ハッピーエンド「つーきしまー」
呼ばわるさき、ふわふわとした髪がふりかえる。いちおうは上役を立ててくれるものか、事務仕事をする手がぴたりと止まった。
なんですかーとこちらに合わせるように間伸びした、その声に福田は盛大に顔をしかめてみせた。
「おまえ秋山の誕生日にテディベアやったってほんとか」
指導用ノートを丸め、とんとんと肩を叩くこちらに向かって月島は悪びれることなくにっこりとする。
「僕っていうか二年生みんなですけどねー。秋山くんのお誕生日にあげるもの何がいいかって高杉くんたちが相談し合ってたとこにたまたま通りがかったので、秋山くんドイツの代表GKとおんなじプレースタイルだし、あのGKといえばちいさいころおっきなテディベアと一緒に試合に出てたとか癇癪起こしてゴール放棄して代わりにそのテディベアにゴール守らせてたとか有名だから、あとテディベアかわいいし、あやかっていいかなって。僕は案を出しただけでお金は払ってませんよー、贔屓になっちゃうでしょ」
あっさりと言ってくるから、福田としてはああそうかいと口をへの字にしてやるよりほかない。指導者たるもの特定の選手に肩入れするようなことがあってはならないと戒めにきたつもりが先手を打たれてしまった。ひとあたりがいいように見えてとことん理詰めだよなこいつと心中ぼやきつつ、福田はふたたびとんとんと丸めたノートで肩を叩く。
「おまえそれあのGKが3歳くらいのときの話だろうが。高校生男子がテディベアなんか喜ぶかよ」
そう言えば、月島はきょとんとする。すぐそばで話を聞いていたらしい若い事務職員が、ええーとそれに合わせるように声をあげた。
「今どきの男の子はぬいぐるみ喜びますよ福田さん」
えっと目をむく福田の前で、月島と事務職員はですよねそうそうとほがらかに頷き合う。
「フィギュアとか野球とかでも、10代の男子選手でぬいぐるみ好きな子多いですよ」
「二年生たちみんな一生懸命選んでたし、秋山くんも喜んでたよ」
二年生の子たちみんな仲よくていいですねえそうそうこのあいだもと、二十代ふたりがよもやま話に花が咲かせる前で、福田はひとり場に入ることもできずしばらく立ちつくしたのだった。
「……てことがあったんだよ」
飲み屋のカウンターにたんと音をたてて猪口を置き、福田はかたわらの伊達相手にくだを巻く。
「いやまあなんだってひとの好き好きだろうし、男がぬいぐるみ持っちゃだめだとは思わねえけどよ、可愛い可愛いテディベアなんてものをもらうのも男やるのも男しかも二年全員で、月島のアドバイスによるってなんだそりゃ。月島が秋山に熊やったとかなんとか一年が噂してたの聞いて確認しにいったらよけいダメージ食らったっていうか、いやコーチと選手のマンツーマンで誕生日プレゼントにテディベアなんてもっとどうかって話なんだけどよ、あ、しまった一年に訂正しとくの忘れた、保護者の耳に入ったらややこしいな、いやしかし今どきの男子はぬいぐるみ喜ぶって、なんだあいつら俺は今どきじゃないってのか」
聞いてんのか望、とその肩をたたけば、ああと短い返事がある。
「よし、聞いてんならいい」
うむとひとつ頷き、福田は手酌で猪口を煽る。
男が喜ぶかクマのぬいぐるみを、となおもぶちぶち言い続ける、とそのときふいと脳裏をよぎるものがある。あっと声をあげれば、かたわらで伊達が眉をひそめた。
「そういや花がこないだともだちと遊園地に遊びにいってお揃いで買ったってなんか猫みたいなぬいぐるみ見せびらかしてたな。いまどきの男子高校生はぬいぐるみとかも抵抗ないんだっていうなら、……いや、まさかだけどよ、そういえばあの日休みだったよな、アシトどっか行くって言ってなかったか、……なあ、あいつの部屋何号室だっけちょっともしかしてって確認しにいくってありか」
「ナシだ」
きっぱりと言いきり、伊達はこちらの手元から猪口をとりあげる。飲み過ぎだろうときつく睨まれて、福田はカウンターに両肘をついた。
「だってわかんねえんだもんよ、……なあおい、あいつらオレをおっさん扱いしたんだぞ、オレがおっさんならおまえもおっさんだ、道連れにしてやる」
「好きにしろ」
ひとに飲み過ぎなどと注意しておきながら、伊達は淡々と盃を重ねていく。チェーとこれ見よがしに唇をつきだしてみてもかたわらの男は反応することなく、福田はがりがりと頭をかいた。
「つか、オレはどうも男がぬいぐるみを可愛がるってのがピンとこないんだよな。ああいうのは花に買ってやるもんっていうか、女の子の部屋になら似合うだろうけどよ」
うーんとなおも唸るこちらをどう見てか、伊達はふうとおおきなため息をついた。
「おまえの気持ちもわからんでもないが、そういうのも今後は偏見になっていくんだろうな」
