮いている。
    呼吸に合わせ上下する胸に安堵し、ダクダクと零れ落ちていく命をこれ以上零すまいとキツク脚の付け根を止血する。
    嚙まされた猿轡を外してやれば殴られただろう頬がその下から現れ舌打ちが漏れた。
    空ろな瞳が宙を彷徨いこちらを認めて細められる。
    「じぅ…」
    呂律の回っていない舌、焦点の定まらない瞳、机に広がる血溜まりはこの小さな身体から失われた血液の量そのもの。状況はひっ迫している。
    「帰るぞ」
    慎重にだが素早く抱き上げれば、髪からは乾いた血がパラパラと落ちた。
    いつから…
    夕方に抱き上げた時より、僅かに軽くなったような気がして、焦燥が胸を焼く。
    冷えるのだろう、小さく震える身体に自分の外套を巻き付けしっかりと抱え込む。
    踏み出した先、踏みしめた臓物のぐちゃりと言う音に周囲の状況を思い出し、視界を閉ざすようその小さな頭を抱え込んだ。
    「寝るなよ」
    部屋を抜け、室内の異変に気付いたらしき店主がカウンターの隅で怯えて縮こまっているのを横目に駆け抜ける。先程聞きだした馬は確かにそこへと繋がれていた。
    (公爵邸へはどれくらいかかる…)
    街の医者はもう帰宅している頃合いだ。
    確実な治療ならアソコに連れて行くのが腕も設備も確実だろう。
    心の中で最短距離と所要時間を計算しながら、馬へと飛び乗り小さな体の負担にならないよう、しかし全速力で駆け抜ける。
    「おい」
    声に、数泊遅れて頭部が揺れる。
    「何か喋れ」
    意識を失っては、きっと繋ぎ止められない。
    辛くとも、耐えてもらわなければ、この命の灯は掻き消えるだろう。
    本人も知っているのだろう、馬のひずめの音が間断なく鳴り響く中、少年の掠れた声が零れ落ちる。
    それを逃さぬように耳をそばだて、一音逃さず拾い上げる。
    視界の端で、通りを走り抜ける馬に驚いた通行人が慌てて道の端へと寄るのが見えた。
    「…はな」
    「はな?」
    「はな、が…ほしくて…」
    思い起こすのはいつも差し出される赤い花。
    探しに出たのか。そうして彼らに見つかり戦利品にされた。
    「お前の護衛はクビにしろ」
    おそらく生きてはいないだろが――そう思いつつも毒づけば、困ったように眉を下げる気配。
    やはり、生きてはいないらしい。
    「じるは…ル…ベウ、ス…はなを…しって、ますか」
    「ルベウスの花?」
    何の事だとの問いに、やっぱり…と呟いた後、幼子はゆっくり、切れ切れに語って聞かせた。

    それはこの国の子供に聞かせられる寝物語。
    大国との戦時中、姫が翌日には戦地へと赴く恋人の騎士に白い花を贈って言う。
    「これは私の心。この花を返しに、必ず帰って来てください」
    それに諾と返した騎士は、数か月後勝利と共に帰国する。
    そうして姫の前に跪いた騎士は己の血に染まった赤い花を差し出し言うのだ。
    「約束通り、貴方の心、我が心と共に返しに来ました」
    そして姫がその花を受け取るのを見ると騎士は満足したように笑って絶命する。
    姫は恋人の死に涙し、その涙が落ちた地面からは騎士の持ち帰った赤い花が咲き乱れた。
    その赤い花をその騎士の名にちなんで「ルベウス」と名付け、姫は生涯独身を貫きその花園を守ったという。
    姫の死と共に「ルベウス」は枯れ落ち、その花弁は姫の遺体とともに埋葬された。
    二人の死を悼んだ国民は、それ以来赤い花を大切な人に捧げるようになった。


    何度も差し出された花。
    断るたび寂し気に揺れた瞳。


    「アホだな」

    懲りずに差し出したコイツも。意味も知らず断った自分も

    「じる…あした…やくそ、く…」
    「っ!!」
    ヒヒーン!!
    曲がり角、飛び出した住人に驚いた馬が立ち上がる。
    振り落とされないよう手綱を握り、動揺に暴れ出しそうな馬を制御する。
    腰を抜かした通行人を飛び越え、僅かに頭の見えてきた屋敷に向かい速度を上げる。

