ビタースウィートに溶ける すずがまりあと出会ってから、片手の指じゃ数え足りない年数が経過した。どんどんかわいくかっこよくなっていくまりあを、すずはいつも一番近くで眺めていた。
そんな穏やかな日々を積み重ねた先で迎えた、半年前のアイスクリームの日。
その日、まりあはとうとう二十歳になった。
……そう、まりあは一足先に「大人」になってしまったのだ。一つ年下のすずを残して。
◇
先日ブロードウェイでのミュージカルが休演期間に入り、リングマリィは久々に帰国していた。
二人がキラ宿にいることは配信でも伝えており、みらい先輩から「食事でもいかない?」とメッセージがきたのが三日前のこと。すずとまりあは喜んで「いきたいです!」と返信し、トントン拍子でリングマリィとミラクルキラッツの食事会が決まった。
「あっ、すずちゃん!」
「まりあ、もう来てたんだ。早いね」
「はいっ!今日が待ち遠しくて!」
当日、すずがお店の前に着くとすでにまりあが待っていた。その後すぐキラッツが合流し、久しぶりの再会にそれぞれ手を取り合ってはしゃぐ。
「お久しぶりです、先輩達!」
「ふふ、久しぶりね。でも、いつもリングマリィチャンネルで二人の顔を見てるから、久々に会った感じがしないわ」
「すずもそうかも。キラッツの配信はブロードウェイでも見てますから」
そう、いつも配信で見ているのに……。心の中でそう呟いて、すずはそっと自分の左胸に手を当てた。心臓の音がいつもより大きく鳴っている。
「ん? すずちゃん、どうしたの?」
「あっ、いえ!なんでもないです!」
すずは緊張していたのだ。間近で見るキラッツの三人のメイクやファッションが、以前よりずっとかっこよくなっていたから。
そういえば、先輩達はみんなもう二十歳になったのだと、そこで初めてすずは気づいた。一月生まれのりんか先輩もこの前誕生日を迎えて、ここにいるのはすず以外みんな「大人」だ。
大人になったから、こんなにもかっこよくキラキラしているのだろうか?
すずは隣に立つまりあを眺めた。
確かに最近、まりあもいつにも増してかわいくなった。まりあはいつでもかわいいけれど、なんだかこの頃もっとかわいいのだ。
髪型やメイクやファッションを変えたわけじゃないはずなのに、身に纏う空気がなんだか甘い。香水をつけ始めたのかとそっと匂いを嗅いでも、甘いミルクみたいなやわらかな匂いは以前と変わらない。何を変えたのかわからないのに、とにかくかわいいのだ。
……これも「大人」になったから?
不思議に思いながら見つめていると、こちらを振り向いたまりあが花咲くように微笑んだ。
「ふふっ、すずちゃん。そろそろあのかわいいお店に入りましょう!」
「あっ、うん、そうだね」
食事会はとても楽しかった。
今はどんなプリ☆チャンをしているのか、メルティックスターやWだいあ、ALIVEの近況、マスコットの様子、オススメのコーデなど話題は尽きることがなく。運ばれてきた料理も美味しくて、すずはたくさん笑った。
そんな楽しい時間が中盤に差し掛かった頃、すずはりんか先輩から「私達、お酒を頼んでもいいかしら?」と尋ねられた。おそらく、一人だけ十九歳のすずを気遣ってくれたのだろう。先輩達がお酒を飲むという事実に驚いたものの、「全然良いですよ!」とすずは頷いた。
ただ、すずが本当に衝撃を受けたのは、メニューを見た先輩達がすずの知らない横文字の単語をするすると喋り始めてからだ。
ブロードウェイで英語に慣れ親しんでいるすずでも、先輩達が口にするお酒の名前が全くわからなかったのだ。えも先輩の注文した「ビール」はなんとか分かったけれど、あとはなんだか聞いたことのないお酒の名前ばかりで、すずは知らない国に来てしまった気分になった。
だから、すずは自分を安心させるために隣にいるまりあを見た。まりあもすずと「同じ」だと思ったからだ。
この国では二十歳からお酒を飲むことが許されているけれど、実はリングマリィが活動しているブロードウェイでは二十一歳からしかお酒が飲むことができない。つまり、二十歳になったまりあでも、ブロードウェイではお酒を飲むことはできないのだ。
