はながたみ 甘い匂いがする。
陽を浴びて花々は白い。一面に広がる花の色、青空との境もおぼろにかすむ。
あたりはふしぎと凪いでいるから濃密な香りが溜まりこむ。
むせかえる花いきれ、見あげれば秋の空は青く澄んでいる。
花畑にはところどころ窪みができていた。えぐれて掘り起こされた、土のなかに花びらや葉が埋まる。なかには細かくちぎれているものもあって、それらをひとつずつ手でつまむのはなかなか難儀だった。面倒なものだなあ、とぼやきつつ斑はそれらをかたわらのごみ箱に入れてゆく。
草花をとりのぞき、スコップで地面を整える。じょうろで水をやり、花弁についた泥を流す。
ふとその手元、自分のものではない影がさした。
「……どうして君は来ちゃうかなあ」
ごちるように言えばゆらりと影が揺らぐ。
かがみこんだこちらのとなり、どこからもってきたものかスコップを片手に奏汰がならぶ。
「『ひとり』でより『ふたり』でやったほうが『はかどり』ますから」
ぼくだって『せんりょく』になるんですよ、と、そう言いながら奏汰はスコップで土をならしていく。その仕事ぶりは言葉に違わず丁寧で、さすが奏汰さんだなあ、と言えばなぜだかじろりと横目でにらまれてしまう。
無駄口はたたくなということか、はあいとこどもじみたかけ声とともに、斑もまた作業に戻る。
ざくざくと土を掘り起こす音がふたつ重なりあう。
視界の端、海の色に似た髪がひょこひょことはねている。
ずっと遠目にながめていたはずのそれがいまずいぶんと近くにある。妙なものだなあとしばし感慨に耽っていると、ぺしりと手の甲をたたかれた。
「『まじめ』におやりなさい」
あとからきておいてずいぶんと偉そうなものだと、それは口にはしないで斑ははいはいとうなずいてみせる。
ぶうんと耳元を季節外れの小虫がかすめてゆく。
陽射しがゆっくりと首筋をあぶった。
花畑はしらじらとして明るい。甘い香りにまぎれてかすかに海の匂いがした。
どれくらいの時間が経ったろうか、奏汰がふいと身を起こす。
その目はいまだあたりに散らばる花の残骸をながめていた。
斑も手をとめ、そのさまを見る。
先日この花畑が荒らされた。
荒らすというよりも、と斑は自分の言葉をあらためてなぞりなおす。
事前におもわせぶりな小道具をあちこちに置き、花畑には爆薬などを配備した、それはずいぶんと大がかりな破壊活動だった。
斑がこどものころより手塩にかけて育てた花畑で、首謀者は実の妹だった。悪びれもせずに車椅子の上ちょこなんと座っていたさまをおもいだし斑はううむと顔をしかめる。
兄妹の諍いに巻きこまれた奏汰には詫びのしようもない。挙げ句に本人の意向とはいえ修復を手伝わせている。ごめんなあ、ともはや何度めかになったかもわからない謝罪を口にしようとした、こちらをどう見てか奏汰がぽつりと言う。
「『がっつ』がありますね」
は、と唐突なことに瞬けば、がっつですよとくりかえし奏汰がふりかえる。うすあおい目に呆けたような自分の姿が映っていて、いかんいかんと斑は顔をひきしめる。
「みけじまによく『にて』います」
しずかに奏汰はそう言った。スコップをもったままの手がふいと花畑をさす。
「『おめこぼし』されてた『こども』が『おはなばたけ』をつくりあげたのも、『くるまいす』の『おんなのこ』が『おはなばたけ』をめちゃめちゃにしたのも、きっと『おんなじ』ことですね。みけじまはぼくのために、いもうとさんはみつるとみけじまとおとうさんやおかあさんのために、『できる』わけないって『だれか』にたかをくくられてたことを『ひとり』でなしとげた」
ひいやりとした風が花畑をそよがせる。澄んだ秋の空気と花々の甘い匂いがまじりあう。
花畑は青空の下にある。
奏汰の指にしめされるまま、斑はその光景をながめた。
見晴るかすさき続く花畑、それをつくりあげたのは奏汰の言うとおりこどものころの自分だった。
土を耕し、水をひき、種を蒔き花を植えた。そうして花々が一斉に芽をふいた、あのとき自分はほんとうに誇らしかった。大人たちを出し抜いたこと、友達のために何かを成し遂げられたこと、それらすべてがないまぜになって胸が張り裂けそうになった、その感覚はいまでも鮮明に覚えている。