    「もうすぐだ」
    だが応えが無い。
    腕の中見やれば意識を飛ばしただろう子供が浅く呼吸を繰り返している。

    「…リ」

    漏れ出た声を噛み殺し、更に早くと駆け抜ける。
    馬の悲鳴に似たひずめの音より、腕の中の呼吸音の方がはっきり聞こえた。

    間に合え―――

    騒然としている公爵邸の前に勢いもそのままに馬で飛び込む。
    門を守る兵士に槍を向けられながらジルは声を限りに叫んだ。
    「子供を連れてきた!!門を開けろ!!」
    判断に惑う兵士に舌打ちが漏れる。
    「早くしろ!!」
    気迫に押された兵が門を開ける、それを押し退けるように走り出し、屋敷玄関を目指せば、騒ぎに気付いた主が玄関扉を開けて飛び出した。
    「リゼル!!」
    「医者を!」
    駆け寄ろうとする父親に、しかし端的に言葉を返す。
    すぐさま状況を悟ったらしい、屋敷内に「医者の用意を!」と叫ぶ声。
    勢いを殺さぬままに飛び降りて玄関に走り込めば、転がるように走り出てくる医師が階上に見える。
    許可も得ず階段を駆け上がりその手に子供を預けた。
    僅かにたじろいだ医師は、しかしすぐさま手の内の患者の容体に視線を走らせ、その一刻の猶予も許さぬ事態に緊張に顔を強張らせる。
    「手術だ!!急げ!!」
    ドタバタと駆けていく医師と手配に奔走する使用人を見送って、失った手の中の重さに身じろぎ一つ出来ずにいれば、トンと肩を叩かれた。

    「話を、聞かせてもらおうか」

    父親が軍人の顔で笑っていた。



    「なるほど。それで君は全員を始末しここに来たと」
    途中、輸血だなんだと席を外した男にすべてを語り終えたのは、明け方だった。
    「そうだ」
    語れる事、それらすべてを語り終え、後は沙汰を待つのみと開き直る。
    どうせここで殺される。今自分に守りたいものなど何もない。
    ちらりと部屋の隅に佇む男に視線を走らせた公爵が、視線で何事かの会話を交わしこちらを向いた。
    「どうやら嘘はないようだね」
    しかし何故ーー
    つと首を傾げて見せた男は、続く言葉に疑問を乗せた。
    「ここに連れ帰らずとも、君なら闇医者の一人や二人くらい知っていそうだが」
    何故わざわざ捕まりに来たのか。
    殺す気はないからこその先の行動にしろ、ここに連れて来ずともその命をつなぐ方法は選べたはずだ。
    自らの命をかけずとも良かったのだ。

    「ここのほうが確実だ」

    失うわけにはいかない、そう思った。
    何も、何一つ、この幼子から奪わせはしない。
    命も、未来も、その笑顔一つ全て
    自分のすべてを失ったとしても

    「私は君に感謝すべきかな?」
    「そんなもんはアイツが助かってから考えろ」
    すげない返事に、それもそうだねと朗らかな声が返る。
    助からなければ意味などない、互いにそう理解した。
    コンコン
    ちょうどその時部屋に鳴り響いたノック音に皆の目が扉を向く。
    主人の目配せに控えていた者が素早く応じ、扉を開く。
    そこにいたのは、先程子供を預けた医師だった。
    「ご子息は一命を取り留めました」
    言葉に、ほっと室内にいた全員の肩から力が抜ける
    「足の傷も跡は残りますが、神経等は幸い無事でしたので後遺症なども考えられず傷口さえ塞がればまた通常通り生活できるかと」
    その程度で済むなど、幸運としか言いようがない。
    考えうる限り一番上等な結末に、信じてもいない神に感謝を捧げても良いような気になった。
    「そうか、助かったよ。ありがとう」
    労いに立つ主人にこれからの対応等を伝え、最後に医師は室内に座る自分を見据え言った。
    「初期対応が的確でした。そのおかげです」
    ではと頭を下げて去っていく医師。
    それを見送り、たっぷり三つ分呼吸を置いて屋敷の主人は振り返った。
    「だ、そうだ」
    安心に綻んだその目元が、取り繕いきれずに親の顔をのぞかせている。
    「今回の件、前回も含め君に2度も息子の命を助けられた。礼を言わせてくれ」
    深々と下げられた頭。本来言うべきではない。自分は敵国の人間でスパイで、そして自分と関わっていなければ、もしかしたら少年は命の危険に晒される事すらなかったのかもしれない。
    それでも、
    父として、子を持つ親として、言わずにおれない。そうその姿が語っている。
    その感謝を受け取るにはあまりにも複雑な感情で、ただじっとそれを見つめるしか出来なかった。
    「それで、君はこれからどうする」
    応えが無い事を責めはせず、頭を上げた男は明日の天気でも聞くかのようにそう言った。
    「帰る」
    それが可能であるならば、自分の選ぶ選択は一つしかない。
    「何処へとは聞かないことにしよう」
    答えを聞いたら止めねばならない。
    「今日は休日だったね」
    言って見やった窓の向こう、白んだ空の向こうには起き出す街の息吹を感じる。
    「ならば私が明日目が覚めるまで、君は私の部下だ」
    それでいいね。
    言外に含められた言葉に、今度はこちらが頭を下げる。
    「顔を見ていくかい」
    誰のとは聞かなくてもわかる。
    「いや」
    応え、首を振った。
    会う資格なんかない。自然落とした視線の先に汚れた軍靴が目に入った。
    ふ、零れ落ちた吐息が空気を揺らす。見上げた先で、見慣れた苦笑が揺れている。
    「あの子は振られっぱなしだね」
    「…いや」
    違う。そうじゃない。
    意志に反して助けた。祖国を裏切って仲間を皆殺しにした。
    たぶん、最初から捕まえられたのはこちらだ。
    「あの子は残念がるよ。今日を楽しみにしてたから」
    「…詫ていた、と」
    最初から守る気のない約束だった。
    守る事の出来ない約束だった。
    「伝えておこう」