よって必然的に、すずはまりあはまだお酒を飲んだことがないのだと思い込んでいた。
……けれど、その思い込みは間違っていたらしい。
先輩達が運ばれてきたお酒を飲み干していくのを眺めながら、すずはちらっと隣にいるまりあを見た。
今まりあが手に持っているのは、薄いピンク色のしゅわしゅわした液体。それはまさしく、すずがまだ飲むことができないカクテルだった。
それをちびちびと飲んでほんのり頰を赤らめているまりあはかわいいけれど、すずはその「かわいい」をうまく受け止めらない。何故なら、まりあがお酒を飲むのは初めてではないことを知ってしまったからだ。「これ、かわいくておいしいですよ!」とえも先輩に勧めていたまりあの姿に、すずはショックを受けた。
すずはこのとき初めて、まりあが「大人」であり、自分が「子ども」であることに気づいた。
たった一歳の差だが、まりあには「できる」のにすずには「できない」ことがある。その事実を突きつけられた途端、すずはまりあとの間にとてつもなく大きな壁があるのを感じた。
しかし、どう足掻いても年齢差は埋まるものではなく。すずがいくら努力したって、二十歳と十九歳の壁は壊すことができない。その現実が、ひどくさみしかった。
まりあはそんなすずに気づかないまま、へにゃへにゃと緩んだ顔ですずの肩にもたれかかってくる。
「ふふ、すずちゃん、すずちゃん」
「ん?なに?」
「このいちごパフェさん、おいしくてかわいいですよ?ほらほら〜」
「ええ〜?」
「もー、すずちゃん!そのちっちゃくてかわいいお口を開けてくださいっ!」
「……ハァ、わかったよ。あー」
「はい、あーん!」
パフェスプーンで掬い取られたいちごのシャーベットが、口のなかでほろりと溶けていく。冷たくて甘くて、美味しい。それでも今この瞬間、すずがまりあと共有できるものはこの「甘さ」しかないのだと思うと、それは無性に悲しかった。
だが、そんなすずとは対照的にまりあは上機嫌だ。
「わあ、すずちゃんのとってもかわいいお口に甘くてかわいいパフェさんが入っちゃいました!超かわいい〜!」
「……ねぇ。まりあ、酔ってるでしょ」
「えへへ、そうですか?」
「うん。まりあちゃん酔ってるね」
真正面から声をかけてきたのは、みらい先輩だった。しっかりとした喋りも、赤みがあまり差してない頬も、とてもじゃないが一番お酒を頼んでいた人物とは思えない。
「みらい先輩は……全然酔ってませんね」
「そうかな?結構ふわふわしてるよ」
「そ、そうなんですか?いつも通りに見えますけど……」
「うち、お母さんが強いから似たのかな? 私もお酒に強いんだよね。妹もそうなのかも」
そう言ってあっけらかんと笑いながら、ビールをごくごく飲み干していくみらい先輩はすごい。しかし、全然大丈夫そうではないのはその両隣だ。
「あの、さっきから気になってたんですけど、えも先輩とりんか先輩は大丈夫なんですか?」
「あー、えもちゃんは泣き上戸だからなあ。えもちゃーん、大丈夫?」
「う゛うっ……ヒッ、ひ、久しぶりに、まりあとすずに会えたのがうれじいよ〜〜ッ」
「うんうん、そうだね」
「でもぉ、ほんとはみんなと会いだがっだ〜〜!えーん!」
「うんうん、わかるよ」
「赤いのはなんでいないの!?いっつも突っかかってくるくせに、むかつぐ〜〜っ!」
「うんうん、メルティックスターはスペースプリ☆チャンに行ってるから、また地球に帰ってきたときに約束しようね」
ぽんぽんと背中を叩きながら、あやすようにえも先輩を慰めるみらい先輩は、すっかり対応に慣れているようだった。
「……て、手慣れてますね」
「えもちゃんはわかりやすいからね。でも、りんかちゃんは……」
「うふふ……シルクちゃん……」
「あんな感じだから、どう対応すればいいか迷っちゃう」
「た、確かに」
どこから取り出したのか、特大のシルクちゃんのぬいぐるみを撫でているりんか先輩は、確かにどう接すればいいかわからない。
三者三様のミラクルキラッツの様子にすずが苦笑いしていると、隣でじっとそのやり取りを見ていたまりあがいきなり腕を絡ませてきた。
「もーっ!すずちゃん!」
「わっ、びっくりした!何?まりあ」
