春は来たれし、恋せよ男子。 ひび割れたコンクリートに目線を落とし肩を窄めて歩く。自信のなさが全身から滲み出る歩き方はもう癖で、自分のチャームポイントといえるのは、オタク印の分厚い眼鏡だけ。
時間通りの電車に乗り込む。出入り口の脇に身を置き、リュックを手前に持ってきて抱き抱えると安心した。イヤホンをつけ、今春から始まったアニメの主題歌を再生する。車窓を眺めながらリズムに身を委ねると、なんだかいい一日が始まりそうな気がする。
駅を過ぎるにつれて、通勤通学の人が乗り込んでくる。ホームに停車しドアが開くと、溢れんばかりの人が乗り込んできた。揉みくちゃにされながら、なんとかバランスを取ろうと足を踏ん張る。電車が出発し、ドアに背をもたれる形で落ち着いた。ふぅと一息ついて前を向くと、そこには、この世のものとは思えないほど美形の顔があった。
明るい金のさらさら髪、色素の薄い透き通るような瞳、長くて多い睫毛は日差しに反射してきらきらと光っている。
ガタンゴトン。電車が大きく揺れるたび、こちらに倒れそうになる彼は、扉に手をつくことでなんとかバランスを保っている。所謂、壁ドン。漫画やアニメでしか見たことがなかったそれを、実際される側になるとは夢にも思わなかった。しかもこんなイケメンに。アルバーンは、数十センチ先にある感心してしまうほど完成された美形にただ真顔で固まることしかできない。
ガタンッ、一段大きく揺れた時、アルバーンの額が彼のおでこにこつり一瞬触れた。
「ごめんね」
アルバーンにしか聞こえないような音量で、囁かれたその声は心地よい低さで響いてくる。
「…いえ」
その美しい顔をもっと見たいのに、至近距離で見つめるのは、ただのオタクには難易度が高すぎるクエストだ。恥ずかしさで顔がたこのように茹で上がる。学校までのあと二駅が、スローモーションのようにゆっくり過ぎていく。
「次は〇〇学園前、〇〇学園前。左側のドアが開きます」
雪崩でる人に流され押され、学校の最寄駅に降り立った。人の流れを抜けて、振り返ったが電車のドアはとうに閉じてしまっていた。胸に手を当ててまだドキドキしている音を感じる。
もう一回会いたい。彼の名前を知りたいし、自分の名前を呼んでほしい。17年間、今まで感じたことのないときめきを一気に浴びたアルバーンは、こうして電車で出会った王子様に恋に落ちた。
「王子様に出会ったんだ!」
始業前、いつものように駄弁っていたクラスメイトの元へ来たアルバーンは真剣な眼差しで言葉を放った。
「はぁ?」
意味がわからないと反応を示したのはクラスメイトのユーゴ。彼の前に腰掛け頬杖をついていた浮奇もはてなを空に浮かべて首を傾げた。
興奮を共有したいアルバーンは、二人に朝あった出来事を順を追って説明した。
「それで好きになったと」
「へぇ。二次元にしか興味がなかったアルバーンが一目惚れなんて、その人の顔見てみたいな」
「浮奇はだめ」
「なんで?」
「浮奇も好きになっちゃうから」
「イケメンは誰でも好きじゃん」
ユーゴと浮奇は一年次からクラスが同じで仲のいい三人組。
軽音部に所属し、絶えず女子から告白を受けているユーゴと、大人びた雰囲気で美意識も高く男女関係なくモテる浮奇。
自分とタイプの違う二人と仲良くなったのは、一年次に出掛けた校外学習が同じグループだったからだ。芋っぽいオタクなんて無視されるに決まってる、と卑屈な気持ちでいたアルバーンの予想は見事に外れ、凸凹な三人の性格はうまくハマって目的の遠足も楽しめた。
アルバーンは自分の恋愛対象が男性だと中学生で自覚して、そのことを引け目に感じていた。オタクでゲイ、自分は少数派に属するのだろうという考えが自分をより小さく見せた。そんなアルバーンに、同じくゲイである浮奇は「自分が好きなものに自信を持て」という言葉をくれた。アニメ作品の音楽にも造詣が深いユーゴは、オタクだなんだは関係なく自分の話に興味を持って耳を傾けてくれる。
そんな二人に、アルバーンは折り入ってお願いをした。
