Blessed birthday気づけばそこは、一面ススキが生えている丘だった。
サワサワと風に揺れるススキの音だけが耳に届き、雲が散りばめられた空は朝を迎えようとしている。
世界は朝焼けのオレンジ色と朝日とススキの色が合わさった薄い黄金色に染まっていた。
遠くに生えた、綿のような、羊毛のようなススキの穂の隙間から朝焼けの光が零れ、チラチラと瞬いている。
時折思い出したように朝の冷たい風が吹いて、ススキと自分の頬を撫でていく。
無意識に骸は息を吸い、そして吐いた。
どこまでも穏やかで、心の休まる光景だった。
立ち尽くすように景色を眺めていればやがて山の間から刺すような朝日の光が目に飛び込んできた。
骸はそっと目を細める。
眩しい、と思った。
どこか後ろめたさを感じてしまうくらいに。
だからその光を避けるようにその場に寝転べば、強い風に押されるようにしてススキの群れが一斉に骸の顔をくすぐった。
まるで遊び盛りの子犬がじゃれつくような感触に骸は寝転んだままそっと微笑む。
やがてススキが視界いっぱいに広がりそして。
そこで骸は目が覚めた。
見慣れた部屋の風景にここは自室のベッドで、先程のススキ野原は夢なのだと分かった。
が、自分の手や腕の感触に夢のススキと似たものを感じ骸は手に視線を向けた。
そこには骸に向かい合うようにしてぴったりと寄り添う綱吉の姿があった。
まだ眠っているようで、彼の呼吸に合わせて髪がふわふわと揺れる。
波打つ白いシーツに挟まれてキャラメル色の髪が、夢で見たススキのように揺れては骸の顎や首元をくすぐった。
なるほど。夢で感じたあの感触はこれか。
1人納得して骸はそっと綱吉の頭に顔を埋めた。
微かに汗の匂いを含んだ髪は、どこか日向を連想させる香りが混じっている。
手を滑らせればしっとりとしているものの、綿のような髪の弾力がそっと骸の手を押し返す。
不思議だ。
昨夜は何度交わったか忘れる程、彼と身体を繋げたのに。
相手を気遣う余裕すら投げ捨てて、お互いいつ意識を手放したか分からない程、汗と劣情にまみれた一夜を過ごしたのに。
それなのにまるで何事も無かったかのように、綱吉の体はベッドに入る前と同じような清らかさを放っている。
思わず彼を腕の中に閉じ込めると綱吉は骸の腕の中でううん、と微かに唸った。
しまった。そう思ったのと同時に綱吉はゆっくりと瞼を開いて骸を見上げた。
「…むく、ろ…?」
舌ったらずな言葉と共に綱吉の瞼は次第に大きく開いていく。
そうしてあふ、と欠伸混じりに綱吉は目を擦った。
「おはようございます、綱吉。起こしてしまいましたか?」
そう髪をすけば綱吉はんん、と唸った。
「……へーき…おきる」
「まだ眠そうですね」
すみません。骸が額にキスを贈ると途端綱吉は半開きだった目を見開いてサッと顔を赤らめた。
「う、うん…」
「…おや、顔が赤いですね。どうかしました?」
「い、いや別に…」
「熱でも測ってあげましょうか?」
綱吉の髪を分け意地悪く額を寄せると、綱吉はヒィッ!っと叫び骸の胸を手で押した。
「いっ、いい!!いいから!!」
「クハハ。まるでゆでダコみたいですね」
触れるか触れないかのギリギリの至近距離で見つめ合えば、綱吉の視線は骸から逸れてウロウロと彷徨うばかり。
そんな、事後で毎回恒例になっているとも言える彼の様子に骸の加虐心は加速していく。
「…綱吉。こっち、向いて下さい」
「…やだ」
「何故?」
「…なんか恥ずかしいし…やだ」
「僕達、目を合わせるよりももっと恥ずかしい事したのに?」
骸が意味ありげに綱吉の腰と自分の体を密着させると綱吉はわっ!と悲鳴をあげた。
「おおおおおお前っっっ!!!お前ぇぇぇぇ!!」