「みらいちゃんと仲良しかわいいのはうれしいですけど、まりあにもかわいく構ってください!」
「え? う、うん。わかった」
珍しい。すずは目を丸くした。
まりあは普段、自分の好きなものはどんどんシェアしたがるタイプだ。先程のいちごパフェもそう。まりあは自分の愛する「かわいい」を広めることで、沢山の人々を笑顔にしたいと思っている。
だから今、まりあがまるですずを独占したがっているような言動を取ったことに、すずはとても驚いた。らしくない行動をとるなんて、これは相当酔っているのかもしれない。
すると、その様子を見守っていたみらい先輩がやわらかく微笑んだ。
「ふふ、まりあちゃんはすずちゃんのことがずっと大好きだよね」
その後、泣き疲れたえも先輩がりんか先輩が持っていたシルクちゃんを抱えて寝てしまい、まりあも続くようにうとうとし始めた。
しばらくして、すずの肩にもたれ掛かったまあるい頭から、すぅすぅと小さな寝息が聞こえてくる。そこに混じる甘さを含んだ香りに、すずはなんだかもどかしい気持ちになった。
「はやく大人になりたいな……」
すずがポツリと零した言葉を、どうやらみらい先輩は聞いていたらしい。
「うーん、大人かぁ……。すずちゃんには私達がそう見えてるんだね」
「はい。だって実際そうじゃないですか」
「ふふ、そっか。じゃあきっとすぐ、すずちゃんも私達みたいになれるよ」
「え……?」
「たぶん、そのときになればわかるから」
◇
数日後、すずとまりあはチャンネルで配信する内容を決めるため、プリ☆チャン内にあるカフェで待ち合わせをしていた。
時間通りに来たすずが店内を見渡すと、日当たりが良いスペースに、すでにまりあはいた。ラビリィと仲良くお喋りしているいつもの光景に、自然と頬が緩む。
「まりあ、ラビリィ。お待たせ」
「すずちゃん!」
「すずちゃんおつかれさまラビ!」
まりあの向かいの席に座り、テーブルに置かれたメニューの一覧を眺める。どのジュースを頼もうか迷っていると、ふとこの間の食事会の記憶が頭をよぎった。ふと、あの場でお酒を飲んでいたまりあの姿を思い出す。
すずは思わず、顔を上げて目の前に座っているまりあを見た。
「ん?どうしました?」
「あ、いや……なんでもないよ」
小首を傾げるまりあが手に持っているのは、生クリームたっぷりのキャラメルラテ。それに、すずはホッとした。今まりあが飲んでいるのは、薄ピンクのカクテルじゃない。まだ「子ども」のすずも一緒に飲める甘い飲み物だ。
再びメニューの一覧に目を落とす。いつもすずが頼むのはジュースだけれど、今日はなんだか違うものが飲みたかった。
そしてメニューのある一点に目を留めると、すずは少し考え込んだ後、呼び鈴を鳴らした。テーブルに来た店員さんに「ご注文は何にいたしますか?」と訊かれて、少し緊張しながら答える。
「バニラアイスと……ブラックコーヒーで」
そう告げた瞬間、まりあとラビリィがバッとすずの方を向いた。二人の大きな瞳が、零れ落ちそうなくらい見開かれる。慌てたように、ラビリィがすずの顔の前に下りてきた。
「ラビビ!?すずちゃん!それはきっと苦いラビよ!?大丈夫ラビか?」
「そうですよ!大丈夫ですか?」
「う、うん。ちょっと飲んでみたくて」
「そうなんですか?でも、無理はしないでくださいね?」
まりあとラビリィが心配してくれるのは嬉しいけれど、すずはコーヒーならたまにうちで飲んでいる。まあ、いつもはシュガーとミルクを入れているけれど……。
でも最初は苦かったコーヒーも、ユー兄ちゃんが飲んでるのを真似していたらいつの間にか飲めるようになったし、ブラックコーヒーだって挑戦すれば飲めるようになるはずだ。
数分後、ブラックコーヒーとアイスクリームは運ばれてきた。まりあとラビリィは、じっと心配そうにこちらを見つめている。
すずは何でもない風を装いながらカップを手に取りつつ、恐る恐る口をつけた。そして、ごくりと一口飲み込む。
無事に喉を通過していく黒々とした液体に、意外と大丈夫かもしれない……と安心していると、時間差で鼻から抜ける深い香りとともに、強烈な感覚が舌先を襲った。
「にっ、」
――苦い!!!
