甘く愛しいもの「こっちは誰から貰ったものなんだ?」
「確か、同僚の……」
二月十四日、夜。ダイニングテーブルを挟んでウォロと向かい合ったシマボシは、名前を聞いて手元のメモに書き込む。
「ほら、キミも手を動かしてくれ」
「……はい」
児童生徒ならいざ知らず、大人になった今、職場で女性から男性に贈られるチョコレートには形式的な意味しかない。ウォロの働く会社でも、バレンタインデーとホワイトデーのチョコレートの贈り合いは辞めよう、という動きが起こったこともあったが、結局は今年も、大量に受け取ることとなった。例え恋人が居ることが周囲に知られていようと、去年とその量は変わらない。
シマボシは事務的に贈り主の名前をメモに書いていく。ホワイトデーの準備の為だ。貰ったものはきちんと返さなければ、というのが彼女の理論だった。貰ったものは二人で食べようと提案したウォロに対し、その代わりにリストアップを手伝う、と彼女が申し出てきたのはつい一時間前のことである。
確かに、必要なことだ。それは分かっている。しかし。
「あの、シマボシさん」
ペンを持った手元を見つめたまま、ウォロは呟いた。
「どうした?」
「ジブン、沢山チョコレート貰うんですが」
「それは見れば分かる」
「……少しくらい、嫉妬とかしないんですか?」
シマボシが名前を書き記す手を止める。
「あ、リストアップ手伝ってくれてるの、すごくありがたいのは確かですからね⁈ でも、あまりに淡々としてるので、少し寂しくて」
ウォロが観察した限り、今日チョコレートを渡してきた女性たちの中に、恋愛感情を持っていた人は居ないはずだった。それでも、バレンタインに沢山貰ったチョコレートへの対応を顔色ひとつ変えずに手伝われるのは、やはり少しだけ寂しい。
シマボシは、下を向いて黙り込んだ。彼女が手に持ったペンが動かなくなる。
「……変なこと言ってすみません。せっかく手伝ってくれてるのに」
彼女があまり気持ちを行動に出すような女性では無いことは分かっていた。恋人である自分を大切にしてくれているからこそ、ホワイトデーの準備の手伝いをしてくれていることは知っているのに、身勝手なことを言ってしまった、という自覚はある。
シマボシは何か言いたげにウォロの方を見たが、すぐに視線を落としてペンを動かし始める。ウォロもそれに続き、しばらくは紙とペン先が擦れる音だけがダイニングルームに響く。
ようやく最後の一人分の名前を書き終え、ウォロは静かにペンをテーブルに置く。少し暗くなってしまった空気を変えようと、努めて明るい声で彼女に話しかける。
「手伝ってくれてありがとうございます。早速、一箱開けて食べませんか? 今からコーヒーでも…」
「ウォロ、少し待っていてくれないか」
ウォロの言葉を遮るようにシマボシが言った。戸惑って顔を上げ、彼女の顔を見ようとしたが、シマボシは彼の方を見ることなく部屋を出ていく。
突然の行動にどうすることも出来ず、ただその場に突っ立ってシマボシの帰りを待つことしかできない。しばらくすると部屋の戸が開き、廊下からシマボシが顔を出した。彼のそばに近づいてくる。
「これを、キミに」
彼女はそう告げるや否や、ウォロの胸に小ぶりな紙袋を押し付ける。慌ててそれを受け取れば、中身が、有名な菓子店のチョコレート詰め合わせであることがわかった。確か同じものが、職場で貰ったチョコレート群の中にあった筈だ。
「……恋人同士であるから何か特別な物を贈ることができたらよかったんだが、まさか、キミの同僚と被ってしまうとは思っていなかった。紙袋の中身を最初に見た時、少し、その……残念だ、と思った」
つまり、シマボシは、これをウォロに贈るつもりで用意していた。しかし、ウォロが職場で貰ったものと被っていたため、中々言い出せなかった、ということか。
「だから、キミが言っていたように嫉妬していなかったわけではない」
シマボシはそう早口で言って目を逸らし、誤魔化すように急いで机の上に積まれた菓子箱に手を伸ばす。
「さ、さっき一箱開ける、と言っていたな。どれを、」
ウォロは黙ったまま、シマボシの手を掴んだ。机の上に縫い止め、自分よりも小さな手の甲を手のひらで覆う。シマボシの肩が小さく跳ね、彼女の頬に赤みが刺す。少しでも、彼女の気持ちを疑ったことが自分でも許せなかった。こんなにも分かりやすいのに。
「決まってるじゃないですか、一番最初に食べるのは、アナタに貰ったものですよ。一緒にどうですか?」
「でも、それはキミに……」
「遠慮しないでください。それに、正直なところシマボシさんも、これ、食べたいんでしょう?」
紙袋を掲げながら尋ねる。以前、彼女がこの店のチョコレートに興味がある、と言っていたことは覚えていた。ウォロの言葉に、シマボシがおずおずと頷く。
「確かに、味は気になっては居るが……」
「じゃあ決まりですね。コーヒーを淹れてきます」
覆っていた彼女の手の甲を指先で一撫でし、ウォロは手を離す。キッチンへ向かおうと振り返ると、背中越しにシマボシの声が聞こえた。
「その……もし、口に合わなかったら済まない」
今更不安げにそんなことを言ってくるシマボシの方を振り返って、ウォロは笑った。
「アナタがジブンの為に選んでくれたものですから、美味しくないわけがありませんって」
終