「僕、頑張って変わる!だから二人にも力を貸してほしいんだ」
「変わるって、イメチェンするってこと?」
「そう!次あの人に会う時は、もっと自信の持てる自分でいたい」
アルバーンの張り切る仕草に、浮奇とユーゴは友人の並々ならぬ覚悟を感じ、袖をまくってにやり微笑んだ。
この日から、三人によるアルバーンのイメチェン計画が始まった。
まずは、おぼったい印象の眼鏡をやめてコンタクトに変える。黒髪を明るい栗色に染め、浮奇に教えてもらったワックスでセットの仕方を練習する。ユーゴにピアスを開けてもらって、香水を一緒に買いにも行った。
二週間後、鏡の前に立つ自分は別人のようだった。
「頑張ったな、アルバーン」
「うん、頑張ったね」
後ろに立つ浮奇とユーゴは自分のことのように誇らしかった。見違えるように垢抜けた姿にはもちろん、好きな人のために自分と向き合って変わる努力をしたアルバーンを見て、現在特定の相手がいない二人は羨ましく思ってしまうほどだ。
外を歩いていても、人の目が気にならなくなった。姿勢も伸びて、視線が少し高くなったのも気持ちがいい。気分良く青空のアーチを抜けて電車に乗り込む。イヤホンから流れてくる音楽、変わらず自分のテンションを盛り上げてくれる。
メロディに乗せて響いてくる歌詞に耳を傾けて、彼の姿に想いを馳せる。
今のこの姿でまた彼に会うことが出来たなら、名前を聞く勇気くらいは持てるはずだから。
「--次は□□駅、□□駅」
入ってくる人を避けようと身を竦める。ドアが閉まって視線を前に戻すと、数週間ぶりに見る彼の姿がそこにあった。
ドアが閉まり、数十センチ先に彼の顔。
「……俺の顔に何かついてる?」
「あ、ごめんなさい」
焦がれた彼の姿に、分かりやすく息を呑んで食い入るように見つめてしまっていた。
「ふふ、ううん。可愛い目でそんなに見つめられたら恥ずかしくなっちゃうなぁって」
可愛い?それって自分のこと?聞こえた言葉を反芻して何度も何度も確かめる。やっぱり変われて良かったという安心と可愛いと思ってもらえた嬉しさで、体温は上昇していく。
「名前、教えてもらえませんか?」
語尾は小さく消えていく。彼は首を屈めて顔を近づけた。
「耳貸して」
照れ隠しの小声が、電車内の配慮と思われたのか、耳に彼の口が近づく。
「サニーだよ。君の名前は?」
心地よい周波数の低音が鼓膜を直接震わせる。鼓膜の振動は、鼓動の動きを早めていく。
今度はアルバーンがサニーの耳元に唇を近づける。
「僕はアルバーン」
「アルバーン、素敵な名前だね」
「…ありがとう」
二十センチあるかないか、その先のサニーの瞳の中が眩く瞬いた。
「次は〇〇学園前、〇〇学園前。左側のドアが開きます」
前回長く感じた学校までの数分は一瞬で過ぎていき、人混みに流されるまま電車を降りた。
前回同様、どくりと音を立てながら心臓の音は速くなっていく。
「やっぱり好きだ」
人生で初めて三次元の相手に恋をしている。自分の名前を言って、彼の名前を知った。たったこれだけのことで、こんなにも心が踊っている。
「アルバーン、おはよう」
「お、おはよう!」
「おはよう〜」
「おはよう。サニー!」
「サニー、おはよう」
「おはようアルバーン」
名前を知った日から、サニーとは毎朝電車で挨拶をするようになった。
好きな食べ物、色、音楽、得意な授業、苦手な授業、毎朝一つずつお互いに質問を交換する。今日は何を聞こうかな。毎朝ワクワクしながら電車に乗るのだ。
「サニーおはよ!」
「おはよう」
「今日はサニーからね」
「質問というよりお願いなんだけど」
「なになに?」
「連絡先教えて?」
こてん、と首を傾げるサニー。きらっきらでかっこよくて信じられないくらい可愛い。かっこよくて可愛いなんて、一種の犯罪なんじゃないだろうか。
「あるばん?」
宇宙に猫となって意識を飛ばしていたアルバーンは、サニーの甘える声で地上に引き戻された。
「れ、連絡先ね!もちろん!」
「やった〜」
新規の友達欄に出てくる黄色いアイコンににやけそうになる。