「またゆでダコみたいになりましたねぇ?」
「っ…骸のばか!」
綱吉はシーツにくるまると、くるりと体を回転させ骸に背を向けた。
彼に持っていかれたシーツの分だけ剥き出しになった背中が少し寒い。
少々いじめすぎたようだ。
機嫌をとるように骸が綱吉を後ろから抱きしめても、綱吉は体を縮こめたままだった。
「すみません、綱吉」
「…今日のお前、なんか変。いじわるだ」
背を向けたまま綱吉は回された骸の手にそっと指を絡める。
もう怒ってはいないようだが、まだ背を向けたままでいる辺り、未だに朝のベッドの中で自分と顔を合わせるのは相当恥ずかしいらしい。
骸の基準からすると、何度も同じベッドで朝を迎えた仲であるのにここで恥ずかしがる理由がよく分からないのが正直な所ではあるが。
そういう所が、未だに彼が純粋なままである所以なのだろう。
骸はええまぁ、と呟き再び綱吉の頭に顔を埋める。
「君の誕生日、ですからね」
休暇は誕生日以外ではあまり取れないので、ついいつも以上に虐めたくなってしまう。
骸は閉じた口の内側で、そっと言葉を閉じ込めた。
何だよそれ。
そう言う綱吉からふわりと香る日向の香りに、あの日を思い出す。
誕生日、という単語は骸の今までの人生ではあまり重要でなかった。
骸の中ではせいぜい個人の必要な情報としてついでに覚える記号のようなもの、という認識だった。
例えばある人物になりすます時に、ついでにその人物の誕生日も覚えておかなくては後々情報操作をする際どこかで綻びが生じてしまう。
個人を証明するのに必要な4桁のパスワード。
骸の認識はそんなものだった。
記号に、暗号に、それ以上の意味はない。
そして骸は自分自身の誕生日に対しても同じような感情しか持っていなかった。
だが、骸が腕に抱き込むこの男はそれを怒った。
お前が生まれてきてくれてオレは幸せなんだ、と。
お前が自分自身を否定するな。そう言って男のくせに、大声で惜しみもなく泣いた。
この男は、骸が今まで抱いてきた価値観をどこまでも認めようとしなかった。
それどころか、誕生日が嬉しく感じるようになるまで祝い続けてやる、とまで言い出す始末。
彼は数年がかりで骸の価値観を、根底からひっくり返す決心をしたのだ。
あの雨の誕生日から数年が経った。
何度も祝われ、返礼のように祝い返す事を繰り返す内に、綱吉の言わんとした事が骸にもぼんやりと掴めてきたように感じる。
彼が生まれなければ彼と出逢えなかったのは、事実だ。
同じように、彼の環境や彼を構成する物が僅かでも違えば彼は彼ではなくなるのも、また。
今の彼が、今の彼と成ったのは最早奇跡に近い。
気の遠くなる程の時間をいくつも積み上げて、そうしてようやく1人の人間が構成される奇跡。
誕生日とは、その始まりの一歩だ。
今の彼が始まった、奇跡の最初の日だ。
それはある意味、彼を表すパスワードの数字とも言えるだろう。
だが、過去の時間の積み重ね、奇跡の連鎖に想いを馳せると、骸はもはやそれをただの数字、ただの記号とは思えなくなってしまった。
ではきっと、綱吉が骸の誕生日を嬉しく思うのも同じ事なのだろう。
あの暗い過去すらひっくるめて、今の骸で自分の心が満たされて、そして幸せである事を祝いたくなるのだろう。
骸の全てを受け入れてくれているのだろう。
ああそうか。
そこで骸は唐突に理解する。
これが人に誕生日が来て嬉しく思う感覚なのか、と。
今いるその人自身を肯定し祝福しているのだ、と。
そうして祝われた方も、嬉しく思うのだろう。
「…骸?」
不思議そうな綱吉の声に骸はハッと我に返った。
気づけば綱吉は腕の中でそっと振り返っていた。