スコップを持った手をながめる。いまよりもずっとちいさな、その手でこれだけのものをちいさな自分はつくりあげた。
爆薬でえぐられた地面と散らばった花びらに目をうつす。
動かない足で地面に伏せていた、あのとき妹もこの景色を見ていただろうか。
車椅子ひとつのちいさな体で警備の厳重な校舎にいくつもの小道具を配置し、花畑に爆薬を埋め、最後にはみずからの身をなげうってまでことをなしとげた、そのとき妹はなにをおもっていただろうか。
そうだなあ、とあえて気のない風に返したというのに、奏汰からはそうですよとあっさり畳みかけられてしまう。
長い付き合いでたがいの気息は知れてしまっているから、いまさらごまかしようもない。
そのうえ話を続ける気もないのか奏汰はスコップをほうりだし、霧吹きで花に水をやりつつときおり自分にも吹きかけている。トレーナーの裾が泥まみれになっていて、アイドルがそれでいいものかと斑はこっそり苦笑する。汚れを払ってやりたいような気もしたけれど、そうすればきっと怒られてしまうからあえてそのままにする。
さてやるかなあ、と斑はふたたびスコップで地面を掘りかえす。
花びらや葉がごみ箱にうずたかく積もって、これでやきいもを焼いたら光さんへの罪ほろぼしになるかなあと益体もないことを考えた。
しゅっしゅっしゅーという歌がふととぎれたので目をやれば、奏汰の手元、霧吹きが空になっている。さすがに水場のありかはわからないようで、こちらに聞こうか聞くまいか、思案げにしているのがどうにもおかしい。
「奏汰さん、バケツはそこにあるぞう」
見透かされたのがいやだったのか、じろりと横目をくれつつ奏汰はバケツに霧吹きを沈める。ごぼごぼとかすかな音がしばらく耳についた。
しおれた葉をとりのぞき、残った花を整える。
と、いつのまにそばにやってきたものか、奏汰がひょいと手元をのぞきこんでくる。
「ゆがんでますね」
「俺の心が歪んでるからなあ」
「『ね』にもちますね」
自分から話を向けてきたくせに奏汰はむうとふくれてみせる。斑がスコップと手作業でととのえた花々のうえ、最後の仕上げとばかりにしゅっしゅっしゅーと歌いながら霧吹きをかける。こちらの手元に水がかかっても気にもとめずに、それどころか返すその手でまた自分の服を湿らせている。服を濡らすのは奏汰さんにとって満足できるものなのかあ、とおもいつつ斑は作業を進めてゆく。
濡れた指さきに花弁がしっとりとまとわりつく。花の香りがこころなしか強くなる。
「これはぼくにとってはじめてみた『ほんもの』の『おはな』です」
かたわらでぽつりと声がした。
見やるさき、奏汰は霧吹きを地面に置き、ふたたびスコップで土を掘りかえしはじめる。水に濡れた花弁を、それよりいっそうしろい指がつまむ。
「ゆがんでるって『わかった』のは、『おそと』にでてからです。ぼくにとってはこの『おはな』が『ほんとう』だったから、『おそと』の『おはな』が『まっすぐ』なのがずっとふしぎでした」
ここにしかさかないおはなです、声はゆっくりと続く。
「みけじまがぼくのために『つくって』くれた、せかいに『ひとつ』の『おはなばたけ』です」
奏汰がふいとこちらを向く。そのおもてにはやわらかな笑みがあって、互いのこどものころをふとおもいださせた。
ちいさな奏汰の手をひいてはじめてこの場に連れてきた、そのときの誇らしさと喜びが胸によみがえる。
きみだけのものはもうひとつあるなあ、つい口にのぼせかけた、言葉はけれど奏汰のそれにかき消されてしまう。
「だとおもってたんですけど」
ねえ、と奏汰は小首をかしげる。しゃがみこんだ膝のうえに肘をついて、スコップをひらひらとさせる。
「『ここ』を、そうまも『おぼえ』ていました。みけじまのいもうとさんも、みつるも、きっと『ほか』のひとたちも、この『おはなばたけ』を『しって』います」
ねえみけじま、奏汰はそう言った。
「すごいですね。ぼくたち、『さびしく』ないんですよ」