「じゃあ今度はアルバーン。今日の質問はなぁに?」
この流れなら遊びに誘えるのではないか、とはたと気づく。これまで交際歴もなく、全くといっていいほど恋愛に関する知識もなかった。変身期間を経て恋愛の能力も上がったと我ながら感動してしまう。協力をしてくれた浮奇とユーゴには、改めてドーナツを奢ろうと心に決めた。
「僕も、お願いしていい?」
「うん?」
「今度、どっか遊びに行かない?」
雑誌で読んだ上目遣い。身長差はあまりないけれど、彼からイエスをもらうのに使えるものはなんだって使いたい。自分の中で辛うじて掻き集めた可愛さを詰め込んでもう一押し。
「だめ…?」
サニーは優しい笑顔で応えてくれた。
「王子とデート行くことになった!」
すっかり王子呼びが定着したいつものグループ、浮奇とユーゴに報告をする。浮奇はにまにま顔で投げかけた。
「その日にもう告白しちゃいなよ」
「告白!?」
いやいやいや、まだ告白なんて早すぎる。もっと距離を縮めてから。オタク口調で拒否すると、ユーゴも浮奇の言葉に乗り気の様子で否定してくる。
「だってもう王子と好きなタイプの話とかしてんだろ」
「うん、したけど」
「それで、何て言われたんだっけ?」
「……アルバーンみたいな子」
「それもう実質両思いじゃん!」
そう。通学電車での質問で、「好きなタイプ」を聞いたことがあった。その時サニーはまっすぐな笑顔で「アルバーンみたいな子」と答えたのだ。
正直、心臓が口から出てしまうかと思ったほど嬉しかった。でも懸念材料もある。こんな慣れた返しができる人だ、弄ばれて終わるのではないか。好きな人のことを疑いたくはないけれど、物事がとんとん拍子に行き過ぎると人間、不安になるものだ。
「まぁ不安も理解できるけど、遊ばれたなら遊ばれたでまた次探せばいいじゃん」
「次とかないくらい好きだからこんなに不安なの!」
「はは、ごめん。でもさ、その不安材料を怖がって王子が本気でアルバーンのこと好きかもしれないって可能性を見えないふりするのは勿体なくない?」
「……たしかに」
「王子に惚れてからアルバーンめちゃくちゃ頑張ってたし、相手の反応も良さげじゃん?俺は大丈夫だと思うし応援してる」
ユーゴがアルバーンの背中に手を当てた。温かいエールがじんわり制服越しに伝わった。
「……よし。次の日曜日、告白する!」
頑張れ、ハモった二人の声が耳にこだまして、勇気と気力が湧いてきた。
決戦の日曜日。
髪の毛良し、服装良し、笑顔良し!もう一度ショーウィンドウの反射で自分を見直して、前を向き直る。
気合を入れすぎて約束の時間よりも随分前に着いてしまった。時間になったら着いたと連絡しよう、と思ったところにサニーが来た。
「ごめんね、待った?」
「ううん、全然!僕が張り切って早く来すぎちゃって」
漫画で何度も見たやりとりに、一人で気恥ずかしくなってしまう。
「行こうか」
「うん!」
初デートの場所に選んだのは遊園地。ベタだけど、ベタなことを好きな人と一緒にしたかった。
ジェットコースター、クルクル回るティーカップ、お化け屋敷に的当てゲーム。おやつに二人でクレープとアイスを分け合って食べた。
どうしよう。幸せな時間はあっという間に過ぎてしまう。刻一刻と迫ってくる、告白の時間。アルバーンの焦る心中を無視するかのように太陽はオレンジの色を帯びていく。
「次で最後かな。アルバーンは何乗りたい?」
「僕、観覧車乗りたい」
「いいね、行こう」
この観覧車の中で絶対告白する。観覧車の中に入ってすぐに言ってしまったら、断られた時の空気が耐えられない。頂上を超えて少ししたら、言う。昨日何度も考えた流れを脳内で必死に復習する。
大丈夫。結果はどちらでも、サニーなら笑顔で気持ちを受け止めてくれるはず。
覚悟を決めて、観覧車に乗り込もうとした、その時。
「サニーさん?サニーさんですよね!」
「え?」
「そうだけど、君は?」
アトラクションの男性店員さんが、サニーに声を掛けてきた。それもかなりテンションが上がった様子で。サニーの方は知らないみたいだし、後ろに並んでいる人も微妙な空気感を漂わせている。