一口飲んだだけなのに、すずはあまりの苦さに叫びそうになった。
でも、まりあとラビリィにカッコ悪いところは見せたくない。すずはそんなプライドからギリギリのところで叫ぶのを我慢しつつ、バニラアイスを掬うと急いで口に含んだ。口内で広がる甘さがじんわりと苦味を中和していき、そこでようやく気持ちが落ち着いてくる。
しかし案の定、まりあは眉を下げて心配そうにこちらを窺っていた。
「すずちゃん、大丈夫ですか?まりあのキャラメルラテ飲みますか?」
「う、ううん、大丈夫!ちょっと苦いけど、美味しいよ」
「わああ〜っ、すずちゃんはおとなラビ……。かっこいいラビ!」
なんとか笑顔をつくって、また一口コーヒーを飲み、一口アイスを食べる。
ああ、バニラアイスを頼んでいて良かった。アイスクリームはまりあの好物だから、食べなくて済んだらまりあにあげようと思っていたけれど、合間合間に口に運ばないととてもじゃないが苦くて飲み干せない。
先日の食事会で、えも先輩が「ビールは最初苦いけど、段々慣れていくんだよね〜」と言っていたから、「子ども」のすずでも飲める「苦いもの」にはやく慣れたかったけれど……絶対に無理!!!
本当は、苦味をおいしく味わって、まりあとラビリィにかっこいいところを見せたかった。
――ああ、早く大人になりたいのに。
コーヒーの苦味が残る口内に水を流し込みながら、ただただそう思った。
すずも早くまりあや先輩達と同じ「大人」になりたい。まりあの好きなものを共有できるようになりたい。同じ目線で隣に立ちたい。
けれど、すずの身体はまだ苦いものを受けつけなくて。突きつけられる現実に、ひどく悲しくなる。こんなに近くにいるのに、なんだかまりあが遠く感じて、少し泣きそうだ。
すると、こちらを心配そうな顔で眺めていたまりあとバッチリ目が合った。まりあは一瞬驚いたような顔をすると、突然「ああっ!そ、そうでした!」と声を上げた。そして、にっこりと優しく微笑みながら、口を開いた。
「すずちゃん!来年はリングマリィのワールドツアーが始まりますよね?」
「えっ?うん」
そう言うと、まりあはバッグから何冊ものパンフレットを取り出して、テーブルに並べ始めた。
「まりあ、楽しみすぎてもうこんなに旅行パンフレット揃えちゃいました!ツアー中にお休みの日もあると思いますし、三人で一緒に回りましょう!ねっ?かわいいお悩みも飛んでいっちゃうくらい、きっと楽しいですよ!」
「まりあ……」
まりあが、すずを元気づけようとしてくれている。その優しい気遣いがうれしいけれど、なんだか子どもっぽくて恥ずかしい。
「ラビリィも楽しみラビ!海外に行ったら、カラフルなお花畑が見たいラビ!」
「すてき!絶対超かわいいです〜!」
「……あ。それならこのパンフレットにお花畑の写真があるよ。って……あれ、なんだろう?これ」
まりあが用意してくれたパンフレットのなかには、何かチラシが数枚挟まっていた。すずはそれを抜き出し、まりあに見せる。
「まりあ、これ何?」
「ん?どれですか?……あっ!」
チラシを目に入れた途端まりあはあたふたと慌てはじめ、すずからそれを受け取るとすぐさまバッグに仕舞った。
「な、なんでもないですよ〜!?間違って入れちゃってた見たいです!気にしないでください!」
すずが訝しげにその様子を眺めていると、そのときカフェのドアチャイムがカラランと鳴った。ドアに目を向けると、そこにいたのはなる店長だった。
なる店長がリングマリィに気づいて、こちらに一直線に向かってくる。
「あーん、まりあちゃんやっと見つけた!」
「なる店長さん?どうかしましたか?」
「なんと!この間頼まれた件、ちょうど良いところが見つかったんだよ!」
「わあ、本当ですか!?ありがとうございます!」
「まりあちゃん、なる店長さんに頼み事をしていたラビか?」
「あっ!そっ、そうなんです〜!」
そう言うと、まりあは立ち上がって、申し訳なさそうにすずとラビリィを見つめた。
「すずちゃん、ラビリィ、ごめんなさい。ちょっとディアクラウンに用事ができちゃったので、しばらく二人でお話していてもらえますか?」
「わかったラビ!いってらっしゃいラビ!」
「うん、了解。長引いたら連絡してね」
「はい!いってきます!」
なる店長と共に出て行ったまりあを見届けると、すずはまりあがテーブルに置いて行ったパンフレットをぼんやりと眺めた。先程パンフレットを手に取ったとき、すずはそこに挟まれていた数枚のチラシに書いてある文字をばっちり見てしまっていたのだ。
そこに書かれていたのは――。
「……『留学』?」
何度記憶を掘り起こしても、見間違いじゃない。すずは確かに「留学」という文字を見た。
もしかしてまりあは、留学してブロードウェイでもキラ宿でもないどこかへ行こうとしているのだろうか?