ばっさりと切り捨てられて、福田はうううとカウンターに沈む。酔いすぎだとふたたびたしなめられるもの、なんとなくおもしろくないのでふてくされたままきゅうりの浅漬けを口に放りこむ。ボリボリと小気味のいい音がして、すこしだけ気分がすっきりした。
伊達はちいさくため息をつき、通りがかった店員にウーロン茶とビールを注文する。
「オレはまだいける」
「すこし休憩しろ」
やがて運ばれてきたジョッキを奪おうとするも果たされず、福田は渋々ながら烏龍茶を啜った。
ビールをこちらの手の届かないところに置き、伊達は酢の物に箸をつける。
「ぬいぐるみを可愛いだけのもの、こどものものと決めつけるのも視野が狭いというべきか」
ケンカ売ってんのか、と頬杖をつくこちらを気にとめることもなく、伊達は酢の物を口に運ぶ。そうしながら、ぽつりぽつりと言葉を重ねていく。
「ベアーはクマ、そうして耐えるという意味をかけて、海外ではプロポーズの際に渡すともされている。艱難辛苦を乗り越えてともにあるということだろうな。まあ、聞いた話でどこまでほんとうかは知らないが。もしそうならテディベアを大事にするのに老若男女の区別もないだろう」
要は捉えようだ、そう言って伊達はジョッキをぐいとあおった。
そのしろい喉元を福田は凝視する。
自分がずいぶんとひらべったい顔をしているという自覚はあった。たぶん鏡を見たなら目は開き口元はへの字になりと、かなり珍妙な形相をしているに違いなかった。一瞬で酔いが覚めたわ、という声はしかし相手に届かなかったらしい、伊達はそれきりなにごともなかったかのように黙々と箸をすすめてゆく。
「望よ」
「なんだ」
「オレら現役のときクラブのグッズでユニフォームベアって出したよな、結構有名なおもちゃメーカーと組んで、選手それぞれのユニフォーム着てるクマ。キーホルダーになるくらいのちいさいの。あれおまえまだ持ってる?」
「持っていないな。サンプルでもらったのは親戚の誰かに渡した気がする」
「オレもたぶん花にやってそのまんまだわ」
よし、とひとこと気合を入れて、福田はスマートフォンを懐からとりだす。伊達が怪訝そうな顔をするのにも取り合うことなく、インターネットアプリを開き検索する。
「フリマ系には出てねえな、おまえのサポすげえな義理がたいっていうかまじめっていうか、うわうっそオレのクマ高ェな、プレミア? 十倍くらいしない? えっこれ注文したらどうなんの、本名でやったら住所バレるのちょっとどうかっていうかむしろ出品してるやつに気ぃ遣わせるっていうかいやでもへたしたら『福田達也、自身のユニフォームベアをお買い上げ!』みたいにネットに流されたりする?」
「おまえはフリマアプリ出品者のリテラシーをなんだと思ってるんだ」
そもそも何の話をしているのかと、伊達は眉をひそめつつ箸を置く。その質問には答えることなく、福田は烏龍茶をぐいとあおり、ごっそさんと言って立ちあがった。
「おい」
こちらの意図をはかりかねてか気色ばむ、伊達の腕をポンとひとつたたいて、福田は通りすがりの店員に会計を頼む。
「ちょっとオレいまからクラブ戻るわ」
「その酒くささでか? もう十時もすぎてる、明日にしろ。だいたいなぜ突然」
「オレらのユニフォームベア、グッズ在庫のどっかに残ってないかなって探しにな」
「売る気か?」
「おまえオレのことなんだと思ってんの? じゃなくてさ」
訝しげな顔を隠そうともしない相手に向かって、福田はにぃと笑ってみせる。
「体面がだとか選手の手前がとかごちゃごちゃ言って指輪とかそういうの完全受取拒否してくるおまえでも、オレのクマならさぞかし大事にしてくれるだろうと思ってな。おまえがオレのサッカー超好きなのみんな知ってるしクマくらい持ってても別にだれにも怪しまれねえから世間的にも大丈夫、ってことでちょっと探してくるわ。あとおまえのもあったらオレ明日からぶら下げて歩くな、何だっけ病めるときも健やかなるときも? 艱難辛苦? オッケー全然平気だね」
ほんじゃあとよろしくな、と言い置いて、福田はくるりと踵を返す。会計を済ませ、ありがとございましたーという威勢のいいかけ声とともに外に出ようとした、そのときぐいとうしろから腕をつかまれた。
ふりかえればそこには苦虫を噛み潰したような顔があるから、福田は口の端をあげた。
「なに? みごと見つけたあかつきにはその場で交換式でもする?」
「……酔っ払いをひとり歩きさせたくないだけだ」
渋面を崩そうともしないくせ、伊達はすたすたと迷うことなくクラブに向かって歩いていく。その背を眺めつつ、福田はついゆるみかける口元に手をやった。
「確かに、ぬいぐるみってのもなかなかいいもんだな」
その後、監督とコーチの車のミラーにそれぞれのユニフォームベアーが吊されていることに周囲の人々がどう反応したかはまた別のお話。