「うわ!本物だ!俺サニーさんの伝説聞いてから超憧れてたんすよ」
サニーの問いに答える様子もないまま勢いで捲し立てる。
「そうなんだ」
適当に相槌を打つサニーだが、アルバーンには全く何のことだか分からない。
「サニーさんが中学の時に高校生のヤンキー集団潰した話とかスッゲェ好きで。最近イメチェンしたって聞いてたんすけど本当に髪染めたんすね、それってなんで-」
「後ろの人にも迷惑だし、乗ってもいいかな?」
話の途中で遮ったサニーに手を引かれて、ようやく観覧車に乗り込む。
さっきまで予習していた内容は、どこか遠くへ行ってしまった。
「えっと、なんかごめんね」
「え?ううん!知り合いの人、だったんだよね?」
「あー。相手が勝手に俺のこと知ってたみたい」
「そっか」
沈黙。先の男性の言葉を思い返す。伝説とかヤンキーとか、王子のようなサニーから想像できないような単語が出ていた。
「さっきの話って、」
「ごめん。アルバーンには知ってほしくない」
はっきりと線を引かれた気がした。ここから先は聞いちゃいけない。
「そっ…か。わかった」
語尾が震えてしまった気がする。誰にだって、知られたくないことの一つや二つあるはずなのに、悲しい気持ちはぶくぶく膨れ上がっていく。自分はオタクだってこと、隠してるくせに。狡い自分と悲しい自分、板挟みになって、擦り切れた心は涙を流した。
「今日はありがとう」
「ううん、こちらこそ」
結局、告白も何もできないまま閉園の時間になった。このまま電車に乗ってしまったら、本当に今日が終わってしまう。
駅までの通り道、薄暗い公園を二人で歩く。
葛藤のぐるぐる渦巻く脳内に、男性の荒い声が響いた。
「おお!本当にいんじゃん!」
「だから言ったじゃないすか」
「でかしたな。やっと面と向かって礼が言えるわ」
「礼って、バット持ってくる奴の言うことじゃないでしょ」
「たしかに」
下品に笑う男たちは、数にして四、五人。物騒な雰囲気に戸惑うアルバーンはサニーに目配せをした。
「アルバーン、ごめんね」
そう呟いたサニーは、アルバーンの知らない冷たい瞳で男たちを貫いた。
*
ヒビの入った雲の隙間を睨みつけながら堂々と歩く。癖になった鋭い眼光と大股歩きは威嚇の一種で、弱いやつとはやり合う気がないと暗に告げていた。チャームポイントは鋭い目つきと首のほくろ。
サニーは、幼い頃から曲がったことが大嫌いで、喧嘩っ早い性格だった。小学校ではいじめを許さないガキ大将、中学は学校の奴らにちょっかいをかけてくる高校生を相手にする番長。その時々で自分が正しいと思ったことをしてきたつもりだが、高校二年生になった今、噂が噂を呼び、恐犬などと呼ばれて恐れられ、他校のヤンキー連中にはよく絡まれるようになった。
しかしサニーは根は真面目な生徒。好き好んで喧嘩をしているわけではないし、学校にはちゃんと通う、宿題だって提出し忘れる事もない。最近は登校中に絡まれることが多く、遅刻してしまう日が増えてきていた。そんな日常にうんざりしていた。
今日こそは始業前に席につきたいと、いつもより早い時間の電車に乗り込んだ。
すると、そこにいたのは、今まで見たことのない輝きを放つ青年だった。黒い髪の毛に黒縁眼鏡、どこか不安そうな出立ちは守りたい衝動に駆られる。彼を目で追っていると、彼は窓の外に目を向けながら、ひとりでに少し微笑んだ。外に面白いものでも見たのか、イヤホンでお気に入りの音楽でも聞いているのか。
どちらにしても、その笑顔の破壊力は半端ではなかった。天使だ……。
その顔をもっと近くで見たい。他のいろんな表情を知りたい。自分に笑いかけてほしい。喧嘩で殴られた時より強い衝撃を受けたサニーは、こうして電車で出会った天使に恋に落ちた。
「今日、天使に会った」
「どうした。ついに殴り合いのしすぎで頭がおかしくなったのか」
「違う。冗談とかじゃなくて、本当に天使に会ったんだって!」
「本気なら、なおさら医者の所へ行ったほうがいいんじゃないか」
