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    #Psyborg
    初書き🔮🐑
    ふんわり雰囲気不穏話。れ505周り捏造

    Rubedoいつの頃からか、“誰か”を殺す夢を見るようになった。それが訪れるのは月が出ない夜だった。赤と紫が混じるネオンに照らされた機械仕掛けの街の片隅、ざあざあと降り続ける雨に打たれる凍えそうな寒さの中で、俺は大切なはずのその人間を手に掛ける。
    決まって始まりは手に持ったハンドガンで、そいつの心臓を撃つシーンからだった。どうしてそんなことになったかはわからない。何らかの諍いの果てなのか、或いは敵同士だったのかすら。貫かれる弾丸と重力に従って倒れていく身体が水溜まりのできたコンクリートに赤い染みを作るのを、ただただ呆然と見ている。遠くから聴こえる遠雷。ぴくりとも動かない肉の塊。長く反響する無機質なサイレンに酷く眩暈がする。
    夢の展開は嫌になるくらい記憶しているのに、いつだってその“誰か”を覚えていられたことはなかった。名前も、顔も、声も、すべてがノイズがかったように不明瞭で。それでも唯一わかるのは何よりも愛していたことと、泣きたくなるほどに愛されていたこと。
    後戻り出来ない絶望に祈りにも似た呪詛を吐きながら、震える手でこめかみに銃口を擦りつける。嗚呼、サイレンがうるさい。自分が自分でなくなっていく感覚に獣のように嗤う。一息に引鉄を弾いて、視界が黒く反転して―――そこでいつも目を覚ます。今回も何から何まで一緒だった。
    耳障りなアラームを止め、溜息をつきながらゆっくりとベッドから身を起こす。クソほど最悪な気分だった。わかっているとはいえ寝起きに良いものでもない。いっそのこと脳ミソも機械化してしまえばこんな煩わしさから解放されるのだろうか。だとしても『この時代』ではそれも叶うはずもなく、水でも飲もうと立ち上がれば義足が床に当たる硬い音が静かな部屋に響いた。
    こう言うと阿呆らしい冗談に聞こえるかもしれないが、俺はいま元居た時間軸よりずっと過去を生きている。流行りの異世界転生モノではないのが残念だが、同じような奴が俺の他に四人もいるんだからまあ面白い。特殊警察、怪盗、DJ、超能力者、サイボーグ。まとまりがないくせに『未来』から来たという一点だけが一致している俺たちがなんの因果か旧時代もいいところのインターネットなんかで配信者なんてことをしている。真実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。
    この時代の良いところといえばまず飯が美味い。食べ慣れたあのプロテインバーにはもう戻れないだろう。次に空がちゃんと拝めることと、そこら辺に腐った死体が転がっていないことか。フェイクで見たことはあったものの、本物の空の青さと夕暮れの赤さをこちらに来てから初めて知った。共和国の管理がない世界というのは生まれて初めてだったが、IIsはおろかThroa2も必要ないほどの平和さは正直羨ましかった。
    それに加えて、この時代は興味深い本や面白いゲームが実に多い。アーキビストとしての性のせいもあってか、今の職業は天職と言えるほど楽しいし仲間と一緒に借り上げた一軒家の居心地も良い。だからこの悪夢は、本来なら有り得ないはずの幸福を得た罰なのかもしれない。或いはこの身体に刻まれきった呪いか。
    面倒くさくて適当にパーカーだけを着てリビングルームに繋がるドアを開けると、しんとした空間が他の家人がまだ眠っていることを無言で伝えてくる。そういえばサニーとアルバーンは夜遅くまで2人でFPSゲームの配信をしていたし、ユーゴは新曲を作ると言っていたっけ。冷蔵庫を開けて冷えたミネラルウォーターを渇いた喉に流し込めば、鬱屈とした思考が幾分マシになっていく。
    そのまま行儀悪く飲み歩きながら、バルコニーへ続く窓を開ける。途端、髪を揺らす涼やかな風がとても心地よい。燦々とした朝の陽光は穏やかで、意識して深呼吸すればげんなりとした気分を少しずつ回復してくれる。
