パチパチ ふと、通りがかったキッチンの中から若い楽しげな声がブラッドリーの耳に入ってきた。ひょいと覗き込むとネロ、ミチル、リケ、そして賢者がテーブルの周りに集まっている。テーブルの上の皿には3つほどこぢんまりとした茶色い塊が載っている。あれはチョコレートだろうか。話している内容は分からないが大方ネロが作った試作品の試食会といった雰囲気だろう。
ぐう。
そういえば。ブラッドリーは片手で腹をさすった。心なしか小腹が空いた気がする。今日は早朝から双子にミスラとオーエンの喧嘩を止めてくれと有無を言わさず引き摺られ、ろくに朝飯を食えてなかったのだ。気分屋のミスラが直前までドンパチしてたことをけろっと忘れお茶に誘ってはきたが、無駄に疲れさせられた身では到底そんな気分にはなれなかった。
ちょうどいい。ブラッドリーはペロッと上唇を舐めた。試食メンバーの人選を見るにちっちゃいの用の菓子だろう。残念ながら肉ではないが腹の足しにはなる。ましてやネロの作ったものだ。奪わない理由がない。
「じゃあネロ、僕達はそろそろ行きますね」
「ああ、気を付けて行ってこいよ。ミチルもリケも、賢者さんもな」
「はい!」
「ありがとうございます、ネロ」
ブラッドリーが思案してるうちにどうやら試食会はお開きになったようだ。ネロから小さい包みを受け取って、パタパタと走ってきた三人が扉付近にいたブラッドリーに気付く。料理を再開しようとしたネロもこちらを振り向いた。
「あれ、ブラッドリーさん。またどこかに飛ばされていたんですか?」
「よう、南のちっちゃいの。ちげえよ、じじい共に連れ回されてたんだ。中央の。その手に持ってるのは菓子か?」
「はい!ネロが任務中に食べられるようにって渡してくれたんですよ」
「俺の元いた世界のお菓子のことを話したら似せて作ってくれたんです」
「へえ……」
きらきらした目で見上げてくるガキ共から目線を外し、奥で居心地悪そうにしているネロに視線をやる。
「……なんだよ」
「いや、別に」
パフォーマンスじみた仕草で肩をすくめる。賢者はきっとネロが100%善意でしてくれた行為だと思ってるだろう。が、大方これに関しては懐かしそうに話す賢者への優しさが7割、未知の料理への好奇心が2割、ほんの少しの意地が1割ってとこだろう。こいつは料理のことになると負けず嫌いになる。
「ほら、お三人さん。任務行かないとだろ? 早くしないと先生たちに怒られちまうぜ」
「ああっ、そうでした! 行きましょう。リケ、賢者様!」
「待って、ミチル! 行ってきます、ネロ!」
バタバタと慌ただしくブラッドリーの横をすり抜けて子供たちが廊下に飛び出していく。その姿をへらっと気の抜けた笑みを浮かべ手を振る元盗賊団のNo.2。そして声も聞こえなくなってから静かに腕をスッと下ろした。
「なんだよ」
「いや、別に」
じろりと睨まれてまた肩をすくめる。三人がいなくなった途端元のすんと澄ました顔に戻るから面白くない。別に決してあんな甘ったるい笑みを向けられたいわけではないが。
「で? あんた腹減ってんの」
「おう。なんか食わせろよ、ネロ」
「そういや朝飯のとき途中で双子先生に駆り出されてたな……」
「ああ。戻ってきて残り食おうと思ったのによ。もう下げられてたし」
ブラッドリーが恨めしく見るとネロは叱られた子供みたいに目を逸らした。
「だっ、……て冷めたやつ食っても美味くないだろ」
「てめえなあ……」
