初めて会ったのは暑い夏の日。クーラーの効いた涼しいカフェの中で頬を赤く染めて緊張した様子で微笑むその子を、俺は確かに可愛いと思った。
俺によく懐いていくれている浮奇ヴィオレタという美しい名前を持つその子は、オフで誰かと会うつもりはない宣言していた俺を根気強く口説き続け、とうとう俺はその機会を作ってしまった。俺が了承の返事をしてからも浮奇はその手を緩めず、早急に日取りと時間・場所を確定されてしまい、有耶無耶にする隙もない詰め方に俺は少し笑った。「逃げたら許さないから」なんて脅し文句までついてきて、彼との通話中にきちんとカレンダーに書き込むところを見せてやる。
日が近づくにつれ落ち着きがなくなるのは俺ではなく浮奇のほうで、他の友人とオフコラボもやったことがあるだろう?と聞くと「他の人と一緒にしないで」と言い画面越しにキッと睨みつけてきた。
約束の日の前日、珍しく浮奇からの連絡が一つもなくて、俺から「明日だよな?」とメッセージを送るとすぐに電話がかかってきた。
『緊張して吐きそう』
「……それは俺のセリフじゃないか?」
『ふーふーちゃんも緊張とかするんだ?』
「当たり前だろう。ありがたいことに心は人間のままなんだ」
『明日、ちゃんと来てくれる?』
「これで行かなかったら俺は大人としてどうかと思うよ」
『……俺、あんまり面白い話できないし、初めて会うのが俺じゃふーふーちゃんこれから一生オフで誰かと会うの嫌になっちゃうかも』
「浮奇じゃなかったら、初めてもこれからも何もない。俺のほうが人と顔を見合わせて話すのはヘタクソだと思う。会って失望しても知らないぞ」
『どんなふーふーちゃんでも愛してる』
「……今日だけはその言葉を信じたいな」
『ねえちょっと? 俺はいつでも本気で言ってるんだけど?』
笑い声を交わしてようやく浮奇の声がふわりと和らいだ。「明日楽しみだね」といつもの心地良く甘い声で言われて俺はむしろ緊張を覚えてしまったけれど。
鼓動の速さは初めての配信の時以上だった。待ち合わせ場所にジッと立っているのすら難しくて、俺は落ち着きなくあたりをうろついた。約束の時間までは余裕があったからどこか時間を忘れて過ごせるような、だけどちゃんと約束の時間には戻って来れるような場所はないかと考えたけれど、残念ながらそんな都合のいいところはない。
通りを一周して結局待ち合わせ場所に戻ってきた俺は、そこに立っている人を見て呼吸を忘れた。
待ち合わせをしたカフェのアイスティーを一杯飲む時間で、俺たちはネット越しで話していたような距離感を掴むことができた。声も話し方も笑い方も、たった数ヶ月の間に耳に馴染むほど聞いたものだ。それが目の前の美しい男から発せられていることに慣れれば話すことは案外難しいことではなかった。
「ふ、ふふ、ねえ、ふーふーちゃん直接会うのが苦手なんて嘘じゃん。俺さっきからずっと笑いっぱなしなんだけど」
「本当に苦手だったはずなんだけどな。相手が浮奇だからかもしれない」
「ええ? ……口説いてる?」
「こんな簡単に口説かれてくれるのか?」
「だって相手がふーふーちゃんだから」
「……口説いてる?」
「そうかも」
ニヤリと笑みを交わしてグラスを手に取ったがすでに中身が空だった。夢中で話し続けていて気が付かなかった。浮奇のカップの中身ももう底が薄く透けている。俺の視線に気がついた浮奇は時計に目をやり、どうする?と聞くように俺を見つめた。
「どこか行きたいところがあれば付き合う」
「んー、って言っても俺たち趣味もバラバラだし、ここらへんで二人とも楽しめるとこってどこかな」
「浮奇が楽しめるところなら俺は楽しそうな浮奇が見られれば楽しいけど」
「だめ。そんなの俺もおんなじだもん。……どうしようかな。正直に言ってもいい?」
「うん? もちろん」
「もっと二人でたくさん話したい。映画見たりウインドウショッピングしたりとか、普通のデートっぽいこと考えてたんだけど、ふーふーちゃんに全神経集中させたいから」
「……デートじゃない」
「デートだよ」
デートでしょ、と呟き、浮奇は唇を尖らせて上目遣いで俺を見た。息を止め、その可愛らしい表情を目に焼き付けてからわずかに顎を引く。
「……もしかしたら」
「もしかしなくともそうなの。それで、どうしよっか?」
「……食事には早いな。ゆっくり座って話せる場所、何か心当たりは?」