狐と出会った話 2※パロです。
※強めの幻覚。
【それからの二人】
「ほらよ」
KKは暁人の目の前に大きな箱を置いた。
戸惑うような暁人を尻目に、箱のロックを外して中身を取り出した。
折り畳み式のそれを出して、暁人に渡す。慌てて受け取ったそれをまじまじと見つめてから、暁人はKKの方へと視線を戻した。
「なに、これ」
「化け物専用の武器だ。弓とこっちが矢。矢は知り合いから取り寄せてる。なくなりそうになったら取りにいけ。話はつけてる」
そう言って、連絡先が書いてある紙を一緒に渡した。例の化け猫がオーナーのバーだ。
暁人から連絡が来たのは、連絡先を渡してから一週間後のことだった。思っていたより早い。
そこからアジトメンバーにも話を付けて、ここへ呼んだのがさらに二日後。指定した時間通りに暁人はアジトへとやってきた。
もう日の落ちた時間帯だ。アジトメンバーもそれぞれ帰路についている。
「あとこっちは御札だ。こっちは麻痺、草が生えて姿隠せるやつ、音が出て呼び寄せるやつ、こっちはあいつらの核を露出させる強いやつだが、高いから気を付けて使えよ~」
「ま、まってまって!」
「あ?」
何枚か御札を用意して渡すと、慌てたように暁人が口を挟んできた。
「僕、力があるから必要ないんだけど」
「確かに力がある。ただそうして使ってるとお前の居場所が分かっちまうだろうが。お前の存在はバレねぇほうがいいんだろ? 色んなやつに狙われてるらしいからな」
「あ、確かに。僕は結構希少な存在だし、人として生きているなら正体はバレないほうがいいって里では言われてました」
「だろ? それにな。強い力ってのはここぞって時の為に取っておくもんだ」
「なにそれ」
「そういうもんなんだよ」
ふふふっと笑う暁人に、KKもニヤリと笑う。
「それとな。アジトのやつらにはお前は視える力のある大学生程度の説明しかしてない。調査中に出会って、手伝うことになったってな。正体については隠してある。あいつらは研究者だ。お前が研究材料になる可能性もあるしな」
「け、研究材料 えっと、色々薬使ったり、機械に繋がれちゃったり……」
暁人はサーッと青褪める。どうやら想像はマッドサイエンティストのやりそうなものになっているらしい。 ぶるぶると震えだした。
「いや、そこまで非道なやつらじゃねぇよ。……多分な」
「多分……」
「まぁ、とりあえず普通に人間ってことにしてるから、付き合っていく中で正体明かすのか明かさないのかは自分で決めろ。俺から言うことはないってことだ」
「わ、分かった」
暁人は納得したようにコクコクと頷いた。今のところ、研究者のイメージが先行しすぎていて、絶対に正体は明かさないと決めた雰囲気を感じる。交流が増えればまた違ってくるだろう。
「で、だ。弓にしても御札にしても後方からの攻撃に徹してくれ。俺の力は近接向きでな。弓ほど射程距離は長くねぇ。突っ走って攻撃する方が性にあってるしな」
「了解。それなら出来ると思う。僕は目も鼻もいいしね。KKがどれだけ突っ走っても、居場所は見失わないよ」
「そりゃ頼もしいな。早速だが仕事だ。これから北にある森に向かう。穢れがたまって化け物どもが集会してんだよ」
「森か。確かにそういうとこは溜まりやすいね。それにあそこは禁足地も近かったよね」
「知ってるなら話は早い。おし、行くぞ」
「うんっ!」
暁人は嬉しそうにKKの後を追ってくる。
KKの思っている以上に、慕ってくれているようだ。
犬っころみたいだなと心の中で密かに呟いた。動物は苦手なほうだが、嫌な気はしない。むしろなんかこう……構ってやりたいと思わせる奴だなと口元を緩めた。
***
予想の倍は化け物がいたのだが、暁人のお蔭かいつもより戦いやすかった。
的確にKKの動きを察して、戦いやすいように支援してくれる。時には御札で敵の動きを止め、誘導し、弱らせてくれた。さすがは高位の狐だ。攻撃だけではなく全体的な能力値が高い。
戦闘を終えても、息一つ乱れてなかった。
「KK、大丈夫?」
「……あぁ」
KKはというと、体力にはそれなりに自身はあるが普通の人間だ。前の職業は警察官。現役の時はそれなりに鍛えていた。それも家庭のこともあって自暴自棄となり酒や煙草の量が増えた。