    こんな時は好きなことをして過ごすに限る。幸い今日は配信を休みにしているから、忙しくて最近出来ていなかった自作小説の執筆をするか積んでいる本でも読むか。アルバーンが気になってると言っていたアニメを観るのも良いかもしれない。取りとめのないことをぼんやりと考えていると、背後から抱き締められる柔らかな拘束。ふわりと香るコロンの匂いは、顔を見ずとも誰だかわかる。
    「……おはよ、babe」
    「ん。おはよう、baby」
    まだ眠そうに低く掠れた声に小さく笑いつつ、身体の前に回された腕を優しく叩く。いつも低血圧気味な彼が早起きをするなんて珍しい。じゃれつく猫のようにぐりぐりと頭を擦りつけられるたび、首筋を緩く掠るふわふわの髪が擽ったい。
    「コーヒーでも飲むか?淹れてやるぞ」
    「んー……」
    この返答は否だ。三ヶ月も一緒に居れば機微もわかるもので、感情表現が非常にわかりやすい仲間内の中でも浮奇は落ち着いていて大人しい。おそらく幼い時期に辛い経験をした過去や超能力者としての性質も要因にあるのだろう。人でありながら『人間』の枠を超えることの残酷さ。逸脱しているが故の決定的な疎外感。彼の人一倍愛情に飢えた言動を知っていればこそ、その胸の内は想像するに余りある。
    そんな彼はどうしてか俺なんかを好きだと言う。友愛ではなく、恋愛感情として。身体の大半が機械だという部分以外は取るに足らない人間でしかないし、残念ながら童貞でも処女でもない。趣味も合うかといえばそこまででもない。それこそヴォックスやルカのように男として魅力的な存在もいる。なのに浮奇は俺が良いと言う。それがとても不思議でならなかった。
    「これ、ちょうだい」
    するりと腕に絡んだ指が俺の手から飲みかけのペットボトルを攫う。離れた体温を追って浮奇の方を向けば残りの水を飲み切って、ぷはと小さく息を吐く白い喉が見えて。跳ねた寝癖を手櫛で直してやると恥ずかしそうに唇を尖らせるのに思わず笑ってしまった。
    「ふーふーちゃん、最近なんだかぼんやりしてる」
    今度は正面から抱きついて覗き込んでくる紫陽花の瞳。いつもなら美しいと思うそれはこちらの心底を見透すようで落ち着かない。朝に弱いはずの浮奇がこうして早い時間に起きてきたのは、もしかしたら何かを察してなのかもしれない。彼にはそれだけの不思議な力もある。
    けれどこれはあくまでも“ただの夢の話”だ。俺が誰かを殺す夢を繰り返し見るんだ、なんてあまりにも馬鹿らしくて言えたもんじゃない。逆に俺が言われる立場だったらまず間違いなく精神科をおすすめする。
    「いいや、問題ないさ。少し疲れているだけだよ」
    こんなことで浮奇を心配させる必要もない。努めてなんでもない顔をして言いつつも、我ながらあんまりにも白々しい台詞だと思う。もう少し気の利いたことが言えたのならよかったのかもしれないが、残念ながら今の俺にはそんな余裕はなかった。
    「じゃあ息抜きにオレとデートしよう」
    「うん?」
    「近くに美味しいレモンパイを出す店を見つけたんだ。ふーふーちゃんと行きたいな」
    いいでしょ?と恭しく俺の手を取ってそれは綺麗に微笑む彼に、一瞬言葉に詰まる。言われてみればここのところ出掛けるのも日課の散歩や食料品なんかの買い出しくらいで、外出らしい外出もしてなかったと気づく。気分転換すれば少しはこの夢見の悪さもマシになるかもしれない。
    「OK、わかったわかった。俺の負けだ」
    「ひひ。やった」
    わざとらしく肩を竦めつつ、内心そっと胸を撫で下ろす。嘘を吐いたことは心苦しいがこれで良いはずだ。鼻歌まじりの浮奇に部屋に連れ戻されて、彼が選んだコーデであれよあれよと着替えさせられていく。黒のスキニーにホワイトのTシャツ、浮奇からプレゼントされたオーバーサイズのカーディガン。ゴツいエンジニアブーツは俺のお気に入りだ。こちらへ来る前は私服以前にアーキビストとしての制服しか必要がなかったからお洒落や流行りとかはわからないが、シンプルで楽な服装は好きだ。ベルトループにNetjackを引っ掛けて準備は終わり。いつの間にか浮奇も着替えていて、ちゃっかり色違いのカーディガンを羽織っていたのには苦笑してしまった。
