◇ フェイスは困惑していた。
「クソDJ!!何だよこれ!!!?」
ジュニアがキレている。
まあそれはいつものことなので今さら困るも何もないのだが、問題は彼が憤る発端の方だ。
目つきを鋭くしながら睨み上げてくるジュニアは、フェイスの鼻先にズイとスマホの画面を突きつけていた。液晶に映し出されているのはSNSに投稿された一枚の写真──パッと見てフェイスが写っていることはわかる。それと、写真に寄せられたコメント。そこにはこんな一文があった。
『フェイスくんが一緒にいる相手って…まさか本命の彼女!!!???』
「おまえ…彼女がいるくせに、おれとデ、デートしたのかよ!?」
いつの間にか撮られていた写真のこと、投稿に寄せらている阿鼻叫喚地獄絵図のようなコメントの嵐に飛び交う「本命彼女」というワードのこと、それとジュニアとデートしたこと。
その瞬間でフェイスが把握して察したことを順を追って説明したかったが、とにかく今はジュニアの怒りを鎮めることが先決だ。
フェイスに向かってスマホを突きつけている手を握り、威嚇する猫みたいに高く上がった肩を掴んでくるりと半回転させ、そのままソファに座る自分の隣に着席させる。それから、話はまだ終わっていないとばかりに物言いたげに睨んでくる瞳をジッと覗き込む。最近、これをするとジュニアは眉間にシワを寄せて黙り込むので、理由は知らないがフェイスは密かにジュニアを落ち着かせる手法の一つとして活用している。
黙りこくったジュニアを必要以上に刺激しないようフェイスは穏やかな声で話し掛ける。
「俺の話、最後までちゃんと聞いてくれる?」
「……内容による」
つまりは話をするフェイス次第ということだ。ならば、最後まで話すことができるだろう。
「まず写真のことなんだけど…」
まず、なんて前置きしたが、恐らくこの写真の話だけで全てが解決するだろう。
「これ、この前デートしたときのやつだよね。俺と…おチビちゃんが」
「…へっ?」
あっと言う間もなく突然降り出した雨はとんでもない土砂降りで、フェイスとジュニアは慌てて近くに見えたカフェへ駆け込んだ。
とはいえ、全身びしょ濡れのまま店内に足を踏み入れることもできないので、一先ずオーニングの下で雨宿りさせてもらい、髪や服の水気を払うことにした。
濡れた袖で拭っても、髪から滴る水は中々止まらないようで、苛立ったジュニアが結わえていた髪を解いてブンブンと頭を振る。
「ちょ、やめてよ。水が飛んでくるんだけど」
「あ? 別にいーだろ。どうせ濡れてんだから」
確かにもうすでにびしょ濡れだが、だからと言ってこれ以上濡れたいはずもない。フェイスは一つ溜息をこぼすと、自分の上着を脱いでジュニアの頭に被せた。そのままやや乱雑に拭う仕草をする。
上着の中から「ぴ!?」と驚いたような鳴き声が聞こえたのもお構いなしに、ガシガシと。
「おい!やめろ!」
上着を払い除けたジュニアが怒っているが、ボサボサの髪ではいまいち格好がつかない。
「でもホラ、さっきよりはマシになったんじゃない?」
掴んでいた上着をジュニアの肩に掛けてフェイスはクスクス笑いながら手櫛で簡単に髪を整えてやる。手も、払い除けられるかと思ったけれど、ジュニアは何も言わずに大人しくされるがままだった。それでフェイスも、少し気分が良くなる。
フェイスがジュニアをデートに誘ったのは昨夜のことだった。何なら好きだと告げたのもその時で「どうすればいいかわからない」と返されたのでとりあえず一緒に出掛けみることにしたのだけれど。
「雨が降って、嫌になっちゃった?」
「別に。ウゼーとは思ったけど、それで全部嫌にはならねーよ」
「そっか」
疑うまでもなく、それが本音だとわかる。一日過ごしたジュニアの楽しげな様子を思い返せば、わざわざ尋ねるようなことではなかったかもしれない。
「俺はね、今もけっこう楽しいよ」
「そーかよ」
それから少しの間静かな空気が流れたが、ふと空を見上げたジュニアがあっと声を上げたので、つられてフェイスも空を見た。
「雨止んだな」
にわかの通り雨だったようで、突然降ったときと同様ピッタリと止んで晴間が見えた。
雨が降り始めたのはデートも終盤、後はもう帰るだけで何か食べて行こうかと話している矢先のことだった。