加えて、一年ほど前に超常現象を研究するアジトメンバーと出会い、その中でこの不可思議な力を得てしまった。元凶は今は牢の中だが、それを切っ掛けに警察官を辞めた。
そこからさらに酒と煙草の量がまた増えている。定期的に体を調べているメンバーのエドから小言を貰うくらいだ。
運動すれば息が切れる。
ハァハァと肩で息をするKKを、暁人は心配そうに見つめていた。
近くにある木に背を預けてから、大きく息をする。
「そろそろ酒と煙草、減らさねぇといけねぇかもな」
笑いながら言うと、暁人はへにょりと眉を八の字に下げた。きっと耳と尻尾が出ていたなら、ぺたんと力を失っていただろう。
想像してKKはフッと笑った。
「体に悪いからそれは減らしたほうがいいよ」
素直な反応だ。純粋にKKを心配しているのが分かる。
この妖とはいえ、年下の青年にかっこ悪いところはあまり見せたくないなと思う。
自分の人生について投げやりなところがあったが、そろそろ改めてもいいかもしれない。こんな風に考える自分が意外だった。
息が整ってきたところで、急に視界が揺れた。
「うっ……ぐぅっ」
「け、KK」
倒れそうになる体を暁人が素早く支えてくれる。
「わりぃ。急激にエーテル使って減っちまったからな。たまになるんだ。しばらくすりゃー治る」
「本来なら人間には使えない力だ。そうなって当然だよ。大丈夫?」
「あぁ、ちょっと休めばな」
暁人はKKの体を支えて、傍に会った岩に座らせる。
「KKの家、どこかな? 僕の力で移動すればすぐ帰れるから」
「やめろ。あまり力を使うなっつったろ?」
「で、でも……」
「しばらくすりゃ頭痛も治まって歩けるようになる。きつけりゃタクシーでもなんでも使って帰れるさ」
言いながらも頭痛が襲ってきて、顔を顰める。こればかりはいつまでたっても慣れない。頻度が減ったのがせめてもの救いだ。
暁人も諦めたのかそれ以上何も言わない。代わりにKKの隣に腰を下ろした。そのままグイッと肩を引き寄せられる。
頭痛に気を取られて、躱す暇もなかった。
気付くと暁人の膝の上に頭が乗っている状態、らしい。目の前に暁人の顔がある。
「お、おい」
「黙ってて。せめて横になって休んでよ」
眉を下げたまま、不満を隠しもせずに暁人は言ってくる。
正直、楽な体勢だが、どうにも落ち着かない。己の身の不甲斐なさにため息も出てくる。
KKの心の内を知ってか知らずか、暁人の手がKKの目を覆い隠した。少しひんやりとした感触が心地いい。
霊視しなくても、KKの身を純粋に心配しているのが伝わってくる。
「……わりぃな」
KKも毒気を抜かれて素直に礼を口にしていた。
「家には送っていくから」
「おい、1人で帰れるって」
「僕が心配なんだよ。それくらいはさせてほしい。仕事の……助手としては、さ」
「助手って……。俺はそうたいした奴じゃねぇよ。見ての通り、力も制御できてるとは言えねぇしな。お前のお蔭で随分仕事がしやすいほどだ。助手ってより相棒、だろ?」
「あ、相棒」
「まだ知り合って日は浅いし、こんなおっさんの相棒なんて冗談じゃないだろうが……」
「そ、そんなことない!」
笑いながら言うKKの言葉を、すごい勢いで遮ってくる。
「お手伝いさせて貰えて、相棒って言って貰えるなんて……。僕は嬉しいよっ! これからも頑張る。あ、相棒としてっ!」
一生懸命言い募る暁人に、KKはまた笑った。
目元を隠されているから見えないが、顔を真っ赤にしてそうな勢いだ。見えなくて残念だなと思う。
「そうか。なら、これからよろしくな。相棒」
「う、うん!」
悪くない気分だ。
暁人の手の感触も心地いい。スッと苦痛が和らぐ。
いつもより回復が早い気がした。
しばらくして歩けるようになってから、二人はゆっくりと歩いて帰ることにした。どうしても送ると聞かない暁人にKKが折れた形だ。
夜の街を二人で並んで、話しながら歩く。あまり人気のない道を選んでしまえば、二人きりになったようだ。
この時間が少しでも長く続けばいいと、胸に過る。
柄にもないな、とKKは一人自嘲した。
【関係の変化】
暁人が加入して三か月経った。
真面目で礼儀正しく素直な暁人は、アジトのメンバーからもすぐに受け入れられた。年下ということもあり、可愛がられている。
あの人間嫌いなエドでさえ、たびたびボイスレコーダーではなく普通に話している。大したものだ。