さっきすずがチラシを見せたとき、まりあはとても動揺していた。
まりあはウソをつくのがとても下手だ。すぐ目が左右に泳いでしまうし、うまく誤魔化すことができない。まりあの様子を見るに、すずに何かを隠しているのは明白だった。
しかし、すずは何の相談もされていない。もし本当にまりあが留学するつもりなら、それはリングマリィの活動自体に関わることなのに。
相談してくれないのはなぜだろう。もしかしてすずが頼りないから?すずがまだ幼いから?
「……すずちゃん、どうかしたラビか?」
暗い顔をしていたすずに、ラビリィは気づいたらしい。つやつやしたベリーのような瞳で心配そうに見上げてくる。
ラビリィを安心させたくて、すずは笑みを顔に浮かべた。
「ううん、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
そう言うと、ラビリィはふよふよとすずの手の中に収まって、その親指にすりすりと擦り寄った。
「ん? ラビリィ、どうしたの?」
「……ラビリィのご主人様は、二人ともとーっても優しい人ラビ。ひとりぼっちだったラビリィを見つけてくれて、ラビリィを選んでくれて……。それからラビリィは全然さみしくなくなったラビ」
「ラビリィ……」
「だからラビリィは、この先もずっとずっと二人に笑顔でいてもらいたいラビ」
ああ、ラビリィはこの笑顔が無理して作ったものだってちゃんと分かってたんだ。そう気づいて、反省する。ずっと一緒にいるから、ラビリィは聡い子だってよく知っているのに。
ラビリィはご主人さまを探して長らくプリ☆チャン彷徨っていた、ちょっとだけ不運で、でもとびきり優しい良い子だ。それまでラビリィが悲しんできた分、すずもまりあもその何百倍も何千倍も何万倍も、ラビリィを幸せにしてあげたいと思っている。
この先もずっとだ。ラビリィが幸せだと思える出来事をこれからだってたくさん増やしていきたい。勿論、まりあと一緒に。
「……すずも、ラビリィとまりあにずっと笑顔でいてほしいと思ってるよ。ラビリィと同じだね」
「すずちゃん……!えへへ、同じラビ!」
……だから、覚悟を決めなくちゃ。
もし、このまままりあが本当にすずとラビリィを置いてどこかへ飛び立ってしまうというのなら、すずは――。
◇
「すずちゃん?今日はどうしたんですか?」
数日後、すずはキラ宿公会堂にまりあを呼び出した。
ここはリングマリィは結成された場所だ。
プロデューサーに契約のサインを求められたすずがうさぎの絵を描いて断って、そうしたら花のブランコに乗ったまりあがすずを迎えにきた。
『ピュアでまっすぐな大好きなすずちゃんと歌うこと、それがまりあの幸せです!』
『どうかまりあの幸せにおつきあいしてください!』
あのときのことを、すずは今でも覚えている。まりあの言葉も、表情も、全部忘れるはずがない。だからこそ今日、すずはまりあをこの場所に呼んだのだ。
まりあは、いきなり呼び出したすずを不思議そうに見ていた。
「すずちゃん?」
「まりあ……。すずは頼りない?」
「え?」
あれから何日経っても、まりあはすずに何も打ち明けてくれなかった。なる店長と話しているのを見かけても、すずを見つけるとすぐ解散してしまう。それとなくまりあに尋ねてみても、何も言ってくれなかった。
なる店長は大人だ。世界各国を飛び回っている人だから、地球上にたくさんのともだちがいて、すずよりもずっと頼りになる。それはわかっている、けれど。
「確かにすずは、まりあより歳下で、苦いのも飲めないし……まだ大人じゃないけど」
「えっと、すずちゃん……?」
「でも、まりあと並んでいたいんだ!」
言い切った瞬間、涙で視界がぼやけた。ああ、これ以上まりあにかっこ悪いところを見せたくないのに。
「ああ、すずちゃんのかわいいおめめから涙が……!何かかわいくないことがあったんですか!?」
「うう……。だってまりあが、」
「まりあが……?」
「遠くへ行っちゃうから……」
すると、まりあは大きな目をぱちくりさせて「へ?」と気の抜けたように呟いた。
「ど、どういうことでしょうか?」
「だってまりあ、留学するつもりなんでしょ?」
「! すずちゃん、どうしてそれを…!?」
「やっぱり、本当なんだ……」
心のどこかですずが一人で勘違いしているだけだと思いたかったのに、まりあの反応を見たら真実なのだとわかってしまった。