昔とおなじようでいてけれどたしかに違った、その笑みを斑は見つめる。ああそうか、しばらくののちに得心した。
「……きみは、広い世界に出たんだなあ」
せかいをまたにかけてるのはみけじまでしょう、と奏汰はしれっとして言う。
「ぼく『ぶらじる』にも『えじぷと』にもいったことないです」
飄々としたその口ぶりに斑もまた口の端をゆるめた。
奏汰は聡いから、常にものごとの三歩も四歩も先をいく。そうしてひねくれ者の自分の言葉をあっさり封じてしまう。つまらない男の繰言などけして聞いてはくれないから、斑はこっそり安心する。
「ははは、呵々大笑! 違いないなあ!」
「みみもとで『うるさい』ですよ、『ごろつき』」
じろりとこちらに睨みをくれつつ、でもねえ、と奏汰はさらに先を続ける。すこし肩を落としたようなのに、斑はなんだと首をかしげた。なにか落ちこむようなことがあったかと、見やるそのさき奏汰はぺんぺんとスコップで地面をたたく。
「わかったことは『もうひとつ』あって」
ぼくは、という声はどこかかぼそく頼りない。スコップもいつしか地面に、花びらが一枚はらりとそのうえに落ちた。
「『かみさま』は『くもつ』をもらうのが『あたりまえ』なので」
だからかみさまならよかったんですけど、と奏汰はどこかしょんぼりとしたようにする。
「『にんげん』になって、『りく』で『くらす』ようになって、だから『おはなばたけ』をつくるのがどんなに『たいへん』か『わかって』きて、……『にんげん』が『にんげん』に、こんな『りっぱ』な『おはなばたけ』をもらったら、どう『おかえし』をしたらいいのか」
わからないです、という声はいまにも消え入りそうで、ふいと手をさしのべたくなるのを斑はどうにかおさえる。へたになれなれしくすればまた奏汰に叱られてしまう。いかんいかんと身をひけば、こちらのそぶりをどう見たものか、奏汰はスコップを握りなおし、ふうとおおきなため息をつく。
「わからないのでちあきに『きいて』みたんですけど、そしたら『ほんにん』にきくのが『いちばん』だって」
「……千秋さんは人情の機微に聡いようなのに、ときどきだいぶざっくりになるなあ?」
それはそうなんだがなあ? と首をひねるこちらに、わかったようなことをいわないでください、と厳しい一言をくれつつ奏汰はスコップをつきつけてくる。
「というわけで、さあ『こたえ』なさい、『ごろつき』」
「奏汰さん、スコップはひとに向けるものじゃないぞう? あとそれは質問じゃなくて脅迫だなあ?」
スコップの先をてのひらにおさめれば、奏汰はむうとふたたびむくれる。こたえなければこうです、としょうこりもなく霧吹きを向けてくるものの、どうせおたがいすでに泥にまみれているのだから斑としては苦笑するよりほかない。そもそもそれはきみにとっては罰というより褒美だろう、と指摘すれば、奏汰はしかめっつらのまま無言で水を吹きかけてくる。まったく容赦がないものだと、斑は目のあたりを袖口でぬぐう。髪も顔もそぼ濡れて、したたるものが汗だか水だかわからなくなる。
「そうだなあ」
言えば、青い髪がひょこりと揺れる。やっぱりちいさいころとおなじかなあ、そうおもったことは口にはしないで斑は先をつづける。
「せっかくつくった花畑だ、楽しく遊ぶのが一番だなあ?」
にっこりと笑みかければ奏汰はきょとんとし、それからううむと小首をかしげた。
「そういうものですか」
「そういうものだなあ?」
奏汰はなおも納得がいかないというように首をひねっていたものの、こちらが取り合わないと見てとるや、ため息をついてスコップを握りなおす。
奏汰が動くたびひょこひょこと髪がはねる。ときおり疑問がもたげるのか、やっぱりおかしいきがします、などというつぶやきが聞こえてくるものの耳は貸さないことにする。
ふいとちいさな蝶が鼻先をかすめてゆく。
奏汰がその動きにつられて顔をあげ、ふふと笑った。
信仰を持つつもりはないけれど、この身を捧げるならその笑顔ひとつだとはやはり口にしないで斑は額ににじんだ汗をぬぐう。
かすかに口元にふれた、それは海の味がした。