KKとの仕事面でも、動きやすさが半端ではない。KKの性格や動きを全て把握しつつある。
懐いてくる可愛いやつだとは思っていたが、一緒に過ごすのが心地いいほどだ。傍にいないと落ち着かないくらいになっていた。
KKはここ三日ほどアジトには来ていなかった。
普通の探偵業と私用の為だ。
前はアジトの一室に住みついていたが、今は他のアパートを借りている。
こんなにアジトを空けたのは初めてかもしれない。
急なことだったので、とりあえずアジトのメンバーに連絡を入れた形だ。
三日ぶりにアジトへ足を踏み入れると、メンバーの一人である凜子が焦ったように声を掛けてきた。
「あぁ、KK。丁度連絡しようと思ってたの。昨日から暁人と連絡が取れなくて……。あんたの方に連絡きてないかしら?」
急いでスマホを見るが、なんの連絡も入っていない。
「俺のとこにも来てねぇよ」
もう昼過ぎだ。こんなに連絡が取れないことは珍しい。
暁人の身の上を考えれば、何かあった可能性もある。
「まぁ大学生だし、連絡が遅れることもあるかもしれないとは思うけど……。暁人の性格を思うとちょっと心配になってきてね」
「あぁ、そうだな」
暁人は真面目だ。こちらから連絡すれば、そう間を置かずに返信してくるのが普通だった。
「ねぇ、ちょっと聞くけど。KK、暁人に家族のこと言ってあったの?」
「あぁ? なんでそんなこと聞く」
「ほら、こっちに来れない理由。警察の友だちへの協力と家族のとこ行ってくるってあったじゃない。それみた暁人が聞いてきたの。KKの家族ってご両親ですかって。だから、奥さんと子どものとこよって言ったら驚いてたから」
確かに暁人には言っていなかったかもしれない。
KKにとっては一区切りついた話だ。仕事に没頭しすぎるあまり家庭を顧みずに離婚。当初は荒れたが、今は少し落ち着いて接することが出来ている。
なんとなく暁人の存在が傍にいることで、自分が落ち着いてきているのを感じていた。
そのお蔭か、いい距離感で連絡をすることが増えて、子どものことで何かあれば相談し対処している。
話す機会もなかったし、若い暁人にそんな事情を自分から話すのも戸惑いに近い感情があった。
傍にいたいと慕ってくる暁人は、どう思っただろうか。
KKは眉を顰めた。
「ちょっと行ってくる」
「え? どこに住んでるか知ってるの?」
「住んでる地域はな。近くにいった時にこの辺だと話してた。あとは霊視でも何でも使ってりゃ見つかるだろ」
早く会って話さないといけない気持ちに急かされて、すぐにアジトを出る。
凜子たちが何か言っていたが、それどころではなかった。
まだ日のある時間帯だが、人気のない場所を選んではビルの上に行ったり、下りたりしながら目的の場所まで来た。
逸る気持ちを抑えつつ、霊視を繰り返す。
スマホには麻里からの連絡はない。他の妖怪たちに見つかったり、暁人の護りが破られれば、それを察知してこちらにも連絡はくるだろう。その可能性は低い。
「ここか」
あるマンションの一室。セキュリティもしっかりしている。加えて、女狐の護りであろう結界らしきものが張り巡らされている。これはすごい。余程近づかないと分からないレベルだ。能力の高さが窺える。
KKの霊視ではどの部屋か分からない。何度か繰り返して、一番護りが強い場所を探す。すぐに痕跡が消えてしまい、上手くいかない。
「くそっ」
額に汗を滲む。霊力の波が広がる瞬間。その一瞬で見極める必要がある。
一度息を整えてから、集中して霊力の糸を垂らす。波のように広がっていき、マンションを通る瞬間、ある一室のところで揺らいだ。
ここだ。
7階建ての5階部分、真ん中の部屋だ。
すぐに駆け上がって、インターフォンを押す。
「おい、暁人。いるか? 俺だ」
声を掛けると、中から音がした。動けるようだ。少しホッと息を吐き出した。
カチャリと音がして、ドアが開く。
「連絡がつかねぇから来たぞ。どうした? 体調でも悪いのか?」
早く無事を確認しようと、ドアに手を掛けて大きく開く。「あ、ちょっと」と暁人が抗議の声をあげるが、それどころではなかった。
暁人の格好を見て大きく目を開く。予想外だ。
「なんだぁ? その格好」
「い、いいからっ! 早く入って!」
暁人は慌てた様子でドアを閉めようとしてくる。
KKもつられるようにわたわたと中に入ってドアを閉めた。