    手を引かれて向かった先は予想をしていたよりこじんまりとしたカフェだった。入ったこともない路地裏の先、慣れた様子で前を行く浮奇がドアを開けると、硝子で出来ているのだろうドアベルが小さく涼やかな音を立てる。昔からここで営業しているのだろう、年代もののカウチやテーブルは古めかしくもきちんと手入れされていて汚れひとつなく、鼻腔を擽るコーヒーの芳しい香りが心地良い。客は入ってはいるが控えめに談笑したり持ち込んだ本を読んだりしている人が大半で賑々しくなく、控えめにジャズが流れる落ち着いた雰囲気は実に好みだった。
    「よくこんな穴場を見つけたな」
    「でしょ?この前仕事帰りに見つけたんだ」
    白髪混じりのダンディなマスターに席に案内され、レモンパイとルイボスティー、浮奇はティラミスとロイヤルミルクティーをオーダーする。本当ならコーヒーを飲んでみたいがこういう時アレルギーというものが憎らしい。少しして静々と運ばれてきた上品なカトラリーと綺麗に盛り付けられたケーキに自然と背筋が伸びる。
    「いただきます」
    「いただきます」
    どうフォークを入れたものか迷って、おそるおそる切り分けたレモンパイを一口頬張る。見た目の可憐さとは裏腹にレモンカードの甘酸っぱさの中にあるほんのりとした苦みとメレンゲのふんわりとした軽やかさがマッチして、甘すぎず丁度いい。アクセントのレモンジュレも爽やかで、そこに温かなルイボスティーを含むとさっぱりとした良い調和をもたらしてくれる。おそらくこれは綿密にバランスを考えられて作られているのだろう。
    甘いものはそこまで得意ではない方だが、これはぺろりと食べられるくらい美味しい。雰囲気も接客も良いし今度執筆作業する時にでも一人で来ようと心に決めつつ、じっとこちらを見つめてくる視線に首を傾げる。
    「どうした?」
    「んーん。ふーふーちゃん可愛いなあって思ってただけ」
    ついてるよ、と寄せられた指先が口端を滑り、拭われたクリームがそのまま浮奇の口の中へと消えていく。漫画でしか見たことがないあまりにも自然なそれに、脳の処理が追いつくまでに五秒掛かって。
    「No。浮奇の方が可愛いだろ」
    「ふふ。ねえ、一口ちょうだい?オレのティラミスもあげるからさ」
    苦し紛れの返答なんて気にもせず、くすくすと楽しそうに笑いながら目の前に差し出されるスプーン。とろりとしたなめらかなカスタードとコーヒーを吸ったスポンジは間違いなく美味しいだろう。しかしここは家の中でも二人きりでもない。
    俺がPDAが苦手なことは知っているくせに。睨みつけても何処吹く風なのはわかっているから、溜息をついて自分の皿を浮奇の方に押しやる。
    「普通に食べろ。人前だぞ」
    「むー。誰も見てないよ」
    「……お前だけしか知らない俺を、他の奴に見せていいのか?」
    小さく甘く潜めた声は彼だけに聞こえるように、上目遣いはわざとらしく。丸く見開かれた双眸がうろうろと左右に揺れているところを見ると良く効いたらしい。やり返せたことに気を良くして差し出されたままのスプーンを細い指から奪ってティラミスをぱくりと含めば、予想通り美味かった。
    そのまま空いたスプーンにレモンパイを分けてやって、残った分を口に入れることに集中する。らしくないことをしたからか頬がやけに熱い。黙ったままレモンパイを食べる浮奇もどうやら同じらしい。良い歳した男同士がする恋じゃないとつくづく思う。キスもセックスもすることはしているくせに、時たま子どもじみたことをしてしまうのはこれがきっと俺にとって初恋だからだろう。
    共和国にいた時には誰かと添い遂げるつもりはなくて、一時の欲を後腐れなく解消できればそれでよかった。男でも女でも気持ち良くなれば一緒だし、そこに酒と娯楽があれば人生に文句もない。誰かを縛ることが嫌で、そんな資格が自分にあるとも思っていない。だからまともに誰かを好きになんてなったこともなくて。でもこの時代に来て、浮奇と出会って、すべてが変わってしまった。