雨宿りするだけというのも些か申し訳ないのでカフェに入ってみようかとガラス越しに店内を振り返って、フェイスはまたすぐに視線を前に向けた。
──目が合った。合ったというか、すでに向けられていた複数の視線にようやくフェイスに気が付いたとでも言うべきか。
あの視線には覚えがある。あれはもしかしなくてもファンの女の子達だ。もしこのまま店内に入ってしまったら……うわ、面倒くさい。
パトロール中ならまだ良かったかもしれないが、今は全くそうではない。
どこからどう見ても正真正銘のプライベート、しかも、好きな子との初めてのデートの真っ最中。
絶対に邪魔を入れたくないし、水を差されたくない。
「雨、止んだみたいだしそろそろ帰ろっか」
「そうだな」
「全身びしょ濡れだし、どこにも寄らないで、このまますぐにタワーに帰ろうね」
「お、おう? それもそうだな?」
「よし、じゃあ行こう。おチビちゃん、振り返らずに真っ直ぐ進んで」
「なんだよ、わかってるよ!」
急に肩をグイグイ押されて戸惑うジュニアをそれでも前に押し進めた。フェイスは少しでも早くその場から立ち去りたかった。
「──多分、その時に撮られたと思うんだよね」
自分達がデートしたときの写真だ、と話し始めたときポカンとしていたジュニアは話が進むに連れ次第に目を見開き、話が終わる頃には唖然とした表情になっていた。
改めて件の写真を見直す。屋内からガラス越しに撮ったと思われるアングルで、背景には雨の降るウエストの街並が覗える。その手前に立っているのがフェイスだ。雨に濡れた横顔はカメラを見ていないのでこれが隠し撮りされたものだとすぐわかる。フェイスの視線はカメラではなく、隣に立つ人物に向けられている。フェイスよりも小柄で、同じように雨に濡れた髪は肩くらいの長さ。その髪にフェイスの手が触れている。肩に掛けられているのはフェイスの上着だ。
──ああ確かに、これだけを見たら「本命」ができたと思われても仕方ない。確かにそれで間違いないのだから。
撮られた本人であるフェイスから見ても、ジュニアに触れる自分の手も表情も、うんと優しげだ。それはどう見ても、恋人を気遣う仕草。その瞬間を切り取った一枚だった。
まだそんな関係にはなれてはいないけど。
「それでさ、おチビちゃん」
フェイスの話を聞いて、もうとっくに誤解も解けたであろうジュニアを見れば変わらず唖然としたまま、けれどもいっそ可哀想なくらい顔を赤面させて、大きく見開かれた瞳には薄っすら涙が滲んでいた。
恐らく、自分の勘違いに気付いた今、とてつもない羞恥に内心をボコボコに殴られているのだろう。
出来ることならそっとしてやりたいところだが、フェイスにもまず、何をおいても確かめなければならないことがあるのだ。
「どうしてあんなに怒っていたのか、理由を聞かせほしいんだけど」
ジュニアにとっては尋問にさえ聞こているのかもしれないが、どうしてもフェイスは知りたかった。だってこれまでの彼女たちとは縁を切って、以降も交際を断っていることを誰よりもジュニアは知っているのだから。
自分の元へやってきて憤った理由が、自分達の関係について、ジュニアが自分と同じような気持ちで意識してくれているからだったら嬉しいと思う。もうすぐ、淡い期待が確信に変わる。だから、その答えを早く彼の口から、彼の言葉で聞かせてほしかった。
「そ、それは」
「うん、それは?」
せっかくのデートは、当日に雨に見舞われ隠し撮りされた上に、後日本人達の意図しない形で拡散されあらぬ誤解を受けるなどというとんだハプニングの連鎖になってしまったが、ここまでくると、いっそ笑えてくる。
「──ふぁっく!!!何がおかしいんだよ!?」
どうやら本当に笑いがこぼれてしまったようで、ジュニアはますます顔を赤くして憤っている。いよいよ涙がこぼれそうだ。
けれどもフェイスは、忘れられない初デートになったんじゃない?なんて、のんびり考えていた。
*
「でもどうしようか。一応、誤解は解いておく?」
「どうやって…」
「本命の『彼女』じゃなくて『彼氏』ですって」
「かっ…!? おっ、おれとおまえは!!まだ!!そういうのじゃねーだろ!!?」
「…アハッ。おチビちゃん、まだってことは──」
いずれはそうなってくれるってことでいいの?
おわり