すずがショックを受けていると、まりあがおろおろしながら「どうしましょう…」と呟いている。
「まりあ、もう隠さなくていいよ」
「すずちゃん……」
「すず、ずっと考えてたんだ。もしまりあがリングマリィを解散して、すずとラビリィを置いて一人でどこかにいくつもりなら……」
「ええっ!?!?」
「……え?」
「リングマリィを……解散……!?」
「う、うん」
「すずちゃん、なんでですか……?」
「い、いや、まりあがでしょ!?なんで泣きそうになってるの……!?」
「ええ!?まりあが!?!どうしてですか!?」
「だって、留学しちゃうんでしょ!?」
「確かにそのつもりですけれど……。って、ああ!」
「な、なに!?」
「すずちゃん、もしかしたらかわいく勘違いしているかもしれません……」
「え?」
そう言ったまりあはしばらく考え込むと、パッと顔を上げた。その表情はいつもより真剣に見えて、すずは一気に緊張する。
「本当はサプライズにしようと思っていたんですが……すずちゃんが悲しがるお顔は見たくありません」
「サプライズ……?」
まりあがゆっくりとすずに近づいてくる。
公会堂のホールの照明が、まりあのふわふわの髪をキラキラと照らす。距離が縮まると、まりあの甘い香りがぐっと強くなった。
とうとうすずの目の前にくると、まりあは表情を一転してやわらかく微笑んだ。思わず見惚れる。やっぱりまりあはとてもかわいくて、かっこいい。
「あのね、すずちゃんは今年の十二月に二十歳になるでしょう?」
「え? うん、そうだけど……」
「だからまりあ、すずちゃんの初めてのお酒を一緒に飲みたくて……。内緒で色々調べていたんです」
「……そうなの?」
「はい!絶対に絶対にミラクルかわいいすずちゃんの姿を、一番近くで最初に見たくて。それにすずちゃんがお酒を飲んでへにゃへにゃになっちゃったりしたら、かわいすぎて心配ですから!」
「は、はぁ……」
一瞬、すずがみらい先輩みたいにお酒にすごく強い可能性もあるのに……と思ったけれど、お兄ちゃん達をみていると、確かにすずがお酒に強い可能性は低いかもしれない。
「で、でもそれと留学になんの関係が…?」
「だって、一生に一度しかないすずちゃんの二十歳のお誕生日でしょう?まりあ、特別かわいいプレゼントを贈りたくて、お米農家のゆいちゃんや、世界中にお友達のいるなる店長さんに、おいしくてかわいいお酒のことを聞いていたんです。それで、フランスでワインを学べる短期の留学ができるよって勧められて……」
「そっ、それで留学のチラシを持ってたの!?」
「はい、そうです!」
「な、なんだぁ〜〜〜〜」
まりあの隠し事の真実を知った途端、すずは一気に脱力した。
留学は留学でも、短期留学……。きっとブロードウェイの休演期間に行けるたぐいのものだ。ずっと共にいて慣れ切っていたせいか、すずはまりあのすさまじい行動力をすっかり忘れていた。
「せっかくのかわいいお誕生日です。まりあ、すずちゃんにとびきりかわいいものを贈りたくて……。でも、誤解させちゃってごめんなさい」
「ううん、すずこそごめん。まりあはすずのために調べてくれてたのに……」
「そんな、気にしないでください!まりあも全然うまくできませんでしたから……。まりあ、すずちゃんにかっこよくてかわいいお姉さんだと思われたくて、キラ宿に帰ってきてからおうちでパパとママとお酒を飲む練習をしていたんです。練習のおかげで、甘いものは飲めるようになりました!」
「そっか、だからお酒を飲んだことがあったんだね……」
これまでの誤解が解けていくと、だんだんと頭が冴えてくる。この頃すずは「大人」になったまりあに置いていかれないよう焦っていたから、物事を冷静に考えられていなかった。
よく考えたら……いや考えなくても、まりあがすずとラビリィを置いてどこかへ行くなんてするはずないのに。
でも思い違いは正された。もう大丈夫だ、とすずが思ったそのとき、今度はまりあがためらいがちに口を開いた。
「実は、あともう一つすずちゃんに秘密にしていたことがあるんです」
「え……?」
まりあの秘密は「留学」だけじゃなかったのだろうか?そのほかに秘密があるなんて思いもしなかった。心臓の音がどくどくと素早く鳴りはじめる。
「あの……まりあね、」
「……う、うん」
「すずちゃんが二十歳になったら、一緒のおうちに住みたくて……」
「え」
すずは驚きで固まった。
一緒の、おうちに、住みたくて………?