    すっかり腹も満たされて、支払いも済ませてカフェを出た道すがら。するりと俺の小指に浮奇の小指が絡む。二人のカーディガンの袖口に隠されて、きっと周りからは見えないだろうけれど行き交う人たちは少なくはない。あんなに言ったのに、と口を開く前に被さる声は少しだけ揺れていて。
    「……ごめん。少しだけ、こうしてたいんだ」
    隣を歩く彼の、ウェーブがかった髪から覗く耳が赤く色づいているのに気づいて咄嗟に口を噤む。その初心な反応に揶揄うのもなんだか憚られて、触れた指先に自分から絡ませて了承を示す。なんだかんだ自分にも惚れた弱みというものがあるらしい。
    けれどもデートからの帰り道にただ黙って手を繋いで歩いているなんて、ピュアなティーンエイジャーのラブストーリーでもあるまいし。あまりにも自分たちに似つかわしくなくて笑いが込み上げてくるのは仕方ないことだろう。
    「ふは、ふふふ、……っくく」
    「なに、なんで笑ってるのさ」
    「あははっ!いや、俺たち少女漫画みたいなことしてるなって思ってな」
    不機嫌ですと言わんばかりにじとりと睨みつけてくるのにもツボにハマって腹が痛くなるくらい笑っていると、すっかり憂鬱な気分も晴れていることに気付く。俺の隣に浮奇が居てくれて本当に良かったと思う。運命なんて大それたことを言うつもりはない。けれどこれはきっと奇跡でもない。木の葉を揺らす穏やかな風の中、ぷくりと頬を膨らませてしまった彼の機嫌をどうやって直そうかとゆっくり考え始めた。







    目を開けると、そこは文字通りの地獄だった。戦火によって瓦礫の山と化した街。立つ者は誰一人として居らず、そこかしこから立ち上る黒煙は顔を顰めるような肉の焼ける悍ましい臭いを纏っている。歩けども在るのは見る影もなく崩れ果てた廃墟の群れ。見渡す限りの死屍累々。赤黒く蟠る血の河。塵芥とばかりに高く積まれた夥しい屍の山の頂に、『それ』は居た。
    惨憺たる墓標に冷然と佇む獣は黒々とした毛並みをして死神のごとく、黙したままこちらを見下ろしている。『それ』は狼の形をした恐怖だった。けれど合わさった視線が外せないのは、もっと別の、どこか焦がれるようなモノのせいで。
    自然と踏み出した足が散らばった腐肉と臓物を踏み潰しても何の感情も浮かばない。死は死でしかなく、そこに憐憫はない。経過は異なれども人間は等しく死ぬ。たとえ身体が機械と、怪物と成り果てても。俺と同じ色をした狼の瞳が静かに瞬く。伸ばした手が軋む音を立て、背骨代わりのインターフェースプロトコルが熱を持つ。羊を追い立てる鷹の声。俺は、そうだ俺は―――第505師団の。
    「ファルガー、こんなところで何してるんだ?」
    「ぇ、」
    ふっ、と。意識が反転する急激な喪失感。力が抜けてふらついた身体を誰かに受け止められる衝撃。反射的に瞑っていた目をおそるおそる開けると心配そうな顔をしたサニーが覗き込んでいて。呼び掛けられた声が彼のものだと脳が理解しても、今の状況がまったくもって飲み込めなかった。
    「大丈夫?顔色悪いみたいだけれど……」
    俺は浮奇と一緒に居たはずで、確かに朝だったはずだ。なのに今どうして一人で夜の街に居るのだろう。遠くで聞こえる車のクラクションや酔っぱらいの喧騒はいつも通りなのに、自分一人だけ日常から取り残されたような感覚。今が何時かわからないが、おおよそ半日以上の記憶がないことになる。
    ゾッとするような、言い知れない不気味さに全身を怖気が走る。今までこんなことはなかったのに。想定外の混乱にサニーの問いかけにも応える余裕がなくなっていると、晴れた空の色をした瞳が不意に俺の手元に視線を落とす。それにつられて指先に意識を向けると、花びらを毟られたガーベラが握られていて。
    「家に帰ろう、ふーちゃん。これ以上ここにいるのは良くない」
    見覚えのあるこれは、綺麗だと浮奇が買ってきてリビングに飾っていたものだ。それが俺の手の中で無残な姿になっている。呆然としたままサニーに促され、路肩に停められていた車に連れて行かれる。内蔵されたデジタル時計は午前一時を表示していた。