バツが悪そうなネロに自分の腕に自信を持つのなら最後まで離すんじゃねえよ、とブラッドリーは呆れる。だがこいつはこいつなりの異なるプライドがあるのかもしれないとそれ以上は何も言わなかった。なにがこいつの琴線に触れるか今の自分には悔しいが分からない。
「今からだとちょっと待たせることになるけどなにか作ろうか」
「頼んだ。あとこれよこせ」
「は? あっそれは」
ネロの静止を聞く前にさっき話題になっていたチョコレートをひとつ摘んでひょいと口の中に放り込む。子供達の舌に合わせた甘めのテイストにやはりビターの方がいいなと思いながら、舌の上で溶かすのを待ちきれずカリリと歯で噛み砕いた。
すると。
「!?」
「あー、それ星屑糖で賢者さんの世界の変わった菓子再現したやつだから……」
チョコの中に潜んでいた大量の星屑糖たちが突然パチパチと音を立てて弾け出したではないか。閉じた口の中で暴れ回るそれは痛みというほどではない。ないが、ただのチョコだと完全に油断していた無防備な粘膜を刺激される感覚にブラッドリーは目を白黒させた。たまらず口を開けて舌を突き出す。
「なんっだこれ!」
「だから賢者さんの……って、ぷふっ」
「あ? 何笑ってんだよ」
「だって拾い食いして失敗したときの犬みてえ。っ、くく」
ちくしょう。人が大変な目に遭ってるというのに。くるりと背を向け肩を震わせて笑うネロにむかつきが込み上げる。その間にも口の中のパチパチは収まらず、なんとも陽気で気の抜ける音が鳴り響く。
「人の不幸を笑ってんじゃねえ」
「っあで!」
軽く後ろからネロのふくらはぎ辺りを狙って蹴りを入れる。向き直ったネロが弁解するように手を前に広げる。
「笑って悪かったって! でもよりにもよってさじ加減間違えて入れすぎちまったやつ食うとは……っふ」
「おい」
「ごめん」
何がそんなにツボに入ったのか、ネロはまた後ろを向いてくすくすと笑う。その様子にカチンと来たブラッドリーは見られてない隙にもうひとつチョコレートを口に含んだ。
「ネロ」
「は、笑った。んっ」
後ろから肩を掴んで振り向いた瞬間を狙い口付ける。そして中途半端に開いた口に体温で程よく溶けたチョコレートを舌で捩じ込んだ。ネロの口に渡ったそれは先程と同じように星屑糖をばらまいて愉快な音を立てて跳ね回る。驚いたネロが一歩引いて逃げようとしたがそんなことは簡単にさせない。ブラッドリーはネロの頭の後ろに手を添えてぐっと引き寄せた。押し付けた舌と舌の間で弾ける粒に逃げ場などない。もちろんブラッドリーも刺激を受けるがそんなものは痛み分けだ。散々人を笑ったことを後悔するといい。ブラッドリーはほくそ笑んだ。
「んんんっ」
パチパチ音が鳴り止んだ頃合でネロから鼻にかかった抗議の呻き声が上がる。さすがにもう十分かと思いその身を解放する。と、
「ってぇ!?」
ふるふると震えていたネロが勢いよくブラッドリーの鼻に噛み付いた。あまりの痛みに両手で鼻を押さえつける。うっすら涙も出てきた。
「なにすんだよ、ネロ!」
「なにすんだはこっちの台詞だ! ばか!」
直で刺激を受けたからヒリヒリするのだろう、舌をベッと出して外気に晒しながらネロが声を荒げる。
「残してたやつは全部多めに星屑糖入れてた失敗作なんだよ! あーいってえ、まだ感覚残ってる」
なんだそっちか。ぷりぷりと怒ってる相棒を見ながらやっぱこいつちょっと感覚ズレてるよなあ……とブラッドリーは思う。思うだけだ。
「聞いてんのか、ブラッド!」
「はいはい」
つーか噛み付くって。お前の方がよっぽど犬じゃねえか、と思ったがブラッドリーはそれも言わないことにした。