よくよく見てもおかしい。何やら毛布を頭から被って、包まっている状態だ。まだ寒い季節でもないというのに。
「おい、暁人……」
「ぅっ、まって……」
声を掛けると、暁人は顔を歪めて慌てて奥の部屋へと引っ込んだ。
仕方なく後をついていく。
「体調、わりぃのか?」
奥の部屋にあるベッドに横たわる。その拍子に毛布が解けた。
「おい……」
「まって! それ以上入ってくるな」
ベッドの上の暁人は、いつもの姿ではなかった。
黒い髪の間からは白い三角の耳がひょこりと出ているし、腰には大きなふさふさと尻尾が揺れている。
KKは言われた通り、部屋の入口で立ち止まった。
「どうしちまったんだ?」
「……ちょっと調子悪いみたいで、変化が上手くいかないだけ。しばらく休めば元に戻るから。連絡しなかったのは、ごめん。こんなこと初めてでどうしていいかわからなくて……」
「初めてって……。じゃ、妹に連絡とか……」
「大丈夫だって。原因、分かってるし……」
「分かってるって……」
「……気持ちが落ち着けば治ると思うし」
KKはため息を吐いた。
心当たりはある。
「あのよ。それって俺が家族のこと言ってなかったことと関係あるか?」
ビクリと暁人の体が跳ねた。図星らしい。
「あー、悪かった。お前のこと相棒として信頼してねぇとかじゃねぇんだ。ただこれは……俺の不甲斐なさが招いたことだからな。お前に知られたら格好つかねぇなと思ってて。まぁ、なんだ。俺のこと一目置いてくれてるみてぇだったから、頼れる大人でいたかったんだよ」
「……不甲斐なさって、どういうこと?」
「え? 仕事のしすぎで家庭を顧みなかったから離婚してることだよ」
暁人がガバッと上体を起こした。
「え?」
「あ?」
「り、離婚 離婚してるの」
「そこまで聞いてなかったのか? そうだよ。まぁそれでも家族だからな。何かあれば行ってんだ。月一回は息子とも会ってるしな」
「そ、そう……なんだ」
「そうだよ。だから、お前の相棒は不甲斐ないバツイチのおっさんなんだよ」
無性に煙草が吸いたい気分だ。もう少し憧れの混じった瞳で見ていてほしかった気がする。
若い暁人には誠実でないのかもしれないと思われるだろう。真っ直ぐで素直な暁人だから、軽蔑さえされるかもしれない。
KKはガシガシと後ろ頭を掻いた。
「あー、とにかくそういうことだ。お前が嫌になったなら、手伝いの話もなしにしていいぞ。お前のことは誰にも言わねぇし、困ったことがあったら手は貸してやるから」
ここ最近、暁人がいることで仕事がしやすくなっていたから、相棒を失うのは痛手だが仕方ない。妖とはいえ若者を縛りつけたくはない。元の状態に戻るだけだ。
「やめないよ」
顔を上げると、暁人がジッとこちらを見ていた。琥珀の瞳が光っている。
暁人の手がゆっくりと動いて、KKの方へ体ごと向き直った。
「あぁ、よかった。人のモノだったらどうしようかと思ってたんだ。でも、今KKは一人身なんだよね?」
「そ、そうだ」
「人の婚姻はあまり僕たちには関係ないんだけど、やっぱり人の中で生きて行くならダメだと思ってたからよかったよ。ちょっと安心した」
「あ、暁人?」
「ホッとしたからかなぁ。KKの匂いが……。あぁ、どうしよう。変化が解けてるから、KKの匂いがすごく……いい匂い」
真っ白の耳がピクピクと震えている。
暁人が四つん這いの状態になり、こちらへ近づいてくる。ギシリとベッドが音をたてた。
瞳孔が縦長になり、きゅっと細くなる。狐の目だ。
「KK、けぇけぇ……。やっぱりすごくいい匂いがする。僕の、僕のものだ……」
「暁人! 聞こえるか? おい!」
「きっと相性がいいんだよ。匂いでわかるもの。KK、好き。僕、KKのことが好きなんだ」
熱に浮かされたようにとろりとした表情でこちらへ近づいてきた。
KKの声も聞こえていないようだ。狐としての性が顔を出している。
暁人の表情、声、言葉にドキリとした。悪い気はしない。いや、むしろ喜んでいる自覚はあった。
女狐は力のある男と契って子を成す。匂いがいい、というのは相性がいい合図のようなものなのだろう。それは多分、一方向のものじゃない。互いに惹かれやすいということだ。
頬を赤くして、ふぅふぅと荒い呼吸を零す暁人がベッドから下りてKKへと近寄った。