    「戻ったらゆっくり寝た方がいいよ。君は君が思ってるより疲れてるのかも」
    「ああ、……うん。そうする」
    俺と浮奇が喧嘩したとでも思っているのか、すべてに一切触れず当たり障りのないことを話してくれるサニーがありがたかった。カーステレオから聞こえてくるラジオDJの話も頭に入ってこないし、手の中の花は何をしても元には戻らない。次から次へと流れていくネオンのせいで目がチカチカする。
    どうやらそう遠くまでは来ていなかったらしく、家にはすぐ着いた。とりあえず水を飲みたい。花の骸は迷いに迷ってゴミ箱に捨てた。浮奇には後で謝らければいけない。
    「俺はもう寝るけど、もしなにかあったらスマホに連絡してくれればすぐ行くから」
    「ありがとう。おやすみ、サニー」
    無理やり笑顔を作って、自室へ戻っていく彼の後ろ姿を見送る。俺を見つけてくれたのがサニーで良かったと心底から思う。いよいよ夢遊病にでもなってしまったのか、それとも致命的なエラーか。もしかして、気づいていなかっただけで俺はずっとおかしかったのかもしれない。壊れているのかもしれない。疑念は次々と生まれても答えてくれるものはなく、拭えない違和感と不穏は蓄積されていくばかりで。
    こういう時は酒でも飲んで眠ってしまおう。今はとにかく何も考えたくなかった。重だるい足どりで部屋に戻り、ラックから適当に選んだジンを氷を入れたグラスに注ぐ。一杯だけ飲んで寝て、起きたら浮奇に謝って、それからあとは。ツンと鼻腔をつくアルコールの匂いに縋るようにグラスに口をつけた、その瞬間。


    『 Do you read me 』


    それは、確かに聞き覚えのある声だった。けれど誰のものか思い出そうとする間もなく、まるでハッキングでもされたように視界に断続的に不明瞭なノイズが走る。一回、二回。あのサイレンが聞こえる。低く遠く、唸るような。瞬きをする度に広がる赤。いつもわからなかった“誰か”。傾ぐ身体。硝煙の臭い。こちらへ伸ばされた腕。薬莢がコンクリートへ落ちる甲高い音。見開かれたヘテロクロミア。俺はその色を、知っている。
    「あ、」
    がしゃん。手から滑り落ちたグラスが重力に従って、音を立てて割れる。込み上げる強い吐き気に立っていられず、よろめきながらソファーに倒れるように座り込む。ぜいぜいと酷い喘鳴が肺にきつく爪を立て、嫌な汗がこめかみから流れ落ちていく。
    あれは間違いなく浮奇だった。繰り返し見ていたのは、この手で彼を殺す夢で。もちろん原因は到底思いつかない。ただこれをただの夢だと片付けるには己の本能が受け付けず、いつか訪れる未来だとしたら冗談でも笑えない。でも銃なんて、軍所属ならいざ知らず単なる一般人でしかない俺が扱えるわけがないのに。反響するような耳鳴りにまとまらない思考は堂々巡りから抜けられず、ドアをノックする音にびくりと肩が大きく震える。
    「ねえ、大丈夫?凄い音が聞こえたけど……」
    次いで向こう側から聞こえたのは、いま一番聞きたくない声だった。途端、脳裏にフラッシュバックするあの光景に零れそうなる悲鳴を両手で口を抑えて必死に押し殺す。どうしてこのタイミングでよりによって彼が来てしまうのか。入ってくるなと声を上げたいのに胃のあたりが気持ち悪くてそれすらもままならない。その間にも何のアクションがないことに焦れたのかがちゃりとドアノブが動いて、こんなことだったら鍵を掛けていれば良かったと後悔してもすべてが遅かった。
    「ふーふー、ちゃん……?」
    ひ、と堪えきれなかった絶望が喉から溢れていく。きつく閉じた瞼の裏に貼りついて消えない影が、赤が、あまりにも恐ろしくて。名前を呼ぶ声が頭の中でハウリングする。ああそうか俺に撃たれる前も、そうやって同じように。
    嫌だ、嫌だ、いやだいやだいやだいやだ。どうして、なんで、おれは。呼吸が上手く出来なくて、過呼吸めいた喘鳴が気管を狭める。焦った気配の浮奇が駆けてくる足音がする。乖離する自己が瓦解していきそうになる、堕ちる感覚。あの悪夢の最後と同じ感覚。ともすればブラックアウトしてしまいそうになる意識を強くきつく唇を噛んで耐える。