「えええっ!?一緒に住む!?」
こくりとまりあが頷いた。
キラ宿にはそれぞれの家があるけれど、ブロードウェイではすずとまりあは同じ宿舎で過ごしている。それはほぼ一緒に住んでいるようなものだけど、このまりあの誘いはきっと「ただ同じ屋根の下で一緒に住む」とはおそらく意味が違う。それは聞き返さなくても分かった。
まりあは、すずと暮らしていきたいのだ。
「……ダメ、でしょうか?」
まりあがちいさな子犬みたいな顔で、すずの反応をうかがってくる。不安そうな眼差しがとてもかわいくて、すずは胸がぎゅっとなった。
……ダメなんて、そんなわけない。
「ううん、すっごく嬉しいよ!」
すずが満面の笑みでそう告げると、まりあは綺麗なオーシャンブルーの瞳をうるうると潤ませて大輪の花のように笑った。
「すずちゃん!!うう〜〜、良かったです……!まりあ、実はちょっぴり緊張していました。でも今はビックバンかわいい気持ちでいっぱいです〜〜!!」
勢いよく抱きついてきたまりあを、すずは優しく受け止めた。ポンポンとその背中をなでながら、すずはまりあを想う。
いつも目標に一直線で、意外と頑固で、強引なくせに。昔からこういうときだけ、まりあは相手を思いやるあまり遠慮がちになってしまう。
リングマリィ結成前に、すずがブロードウェイのステージに誘われたときもそうだった。あれだけ一緒にチームになってほしいとすずを誘っていたのに、すずが未練なくブロードウェイへと旅立てるように、変装したえも先輩とチームを組んだとバレバレのウソをついてお別れしようとした。
あの頃から変わらず、まりあは優しくて不器用だ。でも、そんなまりあだからこそ、すずはこんなにも好きなのだと思った。
「……すずちゃん。まりあね、ずっと前からおうちの場所を調べていたんです。すずちゃんとラビリィと暮らせたら、きっとまりあの人生はたくさんのかわいいで満たされると思って。一緒に住めたらいいなって、ずうっと夢みてました」
「そうだったんだ……。その夢、すごくかっこいいね。一緒に叶えられて良かった」
「はい、今日はとってもかわいい記念日です!まりあ、すずちゃんとラビリィとこの先も末永く一緒に生きていきたいから……。離れるなんて耐えられません。そのために何かできるなら、まりあはかわいい努力を惜しみませんよ」
至近距離で、目を合わせる。
まりあの瞳に浮かぶ海からひとしずく零れ落ちた涙が、キラキラとまりあのまあるい頬を伝っていくのを指で受け止めて、すずは微笑んだ。
今すずの目に映るまりあは、確かに大人だけれどなんだか子どもみたいだ。
「まりあ。あのね、結局すずの誤解だったけど……もし今日、本当にまりあがすずを置いてどこかへいくつもりだってわかったら、まりあが嫌がったってすずは着いていくつもりでいたんだ」
「すずちゃん……」
「すずだって、まりあとラビリィと離れるなんて耐えられない。それにね、この場所でリングマリィになった日から、一生まりあと共にいる覚悟はできてるよ。だからさ……安心して?」
「……っ、はい!すずちゃんだーいすき!」
再びまりあにぎゅうぎゅうと抱きしめられる。そのあたたかさが心地良くて、すずはその幸福を噛み締めるようにゆっくりと目を閉じた。
――数年前、ここでまりあに『まりあの幸せにおつきあい』することをお願いされて、すずはそれを受け入れて。そのときすでに、すずはずっとまりあと共にいることを誓っているのだ。
あのとき花のブランコに乗ってすずを迎えにきたまりあは、本当に綺麗でかわいくて、とってもかっこよかった。キラキラ輝く宝石みたいなまりあを、すずはもう手放せない。