    そうしてジルは公爵邸を後にした。


    「…っあ」
    昼過ぎ、リゼルは目を覚ました。
    小さな声にもならない声と、僅かな身じろぎ、しかし息子の目覚めを待ち侘びた彼は聞き逃しはしなかった。
    「リゼル。私がわかるかい」
    息子その手をぎゅっと握り声をかける。
    痛み止めと怪我による発熱で朦朧とした視線が、ゆらりと揺らめき、その焦点を己が父へと合わせていく。
    「とう、さま…」
    見守っていた使用人達の口から安堵の吐息が漏れる。控えていた医者からの指示が飛び、優秀な彼らはすぐさま自らすべきことをすべく飛び出していく。
    「きょう、は?」
    慌ただしい周囲にかき消されるようなリゼルからの問い。その短い問いが何を指しているか正確に悟り、欲する答えを端的に告げる。
    「13日だよ」
    言った途端、リゼルの目が周囲を見回しあるべき姿をそこに探す。
    「じるは?」
    「彼は行ってしまったんだ」
    ひゅっと息を呑む音がする。
    敏いこの子は昨日の事、そして行ってしまったという自分の言葉の意味を正確に理解したのだろう…
    みるみる水を溜めていく瞳から堪えきれずに雫が落ちるのは早かった。
    ひっひっと
    こんな泣き方は久しぶりだ
    薬と熱のせいで自制心が効かないのだろう、普段隠すようになった子供らしい泣き方でイヤイヤとむずがっている。
    「おいで」
    泣きじゃくる我が子を抱き締めれば、いよいよ堪えきれずに声を上げて泣き出した。
    「やくっ約束したっ…ひっ…」
    「そうだね」
    「たんじょぅ…びっに…ひぅっ…きて、くれるって」
    「そうだね」
    あやすようにトントン背を叩き嗚咽の中の少年の想いを拾い上げる。
    危ないからいけないという自分との約束を破り、大人たちの目を掻い潜ってまで外に出た。
    協力した者もいた。護衛であった彼らはその代償に自らの命を差し出す事になった。
    目の前で自分の我儘のために散った命。
    捕らえられた先で与えられた痛みと恐怖。
    それでも欲しかったのだ。

    あれが、あの人が、何よりも一番に――

    ひとしきり泣き、また熱の上がったリゼルは再びベッドの住人になっていた。
    涙の跡の残る頬が痛々しい。
    「あっという間に大人になってしまうね」
    これは彼の初恋だろう。
    捧げ続けた心は、一度も受け取っては貰えなかった。
    「初恋は敵わないって言うけどね」
    さて、自分によく似たこの子はどうだろうか。
    その程度で納得するかとは問われれば、自分ならば否だ。
    ならばきっとこの子は彼を見つけ出し手に入れる。
    だったらちょっとだけ手伝おうか。

    「私からの誕生日プレゼントだよ。リゼル」

    これから先に訪れる未来のため、一番欲しいと泣いた息子のために
    知恵の神の僕と言われた梟が、自らの雛のためにとその翼を広げる。

    いつかきっと、来るべき未来を信じて…




    END
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