ゆきのひ「……かなり、疲れたな」
帰り道をとぼとぼと歩いていたシマボシは、ため息をついた。
朝から降っていた雪が積もったせいで、帰りの電車が遅延したのだ。この地方に来てまだ日が浅いシマボシにとって、降雪による寒さも身に染みた。加えて、今は仕事も丁度繁忙期であった。帰宅も遅くなり、すでに人通りはほとんど無い。先に帰宅しているであろう恋人に迎えを頼もうかとも考えたが、寒い中外に出て来させるのは忍びない気がして、数時間前に一度メッセージを入れて以来連絡はしていない。
日付が変わる前に何とか電車を捕まえることはできたものの、もう一本も指を動かすことができないほど、手袋の中が冷え切っている。
最後の角を曲がって自宅のマンションの前の通りが目に入った時、ふと、歩道沿いに何かがあるのが見えた。
止みはしたものの、雪はまだ積もっている。子どもの作った雪だるまか何かだろうか。元気であれば愛でることが出来たであろうが、生憎今はそれは難しかった。目の端にそれを捉えて通り過ぎようとした時、ふとその形に見覚えがある気がした。よく見知った何か。思わず、そちらに目を向けた。
不恰好ではあるが、雪だるまというよりは雪像に近い。近づいて、それを観察する。
「……!」
細い目。鋭い爪のついた、体に対しては大きめの手足。そして長い尾。
手が悴むのも気にせず、シマボシは手袋を外して鞄から携帯電話を取り出した。一枚、写真を撮り、もう一度それを眺める。
「……可愛い」
シマボシは、訳あって自宅でこの雪像のモチーフでもあるポケモン――ケーシィの面倒を見ている。少し不機嫌そうな口元も、その雪像はあの子にそっくりだった。誰が作ったのだろうか。
しばらくそれを楽しげに眺めてから、シマボシは再び、歩き始めた。可愛らしいものを見たせいか、体がいつのまにか少しだけ、楽になったような気がした。
玄関の扉に鍵を刺してすぐ、廊下を小走りに走る足音が聞こえたかと思うとがちゃりと内側から戸が空いた。
「ただいま」
「……! 連絡してくれたら駅まで迎えに行ったのに」
先に帰宅していた恋人、ウォロが、外にいるシマボシを見て目を丸くした。
「遅いし、寒いから申し訳ないと思って」
「別に気にならないですよ、まあ何はともあれ、お帰りなさい。寒かったでしょう? お風呂とご飯、どちらが……」
「あの、少し待ってくれないか?」
すぐに踵を返そうとする彼の袖を掴んで引き留め、携帯電話の画面に写した写真を見せる。
「すごく疲れていたんだが、これを見て元気が出た。……この子にそっくりだ」
彼女の帰りを迎えるように、いつのまにかそばにやってきて頭を擦り寄せるケーシィの頭をシマボシは撫でる。
「可愛いものを見たおかげで、疲れがすっかり取れた」
「それは良かったですね。さあ、手を洗ってきてくださいね、ご飯にしましょう」
何故か少し照れたようにウォロは言って、シマボシの背を押して洗面所へと向かうように促した。
手を洗いに行ったシマボシが視界から消える。ウォロは、いつのまにかそばに来ていたケーシィの顔を見ることなく、小さい声で呟いた。
「今回だけは感謝しますよ、ケーシィ」
言葉を理解したのかは知らないが、ケーシィもウォロの方を見ることなく、得意げに鼻を鳴らす。まるで、自分のおかげだとでも言うように少し、笑っているような気がした。
事は、数時間前に遡る。
少し早めの帰宅後間も無く、もう一度外出していたウォロの背後から、聞き慣れた鳴き声が聞こえた。
「ちょっと、トゲピーの面倒見ておいてって頼んだじゃないですか」
声の主であるケーシィに文句を言おうと振り返ると、ふよふよと浮かんでいる彼の足元で、これまた見知った自身の相棒、トゲピーが雪に埋もれるようにして楽しく遊んでいた。
彼女の方が雪遊びをねだったのだろうか。まるで手のかかる妹を見守るような表情で彼女を見つめた後、彼はウォロの方へ目をやり、次いで男の手元へと視線を移した。彼はもう一度、何か言いたげにウォロの方を見る。
「そうですよ、アナタを作っているんですよ」
手元の雪だるま……というより、ケーシィを模した不恰好な雪像を見て、ケーシィは馬鹿にしたようにふん、と鼻を鳴らす。下手くそ、とでも言っているのだろうかと思うと無性に腹立たしい。
シマボシによく懐いているケーシィは、彼女の恋人であるウォロに対してやたらと手厳しい。主を独占できなくなった寂しさもあるのだろうかとは思うが、彼女のいる前では大人しくしているのに居なくなった途端に愛想が無くなる、というのを繰り返されるのはやはり良い気持ちはしない。トゲピーのことはよく可愛がっているようだから、本当にウォロのことが気に入らないだけらしい。
「何ですかその態度。シマボシさんのために作ってるんですからね」
主の名を認識したのか、ケーシィがふと顔を上げ、訝しげな視線を向けてきた。
「今日、絶対にお疲れで帰ってくるような予感がするんですよ。寒いですし」
近づいてきたケーシィが言葉の意味を理解しているのかは分からないが、構わず話し続ける。
「まあ、その……アナタの姿の何かがあれば、少しは喜ばせることができると思ったんですけど……難しいですね」
崩れかけた耳の部分をもう一度触ろうと手を伸ばした時、遮るようにウォロと雪の塊の間に、ケーシィが割り込んだ。彼が前脚を雪像にかざすと、崩れた耳が綺麗に整っていく。
「……直してくれてるんですか」
彼に尋ねても、ケーシィはウォロの方を振り返る事なく、器用に雪像に修正を加えた。あっという間に、先ほどよりは幾分かましな状態になる。さっきまでは言われなければケーシィだとは分からないほどの状態であったが、今は言われなくても形が何か分かる程度にはなった。
「……ありがとうございます」
悔しいが、彼の助けのおかげで形が整った。ウォロが小さい声で礼を言うと、当然だ、とでも言うようにケーシィはウォロの方を一瞥する。彼はウォロから視線を逸らして遊んでいるトゲピーの元へと近づくと、幼い彼女が雪に埋もれて動けなくなっているのを慌てて引っ張り出した。
ウォロは黙って二匹の隣にしゃがみ込み、トゲピーーの頭を一度、撫でた。それを眺めていたケーシィの頭にも、手を置いて同じように撫でる。彼が驚いたように自分を振り返った。
「何か食べたいもの、あったりしますか」
何となく照れ臭くて顔を合わせる事は出来なかった。もちろん返事は無い。
「……ケェ」
ケーシィは突然のウォロの行動に戸惑うように固まっていたが、しばらくしてから小さく鳴いて、ウォロの手を自身の頭から退かした。その手つきはいつもウォロに触れる時よりも穏やかであるように感じる。
今回だけは、シマボシを喜ばせたいという目的が一致したから。そう言い聞かせながら、ウォロは雪まみれのトゲピーを抱き上げた。
「さあ、そろそろ寒いですし中入りましょうか。ケーシィ、ご飯作るの手伝ってくださいね」
「ケ」
明日にでも彼の好物を、何か用意しておこう。