この先もずっと一緒にいたいのは、すずも「同じ」だ。一番大切な想いが「同じ」なら、もう焦る必要も、怖がる必要もなかった。
「……まりあは甘くていいにおいがするね」
「うふふ、それはすずちゃんもですよ?まりあがすずちゃんをかわいいなって思うと、ますます甘く感じます。すずちゃんがもっとキラキラして見えます。すずちゃんのことが大好きだから」
「ああ……なんだ、そっか。大好きだから、こんなにまりあがかわいくてかっこよく見えるんだね」
「そうですよ。すずちゃんがどんどんかっこよくてかわいくなるから、まりあドキドキしてるんです」
「……あはは!そっか!」
大人になったからじゃなくて、大好きだから、こんなにまりあがかわいいのか。その事実が、ストンとすずの胸に落ちてくる。
確かに今、すずとまりあの間には「大人」と「子ども」の境界線が引かれている。まりあができるのに、すずにはできないことがある。
それはやっぱりもどかしくてさみしいけれど――まりあはまりあで、すずはすずのまま。それはきっと変わらないのだ。
あと一年経つころにはすずも「大人」の仲間入りをするけれど、劇的に変化することなんてないのだろう。苦味には慣れていくしかないし、もしかしたら慣れなくたっていいのかもしれない。まあ、まりあが誕生日にプレゼントしてくれる予定のお酒は美味しく飲めたらうれしいけれど。
でも、自分らしい大人になればいいのだ。たぶん。ゆっくりゆっくり時間を重ねて、まりあは「かわいい」を、すずは「かっこいい」を磨きながら、少しずつ成長していければそれでいい。
そんな未来を思い描くと、なんだかすずはとてもわくわくした。
「すずちゃん、お誕生日楽しみにしていてくださいね。とびっきりのプレゼントを用意しますから」
耳元で囁いたまりあに、すずはあたたかくてくすぐったい気持ちのまま返事をした。
「うん、楽しみに待ってるね」
◇
一年後――すずは、まりあとラビリィと共にキラ宿へと帰国していた。帰ってすぐにみらい先輩を食事に誘って、ただ今、一年前にキラッツと食事会をしたお店のカウンターに座っている。
テーブルの上には、ワイングラスが二つ並んでいた。
「すずちゃん、新居での生活はどう?」
「ちょっと大変だけど、毎日すごく楽しいです!」
「ふふ、楽しそうで良かった!リングマリィの配信はいつも楽しくて、私もたくさんいいね☆押しちゃうんだ」
相変わらずすごいスピードで飲み干していくみらい先輩を横目に、すずはちびちびと飲み進めていく。しばらくして「あれ?」とみらい先輩が呟いた。
すずの左手のキラリと輝くプリズムをじっと見ている。どうやら「それ」にみらい先輩は気づいたらしい。
「その指輪どうしたの?ダイヤモンドがキラっとしてて綺麗だね」
「ああ、これ、まりあとお揃いなんです。誕生日に甘口のワインといっしょにプレゼントしてくれて」
「そうなんだ!とってもすてきだね」
「はい。でもこんなにすごいプレゼントもらうと、今度のまりあの誕生日に何しようか迷っちゃって……」
「へえ、まりあちゃんはすずちゃんからもらえるものならなんでも喜びそうだけどなぁ」
「そうなんですよ……。だから難しくて……」
そうして話していると、ふいにみらい先輩は頬をゆるめて優しく笑った。
「すずちゃん、去年言ってた『大人』にはなれた?」
すずはその質問に、笑顔で答えた。
「あはは、まだわからないです!とりあえず今は、シュガーを入れないコーヒーに挑戦してます!」
ビタースウィートに溶ける