幼馴染のファルガー・オーヴィド。本から目も逸らさずに、軽くあしらわれてしまう。
ファルガーはサニーにとって学校内で唯一の友人といっていい。クラスメイトからは不良だと恐れられ、担任からも見た目が厳ついだけで色眼鏡を掛けて見られてしまう。
その点ファルガーは、親同士の交流があり、昔からのサニーを知っている。サニーの不良とは真逆の内面を知っているファルガーはサニーにとって心を許せる存在なのだ。
順を追って、ファルガーに電車で出会った彼のことを話した。
「初恋か。それはめでたい」
「それでさ、結婚を前提にお付き合いを申し込もうかと思うんだけど」
「待て待て落ち着け」
「やっぱり急すぎる?」
「それもそうだが、そこじゃないだろう。まずは知り合わないと実るものも実らないぞ」
サニーのこうと決めたら一直線に走ってしまいがちな性格を熟知しているファルガーは、急いでストップサインを出した。
大方、初対面で告白し振られたら何度でも立ち向かう。というような考えなのだろうが、幼馴染の初恋だ、出来ることなら慎重に上手くいってほしい。
「それと、見た目の特徴からして彼は大人しそうなタイプだろう。そんなザ不良の出立ちでは初対面で怖がられるんじゃないか」
「たしかに…」
「これを機に、少しイメチェンでもしたらどうだ。他の不良に絡まれることも減るかも知れないぞ」
「よし。俺、頑張るよ。変わってあの子と仲良くなってみせる」
「上手くいくことを祈ってるよ」
数日後、別人のように変化したサニーが学校に姿を現した。
「サニー……だよな?」
「そうだよ。え、俺そんなに変わった?」
「変わりすぎだろ」
黒髪ピアスバチバチのヤンキーが、金髪きらきらアイドルになってやってきた。見た目が優しくなればいいなと易しい期待をしていたファルガーは、驚きすぎて空いた口が塞がらない。
鋭い眼光は意識してやっていたものだったし、元からサニーの素の笑顔は柔らかい。笑った時の表情がより映える印象に様変わりした。
「今度は不良より女子生徒に追いかけ回されそうだな」
「そうかな?でも、とりあえずこれで話しかける準備はできた」
「頑張れよ」
本に視線を戻した幼馴染は、優しさを秘めてエールをくれた。
電車のドアが開く。いつもより多い人混みに押されて電車に流れ込む。気が付いたら、彼の後ろに手をついて顔が至近距離にあった。電車が揺れて額がぶつかり、情けない声で謝った。
「…いえ、だいじょぶ」
可愛い!初めて聞いた彼の声が、脳内で自然に録音された。天使のような彼は声まで世界一可愛い。すっかり語彙力も自己紹介の名目も失ったサニーはそのまま電車に揺られ学校に着いた。
そしてそこから2週間ほど、彼の姿を電車で見かけることはなくなった。体調が悪いのか通学時間を変えたのか不思議に思っていたが、そんな心配をよそに彼はまた同じ車両に立っていた。
車内の定位置に立つ彼の印象はガラリと変わり、髪色も幾分か明るくなっている。重い印象の前髪はさっぱりしてメガネがなくなったことでくりっとした目もよく見える。
驚きテンパり、乗車直前で他の車両に身を隠した。
「なんでイメチェンしたんだろう」
サニーは机に突っ伏して、聞いているか分からないファルガーに投げかける。
「前の方が好みだったか?」
「いやどっちも世界一可愛いけど。前より他の人から注目されそうで嫌だ」
「理由はサニーと同じかもしれないぞ」
「………好きな人ができたとか?」
「だったらどうする?」
「その相手にタイマン張る」
「はは、暴力で解決してどうする」
「でもだってどうしたらいいんだよ〜」
「とりあえずこの前不完全燃焼だった自己紹介から順を追ってやったらいいんじゃないか。イメチェンだって単に気分転換かもしれないし」
「……うん。そうだね」
次の日、サニーは彼の視線が自分にあると気づいて思わず口を開いた。そうして自己紹介を済ませてからは、とんとん拍子。毎朝顔を合わせる度に話をするようになった。