動いた拍子にシーツから彼の肩が現れて、滑らかな肌をシーツが水のようにスルスルと滑る。
湧き上がる衝動のまま、骸は照れ臭さを隠すように綱吉の肩に軽く歯を立てた。
そしてわっ!という彼の悲鳴を耳にしながら骸は強く強く綱吉を抱き込んで耳に囁く。
「…誕生日、おめでとうございます」
毎年言っている言葉であるのに、綱吉はその言葉にピタリと動きを止めた。
いつもと違う雰囲気を感じているのだろうか。
そうして骸は初めて彼に伝える言葉を口にする。
「いつか君が言ってくれた言葉の意味、ようやく分かった気がします」
ありがとう、生まれてきてくれて。
ありがとう、出会ってくれて。
君のお陰でこんなに幸せです。
今なら分かる。
あの時彼が言った言葉の意味が。
"あなたが生まれてきてくれたお陰で今こんなに幸せです、ありがとうってお礼を言う日なんじゃないかな"
本当に。
…本当に、そうですね。
ぎゅっと腕の力を更に込めると綱吉は微かに肩を震わせた。
「……う」
「…綱吉?」
「うううう…」
「…もしかして泣いてます?」
「もしかしなくても泣いてるよ、ばか!」
綱吉はそう言うと勢いよく振り返った。
シーツが一瞬だけふわりと宙を浮き、綱吉と目が合う。
起きてからもう日は大分上っている。
綱吉の頬を流れる涙が、柔らかな髪が、明るく差し込む朝日を反射しキラキラと輝く。
ああ、綺麗だ。
骸は一瞬、その姿に見惚れた。
そんな骸を綱吉は涙を零しつつ見上げる。
「…お前、オレの誕生日来て嬉しいの?」
「ええ」
「…本当、に?」
「もちろん」
待たせてしまってすみません。
未だに涙の止まらない綱吉の顔を骸は優しく掌で包む。
そうして薄いチョコレートのような綱吉の瞳を正面から覗き込んで、骸は思っているままの言葉を、本当はずっと言いたかった言葉を、口にする。
「…君が生まれてきてくれたお陰で幸せです。ありがとうございます」
骸の言葉に、綱吉の涙はさらに溢れかえる。
その一筋一筋を指で受け止め、骸は涙を掬う。
でも綱吉の流す涙の量には到底追いつけなくて、とうとう綱吉は骸の胸に顔を埋めたまましゃっくりあげた。
「…参りましたね。君に泣かれると、弱い」
骸は綱吉の髪を梳く。
まるで幼い子供をあやすように、何度も何度も優しく、丁寧に。
どうか泣き止んで、と願いを込めて。
「…ありがとう、骸」
最高のプレゼントだ。
綱吉は目元を拭うと、そう言って笑った。
「…まだケーキも本物のプレゼントもあげてないのに。相変わらず無欲ですねぇ」
「もちろんお前から何か貰うのも嬉しいけど、お前が幸せを感じてくれた事も、すごく嬉しい。しかも、オレの誕生日で」
へへ、と綱吉は骸に擦り寄る。
「…僕の事で喜んでばかりですね」
「お前だっていつもそうだろ、骸?」
お互い様だ、と綱吉は笑う。
そうして綱吉はそっと骸に唇を寄せた。
ぎこちなく、不器用に、綱吉の唇が躊躇いがちに骸の唇に合わさる。
骸も応えるように唇の角度を合わせれば、綱吉は骸の首に腕を回し、隙間もなく骸にぴったりとくっ付く。
唇を合わせたまま骸が笑えば、綱吉もつられるようにして、笑う。
そうしてお互いじゃれるような熱の交わし合いを、息が切れるまで続けた。
「…珍しい、ですね。君からキスなんて」
は、と酸素を求める音が骸の口から漏れた。
「…たまには、いいだろ」
微かに赤い頬のまま、綱吉も同じような息を吐く。
酸素が足りず息が上がっているのに、それでもお互い幸せそうに笑い合う。
彼の誕生日に合わせて取った休暇はまだまだたっぷり残っている。
その残りの時間の間に、あとどれだけ彼の笑顔を見れるだろうか。
そう考えている自分に気付いた骸は、笑いながらもう一度綱吉と唇を合わせるのだった。