匂いがいいと言ったが、KKの鼻腔にもなんとも抗い難い香りが漂ってきた。なるほど、いい匂いとはこういうことか。
ガクンと足から力が抜ける。互いのフェロモンのようなものに2人共酔っている状態だ。
「だが、悪いな」
KKは手に力を溜める。
「俺は古い人間なんでな。もうちょっと時間を掛けてからこういうことしたい派なんだよ。お前とはこんな状態でヤる訳にはいかねぇ……なっ!」
残っている力を振り絞って、目の前まで来た暁人に目掛けて水のエーテルを炸裂させた。
ドゴンッと音がする。
真正面から受けた暁人は「へぶっ!」と間の抜けた声を上げて後ろへと倒れ込んだ。
水のエーテルで部屋の中に充満していた匂いとやらも少しは緩和出来たようだ。
KKはよろよろと立ち上がると、長い溜息を吐き出した。
「やれやれ。厄介なもんと両想いになっちまったな」
言葉とは裏腹に、その声は軽く弾んでいた。
暁人の体をベッドに戻して、被っていた毛布を掛けてやる。
アジトのメンバーには『体調崩してたらしい。一人暮らしだからちょっと様子みてる』と連絡を入れた。これで安心はしただろう。暁人のことを気に入っているから、内心では皆心配でそわそわしていたはずだ。
窓を開けて少し換気する。
部屋を見渡してみたが、物が少ない。男子大学生の部屋とは思えない綺麗さだ。
煙草を吸おうとベランダに出てみた。公園に面していて中々いい眺めだ。風が心地いい。
後ろで「うぅん」と声がする。どうやらまた煙草はお預けのようだ。
部屋に戻ると、暁人が目を開けたところだった。まだ耳と尻尾は出ているようだ。
「起きたか?」
「ん……って、えぇ けーけー なんでここに?」
「なんでって……覚えてねぇのか?」
「えっと、まって。僕、ちょっと落ち込んでたら耳と尻尾消せなくなってて……。外に出られなくて……。で、KKが来た?」
「そうだ」
徐々に思い出してきたらしい。よかった。記憶がないと言われたらどうしようかと思ったところだ。
ぶわわっと首まで真っ赤にした暁人がKKを見る。
「思い出したか?」
毛布の中の膝がゆるゆると持ち上がり、三角座りの体勢になった。そこへぼふんと顔を押しつけている。うなじももちろん真っ赤に染まっていた。
「う、うそだろぉ~……」
「すげぇ熱烈だったなぁ」
「変化が解けてたから、ちょっと本能的になったのかも。それにKKの家族の話、聞いてなかったのショックだったし」
「それについては、まぁ……悪かったよ。お前に幻滅されたくねぇと思ってたしな。その時点で俺もお前のこと気に入ってたんだろ。格好つけたかったんだよ」
「しないよ。ちゃんと話してほしかった。そこが一番ショックだった」
「妖の癖に、人のもんに手を出しちゃいけないと思ってたのも、だろ? 律儀だねぇ」
「だって、人の中で生きて行くって決めたから」
やはり真面目だ。若いからというのもあるだろう。
「いい匂いっつってたろ」
「う、うん。初めて見た時から、KKはすごくいい匂いなんだ」
「初めてみた時から、ねぇ」
つまり力を持ち、暁人に惹かれやすい獲物だということだ。
こうなるのは出会ってしまった時点で決まっていたのだろう。
高位の狐で、希少な存在。間違いなく穏やかじゃないこともあるだろう。
だが、KKも暁人に見つかったのが他の人間じゃなくてよかったと思うくらいには気に入っているのだ。この女狐族の青年を。
暁人を見ると、顔を真っ赤にして「あー」とか「うー」とか言っている。立派な白いお耳はへにゃりと垂れていた。
整った顔にのる表情はどこかあどけなくて可愛い。
「ま、退屈しなくていいかもな」
「え?」
暁人が顔を上げる。
KKはしゃがみこんで、目を合わせた。
「俺も感じたよ。お前のいい匂いってやつをな。意味、分かるか?」
きょとんとした後に、また顔を真っ赤にしていく。今度は涙目つきだ。
どうやら正解だったようだ。
相手の人間にも女狐のいい匂いがしたら関係成立ということだろう。
「こんな冴えないおっさんだが、相棒以上ってことでよろしくな」
あうあうと口を開閉させながら、暁人は一生懸命頷いた。
頭を撫でると、艶やかな黒髪とふわふわの耳の感触。これはいい。気に入った。
ふわりと出ている尻尾もいい手触りなのだろう。楽しみだ。
KKの風変りな日常は、ますます賑やかになりそうだ。
END