ふと、足が止まる。“宝石展”とでかでかと書かれた看板に引き寄せられるように近づいた。こんなオープンスペースで催されているところなんて初めて見る。天然の宝石が採掘できなくなって早数十年。恐ろしく希少で高価なものとなったそれは、今やハイクラスの中でも一握りの人間にしか手に出来ないものになっている。借金持ちのワーキングクラスであるカインには、望むことさえ出来るはずもない。
だというのに思わず立ち止まってしまったのは、偏にすることがないからだった。一緒にこのショッピングモールに来たはずのブラッドリーは電話が来たからと席を外してしまって、未だに帰ってきていない。仕事を優先するその態度に不満はないけれど、一人で暇をつぶすのにも飽きてしまった。目的もなく歩き回って、そうして見つけた珍しいイベントに、思わず興味を引かれてしまうのも仕方ないことだろう。
ちょっとしたパーテーションで区切られただけのブースは、何とタダで展示された宝石が見られるらしい。職業病か、大丈夫なのだろうかと心配になるが、きちんとした警備はされているらしい。一際目を引く大粒のダイヤモンドの傍には、大勢の強面がたむろっていた。赤くレンズを光らせている警備用ロイドの傍を通り抜けて、ブース内に足を踏み入れる。
中にほとんど人影はなかった。閑散としたフロアをゆっくりと歩く。
青、黒、透明、虹色。色とりどりの宝石たちの名前を、カインはほとんど知らない。多分、これから知ることもないんだろうなと思う。だけど、手のひらより小さな石が、照明の光を美しく反射しているのを見るのは楽しかった。見たことのないものを見ると、やっぱり心が弾む。
ぐるりと会場を一周して最後のショーケースに辿り着くと、途端に目が離せなくなってしまった。ほのかに紫がかった深い赤色の宝石の前から動けない。知らないもののはずなのに、よく知っているような気がして眉をひそめた。顎に指をあてて考え込む。
もしかしたら、警備の時に誰かが着けているのを見たんだろうか。でも、こんな小指の爪より小さな宝石が記憶に残るとは思えない。だったら何だと更に記憶を探ろうとして、気配を感じて慌てて振り向いた。
楽し気に細くなったワインレッドと目が合う。あれ、と何かが引っかかって、だけどそれを手繰り寄せる前に手を掴まれて違和感はどこかに飛んで行ってしまった。ブラッド、と焦ったような声が出る。
「電話はもういいのか?」
「じゃなかったら戻ってこねえよ」
それもそうかと頷いて、手を引かれるままにブースの外に出る。どこに行くんだと聞いても、適当にはぐらかされるだけだった。
広いモールをしばらく歩き、ブラッドリーが足を止める。その店構えに腰が引けてしまった。黒と金で上品に装飾が施されたそこは、絶対にハイクラス御用達だ。タイも着けていないカインが入れるようなところじゃない。思わず後ずさろうとした体を、有無を言わさぬ力で引き寄せられる。腰に腕がまわり、がっちりと固定されてしまった。にやりと笑う口元が近付く。
「何ビビってんだよ。行くぞ」
「いや、まっ……ブラッド!」
カインの抵抗もむなしく、店に足を踏み入れてしまった。文句を言いかけた口を慌てて閉じる。
店の中は思ったより明るかった。店構えから想像していたよりもずっとカジュアルな雰囲気だ。並ぶショーケースの中にはスカルやハートの形のアクセサリーが並び、ちらほらと見える客の格好もそこまでかしこまったものではない。ふさわしくないからと摘まみだされるようなことはなさそうで、ほっと息を吐いた。
少しだけ緊張のほぐれたカインを連れて、ブラッドリーが店の中を迷いなく歩く。どうやらすでに買うものは決まっているようだった。足を止めたブラッドリーが店員を呼んで商品を選ぶ。ショーケースから取り出されたピアスに、声を上げそうになる。
先程見ていた赤い宝石がそこにあった。
思わず隣を見れば、ブラッドリーは店員の手の中にチップをねじ込んでいるところだった。何だか妙に多い気がする。
「試しにつけさせてえんだが、ここだと明るすぎるんじゃねえか」
「……失礼致しました。こちらへ」
素知らぬ顔でチップを懐にしまった店員が二人を奥へと導いた。目立たぬように壁と同じ素材で作られたドアを抜け、店の中より照明が落とされた小部屋に通される。いくつかのピアスが載ったベルベットのトレーをブラッドリーに預けて店員が下がっていく。ドアが閉められると、外の喧騒が一気に遠のいた。はっと我に返る。
だけど口を開く前に耳朶に触れられて、言葉を飲み込んでしまう。指先が耳に付けられたプラスチックを弄ぶ。一月前に、ブラッドリーに開けられたピアスホールだった。
武骨な指がそっとファーストピアスを引き抜き、先程選んだピアスを付ける。ただそれだけなのに、何だか妙な気分になってきてしまって唇をひき結んだ。小さく笑う声が耳をくすぐる。
「よく似合ってんじゃねえか」
やけに弾んだ声に、思わず顔を上げた。甘く蕩けるようなワインレッドがカインを見ている。照明の光を反射するその色に、ようやく既視感の理由を知って声を上げてしまった。トレーに載った残りのピアスを見つめてしまう。
紫がかった深い赤。目の前のこの人の瞳の色。無意識に選んでしまったという事実に頬が熱くなる。
だけど、次は黄色のピアスを探すかという言葉に嬉しくなってしまったのも事実だった。