    「来るな、だいじょうぶ、だからっ、こないでくれ、浮奇……っ」
    ひりついた喉から絞り出した、獣が唸るような低い呻き。ソファーに蹲ったまま腕に触れる手を思いきり強く払えば、金属と皮膚がぶつかる嫌な音が響く。今まで彼にしたことがない、明確な拒否。息を呑む微かな空気の揺れが心臓を締めつける。
    どうか俺のことを嫌いになってくれ。離れていってくれ。あれが本当になるくらいなら、美しい星の光が永遠に俺へと降り注がなくても構わない。だから―――。
    「ファルガー」
    耳朶に届いたのはいつも呼ばれるあだ名ではない、あまり彼の口から出ない自分の名前。らしくない低い声に反射的に顔をあげれば一瞬にして囚われる視線の檻。あ、と思う間もなく唇と唇が触れて。
    「っんぅ、」
    それはいつもするキスとは真逆の、暴力的なまでの激しいキスだった。傷つけた唇から染み出した血が混じり合い逃げ場のない舌がいとも簡単に絡められ、自分のものとは思えないような鼻に抜けた声が漏れる。咄嗟に引き離そうと彼の背に手を伸ばしても、少しも力の入らない義手は縋るくらいしか用を成さない。
    ぐっ、と浮奇が体重を掛けるだけで俺の身体は簡単にソファーに沈んだ。後頭部に肘掛けが当たって口付けの角度が変わる。耳朶を擽る乱れた吐息は彼のものか自分のものかわからない。触れ合う熱が苦しいほど愛しくて堪らなくて、このままでは駄目だとわかっているのに思考が融けて浮奇のことだけしか考えられなくなる。
    本当は、ずっとこうしていたい。許されるのなら彼の傍に居たい。しかしこの浅ましい願いが彼にとって最悪の結末を生むのなら、俺は自ら死ぬことすら厭わない。
    「大丈夫だよ」
    数秒か、はたまた数分か。少しだけ離れた唇の隙間から彼の言葉がこぼれ落ちる。怒るでもなく呆れるでもなく、慈しみすら感じるその言葉を咀嚼しきれなくて。
    「オレはここにいる」
    だから、泣かないで。そう言われてようやく、自分が涙を流していることに気づいた。泣くこと自体初めてだった。自分がいた世界では不必要だったから。ぼろぼろと溢れていくそれは止めどなく頬を伝っては、浮奇の指に優しく拭われていく。
    (あれ。そう、だったっけ)
    今はともかく子どもの頃くらい泣いたことはあったはずなのに、どうしてそう思ったのだろう。でもいつ、どこで。白い虫が床を這って、それをブーツが踏み潰して。これはいつの記憶?本当に“ファルガー・オーヴィド”の記憶、なのか?
    「……本当は、」
    「うん」
    「はなれたく、ない」
    「……うん」
    「でも浮奇のことが好き、だから。……怖いんだ」
    飲み込んだ恐怖と嗚咽の合間、零す言葉は掠れて消えそうになる。こんな夢の話なんて妄言も同然で、狂っていると思われても文句は言えないだろう。それでもぽつりぽつりと言葉に詰まりながら話す俺を、浮奇はただ黙って聞いていた。
    一から十まで話し終えて、二人の間に痛いほどの沈黙が落ちる。ああ、やはり軽蔑されただろうか。いっそのことその方が良い。自嘲に歪みそうになる自分の輪郭を堰き止めたのは、他でもない彼の熱。
    「オレは死なないよ。……約束する」
    「う、き」
    「だってキミのために、ここにいるんだもの」
    だから心配しないでと、繰り返す浮奇の声が優しく染み込んで凍えそうになっていた心底が融けていく。俺の、ため。彼のその言葉の意味を聞きたいのに眠くて眠くて仕方がなくて、ゆっくりと瞼が閉じていく。浮奇が言うのならきっと大丈夫なのだ。だから俺は、何も恐れる必要はない。
    暖かな手のひらが頬を包み、額に柔らかい唇の感触が落ちる。おまじないだよ、と囁く声が近く遠く聞こえて。



    「悪い夢は食べてあげるから、ゆっくりおやすみ」
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