アルバーン・ノックス。名前を知り、好きな食べ物、通っている学校のこと、アルバイトのこと、仲のいい友達のこと。少しずつ彼を知っていく。自己紹介から距離が順調に縮んでいき、遂には休日に遊ぶ約束まで取り付けた。
アルバーンと仲良くなり有頂天になったサニーは、イメチェンの本意を聞く目的をすっかり忘れていた。
そしてあっという間に日曜日。好きな子と遊園地、天国のような一日。デートなんて初めてで、何をしたらいいか、どうエスコートするべきか、前日にネットで検索をかけて予習した。しかし実際会ってみたら、「可愛い」の言葉が頭を占めてただひたすらに楽しんだ。
両手を上げてジェットコースターを楽しむ姿、クレープを頬張って膨らむほっぺた、「最後に」という単語を聞いて切ない影を落とす表情。色んなアルバーンを知れた。
人生で一番と言っていいほど楽しい日だ。観覧車の前であいつに捕まるまでは。店員は、俺の噂を知っていた。アルバーンにそのことを言及されて、素直に答えることができなかった。好きな人に、自分の綺麗でない過去を告白することは容易いことじゃなかった。それを言って恐がらせたり、嫌われることが怖かった。
意気地のない自分へのツケはすぐに回ってきた。帰り道、数人の男たちに囲まれる。中には先の店員もいて、話し掛けてきたのは好意からではなかったと分かった。
好きな人に傷をつけたくない一心で、その時にはもう、過去の自分を知られたらなどというもやもやは頭から消え去っていた。
*
まるで、映画のワンシーンのようだった。目の前の残像が夜の空気に溶けていく。
男たちに囲まれて、数分後、サニーはバットや武器を持っていた全員を一人残らず打ち倒した。拳一つで。
今まで見てきたサニーとは全く違う冷たい横顔。
まるで、まるで---
「にじさんレンジャーみたい!」
「え?」
すっかり優しい顔に戻ったサニーが困惑の表情でこちらに来る。
「にじさんレンジャーっていう戦隊モノのアニメがあるんだけどね、今のサニーがそれのブラックにそっくりだった!クールで一匹狼なんだけど、故郷に大切な想い人がいて、その子を守るために一生懸命戦って、その戦闘シーンとサニーの後ろ姿が重なってーー」
やってしまった。興奮してオタク口調で捲し立ててしまった。サーっと血の気が引いていく。
「あははっ」
「サニー?」
「こんな姿見られたら嫌われちゃうんじゃないかと思って。本当は俺喧嘩っ早いしよく絡まれるし、こんなことが日常茶飯事だったから」
「そうだったんだ」
「隠しててごめんね」
「そんな、全然気にすることじゃないよ」
ちくり、胸が痛む。彼の新たな一面に、本当の自分で告白する背中を押された。
「……実はね、僕本当はこんな明るい性格じゃなかったんだ。元々陰キャでオタクだし。でもサニーに出会って、サニーを好きになって、自分に自信を持てるようになれたんだ。だから、サニーの新しい一面を知れて、嬉しかったし、もっと好きになったよ」
尻すぼみ。不安が言葉に混じって放たれる。
「知ってるよ」
「え?」
「眼鏡掛けてて黒髪のアルバーンの時から、好きだから」
「へ?」
ぐるぐる考える次の言葉を考えて回った思考はサニーの一言に吹き飛ばされた。
「今、好きって聞こえたような」
「うん。俺はアルバーンのことが好き。もちろん恋人になりたいって意味でね。アルバーンの好きは違った?」
ぶんぶん音が鳴るくらい首を振って否定する。違くない。一緒。
「えへへ、嬉しい」
自然に手が繋がれて、整理のつかない頭の中で、ひとり静かにクラッカーを鳴らした。
*
日に日に増していく太陽の熱。電車の窓から差し込む日差しに手を翳した。
「サニー、おはよう!」
「あるばん、おはよう」
僕たちは、変わらず毎朝電車で挨拶をする。変わったのは、お互い過去のことを話すようになったこと。それと、学校までの数駅の間、周りに隠れて繋ぐ手。大好きな恋人に見つめられ、一番の笑顔で応えてみせた。
停車駅のホーム、一番早く鳴いた蝉の声が遠くで聞こえる。とおに春は過ぎ去って、彼らの青い夏はもうそこまで来ている。